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神国思想というのは、終焉しつつあった公家や皇族の逆転サヨナラホームランのようなものだった
運良く元寇による侵略がおき、神風・神州不滅の伝説が生まれたことで皇室には霊力があるとの神話が作られ
その得体の知れない霊力が天皇の権威に正当性を与え、皇室・皇統崇拝の実体・核心は神風伝説となった

その副産物として神風・神州不滅というオカルト祈祷師の迷信による恐喝・迷惑行為による創作神話が生まれ、儒教(李氏朝鮮の朱子学)によって強化される
後に豊臣秀吉と徳川家による朝鮮朱子学と神道の合体が戦前までの天皇の在り方を決定したと言える

天皇親政運動を明治天皇の意向を受けて主導した元田永孚による朝鮮朱子学から生まれた国学を用いた天皇儒教権威の強化によって、
戦前は神風神話・神明に加護された神州不滅思想のような神話が国論を支配した

結果として無様な敗戦をきっする前までは天皇になにか超人的な力(超能力や霊力)があると期待していた宗教的風潮があったと見られるが、戦後に神国神話は
(神風吹かず)敗戦という現実によって粉砕されごく一部の狂人しか信じるものはいない

https ://ja.wikipedia.org/wiki/神国思想
神国思想(しんこくしそう)とは、自国を神の国(神国)とする思想で[1]、選民思想の一種である[2]。

この時代が武家と公家の権力交代期にあり、天皇を頂点とする古代貴族体制を保つためのイデオロギーとして強調されたことによるものだった[3]。

世界大百科事典内の神風の言及
【神国思想】より
平安時代には対外意識が鮮明になることは少なかったが,後期になって朝廷の権威が衰えはじめると,
皇統の一系と神々の加護を説く神道思想が整えられるようになった。鎌倉時代の半ばに元の軍勢が来襲
したとき,異敵調伏の祈禱の中で神国思想が強調され,敵国の船団を壊滅させた風は神風と呼ばれた。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/元寇
鎌倉期の神風観
文永の役において元軍は神風で壊滅し日本側が勝利したという言説が流布した背景として、当時の日本国内では元寇を日本
の神と異賊の争いと見る観念が共有されており、神社や寺による折伏・祈祷や歌詠みは日本の神の力を強める(天人相関思想)
と信心されていた。そのため、元軍を撃退できた要因は折伏・祈祷による神力・神風であると神社等は宣伝し、幕府に対して恩賞を求めた。

幕府は、こういった各社による軍忠状に対して神領興行令と呼ばれる徳政令を各社に対して3度も発布し、恩賞に当てた[221]。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/元寇
また、戦時中や現代の教科書においても文永の役において元軍は神風で壊滅したとい
う言説が依然として改められなかった背景としては、戦時中は「神国思想の原点」ゆえ
に批判が憚られたことによるという見解がある[223]。