牧師は犯人を匿っても罪にならない?
https://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200602150000/
通称「牧会活動事件」。(判決文はこちら)
 日本であった有名な判例(神戸簡裁判例昭和50年2月20日)である。簡易裁判所の判例としては一番有名かもしれない。

「高校運動が華やかだった頃、警察は建造物侵入や凶器準備集合の罪で少年2名を追っていた。
 少年の一人の母親を仲介人にして、牧師として少年への魂への配慮から、過激派と接触させず反省と深い思索をさせられる場所と機会を与えることが必要と考え、
友人の牧師に話して少年を預からせた。警察から牧師に少年たちの所在が尋ねらせても知らないと答えた。
 やがて牧師は彼らの復学の可能性を念頭に置きながら説得し、事件後8日で少年2名は警察に出頭した。

 牧師は少年の2名を匿ったとして、犯人蔵匿の容疑で起訴された。
 牧師はいったん略式裁判で罰金刑を受けたが、「牧師として牧会活動は正当な行為。有罪は納得できない」として正式裁判に持ち込んだ。」

 早い話が、この裁判で信仰の自由か、犯人を捕まえて処罰するという国家的利益かと言う問題が突きつけられたのである。
 まあ普通の人は、いくら信仰の自由と言っても、処罰されるんじゃないの?と思われるかもしれない

 これで判決が「無罪」だったといわれればあなたは驚かれるだろうか?

判決の要旨を判例百選から抜粋すると
「牧会活動は宗教職にある牧師の職務の一つの内容。そして憲法20条の信仰の自由によって牧会活動は最大限尊重される必要がある。」
「社会で活動する牧会活動だから当然公共の福祉で制限を受けるが、信仰の自由を侵すおそれもあるので慎重にその制限は配慮しなければならない。」
「刑罰法規に触れる行為だから普通は公共の福祉に反するけども、相手は宗教行為で、しかも公共の福祉に奉仕する牧会活動である以上、刑罰法規に触れるということだけで公共の福祉に反して違法とはいえない。」
「彼の行動は牧会活動として道を外したとはいえない。少年も牧会活動のために反省し、8日後には任意に出頭している。
彼らが人間的に救済されたのはもちろん、彼らの更生で捜査も容易になったことを考慮すれば、牧師の行動は社会的に許容できる範囲のもので違法ではなく、信仰の自由に基づく正当な業務行為(刑法35条)である。」

 ただ、信仰の自由と言うものがいかに重大なものであるものか、それを前提にどう考えたらよいかが現れた一つの有名な裁判例なのだ。