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国学の系譜を紐解くと偽史がさかんに発表されてきた
平田学はユダヤ人でさえ史実でないファンタジーと解釈する旧約聖書を何の吟味も理解もせずに使ったりするなど、結論ありきのスピリチュアル解説
は江戸時代のころから盛んだったことになる

天動説を支持していた島国の熱狂的な儒教徒や仏教徒に対して、キリスト教はオッカムのウィリアム(フランシスコ会会士)を輩出しているのだが
継ぎ接ぎの理論は島国らしい節操のなさだろう。ある意味では詐欺にひっかかりやすい人種と言えるだろう

https ://ja.wikipedia.org/wiki/竹内文書
https ://ja.wikipedia.org/wiki/平田篤胤
また、古伝の空白箇所を埋めるために、天地開闢は万国共通であるはずだという理由から諸外国の古伝説にも視野を広げた[9]。
『霊能真柱』は篤胤にとって分岐点ともいえる重要な書物だったが、本居派の門人達は、この著作の幽冥観についての論考が亡き
宣長を冒涜するものとして憤慨し、篤胤を「山師」と非難したため、篤胤は伊勢松阪の鈴屋とはしだいに疎遠になっていった。

仏教的宇宙観の普及活動 2.須弥山 儀 の概要 - 東芝未来科学館
toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/download/pdf/leaflet_14.pdf
1.仏教的宇宙観の普及活動. 仏教では、古代インドの宇宙観を受け継ぎ、世界は須弥山を中心に立体に. 広がっていると解いて、
西洋の地動説に対して天動説を説いた。地動説が広. まることにより仏教の権威が失われることを恐れた天台宗の僧円通

https ://ja.wikipedia.org/wiki/オッカムのウィリアム
オッカムのウィリアム(英: William of Ockham、1285年 - 1347年 [1])は、フランシスコ会会士、後期スコラ学
を代表する神学者、哲学者。通例オッカムとのみ言及されるが、これは下記のように姓ではなく出身地で呼んだ
ものである。哲学や科学における節約の原理「オッカムの剃刀」の提唱者として知られている。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/ニコラウス・コペルニクス
地動説の発表と死
1529年ごろからコペルニクスは地動説についての論考をまとめ始め、推敲と加筆を繰り返していたが、
これを出版するつもりは全くなかった。しかしコペルニクスの考えは友人たちを通じてこのころにはか
なり知られるようになっており、1533年には教皇クレメンス7世にこの考えが伝えられている。1535年
にはヴァポフスキがコペルニクスの元を訪れ、地動説についての話を聞いている。1536年には枢機卿の一人
であるニコラス・シェーンベルクがコペルニクスに賞賛の手紙を送っている。しかし、このころはいまだ
コペルニクスはこの考えを出版する気持ちを持っていなかった。このころにはヘウムノの司教となって
いた親友のギーゼは何度も出版を進めたが、それでもコペルニクスは動かなかった。