敗戦後すぐ「天皇主権」が復活してんだがな

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1952年に占領が終了した時、彼(糞ヒロヒト)は、次第にそして慎重に、
国務への部分的な関わりを再開した。

それがどの程度の関わりであったかは、関係文書が公開されるまで、
ひと時代かそれ以上、知られることはないであろう。

だが、すでに僅かなことについては知られ始めている。

宮内庁に報告するとの理由で、引退した歴代首相や公職者たちは、
マッカーサーが1945年に廃止した「 枢 密 院 とほぼ同じものを再組織した」。

「国家の象徴」 として、裕仁は、年に一万通にもなる政府書類への国璽を押す仕事を維持している。

1957年以来、彼はこの任務の履行をする以上、
少なくとも週に一度、首相からの定期的報告を受けることを求めていた。
佐藤兄弟が国の面倒見役を果たしていた14年余りの間に、
裕仁のこの 「天皇の質問」 は、真剣に考慮され、尊重されるようになった。

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枢密院
天皇の主張を内閣やら下々に押し付けるための、天皇直属の助言者集団みたいなもん。

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