なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを躊躇したのか。「台湾は中国
の一部」とする中国共産党の意向を気にしたとされる。日本の台湾に対する気持ちはその
程度のものだったのかと残念に思った。日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆
けつけるという曽野氏との約束を果たせなかったことは、私にとって生涯の痛恨事である。

 また2001年、持病の心臓病の治療のために訪日しようとした際、私を入国させることで
中国を怒らせることを恐れた当時の外相や外務省の反対で、なかなかビザが下りないとい
うこともあった。「義を見てせざるは勇なきなり」という武士道の精神を表す言葉があ
る。武士道は日本人にとって最高の道徳のはずである。このとき私は、日本という国がほ
んとうにおかしくなっていると感じた。

 だが一方で、こうもいいたい。東日本大震災で日本国民がみせた節度ある行動や献身的
な自己犠牲は、まさに武士道の精神そのものであった。武士道という言葉自体はいまの日
本ではあまり使われなくなっていたとしても、その精神はけっして失われていなかった。
そしてそれを世界の人が称賛したのである。

 しかし、東日本大震災で日本国民がみせた際立った優秀さとは対照的に、政府の対応は
あまりに嘆かわしいものであった。

 震災直後、時の首相であった菅直人氏はヘリコプターに乗り、上空から被災地見て回っ
たものの、それだけで終わってしまったという。本来であれば菅元総理は、自衛隊の幕僚
長と内閣の官房長官を従え、ヘリコプターから降りて被災地を一つ一つ見回り、被災者を
慰問し、地方自治体の指導者から救済措置と財政負担を聞き取ることが必要であった。国
民が苦しんでいるのに、菅元総理はどのような顔をしてヘリコプターに乗っていたのか。
彼はしょせん民主党の指導者であって、国家の指導者たる資格はなかったのである。