田母神俊雄・航空幕僚長論文】まず全文を読んでみよう
 http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
批判や擁護する前、一度論文を読んでみましょう。台湾人も論文の内容に関わっています。
飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう) :日華(台)親善友好慰霊訪問団HPより
 台南市の北西5キロの郊外に、「鎮安堂飛虎将軍廟」がある。そこに奉られているのは、 大東亜戦争中、台南上空の空中戦で壮烈な戦死を遂げた日本海軍の杉浦茂峰少尉である。
 昭和19年10月12日、大東亜戦争も末期に近く、米軍は台湾各地に航空決戦を挑んで きた。午前7時19分、米軍機台南来襲、日本零戦は上昇し空中戦、零戦は勇敢に戦ったが、 数を頼む米軍機には勝てず、
一機又一機と撃墜されていった。そのうちの一機は尾翼より発 火し、海尾の大集落へ向かって落下していった。このまま落下したら、海尾の町は大火事に なる。そのとき、零戦は機種を上げて上昇し、海尾の町をはずれ東方の畑の方へ飛び去った。
飛行士は落下傘で飛び降りたが、グラマンの機銃掃射を浴びて、落下傘は破れて、飛行士は 墜落した。
 その後、町の有力者達が集まり、身を挺して海尾の町を戦火から救った飛行士の為に、永久にその恩徳を顕彰する事を衆議一致で決議した。そして昭和46年に廟を建設して毎日お参りをした。
そうしたら、稲作は豊作、豚や魚の養殖も順調で、宝くじまで当たる者も出て きた。廟は海尾集落の守り神として集落の人々の尊敬を集めている。毎日遠近からの参拝者 が多く、日本からの参拝者も年中絶えない。
廟の正面には「鎮安堂飛虎将軍廟」と書いた額 が揚げられている。「鎮安」とは鎮邪安民の意で、「飛虎」とは戦闘機又は空を飛ぶの意で ある。「将軍」は神として奉られる勇士の尊称である。
 廟守は朝は日本の国歌「君が代」、夕は「海ゆかば」を粛々と歌うのである。祭壇の両脇 には中華民国の国旗と日本の国旗が立ててある。