[Government and Opposition]Cambridge University Press, Volume 23, Issue 2, 01 April 1988 , pp. 195-209
ミッテラン大統領(1981-1988)についての2つの視点
https://www.cambridge.org/core/journals/government-and-opposition/article/two-views-of-the-mitterrand-presidency-198188-ii/E1CB09E4F76E944EB920D51FE8130D1B
この記事の目的は、ミッテラン大統領を埋葬することではないし賞賛することでもない。
むしろ、ミッテラン大統領の、フランス政治およびフランス社会主義に対する影響を評価するものである。
そうした評価は、不完全なものになったり暫定的なものに必然的になってしまう。
いくつかの社会主義的改革(特に「非中央集権化」および「労働者の権利」に関するもの)は、実施後数年たたないと明らかにならないであろう。
しかし、1988年1月にミッテランは今でもエリゼ宮殿で大統領を続けている。
1986年の選挙で議会では多数派ではなくなり、シラク首相率いる「ドゴール派共和国連合および中道右派フランス民主連合」との協力を余儀なくされたが、
1986年以降、社会党のミッテランは人気および尊敬を取り戻している。

[Wikipedia]
フランスにおける非中央集権化
https://en.wikipedia.org/wiki/Decentralisation_in_France
フランスにおいて、非中央集権化の政策は、フランス議会の一連の決議により始められた。ガストン・ドフェールGaston Defferre法1982として知られている。
この一連の法律が立法される以前は、
フランスの市区町村および県においては、住民自治・自治権の権限が、限られていた。
これら限られた住民自治・自治権の権限は1871年および1884年に立法化されていたものである。

フランスにおける非中央集権化は、「組織・機関上のもの。地域としてのもの。機能上のもの」、と言う3つのカテゴリーに分けられる。