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尼港事件は、ロシア内戦中の1920年(大正9年)3月から5月にかけてアムール川の河口にあるニコラエフスク(尼港、現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ)で発生した、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件。
港が冬期に氷結して交通が遮断され孤立した状況のニコラエフスクをパルチザン部隊4,300名(ロシア人3,000名、中国人300名、朝鮮人もどき1,000匹)が占領し、
ニコラエフスク住民に対する略奪・処刑を行うとともに日本軍守備隊に武器引渡を要求し、これに対して決起した日本軍守備隊を、パルチザン部隊と中国海軍の合同軍で殲滅すると、老若男女の別なく数千人の市民を虐殺した。
殺された住人は総人口のおよそ半分、6,000名を超えるともいわれ、日本人居留民、日本領事一家、駐留日本軍守備隊を含んでいたため、国際的批判を浴びた。
日本人犠牲者の総数は判明しているだけで731名にのぼり、ほぼ皆殺しにされた。
建築物はことごとく破壊されニコラエフスクは廃墟となった。
この無法行為は、結果的に日本の反発を招いてシベリア出兵を長引かせた。
小樽市の手宮公園に尼港殉難者納骨堂と慰霊碑、また天草市五和町手野、水戸市堀原、札幌護国神社にも殉難碑がある。

この件で中国海軍の関与を認めて三万元の慰謝料を支払ったものの、ソ連はそれを認めなかったため、シベリア出兵が長期化した
※まだ責任も賠償も行っていない。日本は「日本軍が居たのに守れなかった」としてその分だけ賠償している