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民度マックスの水戸藩士達は些細な差で内ゲバを起こし、フランス革命に匹敵する凄惨な同士討ちをした(3歳の幼児を処刑)
内紛・内ゲバの経緯を見ると、水戸藩士は見事なまでに朝鮮人の特徴である中庸徳を会得しており、まさに日本国に現出した朝鮮・中華が水戸藩だったと言える

徳川光国の主導による「大日本史」の編纂の過程において国学が生まれ、水戸藩は神道・国学・朱子学研究の中心地となり、
明治維新に先んじて廃仏毀釈を行うことになる

会沢安あたりは神道からの大義名分論を導き出し、今日の(朝鮮朱子学に洗脳された)愛国烈士の教祖のような存在だろう
弘道館は他にも神道系の国学者を輩出しており、大政奉還・王政復古のプランは水戸藩の貢献が大きいが、同時に内紛による
熾烈な虐殺事件は儒教中庸の強さを証明している

藤田東湖の尊皇攘夷と、元田永孚・佐々木高行の天皇親政は、朱子学をルーツにする点において同祖と言え
国体(天皇を頂点とする国家体制)を作ったのも水戸藩や朱子学者であり、朝鮮朱子学をベースに儒学の官学化を推進し神道と儒学を融合した林羅山からの伝統と認めることができる