また、ある会社の企画担当は言った。

「今なら、競争相手も減った。Σの名で予算を獲得するチャンスだ。」

失敗は、あまりに明らかだった。
だが、通産省と全国のメーカー、技術者を巻き込んだプロジェクトだったから、それを公表することは、危険だった。
Σは、その後長い間人々の禁句となった。

1990年12月21日号の日経コンピュータ誌。
こんな特集が組まれた。

「Σ計画の総決算--250億円と5年をかけた国家プロジェクトの失敗」

1984年に企画され、始まった一大プロジェクトは、こうして失敗した。