お前等ジャップは東京に救急車が2台しかないのに戦艦ヤマトを3隻作ったんだろ?
で、お前らはそれを見て涙流して喜んでいる。挙句にアニメでガキを洗脳し、アイドルが主人公になる。
救急車もないのに、大和にゼロ戦作ったことを自慢するのがお前らジャップ。
一銭五厘なら、病院入れるより、治療せずに代わりをつれてきたほうが安いもんなあ。

[東京消防庁]
救急業務のはじまりと救急救命士の誕生
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/libr/qa/qa_11.htm
わが国における救急業務は、神奈川県警察部が昭和8(1933)年に横浜市の横浜消防署に、キャデラックの改造救急車を配置したのに始まります。
次いで翌9(1934)年には名古屋市の中消防署が、同年12月には東京の日本赤十字社東京支部が2台の救急車をもって、それぞれ救急業務を開始しています。
東京では当時、約2万件もの交通事故がありましたので、下谷区竹町および京橋区槇町の2つの救護所に配置された2台の救急車が精一杯活躍しても、要請にはとても応じきれませんでした。
そこで、警視庁消防部は公設の救急隊を設けるべく当局に働きかけましたが、予算の獲得が容易ではなく、なかなか実現しませんでした。
これを見かねた(財)原田積善会は、ダッジブラザーズ社の救急車6台を消防部に寄贈しました。昭和10(1935)年も末のことです。



日本は、1970年代までは自動車すら輸入していたわけだ。つまり、おおざっぱに言うと救急車も輸入だろ。
(「救急車自体が国産かどうか」の話ではない、自動車が普及すると輸入が増える社会だったという意味だ)
とい うこと は、お前らの性格から予想すると、当時は、「救急車なんか呼ぶな。気合で治せ」、とか言っていたはずだろwww