【古代】邪馬台国、議論は永遠の平行線
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考古学ファンの心を揺さぶる邪馬台国の所在地論争。先日、テレビで九州説と畿内説を対決させる番組が放送されていた。九州説の有力な手掛かりは硯(すずり)。畿内説の方は赤色顔料の原料、水銀だ。
ただ、硯は、福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんが今春、大阪府泉南市にある弥生時代の遺跡出土品に含まれているのを確認している。一方、水銀の鉱床も畿内限定ではなく、「丹生(にゅう)」などゆかりの地名は九州にもある。お互い説得力はいまひとつだった。
折も折、九州説をとるミスター吉野ケ里こと高島忠平さんと、纒向(まきむく)学研究センター(奈良県桜井市)所長の寺沢薫さんによる対論が福岡県飯塚市で開かれた。寺沢さんは桜井市の纒向遺跡を邪馬台国=ヤマト国とみる研究者だ。
結論から言えば「議論は永遠の平行線」という印象だ。
重要な鍵は多様な土器が出土している纒向遺跡。遺跡の時期と重なる「庄内式」と呼ばれる土器が登場した年代を、寺沢さんは3世紀初めごろとする。中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にある女王・卑弥呼の共立時期と同じで、「卑弥呼の都」との見方が強まる。
高島さんは3世紀半ばとみる。卑弥呼が没した時期であり、纒向遺跡は無関係という解釈を導く。2人とも庄内式土器が用いられた時期と纒向に「都市」があった時期は一致すると考えているが、その土器が示す実年代のとらえ方に50年の差があり、対論でもなかなか縮まらなかった。
土器の年代は研究の積み重ねを基に設定されている。実年代に当てはめる場合は一定程度の推測が伴い、各研究者がそれぞれの尺度を持つ。放射性炭素14を使った科学的な年代分析法もあるが、概して従来の年代設定より古い数値が出ており、精度を疑問視し否定的な研究者もいる。
ちなみに庄内式土器も、炭素14測定では卑弥呼が生まれる前の2世紀−との数値も出ている。もっともこの分析法は「100年ほどの誤差を含み、10年、20年単位の判定には不向き」との指摘も聞く。
論争が袋小路に入るそもそもの原因は倭人伝の記述だ。文字通りに進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう。数々の論者が自分流に読み換え、各地に所在地を求めた。これも永遠の平行線。ドイツ近代政治史が専門の九州大教授、熊野直樹さんは「攻めてくる恐れのある他国に、自国の地理情報を正確に伝えるはずがない」と、国際関係論をベースに邪馬台国側の意図を読み解いてみせる。
交わることなき論争。故に歴史ロマンが生き続けるのかもしれない。(文化部次長 古賀英毅)
西日本新聞 2019/7/27 10:40
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/530555/ 俺は関西で間違いないと思ってる東京の人間だけど、そりゃ、平行線だよな、いつも。 >>1
そう。だからこそ「真の邪馬台国は徳島」で決着なんです。 平行線でいいんだよ これはw
わたし知ってるけど教えないwwwwwwwwwww
わたしからは以上だな ミカエル(悟ったもの)より。
神話に近い感じだしロマンありますねで良いと思うよもう…わからんわ 邪魔大王国は先住民族なのに磁石のやつのせいで絶滅したもんな 第三の場所が現れて矛盾も文献もすべて合理性を整えて収束を迎える >>1
そもそも中国の正史に記述された王権であるかどうか
そこに日本史の本質は無いと思うがね?
自らの歴史の根拠やアイデンティティを
他の文明に求めるのは
朱儒の価値観としか言いようが無い >>1
最初は九州にあったのが、支配地域がひろまったことにより、
畿内へ遷都した、という説をいくつかの書籍で読んだことがあるよ 卑弥呼って書かれた頭蓋骨でも発見されない限り無理だろ 万世一系を唱えたかった舎人親王らが、魏志倭人伝とかう面倒な歴史書と整合性を持たせるため
宮崎(日向)の山奥から神武天皇が突如東征して西日本を席捲、大和に根付いたストーリーを仕立てあげた。
こうしておけば過去の九州の豪族の偉業も自分らの先祖の功績に組み込めるから。 もうさ、イタコに卑弥呼の霊を降ろしてもらって直接語らせたらいいじゃん
ほら、うってつけの人いるでしょ 邪馬台国論争はともかく、邪馬台国を大和朝廷や記紀の内容に当てはめようとするのはナンセンス 日本各地に存在した勢力の何処が
三國志魏書に記述されたかどうかは
日本史の本質にも大和王権の正統性にも関係ない
無意味な論争 一説によると西暦266年に大規模な地殻変動が起こったので、魏志倭人伝にある場所は現在の地形では特定できない。
竹内文献の古代の世界地図にある天日根国が、当時の日本だという。その一部に邪馬台国があったらしい。 論争になってないんだよ
九州人は九州であって欲しいし
畿内人は畿内であって欲しいっての先にあるからな 双方共に地元愛から来る願望がまず先にあるので永遠に終わらない 邪馬臺國の「邪馬臺」=當時の晉では「やまと」と發音してた當て字
要するにヤマトの國=日本
この説が一番しつくり來るし平和だ
邪馬臺國=大和朝廷で良いぢやねえか
空白の3世紀とかいふ頭惡い日本史も埋めれるし 邪馬台国が存在した時代にはすでに多くの集落があったろうから
それこそ魏国から贈られた何かが出没でもしない限り
その中のどれが邪馬台国か、なんてことは分からんわな
ただ海の向こうに朝鮮半島が見える北九州が邪馬台国だった、ってのが一番自然な推論じゃなかろうか
太平洋側に位置する奈良などの近畿説は無理があると思う 邪馬台国論争は昔あった写楽の正体ブームに似てる
学者は斎藤十郎兵衛だろうって静観してるのに
素人たちがあいつだー、いやこいつだーと勝手に大盛り上がり >>21
第225回活動記録 神武天皇陵の謎 菊池山哉(さんさい:大正-昭和の郷土史家)
はその著書のなかで、洞村(被差別部落)の区長宅で多くの老人たちから聞いた
洞村内部の話を次のように伝えている。
洞村は神武天皇陵拡張のため平野へ移転し、今は
街路整然といしている。もとは畝傍山の東北の尾の上で ...
yamatai.cside.com/katudou/kiroku225.htm - 13k - キャッシュ - 関連ページ
↑うちらの先祖は九州から神武にくっついてここに来たという伝承をつたえる >>8
その通りです。
だけど利権が相当あるので
既得権益者に勝つのは困難 永遠に並行だろうな
それぞれの妄想の中だけの話なんだから 邪魔大王国・・・って書こうとしたら先に書かれてた。
親魏倭王の金印でも出てこない限り平行線じゃね? >>35
黒塚古墳と似たような感じでは?
黒塚古墳は明らかに箸墓の2分の1のサイズで作ってるしね。
出土品から黒塚古墳は難升米の墓であることは確定的だから
箸墓は通説通り卑弥呼の墓だろう 邪馬台国って文字自体が、大和国の中国での当て字だろ。
当時、魏の国が三国志の終盤で中国を制覇する時代だったから、
海を隔てた日本列島の原始人なんて、バカにしたに違いなく、なにが大和だw
邪馬台国って呼べば充分。
と、そういう感覚だろうよ。
当時は南蛮だとか、辺境を酷い文字で書いて読んでた。
なのに、邪馬台国を日本人が読んだ国の名だと考えるから、わからんのよ。
自国に邪なんて文字を付けるかよ。 >>26
仮に邪馬台国が奈良だったら
邪馬台国は神社など日本文化の発祥の地の可能性が高いよ >>39
「漢の委の奴の国王」
わ な
↑3段細切れ読み 根本的にまちがい!! イトまたはイドと読みます
金印は当然、政庁におかれた
皇帝の金印が地方の首長に下賜されるわけがない
印文のルールとは、二段国名が取られていたこと
現代中国人は漢委奴国王をどう読むか?
仏教大学の黄當時教授は、2014年の10月に開催された
「第8回金印シンポジウム志賀島」において、
「金印の韻文は『漢の委奴の国王』と2段に読むしかない」
『3段読みは』致命的ともいえる欠陥を抱えている。固執は不毛である」
と述べ、また委奴国という漢字を見せられて、「ヤマト」「ワノナ」
と読む中国人はいないと断定している。
↑畿内厨!!! 失笑 >>43
そんな感覚のわけない
命と権威がかかってるから他国の国力の調査は最重要で真剣にやることだよ 大和朝廷なら畿内だが、魏志倭人伝に九州以外の国はよくわからん国としていっしょたくになってる >>1
邪馬台国とか卑弥呼と言う言葉を良く見ろ。これは当時の支那人が周辺国を馬鹿にして音に
悪い漢字をあてたもんだ。日本人が使うべき言葉ではない。
日本人ならヤマト、ヒミコと表記すべきもの。 >>18
漢代の倭国盟主にして歴史的権威、九州やまと(邪馬台)を、
恐らく4世紀初-中旬に畿内が滅ぼし、その権威ある名を継いだ。
実際には、漢衰退期の2世紀終わり(-3C頭?)の倭国大乱で
邪馬台は負け、列島の覇権を失い、魏に朝貢させられた。
そして、華北が完全に崩壊した4世紀に滅ぼされる。 >>41
ていうか、別の国な
『隠された物部王国{日本ヒノモト} 民俗学者・谷川健一
かつて列島に併存していた「倭国」と「日本ヒノモト」
「日本ヒノモト」はいつ、だれによって併合されたのか
物部も九州から、遠賀川流域から来たんだよ
東遷は2回あった 谷川健一がいってるように >>46
漢帰義羌長も「漢に帰義する羌の長」で3段細切れ読みだよん 邪馬台国は大和国
北九州近辺までについての記述は支那の使節も来るので嘘はつけない
その先についての記述は虚実ないまぜ盛りまくりなので論争することが無駄 >>44
日本文化の本質が
他の文明の正史に記述されたかどうかに
何の関係があるのか? 日本であれが出たこれが出た言うても虚しいだけ
大和朝廷の成立かていなら正しいアプローチだけど
邪馬台国を探すなら中国目線で探さんと まぁ、わざわざ伊都国停りにしてるのは、都の正確な位置を知られたくないからだろ もはや町おこしのネタだからな。
好きにすればいい。 >>49
そう。
今の発音(畿内方言由来?)で言うと、
ヒメコ(太陽の娘)だな。
周辺の王が○○ヒコ(太陽の息子)だからね。 >>47
だから、三国志で勝ち抜くほど国力のある魏が大和国に来てみたら、なんの力もない国々だから、
ああ、邪馬台国って書いて呼べば充分だと判断したんだろうよ。 考古学者や歴史家じゃなくて物理学者がピリオドを打つと思うよ
タイムマシンを開発してさ あと畿内に倭国大乱の痕跡が無い
倭国大乱が無ければ卑弥呼を擁立する必然性が無い
よって畿内に卑弥呼は居ません >>18
仮に遷都があったとしたら遷都があったのは邪馬台国より前の時代だよ
九州の遺跡調査から九州の王朝の衰退時期がわかる >>53
漢の匈奴の悪適尸逐王の銅印
漢匈奴悪適尸逐王銅印駝鈕、大谷大学現蔵 これは、「漢の匈奴の悪適尸逐の王」と三段に見える。
だが、実際は、「悪適尸逐王」という匈奴の王号であって、三段国名ではない。また、かりにこれを
「三段国名」と見なしても、この印は銅印である。銅印は中小国家の王や夷蛮の小君長などに与えられる。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
(それらも、この例以外は二段国名である)一方、金印はそれより格上、夷蛮の地域の中心的王者(と中国側が見なした者)
に与えられる。だから、金印は特に、AのBのCなどという >>64
九州が衰退してようが、それは魏志倭人伝を書いた人に関係ないでしょ >>65
銅印は3段読みOKで
金印は3段読みNGという謎のルールはどこから出てきたの? >>45
そう。九州に在った「やまと」
ただ、音は少し違ったかもな。
今の日本語は、畿内方言由来の発音だから。 そもそも畿内どころか本州の話は一切出てこないのでしょうがない >>1
「ここは邪馬台国です」と書かれた看板が見つからない限りは、
考古学的証拠は何一つ無い。
邪馬台国は文献の中にしか存在しない国なのだから、
邪馬台国議論に文献学的アプローチ以外は認めるべきではない。
それがわからん考古学者がグダグダ言ってるだけ。 >>45
やまとという地名は結構どこそこにあるからなぁ >>70
おまえ、いつもいるな
「漢の委の奴の国王」
な わ
↑3段細切れ読み 根本的にまちがい!! イトまたはイドと読みます
金印は当然、政庁におかれた
皇帝の金印が地方の首長に下賜されるわけがない
印文のルールとは、二段国名が取られていたこと
三段国名の例があったら教えてもらいたい
ないだろ?? 畿内厨…
おまえ、福永光司のイト国という説得力ある論考読んでないだろ? >>74
考古学的証拠がそろってるからほとんどの学者が畿内説なんだが >>67
日本という国の形の本質にとっては
何の証明にもならんな
単なる辺境勢力との接触であっても
斯くの如く記述されるだけであるし その後、100年から200年後くらいに古墳時代が始まり、古墳群が奈良を中心に出てくるのを見ても、
大和あたりに大きな権力が誕生し始めたんだってことはわかるじゃん。
出なきゃ、なんでいきなり、古墳が出てくるの。 吉野ケ里は建物が東西南北に規則正しく並んでいないのに対し
巻向は東西南北に規則正しく
建てられている
前者は縄文系であり
後者は弥生系である 近畿にしろ九州にしろ何が見つかってもそこに当時文明があったってことの証明にしかならないもん
それこそ邪馬台国って書かれたものでも出てこない限り決着つかないわ >>80
それが間違ったアプローチだっつーの
デトロイトの話をしてるのに、首都はワシントンDCだ経済の中心はNYだって言ってるようなもの
魏志倭人伝はデトロイトが邪馬台国だって書いてるのに、衰退してるから違うとか言ってるのが畿内 わずかに残された記録がテキトー過ぎて場所を特定できず、
また邪馬台国のものであると証明できる遺跡や遺物がない以上、
永遠に解明できるわけがない。
そういうのが日本にあったらしい、ということだけで議論するのは物好き以外時間の無駄。 >>80 そろってるから
???????????????????????????
ほんと、ひどい印象操作(畿内厨一派の)がおこなわれてるよ
【邪馬台国はどんな国?】
「魏志倭人伝」−「倭人は兵器に矛を用いる」
―銅矛であれ鉄矛であれ、
矛が多量に出土しているのは北九州、奈良県は出土無し。
「魏志倭人伝」−魏への持参物、魏から女王への贈り物に多数の「絹織物」
−邪馬台国のあった弥生時代後期までの「絹」は、すべて九州からの出土。
「魏志倭人伝」−「倭人は鉄の鏃を用いる」
−弥生時代の鉄鏃は福岡県から171個出土、奈良県からは2個。
「魏志倭人伝」−「魏は卑弥呼に五尺刀二口を与えた」
−弥生時代の鉄刀、鉄剣は福岡県から92例出土、奈良県からは1例のみの出土。
三角縁神獣鏡は魏の鏡に非ず、卑弥呼の時代は「方格規矩四神鏡、内行花文鏡」
邪馬台国時代、古墳時代を通じて、福岡県から37面、奈良県からは、わずか2面。 >>77
日本の最古の地理資料でも倭国も大倭も奈良にある。 冊封の王権で在ったわけでもないのに
なんでシナの正史に記述されたかどうかを問題にするのかねぇ
そういう朱儒の精神には辟易するわ >>81
なるよ。奈良には古代の大王の墓がそろってるんだし
御神体の三輪山もある。現代の天皇も参拝する、そこの大王(卑弥呼)に関する記述だよ >>64
遷都じゃなくて、権力の移行。
漢への朝貢を握った九州やまと(邪馬台)が列島の覇権国。
(邪馬台隷下の奴国(みなと=博多)に朝貢させた。)
漢の衰退期に起きた倭国大乱で邪馬台は負け、
覇権を禁止された(男王禁止・女王「共立」)
魏には新覇権国(畿内?)から朝貢させられてた。 だいたい倭国大乱で疲弊してるのに古墳ばんばん作れるかよ
そんな政情なら卑弥呼とか出る幕無いわ >>88
九州説は場所の特定もできてないからね。問題外なんだよ。
畿内には古代の大王の墓がそろってるし >>80
>これに対して、この数年間に調査のおこなわれてきた大和古墳群での中山大塚、下池山、黒塚などの前期古墳の埋葬は
いずれも木棺を壮大な竪穴式石室で囲みこんでいたし、若い日の僕が発掘に加わった櫛山古墳は石棺を竪穴式石室の
おさめていた。
今回発掘されたホケノ山古墳では、木棺の外側に木槨と石室との2重の外部施設を備えていて、
倭人伝が記している倭人の葬法には合っていない。森浩一「関東学をひらく」より 2001 朝日新聞
「魏志倭人伝」には、倭人の葬式は、 棺あって槨なし。」 と、明記しているのだ。
木槨のなかに木棺があったのでは、「魏志倭人伝」の記述に合っていない。< 結論はでてる
もともととっくにでてる
九州王朝説・多元王朝説
弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。
なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。 >>88
また九州説の捏造がはじまった。
邪馬台国伝ではなく倭人伝。
弥生時代なんて何百年あるんだよw
そもそも邪馬台国は三世紀後半の話でいくら鉄が出ようが全く何の価値もない。
それに倭の鉄なんて鉄鏃しか記述がない、石や骨と同じ扱いだぞw 723 :名無しさん@1周年:2016/03/04(金) 23:53:28.96 ID:esdpABAq0
>>692
20世紀後半をピークに、極東において、世界最大の都市として繁栄を極めたとされる都市「東京」。
その位置は、長く謎に包まれていた。
しかし、3018年、台湾島の台中遺跡の民家の跡から、東京を歌ったとされる詩の一部が見つかった。
作者は長渕剛。出身は九州島南端部と分かっている。
そして、「花の都大東京」は「北へ北へ」向かう先にあると記されている。
この意義は、大変に重要なことではなかろうか。
当時の九州島において、最大の都市は北端部の福岡であることが分かっている。
しかし福岡が東京と呼ばれたという事実はない。そして、「北へ北へ」とは、
当時の日本語における強調表現であり、福岡よりもずっと北にある、ということを示す。
「論理の示すところへ行こう、それがどこであっても」という、
われらの知性を貫く大原則に我々は従おう。(誰のことばか、わかる人はわかるよねww)
734 :名無しさん@1周年:2016/03/05(土) 00:01:03.67 ID:9FdJ9dZ40
さて、「東京」というのは、中国文明の影響を受けた名称であることは明らかである。
そして、同時代、中国大陸には、「北京」という都市と「南京」という都市があったことがわかっている。
ならば、「西京」と「東京」があっても不思議ではないだろう。この問題を、もう一つのカギとしたい。
同時代の中華人民共和国発行の地図を見ると、古代都市長安が、この時代「西安」と呼ばれていたことがわかる。
この都市は、その前代には「京兆」と呼ばれていたことが、モンゴル王朝の資料から推測される。
ということは、この都市は「西京」と呼ばれていただろう、ということが、論理的に導かれる。
ここで、地図を開いてみよう。北京と南京を結ぶ線の中点と、西安つまり西京を結ぶ線分を考える。
この線分を東側に伸ばした点、これが「東京」の真の位置として、幾何学的に導かれる。
この位置に、どんな遺跡がみつかるだろうか?
そう、黄海の対岸、ぴったりの位置に、巨大都市の遺跡がみつかるではないか。 >>96
「棺あって槨なし」は畿内に支配されていた九州の話だろうね
それで問題ないけど? >>84
言語からして、日本語=弥生人の言語。
九州北部から列島に広がった。 邪馬台をヤマトと呼びたくない勢力がいる限り永遠に平行線w >>95
「魏志倭人伝」には、倭人の葬式は、
「棺あって槨なし。」
と、明記しているのだ。木槨のなかに木棺があったのでは、「魏志倭人伝」の記述に合っていない。
「三国志」の著者は、葬式には、関心をもっていた。 たとえば、
「韓伝」「夫余伝」では、それぞれ、「槨あって棺なし」、
「高句麗伝」では、「石を積みて封となす」、
「東沃沮伝」では、「大木の槨を作る、長さ十余丈」
などと、いちいち書きわけている。
畿内の「木槨木棺墓」も「竪穴式石室墓」も、「棺あって槨なし」にあわない。
邪馬台国が、かりに大和にあったとすれば、魏の使は、それらの葬式を見ききせずに記したのであろうか。 倭 在帯方東南大海 中、依山島為国 。(魏略)
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。(魏志)
帯方より女 国に至る万二千余里。(魏略)
郡より女王国に至る万二千余里。(魏志)
自帶方至女国万二千余里(太平御覧・倭条)
百女国以北其戸数道里可得略載(翰苑)
自女三國以北其戸數道里可得略載(紹興版本魏志倭人伝)
と中国の歴史書なんかテキトーに孫引きして
もともと酷いシロモノだからな
こんなシロモノに書いてある数字をいちいち正確に真に受けるほうが
どうかしてるからな
つまり魏志倭人伝の数字をまにうけてるヤツは池沼 魏志倭人伝に出てくる国名・地名が現代まで残りすぎてる
その中で畿内の地名が皆無 『魏志倭人伝』には、倭人は、「鉄の鏃(やじり)」を使うと記されている。
「鉄の鏃」は、福岡県から398個出土している。 奈良県からは、わずか4個しか出土していない。
圧倒的な差がある。
それでも、『魏志倭人伝』に、なんの記載もない「土器」の話などをもちだし、複雑な理論構成をして、
「邪馬台国は、畿内説できまりだ。」などと主張する考古学者がいる。科学に必要な簡明さにおよそ欠けている。
いかなる矛盾にも目をつむってよいのであれば、どんな議論でもなりたつ。 >>101
東京は女真族の金の都市名だから変えて欲しいわ >>104
その通り!!
言語学者・長田夏樹は、日本の古代言語は三つの異なる地域に分けられるという
すなわち、S音の北部九州、ts音の近畿、tf音の東国
魏志倭人伝を分析すると、ほとんどがS音をつかっていることが明らかであり
これから推測すると、S方言圏は北部九州であり、
つきつめて言えば、記紀に書かれていないことが
ヤマト側にとって都合がわるいこと
銅鐸 → 無視
卑弥呼 → 神功皇后 >>107
「棺あって槨なし。」 は畿内の支配されてた九州の話だから問題ない
魏志倭人伝には九州の風俗が書かれている部分が多い
魏の役人は伊都国に駐留してたんだが当たり前だが >>100
また畿内説の捏造が始まった
魏志韓伝の弁韓の項に倭人が弁韓まで来て鉄を採っていると書かれている
わざわざ半島まで行って鉄を採取していた上、邪馬台国の衛星国である奴国などからは多量の鉄製品が出土しているのだから
宗主国の邪馬台に鉄製品が無いわけがないんだよ
鉄が無い国は邪馬台国ではありません 過去の事なんてどうでも良い。
前を向いて歩け!先人達も悲しんでいるぞ! >>107
倭人伝だから北部九州も当然含まれるから無問題だろw
また紀伊半島には丹山もあって青玉も採れるからな。 卑弥呼はこれも当て字で、本当は日巫女。
どこの誰が自国を統率する宗教的支配者に、卑しいって文字で呼ぶかよ。
当て字をしたのは明白。
邪馬台国は大和国。
つまり、卑弥呼は日の巫女で、そのその後の天照大神だろうし。
大和朝廷の歴史と一致して、天皇の墳墓である古墳が出てくるわけじゃん。
九州説なんて入り込む余地が1ミリもない。 >>112
証拠になってないな
九州は畿内に支配されてたんだから
九州の話は畿内(邪馬台国)の領土の話だよ >>111
そう思う
2000年前から、共通している そこがすごい魏志倭人伝
地名の7割が一致している そこがすごい魏志倭人伝
「漢の委の奴の国王」
わ な
↑3段細切れ読み 根本的にまちがい!! イトまたはイドと読みます
金印は当然、政庁におかれた
皇帝の金印が地方の首長に下賜されるわけがない
印文のルールとは、二段国名が取られていたこと
三段国名の例があったら教えてもらいたい
ないだろ?? 畿内厨… 日本の文化や王権の正統性に
他文明の正史の記述を求めるのは朱儒の価値観
その記述が単なる辺境の勢力のコンタクトである可能性も大きい
そうであっても無かっても
他の文明の尺度で自らの歴史を定めるのは愚かしい >>117
鉄鏃なんて普通に出るし鉄も弥生末期の古墳から出てるぞ。
九州に丹山がないのが致命的だねw >>117
>わざわざ半島まで行って鉄を採取していた上、邪馬台国の衛星国である奴国などからは多量の鉄製品が出土しているのだから
>宗主国の邪馬台に鉄製品が無いわけがないんだよ
これはただの思いこみだね 倭人伝にヒナモリが何人も出てくる
当時の通訳が使えない奴だったのは間違いない 畿内から占いで西日本を支配したとか卑弥呼凄すぎやろ
筑後川流域だけならまだしも 畿内説がおかしいのは畿内が九州を支配していたと言いながら九州にあった鉄や絹といった有用な産品が
支配者であるはずの畿内側から全く出てこないこと
本当に支配関係にあったのならそんな馬鹿なことは起こらない 卑弥呼と天皇家を結びつけると、半島から渡ってきた朝鮮人による日本支配が決定するんじゃねーの どっちでもええがな
所詮文字さえ発明できなかったおさるさんの国の話なんだから >>123
アホ
中国との関係抜きに日本史が語れるわけない >>126
量が全く違うわけだがw
↓鉄の出土状況
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
えっ?どちらが支配者なんだって?
聞き取れないから上の図を見てもうちょっと大きな声で言ってみてくれw >>132
全くその通り
考古学者 森浩一氏
ヤマタイ国奈良説をとなえる人が知らぬ顔をしている問題がある。(中略)
倭人伝では、”養蚕をおこない、糸をつむぎ、細やかな(けん)や緜(めん)を作っている”。
作っていただけでなく、魏へ二度めに派遣された使者が献じた品物のなかに、”倭錦、青、緜衣、帛布”などがある。
(中略)
布目氏(布目順郎氏、京都工芸繊維大学名誉教授)の名著に『絹の東伝』(小学館)がある。目次を見ると、
『絹を出した遺跡の分布から邪馬台国の所在地等を探る』の項目がある。
簡単に言えば、弥生時代にかぎると、絹の出土しているのは福岡、佐賀、長崎の三県に集中し、前方後円墳の時代、
つまり4世紀とそれ以降になると奈良や京都にも出土しはじめる事実を東伝と表現された。
布目氏の結論はいうまでもなかろう。倭人伝の絹の記事に対応できるのは、北部九州であり、ヤマタイ国もそのなかに
求めるべきだということである。この事実は論破しにくいので、つい知らぬ顔になるのだろう。 >>132
邪馬台国は明らかに宗教色が強いからね
軍とか農業などは九州中心だろうね
そこから献上させればいいだけだし >>127
客観的事実だが何か?
支配者が被支配者より貧しいわけが無いだろう
そんな常識さえ身についてないから畿内説なんてトチ狂ったことを言い出すんだよw >>139
だから献上させたなら畿内側からも出土するはずだろw
本当に畿内説って頭のおかしい人しかいないんですね >>133
卑弥呼は弥生と縄文の混血だな。
天皇家はそれよりずっと後に日本列島を征服した集団。 >>135
それと
他国の尺度によって
自らの歴史を測るのは別です
お前みたいな朱儒に言っても
理解できないことですけど >>140
宗教色の強い邪馬台国に鉄製品が多いと思う理由は? >>132
なことはない。
その後まもなく、機内で古墳の造成が始まっただろ。
これは農機具とかの鉄製の道具の発達で、それを可能にしたのが大阪の堺での鋳造なんだと。
ブラタモリでやってた。
あの番組は地理で読み解く歴史番組だから。
なるほどと思わせる。 邪馬台国が北九州にあった3世紀半に大和朝廷はすでに大和国の政権で
(中国と交流ないから倭人伝には乗らない)、
イヨの死後に邪馬台国は分裂して小国のどんぐりの背比べ状態に。
反対に巨大化した大和朝廷は九州に侵攻して邪馬台国の後継勢力らを滅ぼした、でオーケー? >>144
そもそもこのスレには他国の尺度によって
自らの歴史を測ってる人がいないけどw 京大閥は畿内説東大閥は九州説ってセオリーまだ生きてる? >>145
鉄の農具があれば食糧生産力が大きく上がる
7万戸の大国にとって食料の確保は極めて重要な課題
そもそも被支配者だけに鉄を独占させていい思いをさせる理由が一つもない 九州勢はヤマトの支配階級になれたが、
九州それ自体は覇権国になれなかったのでしょう
(軍隊の行動域を規定する、コメの生産量が少なすぎた) 卑弥子ちゃんなら万汁垂れ流しながらうちのベッドで寝てるで >>146
畿内信者「ブラタモリでやってた」
やっぱり畿内説って頭がオカシイんですねw
古墳は邪馬台国より後の時代 >>150
まさか纏向で卑弥呼らが農業やってたと思うの? >>1
この時代のシナの正史の記述者やその史料は
外海に隔絶された日本の外縁を観察していたに過ぎない
よって必要以上にシナの正史に
日本の文化や王権の正統性の根拠を求めるな
これが結論 >>108
>と中国の歴史書なんかテキトーに孫引きして
>もともと酷いシロモノだからな
書物によって全然数字が異なるなら「テキトーな孫引き」だろうけど
先行の書物を正確に参考にして三国志を編纂しているじゃないか 邪馬壹国
素直に読めば
ジャマイー
ジャバイー
ジャマディー
ジャバディー
無理やりヤマトの音に近づけてヤマタイと読むのはやめよう >>135
中国のお役人の堕落ぶりは古代から有名ですが
あんた、ここは肯定しますよね?
で、対馬で酒飲んだくれてた役人って、下級ですよ >>148
お前はその掌で踊ってる猿なのに
気づいてないだけだよ 「テキトーな孫引き」ではないだろ
あとから新しい情報を追加したりしてるだけで >>155
まさか農業やらずに7万戸の人口を養えると思ってんの?
卑弥呼が一人で神事やるのには館一つあれば事足りるんだが都市全体が宗教色なんてどこから湧いた妄想なの? >>149
生きてる生きてる
それは、現在の「邪馬台国論争」の「構造」のことである
「邪馬台国畿内説」の証明はない
あるのは、ただ「はじめに邪馬台国畿内説ありき」なのである
ではなぜ、「はじめに邪馬台国畿内説」なのか
それはそのように教育されたからである
京都大学を中心として、その伝統にもとずき、考古学の分野で
そのような教育システムができあがっているからである
その教育システムからはずれれば、就職も生活も出世も不利となる可能性がある
「邪馬台国畿内説」はいま学問的、科学的にはきわめて多くの
問題をかかえながら政治的には勝利をおさめつつあるようにみえる
「邪馬台国畿内説」は、実証的根拠をもたない
出発点である「魏志倭人伝」の記述とあっていない
「邪馬台国畿内説」は確かな根拠といえる鉄の骨をもたない
土の虚塔である 空中楼閣である いつかはかならず崩壊する
「兵用 矛 楯 木弓 矛のでてこない畿内はありえない
竹箭或鐵鏃或骨鏃 鐵鏃のでてこない畿内はありえない >>154
古墳という巨大な墳墓は権力者の証。
おまえは歴史を流れで考えられないから、なぜ、巨大墳墓を作る権力が卑弥呼の時代から100年余りで生まれたか、理解できないんだよ。 >>161
見えない敵(他国の尺度によって
自らの歴史を測ってる人)と戦ってた君が猿 >>147
タカマガハラ出身のジンムが、少数の兵を率いて電撃戦をやったのが、神武東征だと思います
小数なので占領はできず、食糧を奪ったら東へ向かう、野盗のような集団だったのでしょう
ジンムはヤマトの天下人となった後、瀬戸内海エリアの占領に着手し、
その時期の北九州に『ヤマタイ』を名乗る宗教施設を作ったかもしれないね
同時に大和朝廷は広域化し、宗教勢力を首都から分離し始めた >>166
何が見えないだよw
お前は魏書しか見てないだろアホ >>165
九州の大勢力が卑弥呼の後に畿内に遷ったからだよ
だから弥生時代まで鉄も絹も無かったど田舎が突然都になれたんだよ
技術は突然湧いてこないという歴史の流れで考えられてないのはお前じゃん 邪馬台国が何処にあろうと
日本史の本質と何の関わりもない >>169
なら、なんで遷都したの。
その理由が無いから、九州説は説得力が無いんだよ。 めんどくせぇから ムー大陸にあったことにすりゃ解決じゃねぇかw
宇宙から来たシュメール人の末裔のユダヤ人の消えた七氏族が
東の果てにやってきて土人を集めて国を作ったのが起源
信じるか信じないかはお前次第 >>175
シナの史書によって
自らの歴史を定めようとする
おぞましい死すべきコビト >>170
必死だな
そんなものは別に議論すればいい
邪馬台国が九州にあったらよっぽど困るんだろう 国が発展する基盤としては四国や近畿のほうがある。
顔料が豊富にとれるからね。財を築ける。 上空からスキャンして、どこかの地中に埋まっているであろう「親魏倭王」の印わ見つけ出す技術はないだろうか? そういえば九州とかいう島もあったな
蒋介石にくれてやれば良かったのに >>177
だからどこであろうと関係ないと言ってるじゃん
シナの史書は日本の外縁とのコンタクトを記述してるにすぎないんだからw これ見ても
大陸との外交拠点(港)の近くから鉄製品が多く出てるようにしか見えないけど
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png >>176
律令だの天皇だの元号だの、シナべったりなのは日本の伝統
本居宣長なんて「やまとごころ」といいつつ、本人のメンタリティは「からごころ」だし >>174
ヘブライ、ユダヤ、失われたアークどころか
旧約聖書の洪水伝説もシュメールのパクリだ
そのシュメールも日本人と同祖ではないかという有力な説がある
江戸川乱歩 シュメール語 で検索 >>171
東日本を制圧するのに都合が良かったからだよ
実際その後そうしてる
北部九州の海人族が3世紀までに既に近江まで進出してるし、淡路島の弥生遺跡にあった鉄加工場も北部九州の技術だった
つまり卑弥呼の頃には近畿一帯のかなりの部分はもう北部九州の勢力圏になってて、山に囲まれた奈良盆地が頑強に抵抗していたんだよ
だから弥生末期の近畿の鉄加工場はほぼ奈良盆地の外にしかない
https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
> 中略
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。 >>169
邪馬台国は三世紀の話だから。
奈良盆地は既に弥生中期で最大級の水田を
持っているが。
銅鐸と鏡を祀る安定した場所なんだよ。 >>183
だから何?
日本史の本質とは関係ないよ >>181
アホ?
女王の権威に金印を使ってたという話なんだが
ちなみに京都の別名は「北京」な
京都は北京由来の都市 中国人の書いたいいかげんな古文書にいつまで振り回されてるんだ? >>181
「邪馬台国の所在はどこか」
それだけが議論のテーマだろ
「邪馬台国がどこだってかまわない。それは日本の本質とは関係ないんだ!」
なにが言いたいんだっていう
「邪馬台国が九州だと困るんだ!」っていう本心の婉曲的表現なんだろうか うん、これ恐竜の誕生期くらいに等しいからね。とても学校でやる教育ではない。
桃太郎くらいの伝説
蘇我入鹿も話し7人聴いてたやつも嘘。
西郷隆盛も嘘。坂本龍馬も嘘元教育者 >>182
都が港から遠く離れた畿内にあったのなら、海外から手に入れた鉄を当然都である畿内に運搬するだろ
物品が港に留まってそこから動いてないのはそこが消費地でもあったからだよ
少しは脳みそ使えよw >>190
日本人の書いた記録がもっといい加減なんだから、しょうがねえだろ >>187
狗奴国と戦争中で魏に助けを求めた邪馬台国じゃなかったってことだな
ようやく理解したようで何よりw >>191
そのテーマ自体が
日本の文化や王権の正統性と
何の関わりもないと言ってるだけだよw >>190
仮に邪馬台国が奈良だとすると方角を1ヶ所間違ってるくらいで
魏志倭人伝はけっこう正確 魏志倭人伝は支那の使節が北部九州で見聞きしたことを邪馬台国の倭人として纏めただけ
それ以上でもそれ以下でもない 三国志の時代に中国には鉄の武器があったわけだから、九州発祥じゃないよな、鉄の技術は。
絹もだけど。
つまり、大和の朝廷が魏の国と国交を結んで、そこで鉄の精錬技術を学んだ。
そこで大幅に田畑を広げることができた。
工事で出た無駄な土砂を墳墓に替えた。
こう、考える方が自然だろよ。 九州説派は
藤村にでも頼んで発掘してもらえば?
世紀の大発見が期待できるぞ!! >>189
えーと、中国の北京がいつの時代の名称か分かってる? >>200
だから考古学がその妄想を否定してるんだよw
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
弥生の終末期ってまさに邪馬台国時代だぞ >>184
そもそも邪馬台国のヤマなんてインドのヤマ教からだろう。
意味は天に近い場所だからな。裁判を受ける場所の事でもある。つまりは黄泉の意味。
鬼道使いが宮をもち、巨大な古墳を作る理由も
皆天に行きたいからに他ならない。 >>205
論理性の無い断定はチラ裏でやってろチンカスw 魏志倭人伝はテキトー書いてるんだろ
聞きかじった情報ででっち上げ
史記も三國志も列伝ごとに矛盾ありすぎだろ >>197
王権なんてものに正統性はないだろ、いつだって 卑弥呼の邪馬台国が後の大和王朝、もしくは前身とするのがねつ造であって、
中大兄の頃には邪馬台国がもう伝説化してて、
革命を正当化するために新王朝が邪馬台国の後継をしたかのように偽っただけだ。 >>207
三国志ってたいして矛盾ないだろ
陳寿の本文と、裴松之の注をちゃんと分けて読んでるか? 魏志倭人伝とか信じてる奴おるのかw
卑弥呼もキリストも池田太作も変わらんな、キチガイにとったら >>203
大陸に近いところから鉄製品が出土してることはわかった
九州が邪馬台国の証拠にはならないが >>203
否定にはなってないじゃん。
むしろ、肯定。
鉄器だろ、あくまでも。
輸入品と製造と区別してないじゃん。
その表では。 >>198
畿内説だと説明出来ないのは方角だけだからな。九州説は全てを九州でまとめないと破綻する時点で既に論証不可能なんだよね。 俺は三國志魏書は日本の外縁を観察した記録としては尊重すべきものであっても
日本の文化や王権のアイデンティティを求める議論はナンセンスと言ってるだけ
なぜなら
それは外縁の記述に過ぎない
以上 九州からの亡命軍閥を取り込んで、経済大国ヤマトは覇権国にステップアップしたんだ
その結果、瀬戸内海が平定され、故国のタカマガハラに宗教施設が作られた
(しかし都は畿内のままだった)
覇権国となった大和から、急に宗教色が薄れるのは、こういう事じゃマイカ 邪馬台国がヤマトと読めるが故のミステリーよな
もしそうでなけれぱただの豪族国 天皇の起源にかかわる問題だからわざとうやむやにしてるとしか思えない >文字通りに進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう。
舟と歩きのスピードだけわかればいいんじゃないのか 邪馬台国がヤマトと読めると思ってる奴は、考古学ド素人 支那の使節は日本の全体像なんか知り得ないし日本も教えない
魏志倭人伝の記述だけで日本の全体像や王朝がどこだったかとか言い出すから話がおかしくなる 九州は台風直撃が多いから
荒れた土地を耕すのに鉄製品が便利なのはわかるよ 桜井の箸墓古墳に親魏倭王の金印が埋まっている
しかし宮内庁か発掘調査させないから永遠に謎です 本人がそう名乗った訳じゃなく、
中華思想に染まった支那人がわざと卑しい字を当てただけだよな。 大陸からの商人や使節団は、日本海側の港までしか来なかったと思うよ
なぜなら、瀬戸内海はまだ平定されておらず、往復の安全が保障されていなかったから 纏向古墳にワクワクして行ったら
住宅地に空き地があるだけで
近所の人に聞いたらその下って感じで
奈良の人って自分たちがどんだけ凄い物の上に
存在してるのか理解してない感じだよな 卑弥呼は鬼道使いなんだからな、九州説をはじめ過去の邪馬台国論ではこれが全くのダメ、何も判ってない。
三世紀、中国と鏡と丹とくれば神仙思想しかないんだしな、鉄なんかむしろどうでもいい。鬼道、宗教なら水銀朱だぞ、マジで。 魏志倭人伝の記述しか無いんだからしょうが無いだろ
他に何かあるならもってこいこら 近代史において坂本龍馬や西郷隆盛の実画像も判別できないのに、蘇我入鹿やらは流石にファンタジー。
日本昔話の方がリアルだな 邪馬台国は南の狗奴国と戦争の真っ最中で、戦況は邪馬台国が追い詰められて苦戦
していたから卑弥呼は魏国から檄文も貰っている、まず奈良からは硯が出土しないから
奈良に卑弥呼が居たなら文盲の卑弥呼に檄文など送る訳が無いし、そもそも奈良には
戦争跡が全く無い。 >>219
論理性の無い断定しか出来ない外野はすっこんでろ
お前は頭が悪いだけでなく存在価値も無い 高高100数十年前のことでさえ本当かどうかなんて言ってる古今東西
昨今の政府の対応見ても
本当の事が後世に使えられるのかわからない状況がある
今現在でさえ歴史ロマンの時代なのだからして
そんな大昔のことで国論を二分することもありますまいて 古墳掘れば分かることをいつまで議論するんだ
古墳の分類法だけでかなり分かってるし >>230
奈良は遺跡だらけだから
遺跡が出てきても見ないふりして埋めちゃうことが多い
開発が進まなくなるから しかし中国は文字があるからそれがミスリードであろうが文献
そのころの日本は文字がないんだもん
名乗りを上げるところも掘って出てきたものの見せ合いっこw >>220
ヤマトと邪馬台が関係ないって
本居宣長以外が言い出したら
バカじゃねーのって思うレベル 纏向遺跡の駅が巻向駅で笑った
纏に向くってまといは三輪山の事だしね >>235
邪馬台国が直接戦ったとはどこにも書いてないね >>245
言ってる本人は信じてないだろ。
ただ面白いと思ってるだけ。 卑弥呼は実は日巫女、邪馬台はヤマトじゃないとか言葉遊びを繰り返してるだけ
日本書紀より魏志倭人伝の短い記述が信頼されてるあたり終わりすぎ
マジで日本の古代史はオワコンすぎる 純粋な考古学的考察を邪魔する
政治的な、あるいは地域的な視点は邪魔でしかないんだよ
学者も含めてな
邪馬台国が何処にあったか
そんなことに
日本の文化や王権の本質は関係ない
シナの正史の尺度で日本史を位置付けるな! 邪馬台国は皆のこころの中にあるんだよ。
「こころの邪馬台国」銘打てばどこが主張しようと良いことにすれば。
一応それらしい理屈は必要だが、真っ当な歴史を離れて
どんな奇天烈理論でも可と言う事で
全国廿浦浦で主張し始めたら面白いw そもそも、弥生時代と同じ時代ではローマ帝国とエジプトが支配してて、製鉄の技術なんて豊富にあったわけだし。
それこそ、空中に水道を通したり、それ以前に巨大なピラミッドを作ったりしてた。
日本だけが当時は原始時代と変わらなかったんで、鎖国と同じだな。
その代わり、少しでも技術が入ってくるとあっという間に発展して、ピラミッドに匹敵する古墳を造成し、
今に残る五重塔とかの高層建築すら可能にする。
これらは日本独自の文明じゃなくて、当然、海外から来たものだろ。
日本に限らんけどな、アメリカはドイツの核技術やロケットを自国のモノのように支配してるし。
技術だけは国境がないのよ。 >>248
どこにあったかで天皇家が簒奪者かどうか決まるだろ
王権の本質的な話だ >>235
狗奴国なら奴国の南と書いてもあるけどな。
また黄旗なら謎の鉄器として黒塚古墳がそれらしいのが出てるよ。
鏡も水銀朱も沢山使ってな。
そもそも硯は出雲からも出ていて墨書の描かれた土器辺なら三重県の松阪から出る。 >>248
しつこいな。もうわかったから、馬鹿はひっこんでろよ >>252
邪馬台国が当時の日本最大の国なら、同時期の大和朝廷は地方の豪族って事だからな。 >>243
駅の下に何か重要な部分がある事も判ってるんだよ、でも掘れない。
それに実は三輪山の方には向いてない。 邪馬台国が当時の最大国だと思いこんでる奴が多すぎ。 >>252
その正統性の根拠が
シナの政権からの評価でしかないと
お前は言ってるに過ぎない 桃太郎くらいの話なんですが?笑魏志倭人伝?
曖昧過ぎ >>256
ヤマトタケルの東征ルートを見るとめっちゃ殺意感じるから簒奪者側だと思ってるけどな俺は >>260
古墳掘ればいいだけ、宮内庁が掘らせればいいだけ 日本書記でも神功皇后と卑弥呼の年代を合わせてるから
日本書記の編纂者にとっても
邪馬台国は最重要だったのは明らかで
日本の歴史の本質そのものだよ >>256
大和朝廷成立時には、宗教勢力のヤマタイと、軍事勢力のタカマガハラが並立してたのでしょう
大和朝廷が広域化するにつれて、宗教勢力は弱体化し、首都から分離されていきました
纏向が首都から離されたのは、後の奈良と同じで『敬して遠ざけられた』のでしょう >>265
でもさ、神功皇后は外征で、卑弥呼は内政じゃん。
無理を承知で何でまとめたかね。 中国の文献にしか記述がなくさらにそれがどうも怪しいという話だろ
謎は解けんだろうな >>264
「シナの正史に記述されたから正統性があり
そうで無ければ簒奪者だ」
これがおまえらの言いたい事
どっちの説も日本の王権の本質とは関係ないんだよw
日本の王権は
シナの正史の尺度で測られるべき
性質のものではない! >>267
どんなに原始的でも、ちゃんと行政組織はあるよ それが国ってもんだ いい加減邪馬壹国と呼んでほしい
いつまで本居宣長の馬鹿を信じてんだよ ぶっちゃけ大昔の王国?がどこにあろうがどうでもよくね? >>267
107年に初の倭王が登場するからその頃には
すでにかなり巨大な国家だったよ >>269
海の彼方の国についての
外縁と伝聞による監察に過ぎんからな 邪馬台国は狗奴国との戦争でも戦況が不利になるくらいだから邪馬台国連合国家自体が
広大な領土を有した国では無いのは明らか。邪馬台国は筑後地方にあって狗奴国は
その南の熊本県の上部地域と言う事になる。奈良などは全く関係無し。 今、天皇は皇居に住んでて東京在住だけど、京都の人は朝廷は京都だと考えてる。
けど、実際は機内をウロウロとして何度も遷都してた。
が、九州に戻った歴史は無いじゃん。
九州に先祖の地は無いって事だよ。
で、しかも、九州に邪馬台国という大きな権力があって、奈良の大和があるなら、大和がそれを倒した歴史があるはずだけど、無いな。 奈良だけど奈良には歴史的遺跡等が死ぬほどあって独占状態
なので、何もない九州に分けてやりたいが
九州だと断定して嘘をつく訳にもいかず
どちらか謎ということにしてロマンを持たせた >>268
逆に言えば、そういう改ざんこそが最大の一次情報だよ
(5chに毒されてるな、俺w)
大和朝廷は、九州系の軍事組織と、土着系の宗教組織からスタートし、
土着の宗教勢力は徐々に力を失っていったんだと思う
すると、土着系の象徴を否定し、軍事系の象徴に入れ替える必要がある
神話の改ざんは簡単だった; 文字が無く、巫女が暗記して唄う神話だったから >>280
韓国起源説に通づるものがあるよな
九州にあった!という結論に対して我田引水してるだけ >>230
全国の三輪さんの多くが、自分たちの名字に凄い歴史的背景があることを知らないしな 近畿から九州に天皇自ら出陣ってのは多いけどね。
むしろ異常に気にしてるし逸話が多い。
現地での滞在も長い >>268
白村江の戦いの敗戦後なので日本書紀の編纂者は
倭王(卑弥呼)が朝貢したという事実だけは無かったことにしたかった。
だから倭王ではなく皇后(神功皇后)が朝貢したってことにした
ただの皇后だと偉大な倭王(卑弥呼)の代わりとしては弱いので神のように大活躍した皇后にした 大和朝廷が成立する以前の宗教は、ローカルな三輪山信仰だったのでは?
これはヤマトが尾張や美濃さえあれば兵糧に困らなかった時代には、実に良い宗教だった
しかし、大和朝廷が広域化すると、
三輪山から離れた地域の信仰をつなぎとめることができない
それで、ヒミコたち旧支配層の宗教を否定し、あれは九州系の誰かだ・・・と改変する必要があった
そもそも纏向の豪華な神殿が、『宗教を重視』した結果でしょうか?
違いますね・・・・・あれは豪華な隔離施設なのです >>282
畿内説九州説両方マユツバだから二王朝説が出てきたんやで
二王朝説への反論に東遷説とかもあるがこれも年代が合わない そういえば、ちょっと前まで朝貢していたのに、
隋相手に、同等だよなんて言い始めたのはなんでかね。 博多は邪馬台国の時代よりも前の国の存在がはっきりしてるし、
邪馬台国より古い時代の国の三種の神器も出てるから。 >>287
もちろんだよ
日本書紀って白村江敗戦後に中国に対抗して書かれたものだから >>1
おい、いい加減に、支那による当て字の蔑称を使うのは止めようね。
邪とか馬とか、何を有難がってるんだい?
本当は、大和(やまと)なのです。
卑弥呼も同じく蔑称。
それほどに殊更蔑みたくなるベクトルが働くほどに、古代の日本は、支那にとって畏敬の念を抱かざるを得ない国だったということだわな。
我が国は、丸ごと世界遺産みたいなもの。
外人からは、拝観料として、入国税百万円を徴収すべきだ。
金持ち相手に観光した方がいい。
日本は、薄利多売する必要のない、れっきとしたブランドであることを自覚するべき! 倭への侵攻計画があればもう少し精査された文献がのこってたんだろうが
孔明は攻めてくるし合肥では呉と50年近くどつきあいしてたし
公孫淵の叛旗許すくらい北東方面統治が緩々だったのがな
倭は呉の東にあってほしいという魏の政治的願望と呉との外交材料化
臣下の忖度が相まって南方の海上を指すような行程記録になったんだろうなと >>289
神武東征は時代が合っていませんよ
後に征服した出雲は、大和より600年も古い歴史をもち、暦と神話を持っていました
これを否定したうえで、ヤマト王権の成立を600年も古くする必要から、
神武天皇が200歳以上だとか、無理くりしたのです
ですから、年代の記述は嘘だと割り切って、政治状況の変化を理解するのが早道でしょう 女王国の東へ海を渡る事千余里で、また国がある。皆倭人である。
倭の地は、海の中に島として存在しており、地続きだったり島になったりいる。
周囲は五千余里程である。
この女王国の北方は、家の戸数や道や距離はおよそわかるが、そのわきの国々は遠く離れていて、詳しく知ることができない(中国地方)
まぁ四国だわな >>295
これはそうだと思う
出雲系の太陽信仰が日本の本筋 >>1
>西日本新聞
九州のローカル新聞じゃん
新聞社の文化部次長の精一杯の反論が「平行線」としか言えないw 魏志倭人伝は、半島と対馬までは正確で、そっから先が変なのよね やまたい=やまと
なら九州から畿内に広まったって考えもうなずける >>291
ところが、博多に先進国家があったとしても、
その軍隊を養い、兵員を送り出す穀倉地帯(谷戸)が無いんだよ
だから大宰府がどう栄えても、貿易による都市国家が限度なんだ
おそらく大宰府には、日本各地の有力豪族が大使館を置いていたはず
大陸からの外交団は大宰府までしか来ないからだ >>74
物証がない九州としては、物証を提示されては困るってことだなwww
考古資料が意味するところをまったく理解してないようだけど、
考古学的証拠は何一つ無いと言い切ってしまうとはすげーなw 魏志倭人伝に書かれてる風習は確実に隼人、熊襲か宗像系の南方海洋民族
でも考古学的証拠は九州には無くて畿内にしかない
って理解だけど合ってる?10年ぐらい前に勉強したから大分古いと思う >>301
神武が九州系軍閥の長なのですから、ヤマタイが九州起源というのは、あり得る話でしょう
ただ、大和朝廷は急速に世俗化し、宗教勢力は行政の中心から外されてゆきます
九州も畿内も、古い宗教勢力は激しいリストラに遭ったと思うよ
(その一環として、豪華な神殿が田舎に造られた) あと朝貢品は畿内には無くて中国以西のものばっかとも何かで見た >>291
三種の神器は神話の時代からのモノなんで、邪馬台国より古いに決まってるんだがw
バカだろ。 大和自体も、俺たち九州から来ました征服民ですって言っているんだから、
九州説も近畿説も差がないんじゃないのか。 平行線じゃないよ
みんな邪馬台国は畿内にあったと言ってるのに
水平線の向こうから九州にあった言ってるような声がするだけ 有力視される遺跡も無く、支持する学者も無く、趣味でやってる自称研究家たちが
好き勝手に乱立させた雑多な諸説群というのがいわゆる九州説だからな >>307
通貨に使われた沖縄産のタカラガイですね
大陸沿岸には分布しない種類なので、通貨として使われたと
あと、奴隷ですね
これは日本海航路の大型カヌーを暗示します
沖縄航路はカヌーなのか帆船なのか、情報が足りませんね たぶん帆船 >>308
何言ってんだおまえ。
それぞれの国が三種の神器持ってたんだよ。
三種の神器を持つ事が国の証になってたんだよ。 どう考えても九州だろ
畿内説を唱えてるのは自分の住む土地に歴史的なものが欲しい畿内の奴だけ
九州説は世界中の人が認めてる 古代王国群って言われるぐらいめっちゃあったんだからどれが邪馬台国なのかなんてわからんやろ
前方後円墳がヤマトの特徴なんてのももう違うってのが分かったしな >>313
絹、鉄も畿内とは違うんじゃないかな?
無いと断言できるほどじゃないが… >>88
インチキで有名な邪馬台国の怪からのコピペだろwww
それ古代史好きのド素人の同好会だぞ
弥生時代を通算した出土量で九州凄いとドヤったり、
考古学者とまったく違う中国鏡のデータw >>308
いや、ヤマタイ国は意外と新しいかもしれない;
というのも、神武東征でヤマト王権が誕生した結果、
旧支配層の宗教勢力が、大和朝廷から追い出されたわけです
(纏向とか伊勢とか、豪華な神殿建築は、巫女を首都から追い出す口実ですね)
邪馬台国が古いヤマトなのではなく、リストラされ宗教都市として純化されたヤマタイ・・・とは考えられませぬか?
逆に何が出土したら「ココが邪馬台国」だと
研究者全員が納得出来るの? 邪馬台国とヤマトは別物っていうのも、それはそれでこじつけって感じなのよね。 九州は邪馬台国より日本神話があるからややこしい
日本神話まで考えると大和王朝の前身が九州の半分で勢力持ってたはずだし
九州に邪馬台国あったとすると残り半分支配してた強力な豪族の熊襲が邪馬台国になっちまうぞ >>319
俺は邪馬台国は大和国だと思ってるのと同時に、日ユ同祖論も信じてるんだよな。
これは無数に証明のようなものがあるから。
>邪馬台国が古いヤマトなのではなく、リストラされ宗教都市として純化されたヤマタイ・・・とは考えられませぬか?
そういう意味だろか。 隼人って反逆者なのに、大和朝廷では重要なポジションだったりするから、不思議キャラなのよね >>329
ニュー速+で100スレぐらい楽しめる。 奈良のヤマトは九州ヤマトのパクリ
九州ヤマトはホラ話 >>314
同じ歴史を持つ国が沢山あったと、言ってるんだよ、お前は。 邪馬台国の出典が魏志しかないのに、それに書かれてるルート無視して畿内説とか馬鹿ですかw 老害達が死ねばまた変わるだろ
大陸視点の書物なら大陸側から見た付き合いのある国だっただろうし
考古学的には人口分布は機内中心だったとも言えるだろうし
そもそも当時は統一国家ですらない >>325
筑後国山門郡だよ
そこにある祇園山古墳が卑弥呼の墓
まわりに多数の殉葬墓が見つかっている
魏志倭人伝に卑弥呼が死んだとき100人殉葬されたとある
畿内の古墳に殉葬の形跡は見つかっていない 天王星が廃止されて古墳掘れるようになったら解決するだろう
今50前後の暦オタは死ぬまで真相は闇のなかだ >>329
むしろハッキリしないほうが楽しめるし学者はご飯が食べられる
ステークホルダーは小学校の運動会みたいに赤勝て白勝て両方頑張れの精神で楽しんでる 前国家が「ローマって北西に有るんだぜ」 って書いたから
悔しくて捏造して「邪馬台国ってのが南東に有るんだぜ」って書いただけ >>340
そういえば、それに負けないぐらいに遠くしたなw 邪馬台国に匹敵するような数万人規模の村が本州から九州にかけていっぱいあったってだけでしょ?出雲や邪馬台国も同時期にあったけど、
100年間ほどで最終的に奈良の大和王権が勝ったっていうだけでそれなりの規模の村だったら九州や四国、関西でもあるでしょうに。
ただ文字もないから見分けがつかないだけで。遺跡発掘だけで判断するのは難しいだろうな。ロマンが優先されるばかりで。 >>334
めっちゃ併合されたり滅ぼされたりしてるんだからそれはそうなんじゃないの?
神社や古墳掘ったらさらに古い古墳出てきたってのはよくある話 そりゃそうでしょ。
歴史学ってのはモノを研究する考古学と
文書を研究する文献学の両方が揃って初めて成り立つんだから。
発掘調査の出来ない日本の歴史学なんて学問にすらなってない。
このまま魏志倭人伝をこねくり回したところで2百年経っても進歩せんよ。 >>334 おまえは、
>邪馬台国より古い時代の国の三種の神器
の意味がわかんねえんだろ?文盲かよ 魏の使者が到達したのは九州で
他の国が畿内にあったと考える方が自然じゃないかと思うけどなぁ >>343
三種の神器は大和朝廷のみに伝わる、神話からの天皇の存在証明じゃん。
だから、博多云々に三種の神器がある国があるとかw
バカバカしくて。 >>348
おまえおもしろいな。相当恥ずかしい事言ってるぜ?
どんだけ無知なんだよ もう決着済みです
九州説は学術的根拠のない俗説です
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c 話は飛ぶけど、魏は曹操閣下が『墓は簡単にしろ』という革新的な遺書を遺したせいで、
彼の近親者の墓は、簡素さを競ったんだな
明の時代の発掘ブームで、錆びた剣一本しかなかった墓は、『夏候惇だろう』と考えられた
多分正解だろうw
もちろん、数代でだんだん豪華になってしまうのだが、
曹操が残した簡素な墓の流行は、邪馬台国に影響したのだろうか? 三種の神器っつのは、剣と鏡と勾玉の三点セットの事だ。
アホかよ。これを持ってる事が王朝としての証みたいなもんなんだよ。
死ねよ池沼かよ >>347
九州の佐賀県あたりに小さな女王(クマ姫?忘れた)国家があって滅ぼされてる 相当有力な証拠が新しく出ない限り平行線でしょ
今までどっちも理論武装してきたし
ちょっと有力程度の証拠じゃあ、どっちも自分の主張引っ込めんよ >>356
分かってんじゃん。
なら、その由来は。 普通に考えると日本最古の文献に九州の事しか書かれてないし
大和朝廷にも何故か九州人いるからそうかなと思ってしまうが誰にも分らん事だしどうでも良いわな >>356
同じカルチャーの国々が、どこも儀礼用に揃えただろうね
江戸時代の大名が、公儀公式の刀として『備前長船』を所持したようなもん
(むろん、300本も残っていないので、贋作や偽鑑定書が横行した) >>354
縄文人を南方系のモンゴロイドとか
弥生人が朝鮮半島からやってきたとかあまりにも情報が古い >>361
あん?そんなもんたいがい、当時の大陸からもらったもんに決まってんだろが
おまえ死んだ方がよいと思うよ。俺おまえほど無知なやつみたことないよ 玉、鏡、剣は支配者の身につける物だったから
同じカルチャーを持つ部族が併合されていく段階で正統性の後付けとして「三種持つものが王である」としただけだろう >>365
あ〜 逆なんだなぁ・・・・ ヒスイ製品は日本の輸出品だったんだよ >>365
ええええwwww
やっぱ、バカだったわ。
鏡は天照の分身で、剣はその弟がヤマタノオロチを倒した時のモノとか。
由来があって、その子孫が天皇で三種の神器って言うんだよ。 魏志倭人伝に書かれてる邪馬台国とヤマト王朝(もしくは本当の邪馬台国)って別物で良いじゃん
どこからどう見ても風習も朝貢品も隼人なんだがw むしろ大陸から買ってたのは、ガラス製品の管小玉だね 三種の神器の記載は古事記じゃん
日本書紀にすら無いことを歴史にしちゃうの? 蛙の骨、桃の種、木製の鞘
これだけの物的証拠が出たので、邪馬台国は奈良だと断言できる
考古学は物的証拠が全てなのだよ
勝負あり(´・ω・`)
悔しいなら、九州説の学者たちよ、柿の種を探すんだ! (`・ω・´) 今のホルムズ海峡やソマリア沖みたいなもんで、瀬戸内海の海賊からの安全航行が確立しないと畿内政権は無理 >>370
九州の有力豪族たちも、競って朝貢していただろうね
それで『倭人』とは屋久島から大宰府あたりの小国の民だと思い込んでいた
ところが九州軍閥のタカマガハラが大和に亡命して婿入りし、歴史が急転する 日本最古の紙、鉄器、勾玉の生産地の拠点があるところだと思ってる 日本の古代史研究のヤバさは「研究者の議論」がこのスレと大差ないことなんだよね
魏志倭人伝をこねくり回してるだけ。 >>374
そこでピーナッツが発見されたら、歴史を揺るがす大発見だよw >>366
まあ天皇ゆかりの地みたら九州で間違いないよな 中国の洞くつで、日本に関する文献がザクザク出てくれない限りダメだろなw >>367
本当はたぶん、そうなんだろうと思うよ。
つまり、鏡は銅、剣は鉄、勾玉は石。
これらを自在に操る技術を三種の神器と言ったんだろな、本当は。 >>378 だよねw
文字になった一次情報は大切にするけど、
歴史は鉄と血で作られるもので、軍隊のロジスティックスなしには語れない
神武東征を現実的な軍事作戦と考えると、もっと深い考察が出るんじゃないかな?
そのためには『日本神話への信仰』は捨てた方がいい 戦争はリアルなのだ 倭人伝著者「やべー誰もあんなとこ行かねーからバレないと思っておもくそデタラメ並べたっただけやのに」 >>374
畿内説の学者で誰も主張してないことをでっち上げて何をしたいんだか 奈良に巨大な勢力があったのは確か
大和王朝の帝の祖先は九州で誕生
熊襲飲み込んで九州制圧後に西へ遠征>奈良の勢力と組んで王朝誕生って感じなんかね
それなら大和王朝に九州人が沢山いるのもうなずける
でも邪馬台国はどこかは全く分からんなw 九州にはヤマト暦より古い年号がある
卑弥呼とは関係無しに研究が進むといいね >>383
福井県で見つかっている。
紙、鉄、勾玉の生産跡地 >>387
神武天皇は亡命政権のトップだったと思うよ 本国から逃げ出した軍閥
そんだけ、九州の内部抗争が激しく、しかも貧しかった 古代人のDNAの研究が進めば結論は出るさ
古墳時代に倭人(現代日本人)が日本列島に拡散した事が分かりつつある。 邪馬台国行ってみたい
どんな言葉で喋ってたんだろう…まあわけわからんだろうけど
ヤマトやヒメミコって言葉が既にあったとか胸アツ >>387
奈良に巨大な勢力が確立されたのは7世紀末
九州からの移民が発展して大和王朝へ発展
3世紀段階だと北部九州以外に邪馬台国が存在するような場所はない。 >>391 >邪馬壱国・・
それはね、邪馬臺国だったのを、魏志はワザと邪馬壱国と記載した、
というのを読み取らないとね。
むろん、邪馬台国の中心地は、箸墓周辺地域以外にはありえない。 >>395
3世紀の関西は未だ縄文系弥生人の世界だから邪馬台国とかあり得ないよ。 ヤマト国って書いてあるのに、なんで、ヤマタイ国って読むんだ? >>394 >3世紀段階だと北部九州以外に邪馬台国が存在するような場所はない
3世紀段階で邪馬台国が存在しえたのは、箸墓周辺地域しかないよ。
張政が箸墓のサイズを記載したのは、その時期でそのサイズの墳墓は箸墓しかなかったためであり、
かつ、彼はどうしても、卑弥呼墓である箸墓を、それと分かるような報告をせねばならなかった。 学者連中の殆どは畿内説だろ
平行線のままいくだろうけど、九州説なのが現状年寄りばかりで死に絶えていくだけだから、畿内説一色になるだろう
なにか新発見でもあって、若い学者連中が九州説にならないと趨勢は変わらない
吉備だなんだという珍説が出ても、畿内説の亜流で畿内説の欠点を補強するために出てきたようなのばかりだ >>400
畿内説を主張してる人は自称学者だな
邪馬台国畿内説で飯を喰ってる偽学者連中だな。 >>396 >3世紀の関西は未だ縄文系弥生人の世界だから邪馬台国とかあり得ないよ
邪馬台国は、箸墓周辺地域しかありえない。
3世紀の関西は未だ縄文系弥生人の世界だったというアンタの思い込みが事実だったとすれば、
縄文系弥生人の世界だった邪馬台国が、帯方郡に詣でて親魏倭王とされた、と断じるしかないね。
てか、縄文系弥生人という単語は、邪馬台国を箸墓周辺地域以外に発生させる、
呪文みたいなソロモノかね。キミは論には向かない様だね。 現役の学者で九州説を唱えてる人はほとんどいない
だから、とっくに引退した高島さんがいまだに九州説代表として呼ばれてるわけだ
アマチュアも老人ばっかり
あと10年したら、どれだけ残っているだろか?
邪馬台国論争での絶滅危惧種と揶揄されるのはそういうこと >>402
古代人のDNA解明が進めば人の動きも分かる
弥生時代には未だ北部九州地域ぐらいにしか倭人(現代日本人)は居住していなかった
3世紀の箸墓周辺地域は辺境で未開の地だよ。 慰安婦運動に公金が使われてるのとなんも変わらん、エセ学者に公金を出すな >>387 >大和王朝の帝の祖先は九州で誕生
それはね、日向地方の伝承を、大和朝廷が創成説話としてパクっただけだよ。
それゆえ」伝承登場キャラには、どうしても東遷して貰わねばならなかった。 もしかしてヤマタイ ヤマトゥイ ヤマトゥ ヤマト→大和やろ
日本てヤマトって言葉好きだからな
和をもってナスとかの和も倭の奴の国の 倭→和やろ
そしてヤマトの漢字の大和も大日本帝国みたいな感じで和に大きいを付けたものやろ 魏志倭人伝がバイブル化されている時点で平行化
先ずはこの史書の客観性がいかほどのモノか
精査しないとダメ
原点に戻れ >>410
畿内説は魏志倭人伝の読み方が滅茶苦茶なんだよな。 >>406 >3世紀の箸墓周辺地域は辺境で未開の地だよ
辺境で未開の地、というアンタの思い込みが事実だったとすれば、
辺境で未開の地のが遣使して親魏倭王とされた、と断ぜざるをえない。
てか、辺境未開という単語は、邪馬台国を箸墓周辺地域以外に発生させる、
呪文みたいなシロモノかね。キミは論には向かない様だね。
同じことを何べんも言わせるなよ、エテ公。 九州説のほうがロマンがあっていいのになあ
太古の昔から近畿に大政権があったとか代わり映えなくてつまんない
地方に近畿政権と同等かそれ以上の国があったという方が面白い >>414
そう、だからフィクション小説は九州説ばっかり >>413
君は無理やりに辺境で未開の地のが遣使した事にしたいのねw
そんなことあるはずないだろw >>411 >畿内説は魏志倭人伝の読み方が滅茶苦茶なんだよな
そんなのはね、畿内説九州各地域説、その他説に関わらないね。
ノッケの「倭人在帶方東南大海之中」ってさ、
倭人は太平洋のド真ん中にいる藁、ってさ、きちんと解釈できてるのかねキミは。
大海ってのは太平洋の事であって、日本海だか東海だかの事ではないよ。 >>416
>君は無理やりに辺境で未開の地のが遣使した事にしたいのねw
そんなことあるはずないだろw
キミが辺境で未開の地だと思い込んでる地域が遣使したんですよ、
と言ってるだけだよ、私は。アンタの思い込みの製造物責任は当方には存在せんのだ。
分かったかね、エテ公。 >>414 >九州説のほうがロマンがあっていいのになあ
別段邪馬台国に限らず、
現在の日本の中心地も九州にある事にした方が、ロマンがあっていいんじゃないのかね。
>>415 >そう、だからフィクション小説は九州説ばっかり
フィクションとして読みごたえがあれば、
邪馬台国はエジプトであろうがオーストラリアであろうが南極物語であろうが、
かまわないよ。 その後奈良の大和政権に繋がるんだよね?
邪馬台国は移動してたんじゃないの? >>409
いや邪馬台でヤマタイと言う読み方は古代の日本語と照らし合わせると間違いらしい
といろんなブログで読んだ
ヤマトと読む方が自然だと 神武東征
磐余彦尊は兄たちや子と謀ってヤマト(奈良盆地)を支配しようともくろみ、
東征(神武東征)をおこなう。ヤマトの先住者たちは果敢に抵抗し、
磐余彦尊も苦戦するが、結局はヤマトの平定に成功する。
磐余彦尊は橿原宮ではじめて天皇位につく(神武天皇)。 古代史研究してる人たちってマジでめちゃくちゃ詳しくて、ちゃんと色んな古文書に目を通して、ちゃんと実地でものを見聞きしてる
極端な話、戦国時代研究してる人たちよりよほどちゃんとそういうことしてる
そんな優秀な人達が、自分の中のファンタジーを思いのままにぶつけ合うからめちゃくちゃタチ悪い状況になってるよねw >>420
邪馬台国が大和王権に繋がる証拠は何一つない
というか現在の考古学じゃ証明できない >>410
>魏志倭人伝がバイブル化されている時点で平行化
先ずはこの史書の客観性がいかほどのモノか 精査しないとダメ
倭人条の、特に道程位置部分に関しては、諧謔を以って書かれている、
と解釈できないと、真実は見えてこないよ。
なお、ばかにされてるのは、司馬仲達の政敵だった曹爽だね。
晋王朝で記された史書なんだから、当然だね。
あと、結構科学的に記載もされてる事も読み取ること。
「計其道里 當在會稽東冶之東」
会稽(現在の紹興)って、九州最南端である佐田岬の真西であり、
東冶(東治:現在の福州)って、台湾最北端であるの真西になる。
ちゃんと緯度は把握されている、という事になる、北極星の仰角なんかを現地で測定してね。
で、そんな場所には小島しかないだろ、って書いてある分けだ。 三韓出兵
皇位は日本武尊の弟・成務天皇が継いだが、その崩後は日本武尊の息子が継ぎ、仲哀天皇へと即位した。
仲哀天皇はその父と同じように九州へ出兵しようとするが、住吉大神に逆らったため崩御する。
その皇后である神功皇后は、住吉大神の助力により三韓を従える(朝鮮半島)。 >>320
中国で詳細を記した木簡が新たに発見される、ってのが一番現実的だと思う
その次はあれだよタイムマシン開発だよ >>420 >その後奈良の大和政権に繋がるんだよね?
無理矢理つなげただけ。日向灘を見つめてボケっとしてたオサーンは、
カムヨマトイワレヒコだか何だかってな大仰な名前になって、
東遷しなけりゃならなくなった、>>408 の様な次第でね。
>>424 >邪馬台国が大和王権に繋がる証拠は何一つない
トヨたんは記紀に登場してるよ、何の治績もない名前だけのキャラだけどね。
但し、重要な地位であることは推測される立場だ。
あ、矢鱈と登場する、とよナンチャラという女性は、全てカモフラージュで、
記紀におけるとよタンは、とよという音は含まれず、実質も伴わない名称だけどもね。 天孫降臨
天照大御神の孫である邇邇芸命は日向(宮崎)に降臨した(天孫降臨)。
邇邇芸命は木花之佐久夜毘売と結婚し、木花之佐久夜毘売は御子を出産した。
日本神話における九州の立ち居地はけして低くないよ
畿内の連中は軽く見るけど >>430
>天孫降臨・・・日本神話における九州の立ち居地はけして低くないよ
そりゃ、日向地方の伝承を、大和朝廷が創成説話としてパクったからね、
>>429 や >>408 の様な次第でね。
なぜパクったのか? むろん、日向伝承が結構出来が良かったので、
天孫降臨だのなんだのって、まぁ、アナタの如くに有難がる者がいる事を見越しての事だよ。 まぁ、よっぽど確定的な証拠でも出ない限り永遠に棚上げっていうのが誠実な立場だろうけど
色々そう出来ない利権とかもあるんだろうね。 仮に親魏倭王の金印が出てきても、ゴッドハンドかもしれないしな 3世紀の奈良がヤマトと呼ばれていた文献はないからな
地名がずっと昔から変わらず和名抄時代に至る、というわけがない 伊都と委奴では発音が違うからな
100年違えば発音も変わって不思議はないとか言ったら邪馬台もヤマトとは似ても似つかぬものだったかもしれない イタコに卑弥呼を降霊させて聞けばいいだけじゃん
ったく考古学者ってヤツらは使えねーな >>1
九州説信者が畿内はあり得ないと証明してくれてる
畿内説信者が九州はあり得ないと証明してくれてる
だったら九州や畿内以外の場所ということで確定なんだよ
九州と畿内の二択で争ってるから可笑しなことになってる >>95
今の時点で場所の特定ができてる時点で怪しいことこの上ない 現時点で発掘されていないだけでは「ない」とは言えない
悪魔の証明とか言うのだろうが、悉皆調査すれば言えるものを悪魔の証明とは言わない 関東地区で2万年前の縄文人の生活していた跡が確認されている。
行田市の稲山古墳群も興味深い。
九州説、畿内説とあわせて、関東説もあるのでは? >>171
あるかないかと、理由が納得できるストーリーかそうでないかとは分けろ
究極的には全部一緒になるとは言え、な 九州説で決まりだろ。
負けがハッキリしたら引き分け狙うってのはチョンがやること。 >>439
そんな証明は無い。
畿内説は否定証明完了済み、反論不能と言う事実のみがある。
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
とりあえず分かっていることは畿内説は考古学的にも文献的にもまるで成り立ってない。
可能性は完全にゼロ。
九州説は、御井の祇園山古墳が卑弥呼の墓で確定。
九州説の深刻な問題点は、この周辺にあるはずの邪馬台国の具体的な位置が分かって無いことだけ。
>>441
奴国から斯馬国を経て20か国を通過して元の奴国へ
周旋可5000余里
有明海沿岸一周だな。
>>446
海上の距離は歩測や紐で実測出来ないから誤差が大きいのは仕方ない。 韓国が妬ましいあまりに捏造したクソジャップのイマジネーションの産物なのではないか?
縄文原人が毛皮をまといこん棒を振り回していた頃、既に古朝鮮では鉄器を用い布の服が当たり前だったしな。 >>449
畿内がいなくなっても九州内で争うことになるから終わらないねw >>453
絞られて行くのに終わらないわけが無いww
涙拭けよ近畿パーww 近畿パーは言動が慰安婦問題やレーダー照射問題のチョンとソックリ。
多分ガチでチョンw 少なくとも畿内説が無いことは確定ずみ。
平行線なんかじゃ全然無いw 中国の文献にたった一言書かれてるだけなのが根拠なんだよな邪馬台国って。
書いたヤツの妄想か嘘、イタズラなだけだろ。 畿内説は邪馬台国論争からは脱落。
纒向学と名前を変えて遁走。
九州説の事実上の勝利。
近畿パーはサハフタソと同じww 平行線じゃ無くて一本線。
畿内説は消えた。完全に。 魏志倭人伝に世有王(魏の世に王がいた)や常治伊都國(常に伊都国で治めている)と記された伊都国が卑弥呼の都だな。 高地性集落の分布から、瀬戸内海を挟んだ広域で争いが有った訳で、これは倭国大乱という記述とも一致してる
で、邪馬台国というのは倭国大乱前の都なのか、倭国大乱中のいずれかの勢力の都なのか、倭国大乱が終息したあとの都なのか、そういう根本的な部分から考えないと結論なんて出せる訳がない >>462
隋の時代まで北部九州に倭の都が在ったんだ。 >>386
所長さん何言ってんですか
>>451
末盧国から伊都国まで500里ある? 伊都国どこ? 隋書倭国伝
「倭国の都は邪靡堆、則ち魏志に謂う邪馬臺である」
裴世清に対して遣隋使が飛鳥の都が邪馬臺だと説明してるからなあ まぁ、関西には同時期に巨大な勢力がいたのは確かだからな、これが邪馬台国なのかな敵対勢力なのかなだろ >>467
朝鮮半島は何度も滅んでるのにどこの民族?w 様々な時代の遺跡はホイホイ見つかるのに邪馬台国だけは頑なに見つからない。小さくないはずなのに欠片も無い。
そんなの無かったんだよ。 >>466
末盧国(名護屋浦や呼子付近)に上陸し東松浦半島内を南下して松浦市街地へ
松浦市街地で方向を東へ変え糸島市方面へ
1里80mとして500里だから40km、伊都GC付近が伊都国の入り口
そこから100里(8km)先が奴国の入り口、奴国は福岡市周辺。 結論書いとくよ
邪馬台国というのは倭国大乱前の都でその場所は濃尾
倭国大乱終息によって新しい都として大和が開墾されてそこへ遷都された
九州は大陸からの文化を吸収するためのストローだったけど、そのストローが大陸からの武器を横領して反旗を翻したのが倭国大乱の始まり 日本の古代史がそもそも改ざんというか
クーデターで書き換えられてるからなぁ
卑弥呼は分からないが女性の大王 女王は
居たんだろうけど日本の古代史から消されてる
天皇家が天智に乗っ取られて改ざんされてるから証明のしようがないんだ 東大と京大のくだらないメンツ争い
なお旧唐書には日本には邪馬台国と別の国があったって記述あるらしいのに
それはどっちも認めない >>472
邪馬台国とか卑弥呼という名称はそもそも無かったと考えるべき >>478
唐の時代には九州に倭、関西に新興勢力の大和朝廷が存在していたんだな。 >>8
町おこしの為にそういうことを言う自治体があるから問題なんだよ
客観的事実だけで淡々と検証すべき 大体卑弥呼じゃなく仮に日本では天照大神だとされる人物だったら 火巫女と呼ばれていたのを
当て字されただけの可能性あるしなぁ >>474
甕棺墓群や支石墓が混在し定住民の共同墓地が多くある地域ですね >>474
名護屋や呼子では一大国(壱岐島)から千里に全然足りないところに上陸してる。
伊都国までは南東500里のハズが、南下の後北東に進まないと糸島市(平原遺跡などの遺跡群)には着かない。(V字ターンを南東と強弁してる。) >>486
地形が変わってるからね
糸島半島も昔は本当に島だった 3世紀の日本列島がどこまでの文明持っていたか
が割とおざなりになっていて
卑弥呼論争ばっかに終始してるのはどうかと思うな
文字もあるし稲作は紀元前2000年ぐらいから
しているし宮殿もあったし大陸から簡単に攻められてないから軍事力もあったと思われ >>43
卑弥呼の時代、日本人は文字が書けなかったから邪馬台国が当て字なのは当たり前
大和(やまと)は奈良時代から
釈日本紀によると倭の発音とされている
問題は原本がない魏志倭人伝を引用した最古の本(太平御覧)だと邪馬臺国(やまたいこく)
隋書などの発音に関する注釈も邪摩堆(やまたい)になる
卑弥呼は親魏倭王の金印をもらったので倭を(やまたい)に当てはめ、訛って(やまと)になったと思う。
古くは倭や大倭を(やまと)と読んでた奈良が邪馬台国 >>487
それは一万数千年前の縄文海進の頃の話し。
弥生時代の話しではない。 >>489
金印の意味わかる?
印を交換して使者が王の使いであることの証明だよ
同盟関係に近い外交があったと思われる 九州に大規模な遺跡が出土してないんだよな。
外交、貿易の中心地ぽいけど。
近畿は物流中心地だった痕跡が出てる。
まあどっちも決定的なものは出てないけど。 鉱脈は中央構造線に沿ってるんだろ??
だから、近畿も九州も有!
(´・ω・`) >>489
文字が書けない訳がない
秦や戦国時代に沿岸部から大量に大陸から
日本列島に移住民がいる
だから漢字が日本でも普及した >論争が袋小路に入るそもそもの原因は倭人伝の記述だ。文字通りに進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう。
邪馬台国の位置の記録は、当時の日本側の工作により、大陸とはかけ離れた場所に邪馬台国が存在するとした。
なぜなら、邪馬台国という大陸国家に比べた弱小国や大和国を攻め滅ぼされないためであったとも解釈と推測もできる。 天武の名前である大海人皇子もアマから九州出身を暗示してんだな 大体言葉を喋っているのに文字が無い訳がない
ここらの研究とかおざなりになりすぎなんだよ >>492
つまり日本人が自分で邪馬臺国と名乗ったってこと? >>500
印をプレゼントして書簡にその印があれば信じれるでしょ
互いに交わすことで王が渡らなくても使者が本物かどうかわかる 単純に九州と畿内に大きな勢力がそれぞれあったんじゃないの? 紀元前1000年前から神代文字日本列島で使われていた痕跡あるからか カタカナの原型ね >>503
九州から近畿までの連合国とそれから東に連合国があり争っていた とする方が有力らしい まずは邪馬臺=ヤマトという読みに改めるところから始めないと。
壹は多分臺の書き間違いたんだろう。 >>505
連合国の範囲はもっと広い
方形周溝墓のある地域
当然、平原も含まれる >>492
金印の意味は、魏の外臣に任命すると言うこと。
要するに魏の属国であり、王侯に任命しますということ。
中国で一番偉いのは天子=皇帝であり皇帝が王侯を任命して各地を治めさせる。
外国の代表を特に外臣という。
倭の五王も意味は同じ外臣。 中国の人間がちゃんと日本国内の小国の勢力分布を把握してたとは思えないな 九州から近畿の連合国の中で卑弥呼やら邪馬台国はどこにあったのか
全く痕跡がないから別名称で卑弥呼はそもそも卑弥呼じゃなかった説有力 決定的な証拠が出ないのに早々に議場作ってスケジュールの尻決める奴。 出雲の国譲り読むとタケミナカタが出雲に加勢したと書いてあるから(つまり宗像氏)、九州+出雲連合と纏向+東海との戦争だったんじゃないの。 >>505
そうなんだ
あれかね地理的には九州側の拠点を記述して
国の概要は連合国としての体裁を記述
んで現在にいたったのだろうか 大陸から早くに移住して砂鉄が取れて水源が豊富な出雲に王朝があったが3世紀には畿内勢に滅ぼされている >>292
倭の五王の件でも記紀編纂時に中国史料を見てその事を知ってるから
意図的に朝貢した部分は触れてないとかしているよね。 奴国二万戸>博多中心に北九州
投馬国五万戸>出雲中心に山陰
邪馬臺国七万戸>奈良を中心に畿内東海の一部
こんな感じ? >>448
>つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、
近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる
「共立」と書いてあるでしょ、魏志にはさ。軍事的統括なんかなかったんだよ。
畿内地域の超越性が確立したのは、まぁ、6世紀だろうね。
磐井の乱とか、毛野への干渉とかの記載もあるんだし。
なお、投馬は出雲地域なのだから、中国地域はすっ飛ばしてていない。
吉備地域は、まだ十分な生産性がなかったんだろうね。造山古墳なんかは、五世紀の墳墓みたいだし。
イズモがツマと記載されたなんて考えられる事もあるかもだが、これは違うな。
三世紀の史書にツマと読めそうな投馬と記載されていて、
七世紀頃に出雲・イズモとの表現が確立してるんだから、
三世紀にツマだったのが、七世紀にイズモになったんだろうね。
因みに、魏(曹爽)が邪馬台国を優遇したのと、
主に末廬国や奴国を含む西日本での共立が出来たことは、
理由が同じだね。
>邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、
学説として成立していないただのファンタジー はい、論破w
そりゃ、キミのオツムの状況説明でしかないよ。
キミには論なんて無理で、論破なんて君の妄幻想でしかない。 倭国大乱は、三韓、九州含む地域で、再構築されてるときでしょ。で一部が出雲から北陸に拡がり、一部が九州から瀬戸内に進み始めて行ったんじゃないの。 蘇我氏が本来は大王の系統
それを天智や中臣鎌足とされる奴らがクーデターで乗っ取り正史を書き換えた デタラメ過ぎる。
帯方郡から12000里で北部九州で決まっている。 隋書読むと、邪靡堆都は、海岸にあったみたいに書いてあるんだよな
どういうわけだろう
隋も騙されていたのか、我々が誤読してきたのか 当時の移動能力と地形からして、瀬戸内を囲む全体がヤマトで、首都が畿内という事で俺は納得している。 >>478
東大はギブアップしたよ
研究が進み、九州説が成り立たないと判明したからね >>516
投馬国五万戸>朝鮮半島南部(後の任那)
邪馬台国七万戸>北部九州地域
狗奴国>南部九州地域
黒歯国>奈良? >>508
戦争もしないのに属国w
見てきたように嘘をつく 寺沢なんて権威でもなんでもないだろ。
橿原考古学研究所の外来土器の研究によって、
大和は出雲丹波越伊勢尾張河内吉備瀬戸内連合で確定した。 5chの畿内説というのは、糖質の奥山の妄想だから。 >>518 >倭国大乱は、三韓、九州含む地域で、再構築されてるときでしょ
後漢書によれば、二世紀、桓霊のハナシなので、畿内地域での出来事だと思うね。
西日本での「共立」が成立したのは、大乱を経て即位?した、卑弥呼時代の治績だと思うね。 宮内庁が仁徳天皇陵とか古代の墓を封鎖して
DNA鑑定とかされないように厳重にしてる
理由を察したら
まあ判るわな もう分かった分かった。
九州ってことでいいよ。
他デタラメばっかだからもう仕方ないよね。
九州ってことで決まりでいいよ。 箸墓は馬具の出土によって4世紀中期の古墳である事が確定している。 >>528
もうこんなデタラメしか無いわけだし、
しょうが無いよね。
九州でいいや。決まりってことで。 九州畿内でこじつけで争ってるからな
最近みた泡説はまともな説得力あったけど まあ親魏倭王の印綬か、その封泥か、部下が貰った銀印か
それに類するような決定的な証拠が出ない限り
永遠に判らんだろな
だから古墳を掘りまくろう。いつか当たりを引くはず >>540
投馬国五万戸>朝鮮半島南部(後の任那)
邪馬台国七万戸>北部九州地域
狗奴国>南部九州地域
黒歯国>奈良
これ正しいよw 他はこじつけばっかでまともな議論してるの九州説だけだもんな。
しょうが無いな。
九州で決まりってことでいいよもう。 卑弥呼の墓は、弥生後期で唯一66人近い殉死が確認できる祇園山古墳で間違いない。 邪馬台国や卑弥呼という名称はそもそも存在しない
魏の使者の当て字でしかも邪とか卑を使ってるから使者の悪意もある >>520 >デタラメ過ぎる
だからさ、魏志は張政報告に対して、そう嘲ってるんでしょ。
>帯方郡から12000里で北部九州で決まっている
その場所は、太平洋のド真ん中でしょ。>>417 で書いた次第だ。 卑弥呼を共立して成立した北部九州地域の連合国の名称が邪馬台国なんだ
卑弥呼は伊都国にいた。 箸墓はどれだけ掘ろうが100人近い殉死など確認できない。 畿内は絹が出ないが、鏡の編年的には邪馬台国の時代のものが多い
九州はその逆。決定的な証拠はないのがな 有力なのは畿内説でしょ
なんとか九州説をあげたいのだろうけど 倭国と日本国は別物という理解を持てばスッキリする話なんだ
倭国とは中華の歴史的に見ても邪馬台国の千年後でも北部九州のことを意味している
倭国の存在範囲は楽浪大砲、朝鮮半島、北部九州 らへん
日本国はもちろん本州 >>239
それは博多の事だぞ、地下鉄工事した時に大量の遺跡が出土したが工事が遅れるのが
イヤだから調査せずにそのまま工事をしたらしいぞ。 >>520>>530>>539 >>547
また捏造してやがる
ネットの中で騙すことしか考えてないのかね >>547
九州自動車道に3分の1くらいが削られてるな。 天照大神の痕跡が日本中に残っている
中部、近畿、九州
やっぱ彼女が卑弥呼とされた女王だよ 帯方郡から狗邪韓国まで7000里である以上、
帯方郡から12000里は北部九州の範囲でしかない。
太平洋の真ん中とか言ってるアホは、
算数もできない池沼である事を告白しているだけ。
アホは触らないようにしましょう時間の無駄。
だって算数ができないんだから。 魏志倭人伝の行程でいけば、邪馬台国の位置は半島南部しかないだろ。
帯方郡から水行で行ける場所なんだから。 >>553
九州は弥生中期から時代が下るに従い衰退して、邪馬台国の時代に出る絹は福岡だけでしょ
福岡は奴国であって、邪馬台国ではない
ちなみに、纒向からも布留期であるが、絹は出てるよ 近畿と北部九州では鉄製品だけで無く銅製品の出土量も桁違いに近畿は少ない。
銅も鉄も無い近畿では文化的な生活は無理だし戦争も出来ん。
近畿から出土した鉄の総量は離島の壱岐から出土した鉄の総量にはるかに及ばない
近畿は東北並みの未開の地であったと言う事だ。 北九州にあった卑弥呼亡き後の邪馬台国を
朝鮮半島から渡ってきた天孫族が征服して現地の姫と子供を作ったのが天孫降臨
その首長がニニギ
後に東征して大和王朝を作って天皇家となった
征服された国々の姫や武将がアメノウズメやサルタヒコ
こんなの常識だよ。手塚治虫の火の鳥にもそう描いてある。 >>545
卑弥呼と崇神天皇は同時代、つまり邪馬台国と初期大和朝廷は並立していと思っている。
纏向遺跡は東海地方の土器が多く出て九州産はごく少ない。
よって初期大和朝廷は東国政権で纏向は西の前進基地。
だから倭人伝でいう裸国や黒歯国は日本列島を沿岸沿いに東に進んだ伊勢湾沿岸は間違ってない気がする。
とは言えなんで天孫降臨と日向三代などが南九州のことで神武は日向出身とされてるんだろうね?
天皇家は九州からきて初期大和朝廷をクーデターで乗っ取ったってことか? 祇園山古墳
方墳の規模は東西23.7m、南北22.9m、高さ6mで、高さの1/4は地山から方形に削り出していて、その上に盛り土をしているとのこと。墳丘基部は本来の地形を楕円形に整形をしており、その上に方墳を築造しています。
甕棺は糸島地域の甕棺の末期形式のものであることから被葬者や従者は伊都国との関連があるものと考えられています。
確認できただけて66人以上が埋葬されており、これが殉葬された者たちと考えれば、魏志倭人伝の記載も真実味を帯びてきます。
この方墳の築造年代は、副葬品などから3世紀中頃と考えられており卑弥呼死亡時期(242年〜248年)とピッタリです。 >>565
どっちにしても、布留期じゃ卑弥呼の時代より新しい
(布留は編年どうを繰り上げても250年あたりにしかならん。卑弥呼が死んだ後だ)
卑弥呼の時代の畿内に絹は無かったって事は確か >>566
近畿は盆地が豊かで水運にも恵まれていて米が大量に獲れた
だから大和や畿内を制した勢力がやがて全土を治める 前方後円墳は卑弥呼の墓ぽくない
殉葬とイメージ合わない >>566
その鉄貧乏の畿内に北部九州は、あっという間に飲み込まれてしまったのが
現実の歴史なんだがw 答えが出ない方がロマンがあるとか言ってる奴は間違いなく歴史にあまり興味がない
関心がある人はさすがに死ぬまでには何らかの答えを知りたいだろ 卑弥呼って年代的には神武天皇より後の人だよね?
すると皇室とは無関係? 祇園山古墳は筑後平野の要衝である高良山の麓にある。
つまり、弥生後期に筑後平野を牛耳っていた人物の墓である事は間違いない。
筑後平野を牛耳っていた人物で、
日本で唯一66名以上の殉死の確認できる円形の古墳。
祇園山古墳以外に卑弥呼の墓に比定できる墓は日本には存在しない。 >>570
邪馬台国の時代に絹が出てないのは九州も同じ
奴国の出土物を根拠に九州説を主張するのは通らない >>277
魏志倭人伝によれば、女王国の南には狗奴国があり、女王と敵対していたという
つまり女王国の所在地は邪馬臺国連合の南端付近であると分かる
卑弥呼は魏から親魏倭王と認められたのだから、その敵対国である狗奴国は
魏との交流を持っていないと考えられる
ゆえに、邪馬臺国がどこであったかは出土品の分布を見れば一目瞭然
九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
金銀細工や硬玉やガラス製の勾玉など、大陸産のものが
佐賀、福岡、熊本にかけて大量に出土していることが分かる
そしてそれは熊本県八代市あたりでぷっつりと途切れている
ここが邪馬臺国と狗奴国の勢力境界線である
南には男王卑弥弓呼が治める狗奴国があり女王国と不和で戦争状態にあった
↑明快じゃん 薩摩か熊本だよ
男王卑弥弓呼 ←菊池につながるから熊本かな?
狗奴国 ← 犬の遠吠えしてたり、犬の子孫だというバンコ神話が残ってたり犬との親和性高いから薩摩隼人?
↑いずれにせよ、この2国の北部、(女王国は)九州北部しかありえない >>579
伊都国で治めていた卑弥呼の墓が筑後に築かれたのは何故なんだ? >>578
なんでそうなる
神武卑弥呼の後先と皇室との関係性はまた別問題じゃないの >>575
デマは自分だよ
古墳時代の出土物を自慢してどうする?
そのサイトでも3世紀の九州は皆無同然だろ 西都原古墳群の前方後円墳である、81号墳は三世紀半ばの可能性がある
辺鄙な地の割には相当早い
そして九州の古い古墳は大概が海沿いで、神武天皇が寄った場所(宇佐なら赤塚古墳、筑紫なら那珂八幡)にある
奈良の最初期前方後円墳(ホケノや石塚)をどう取るかかな、、
案外南九州が発祥だったりしてw >>547
>卑弥呼の墓は、弥生後期で唯一66人近い殉死が確認できる祇園山古墳で間違いない
サイズ的に合致する、箸墓の後円部しかないよ。
張政の見た卑弥呼墓は円墳なのだから、前方部は後から建造された。
なお彼には、卑弥呼墳墓を正確に報じなければならない理由があった、魏志読む限りは。
魏志によれば、「卑彌呼以死」であり、行ってみれば死んでいたのだから、急死だった事になる。
墳墓は突貫工事で作らざるを得ず、でかいだけの円墳だった。
日本書紀では箸墓について、昼は人が作り夜は神が作った、なんて記載されている。
これは突貫工事でみるみる円墳が築き上げられていく様を表現したものだ。
卑弥呼墓に関する日中史書の記載は、一致している。
なお、殉葬というのは違うと思うな。卑弥呼没後の争乱での戦死者が葬られた。
まぁ、一種の慰霊墓でもあったわけだ、卑弥呼墓である箸墓は。
いくら昔でも、人を殺して埋めたりしないし、被葬者だってそんなのイヤだろうさ。
「當時殺千餘人」と態々書いてあるんだから、殉葬者はそこから供給されたと考えるしかないね。 魏からしたら日本列島を大半治めていた国なら
わざわざ使者出すが
九州の北部にある小国程度なら相手せんだろ >>581
それまでにあった所をベースにするのは当然
全く無い畿内が主張するのがおかしい >>590
九州の北部にある卑弥呼を共立した小国の連合体の名称が邪馬台国。 また6世紀の山門八女の豪族筑紫の君磐井が、
福岡の糟屋に屯倉を持っていた構図が、
邪馬台国以北に一大卒を置いて支配していた構図と重なってくる。
古代、山門八女の支配者が、
北部九州の支配者である事は確定している事実。
大和など入り込む余地はない。 なんで考古学者どもはこんな小馬鹿にされた言葉をいつまでも使ってんの?
大和と日巫女じゃなんか不味い事でもあんのか? >>591
平原遺跡としては3世紀にもかかっているが、出土物が豪華な1号墓は2世紀末
3世紀の平原遺跡にめぼしいものはない >>593
記載されている人口が小国ではあり得ないから >>577
今は議論ができない段階だけど300年後に証明されればいい
答えが出ないのは歴史に限らないしな 「ようこそ邪馬台国へ」という看板が出土されるまでは平行線だろうな 卑弥呼は元々は伊都国女王だったが狗奴国(熊本県)との戦争の為に
邪馬台国(筑後地方)に住まいを移して戦争の指揮をした、老婆だから先陣には
立たなかったが紛争地の近くで戦勝祈願をしていた、卑弥呼はそこで亡くなった
から墓は祇園山古墳、壹與の時代に戦争は終わり壹與は伊都国に戻った
壹與の墓が平原古墳と言う事になる。 どこにあるかは分からないけど、九州説なんてちょっと前までトンデモの領分だったのにな。 >>568
神話の流れを読むと九州中心に三韓(朝鮮)を従わせ
神武東征で近畿地方を平定している
天皇家に都合の良い神話だけ残ってる可能性があるがw
作り話でも九州を重視する筋書きには意味があるだろう >>592
邪馬台国の時代の前までは九州に絹があったから
邪馬台国の時代に出土はなくても、あったことにするという理屈は通らない >>577
答えは俺が>>475に書いといてあげたよ 吉備伊予阿波の影響の強い纒向の古墳群は、
槨棺墓である事は言うまでもない事。
棺あり槨なしの倭国とは全く別の国である。 >>594
碧井さんは反乱起こして大和朝廷の軍に散々ボコられて逃げて山の中で殺された
と書いてありますが お前ら見てろよ
俺んちの押し入れから
決定的な文献が出てくるからな! >>547
だよな、、、
しょうが無いな
九州で決まりだね ないだろうけど、卑弥呼が天照なら天文学的には九州なんだよね >>552
言葉がキツ過ぎるだろ。
でもしょうが無いか。事実だもんね、、、
やっぱり九州なのか、、、
諦めるよ。九州でいいや。 魏人が北九州しか知らず小国の女首長をうっかり親魏倭王にしたとかありえない
3世紀の活動圏や情報網を舐めすぎ
当時の倭国最大勢力が奈良にあったならそこが女王の都する邪馬臺だろう
たぶん あるだろうけど、卑弥呼が天照なら天文学的には九州なんだよね
九州で決まりかあ
しょーがないな >>604
それまで全く絹の痕跡が無い畿内に絹を出す事が出来た、て考える方がよっぽど理屈に合わないな
後、絹の出た宮の前遺跡やら唐原遺跡はざっくりだが邪馬台国の時代に被ってるぞ 高良山に祀られている、豊比淘蜷_(とよひめおおかみ)がトヨだ。 どんなに条件がぴったりでも殉葬が見つからなければ卑弥呼の墓じゃないってことでいいの? 卑弥呼ファンが多いが
日本のルーツの方を知りたいw 邪馬台国とか卑弥呼とか中国がつけた悪意ある漢字表記じゃなくて
カタカナで表記しようみたいな運動は起きてないの?
ヤマトなのかヤマタイなのかわからんけどさ まともな議論やってるのが九州説しか無いもんね。
他がデタラメばっかだ。
しょうがないね。九州ってことで決まりでいいよ。 >>614
あんたの書き込み面白すぎ
笑っちゃったわw >>616
そこは奴国でしょ
それとも奴国が邪馬台国という主張? 西日本新聞(笑)
今じゃ佐賀大のやつらしか九州説は唱えてないやろ
いい加減諦めろよw >>619
そりゃ氷河期時代、
陸続きになったときに歩いて渡ってきた原始人だろ
2000年ごろ中国文明が渡ってきたが
それほど大量の大陸人は流入していないだろう
もし大量に流入してきていたら
そのまんま中国文明の出張所になっていただろうからな みんな九州なの?
しょうがないか。事実だもんね。
じゃあ九州で決まりってことで。
とうとう決着ついちゃったか。残念だけど事実は事実だもんね。
諦めるよ。 つまり、大和が北部九州を武力的に支配出来たのは磐井の乱以降になる訳で、
それ以前は山門八女の支配者が北部九州を支配していたのが歴史の事実である。 まあ邪馬台国って九州から近畿まで意外なほど広かったってことだろ
邪馬台国という県の県庁所在地は九州辺りで近畿辺りは
邪馬台国県〇〇市みたいなもんでわ 長い議論だったがとうとう決着ついちゃったか。
名残り惜しい感じもあるけど仕方がない。
事実が明らかになって行くんだから、それで良しとしようや。
じゃあ九州で。
とうとう結論でちゃったね。
しょうがないな。 一応みんな知ってるだろうが
3世紀って三国志の時代
つまり400年続いた漢の後の時代な訳だが
前漢、後漢とあるがこの時代中華圏内の人口は
約5500万人 更に異民族や戸籍にない流民や
奴隷入れたら物凄い数の人口
迫害されて西域に逃げたり日本列島に移住したりしていて大陸とは絶えず交流が盛んだった
つまり日本列島の勢力などは把握してないわけないんだよ >>623
それが謎なんだよな
神話の流れと消えた九州暦が整理できない
九州王朝が本州にせめて併合して
本州に遷都したとしても暦を捨てる理由にならない
分家して本家が滅んだみたいなストーリーがいるw しかし、九州王朝が古墳時代の後期まで独立して存在してた、とかいうデンパは
そんな珍説が世の中に通用すると思ってるんかね? >>627
大和朝廷から兵や年貢など九州の豪族は負担させられていたらしいが
キレた碧井さんが反乱起こして殺された >>623
倭人伝を見れば、奴国は邪馬台国の傘下なんだから、絹が出ても当然だろ
後、甘木辺りからも出ているから
久留米から甘木辺りが邪馬台国と見てもいいかも
殉葬の形跡らしきものがあり、巫女らしき人物も埋葬されていた祇園山古墳もあるし
(主体部が空なのが残念だが) 九州説唱えてる学者なんて1人もいない
↓
今は佐賀大の奴らだけ←イマココ
↓
最近は九州説ばっかで嘆かわしいな
↓
おまいら九州説は常識だろ 生野眞好とか言う人の邪馬台国=伊都国
この動画数年前見てたけど面白かったなあ もう九州で決まりいいよ。
はいはい分かった分かった。
はいはい九州九州w トヨと奴国王が泰始2年(266年)11月に洛陽に派遣した使者が見たとされる、
司馬炎が行ったとされる円丘方丘を合わせた、夏至と冬至の祭りを合わせて行ったとされる祭壇を、
日本で再現したのが前方後円墳である。
トヨの支配地である豊の国の石塚山古墳と奴国の那珂八幡古墳が日本で最古の前方後円墳である。 5世紀はわからんが6世紀なんかはハッキリと
大和王朝が九州を支配して豪族たちを支配下に置いているのが解るから 年貢と兵役課していた ウィキペディアには縄文人の墓であった箱式石棺墓とは
縄文後期に青森・長野の遺跡で出現し、晩期に入ると東日本一帯に広まった。
弥生時代の箱式石棺は北部九州や中国地方西部を中心に前期から出現し、
その後近畿を除く西日本に広く分布した。甕棺など他の埋葬施設と群集して
共同墓地を構成する。と書いているが近畿からも縄文遺跡は出土しているが
棺桶が見つからない石が材料なので融ける訳が無いので
縄文末期(弥生初期)には近畿の縄文人はいなくなったと言う事だ。
要するに朝鮮半島から弥生人が突然来たから弥生人を嫌って近畿から出て行ったか、
追い払われたかのどちらかだろう。
つまり弥生時代から近畿人は縄文人との混血が無い純粋な渡来人だったと言う事だ
日本人とは縄文人と渡来人の混血児の事を指しているから、近畿人は日本人では無い
と言う事になる。 もう九州にしといてやるよ。
はいはい分かった分かったww >>28
そんな対立軸はないだろ、九州説ってのは神武東征に合致する日本の共通認識だったんだぞ?
戦後になって反皇国史観の立場に立った学者に支持されて話が大きくなったのが畿内説だ。 倭国は半島南部と北部九州であって、半島南部に住んでいた卑弥呼が、北部九州一体=女王国を治めていたということだ。
いくら日本を掘っても出てくるわけがない。
特に畿内説なんでのはバカな考古学者による公金横領だ。 九州王朝は流石に無いんじゃない
前方後円墳がヤマト政権の傘下に入った証とするなら
北部九州は台与かその後、三世紀末には畿内に服属してる
神話化された景行天皇や神功皇后の九州征服行がそれに当たるかも
磐井自体、その祖父の墓とされる石人山古墳からして前方後円墳だし、磐井自身の墓もそう
ヤマト政権の下に付いたが、色々不満で乱を起こした感じだ しつこいからもう九州でいいよめんど臭い。
はいはい決まった決まった。
良かったねww >>638
考古学的に奴国のあった福岡は3世紀には畿内の傘下になってることが確定してる
そういう理屈で福岡の絹を持ち出してくるのは、畿内説を補強しているのと同じ
甘木の絹は後期初頭、つまり1世紀
年代が離れすぎてる
祇園山を殉葬というのはさすがにやめた方がいい 江田船山古墳の鉄剣によって、
山門八女に近い勢力が、
4世紀に大和の同盟国になって、
大和に官吏を派遣していた事が分かっている。 もうこの話題飽きた
この時代は文字が使われてないんだから、文献がない以上
永遠に謎は解けない 邪馬台国は阿波説が正しい
阿波から纏向に移ったのが神武東征 もう飽きたよな。
いい加減にしてくれって感じ。
もうしつこいから九州でいいよ。分かった分かった。 外来土器の分析によって、
纒向は北部九州とのつながりは全く無い事が確定している。 空白の4世紀に何があったか教えてほしい
ポーネグリフすらねえとか勘弁してくれ >>664
全くは間違い。ほぼ無いくらい。
僅かには土器が見つかってる。 日本の学者が日本各地にある遺構を魏志倭人伝に合わせようとすると諸説生まれるが
中国の古典学者が魏志倭人伝を読み解くと北九州という結論しか出て来ない 魏志倭人伝の道程からいって邪馬薹国が九州北部なのは明らか
これを認めない人達は九州北部が都だったという早合点をしているから近畿だのなんだの言い出す
九州北部は魏との交易拠点なだけで都とは限らないから熱くなる必要はないよ >>645
1万年に大陸から台湾経由や北海道に移住してきた人々がいわゆる縄文人だが
その後断続的に大陸からの移住は続いた
弥生人とされる人々は紀元前1000前ぐらいから
中国沿岸部などに居た人々が移住してきた これらの混血が今の日本人 当時の倭国はどこからどこまで?
今使譯所通三十國というんだからそれを30国に分割したら
そのうちのひとつが女王国連合国だな 纒向から出た九州の土器は、
大分の安国寺遺跡の土器と類似する土器の欠片が2点のみ。
纒向政権が北部九州を支配していたという説は絶望的だろう。 そもそも何が出土したら邪馬台国と決まるのか、
それすらわかってないからな。 >>657
硯が読めない人かな?
すずりって言って字を書くためだけに存在するもので九州でも近畿でも見つかってるんだよ。友達にも教えてあげてね! >>665
漢字どころか文字も無い時代だろ?
正解の漢字なんて無い。 >>664
さっきから捏造のオンパレードだな
さすが九州説www 一方的に北九州に纒向の土器が流れ込んでるから北九州は纒向政権に征服されたのだろうな 古墳なんて東海にも関東にもあるのに
みんな地方豪族だろ
奈良も大阪も地方豪族 >>676
ここに邪馬台国ですと書かれた石碑でも出なきゃ無理だろうね。 大雑把に分けると
畿内説は論文系
九州説はアマチュア系
に分かれてる感じがする 金印だけが決定的なものなの?
土器だの柱だのは状況証拠にしかならんのかね >>655
奴国が畿内傘下ってのは考えにくいな。庄内式の広まりは中期以降だろ
那珂八幡にしても、どんなに繰り上げても三世紀半ば
奴国はちょうど畿内と九州の交易場所になってたんだろう
古墳を置いたあたりから実効支配が始まった
後、甘木の栗山遺跡の44号甕棺からのは三世紀のものが出てる
祇園山の場合は、同時期の甕棺が3つ出ていて、その後に追葬があった形式
少なくとも甕棺については殉葬の可能性はある
同時期の畿内にはそういった形跡すらないが 記紀にある神武東征で神武勢力は大阪からの進撃を阻まれて熊野に迂回して
そこで八咫烏の道案内で奈良にたどり着いた事になっているがカラスが道案内を
する訳が無いから八咫烏では無くて猿田彦の間違いだと思う。猿田彦は熊野の山中に
住んでいた縄文人で奈良の朝鮮系弥生人に虐げられていたから仕返しの為に神武勢力に
加勢をする気になったんだろう。 >>680
ということは東海土器に埋もれた纒向遺跡は東海勢力の傘下だったということだ。 あと今の朝鮮人はチュルク系エベンキ族と
同じ出自で異民族扶余人の末裔な
高句麗が扶余人
そもそも百済とか新羅とかは人種違うらしいよ >>687
畿内説で考えると纒向は狗奴國の集落だな 日本には韓国と違って2000光年の歴史があるからね > 数々の論者が自分流に読み換え、各地に所在地を求めた。これも永遠の平行線。
なんか、ノストラダムスの大予言みたいだな 倭人の前の朝鮮半島の部分と見比べると
名前で似たような部分が多い
九州あたりのみの話って考えた方が自然 どうせ分らないんだから活性化のために影の薄い県にあったことにすれば 南だと言ってるのに東から名乗りを上げる畿内説は明らかにバカ。
ゴリ押しすれば、それはもう歴史捏造事件とも呼べるレベルだぞ。 狗奴国=隈の国であり、
狗古知卑狗=久々知彦=菊池の豪族である事は間違いない。
当時の鉄器の分布状況から見ても、
福岡vs熊本の戦いが歴史の地図に再現できる。 まあ決定的な証拠があるなら、こんなに揉めないだろな、、
九州は鏡が合わない。どうしても古い形式が多いから
まあ画文帯神獣鏡も、中国の出土を見たら呉の鏡なんだけど >>689
そう。
そういう矛盾には妄想全開で否定にかかるからな、アイツら。 アホなん?
外来土器の中で東海土器が多いというだけだろ
北九州と違って双方向に流通してるよ >>49
漢字文字を勉強した日本人は後に
大和と日巫女に改めたんでしょ >>668
これからは、日本史研究するなら中国に留学という時代がすぐそこまで来ているな 纒向から渡来品が一切出てないんでしょ
近畿か九州かはともかく纒向は邪馬台国ではないのでは? まともな議論してるとこ九州説以外に無いもんね。
しょうがないか。
残念だけど九州でいいよ。 奴国と狗奴国ってのは倭国大乱時代に分裂してただけであって、元は同じ国だからね、誤解しちゃ駄目だよ 山鹿・菊地あたりが狗奴国としたら
それに合うのは方保田東原遺跡あたりか
ここは何故か庄内式がよく出てくる
途中の久留米や朝倉からは出ないのに
ぽつんと離れて畿内と繋がりがあったのは不思議だ >>709
弥生時代の象徴である鉄文化の浸透範囲は北部九州。
同国だったとは思えないほど、畿内の鉄の出土量は桁違いに少ない。 まともな議論してるとこ九州説以外に無いもんね。
しょうがないか。
残念だけど九州でいいよ。
決まったね。名残り惜しいなあ。
本当に九州でいいの? 同時代の同じような規模の遺跡がいくつか出てくる時点で邪馬台国って
日本にとって決定的に重要な国というわけじゃなくなるよね。 百済の王族は高句麗出身で、平民は三韓の民族だったらしい、任那の近くだから
一部の倭人も混じっていたんだろう。卑弥呼も先祖は高句麗人かも知れん。 耳納山は投馬国の長官ミミの山であり、
投馬国=妻国が朝倉町からうきは市にかけてである。 どうも諸々の資料や史跡を見た感じ、北部九州はかなり早い時期に畿内のヤマト王権に協力してることだけは確かなんだよな
かなり早い時代から関係があったとしか思えない 西日本新聞は無駄な戦いを頑張ってるなw
もう九州説なんか唱えてるのは、在野の素人くらいだろ 弥生の渡来品の数は北部九州が圧倒している。
纒向の渡来品はとてもじゃないが、
朝鮮半島や中国王朝と交易していたとは言い難いレベル。 >>698
どう揉めてるの?
北九州はヒナモリって書いてある
ヒナモリは地方を治める
中国のシシも地方を治める
北九州は中央から離れてると言うこと 当時から変わらないのは 淡路島は琵琶湖にすっぽり入ること。 隋書は一支国から竹斯国に渡ってるな
松浦唐津なら肥の国じゃないかと思うが、昔は筑紫だったのか、隋代には航海術が向上したのか
素直に読むと、瀬戸内海すら行ってなくて、邪靡堆の都は豊前か豊後?という説もなるほどと思う 北部九州を中心に出土していた銅鏡が卑弥呼の時代くらいには畿内中心に遷移し、国産と思われる魏の鏡が大量に出るようになる。
神武東征ではないが、中心が移動してることだけは確か >>716
そこ読んだが、
>韓式系土器が現実に幾つあったのか不明だが、ごく少量であり、かつ、それが半島製という保証はない。
>半島製か否かは現時点では判断しがたいという下での「まとめ」の結論は早すぎる。
て書いてるぞ
後布留0式の時代てあるから、仮に本物としても、どんなに早くても250年辺りになる感じ 倭の五王の時代に、
纒向政権と倭国は同盟したのだろう。 >>722
中央は南にある邪馬台国だからそりゃそうだ
一大卒を置いて治めた >>675
投馬国と邪馬台国、狗奴国は小国ではなく小国の連合体
邪馬台国を構成していたのは北部九州地域の小国
伊都国、奴国を中心に対馬国、一大国、末盧国、不弥国、傍国20か国で構成されていた。 本当九州説の奴らってしつこいよな。
分かった分かった九州でいいよ。
はいはい分かった分かったww >>727
してないから自分が全部征服したって言ってるわけで 魏志倭人伝だと
九州についてから20日ぐらい水路を進むんだろ >>722
邪馬台国の都は伊都国でる
その他の国にヒナモリが配置されていても問題ない。 >>710
だから東侵したって書いてあるだろ
九州が南北で統一できてない内に、南の狗奴国が四国、本州に攻めこんでるんだよ
九州北部が大陸との交易で鉄製品をほぼ独占していた
ところが平和国家ばかりで戦争を嫌う城塞国家だった
狗奴国は戦利品の鉄を少量持っていたが卑怯で好戦的な国だった
活路を東に求めて騙し討ちや懐柔で、本州の日本をゆっくりと支配し拠点を築いていった
ここで日本海ルートを奪ったとみる
朝鮮半島で、邪馬壹国とは交易の無い勢力を侵攻して鉄のルートを作った
九州北部で満足していた邪馬壹国等の国は、巨大化した日本ヤマト(狗奴国)に降伏することになった >>722
邪馬台国の都は伊都国である
その他の国にヒナモリが配置されていても問題ない。 中国の歴史書に日本のことが書かれたのはずっとあと
今の日本は毛人国、いわゆる倭国の向こうにある国
であって
三国志にはまだ書かれてないんだよね
まあ向こうにも国があるけどよくわからんとだけ書かれている いつの時代も、バイアス馬鹿の書く論文よりも子供の日記の方が正しい。 >>733
水行20日しても出雲にすら到達できない >>716
日本各地から土器が来ててその中に大陸式っぽいのが混ざってたというだけでしょ
邪馬台国は頻繁に中国とやりとりをしていたんだから、それを直接示す品とは言えないのでは?
そしてその手のものは見つかってない 別に近畿でも九州でも構わない。客観的な事実に忠実であるなら。
ただ、NHKとか東京メディアが仕掛ける歴史戦の方が怖い。
日本史を最初から東京が中心で捉えて執拗に作り上げる。
稲作が大陸から伝わりました。西日本から稲作が始まってとうとう紀元前〇〇年ごろに関東に伝わります
(ここで壮大な音楽を入れる)
とかw
関東人は下手に同じ国籍の人間なんで、朝鮮人や支那人と同じレベルでヤバいw 九州にしろ畿内にしろ、どこかはっきり決まったたとしてそれが何になるの? ┏( .-. ┏ ) ┓【孫正義のクローン体】
*オーム真理教/麻原彰晃
・彰→ 日本で十字架を殺して立つ
・三→ カタカナで「シ(死)」
・光戦士が日本でのし上がる
*創価学会名誉会長/池田大作
・十字架を囲んで殺す、大作(対策)を練る
・犬作→ ソフトバンク犬
--
【要約】
*孫(so)正義氏は、タイムマシンを使い過去世界に
自身のクローン体(麻原彰晃&池田大作)を配置して
統一協会と創(so)価学会と云う、二つのカルト宗教を入手させた
・オーム真理教=統一協会=キリスト教
・創価学会=仏教
*一年前より「統合政府(電子政府)」を
統一協会(キリスト教)と創価学会(仏教)との
合同結婚式にて誕生させようとしている
その際の生贄の羊が私である
*大魔王フジテレビが「One World(友達の輪)」を稼働させる為に
魔王軍の孫正義氏に宗教系をまとめさせた物と推測される
*孫正義氏と池田大作の共通点とは名言好きである as
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1155988771034112002/photo/1
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>730
物証がどうこうじゃなく宗教だからな、あれ
あと、北部九州が筑紫“君”という中小地方豪族クラスの呼称に留まっているのも興味深い
ヒナモリという伊都国の地位も考えると、卑弥呼の時代には北部九州は一地方扱いだったのだろう >>733
20日は帯方郡から狗邪韓国までの奴国7000里に掛かる日数だよ。 このスレでの議論で解明できるのなら、とっくに決着してるって >>748
>ヒナモリという伊都国の地位も考えると
ヒナモリは首都の伊都国にはいない。 >>719
女王に属する九州王
王の支配下の王が書いてある >>747
瀬戸内海ルートなら岡山まで到達できない >>752
大和朝廷の成立は8世紀だから
九州と大和朝廷は直接には関係無い。 九州説で解明されちゃったよね。
残念だけど仕方ないか。 >>744
畿内なら大和王朝に連なる可能性高いから
神たる天皇家の先祖が魏に媚びたなんて有り得ない不敬だ けしからん
右寄りの学者は感情的に畿内説否定 淡路島にいた勢力の一部は近江に移動したりしてるな
関所もなかった時代だし、結構昔は人の移動が頻繁
九州北部〜畿内中心に渡来系弥生人との混血はかなり進んでいたし、それだけ往来があったということ >>754
ツマが岡山
潮のぶつかる中心で必ず潮待ちする 邪馬台国って中国の奴隷だった国でしょ
大和国からしたら敵 まあ親魏倭王の印綬か、部下が貰ったという銀印か、その封泥か
張政が送ったという激(文)とか、なんか決定的な証拠がないとあかんのやろな
黒塚古墳から出たU字型鉄が、本当に魏から送られた黄幢であれば
かなり有力な証拠かもだが、あれが難米斗の墓なら
銀印も出て来て欲しかったな >>755
それだと天皇の歴史の半分以上は嘘っぱちって事になるが? >>766
少なくとも神武以前は畿内の神話では無いな。 >>709
論理的に説明しなよ←イマココ
↓
(論理的に説明)
↓
机上の議論だね >>685
奴国での畿内系土器は久住IA期から出てる
つまり2世紀末か3世紀初頭
まあ、本格的に出るのはIB期からだけど
それでも3世紀前半には確実
比恵・那珂遺跡は奴国の王都があった場所だから政治連携が目的
一方、博多遺跡などは交易が目的
奴国は3世紀前半には畿内の友好国といえる状況で、3世紀中頃には畿内文化どっぷりなった >>769
はいはい分かった分かった。
もう九州説でいいよ。しつこい。 邪馬台国(と呼ばれうる大国)が2つあったんじゃないの?
中国では同一視されたが、実際は九州と畿内の2カ所にあったと。 >>553
北九州は弥生の在庫一掃店じまいさせられてるから無力 >>765
その後に水行10日陸行一月がある
つまり水行30日で岡山付近に到着して、そこから陸行一月になってしまう >>771
畿内が九州に土器を売ってた史実を曲解してるだけ。
鉄と物々交換していた名残りだ。 >>1
確かめようがないから、永遠に謎のままだろうね 普通に使者は九州までは来たけどジャップが正確な場所は知らせたくないから適当ぶっこいて遠いからやめましょうって引き返させたんだろ >>744
町おこし村おこしのネタに使える。
どちらかの方が都合のいい人がいる。
程度かな。 銅鏡の分布や高地性集落は西から東へ遷移しているが、高地性集落に関しては北部九州にはあまりない。あと、天日槍が姫路あたりから上陸しようとして揉めた記録と、大阪豊中あたりにある戦乱の痕跡。なかなか興味深い 日本国がどこにあったか永遠の平行線という議論と同じだろ
他には、中国がどこにあったかとか、朝鮮がどこにあったかと同じ >>775
どっちも町おこしに必死だったから、同一視されるのは心外だっただろうなぁ >>771
卑弥呼の即位は2世紀末で、魏に使者を送ったのは237か238年、死んだのは247年か248年
まだ畿内どっぷりに浸かる前の話
そもそも一大率を置いていた伊都国自体が畿内に染まってない
(庄内式が殆ど出ない。出るのは布留式以降)
台与以降に、畿内勢力の浸透の前に呑み込まれたと考えた方が合う 3世紀後半には大和王権とされる国々の連合体があり畿内に大王が居て各国に兵役や年貢を納めさせていた >>768
神話の逸話は欠史部分を流用、改変してるんだけどね。
神武を実質初代天皇にするための工作、だから色々矛盾があるだけの話。 >>771
な国もイト国も弥生時代の大国
2つとも大和の支配下に入ってるのが大きい 邪馬台国は日本の事
じゃあ、卑弥呼のいた街や地域はどこか? >>671
北部九州に20個 ここが南端 すると残り10国はどこにある?
朝鮮半島にあったと見るしかなかろう ミミ族の投馬国は出雲という説もある
確かに日本海側に上陸したら奈良まで陸行で結構かかる 2世紀には中国から卑しい皇子と言われた天皇がどこにいたかなんて
政治的な理由から答えは出てこない >>789
神話だれが欠史の誰に対応してるとお考えか >>779
畿内が僅かな鉄を手に入れる為には九州に土器とかだと大量に渡す必要があるからな。 どう考えても九州なのに
一部の声のでかい人が結論ありきで畿内言うとる
(´・ω・`) >>790
奈良とするなら
日本海ルートで上陸地点を探していたのかもしれない >>794
20日で出雲までは厳しいが
30日水行だと鳥取くらいから陸行一月する感じに >>788
畿内には文字も無いから不可能だよ
妄想にすぎない。 >>796
孝霊はスサノオの逸話がかなり重複している。
出雲地方に特に多いからな。 出雲大社の巨大な神殿、社は
10月に各地の王が集まり統治の話し合いを
した場所
九州と畿内の真ん中にあり集まりやすい場所 >>787
その理屈は九州説へのブーメランだと前に言ったでしょw
九州説前提では、奴国(福岡)や伊都国(糸島)が邪馬台国の傘下の国になりえない
畿内勢力の九州進出を認めないと言い張ってるだけだよ
中国鏡の独占入手時期と整合性があるんだから
それなりの影響力があったことは確実 邪馬台国って言うほど古代ってわけでもね〜だろうにそんな時代の記録すらたいして残されてないんだな
古墳ですら誰の墓なのか厳密には分かってないんでしょw >>804
伊勢遺跡なんかもそういう施設だったみたいだけど、実際に諸国の王が集まって会議をしていたんだろうな
実際、卑弥呼は諸王が共立したと魏志倭人伝にも書いてあるし >>799
九州なんてむしろ一番可能性の無い場所だからだよ、
九州説は要約すれば奴国も投馬国も伊都も全部
北部九州に比定したいんだろ?
そんな無茶苦茶な話考古学的には今時成立しないからw >>807
天智がクーデター起こして史実や文献を徹底的に焼いたからなぁ >>804
元出雲とか出雲大神宮とか知らない人?
出雲大社は近年まで杵築大社って呼ばれてたんだよ? 昔占い師にあなたは卑弥呼の生まれ変わりと言われた事がある
俺は女か 793
対海国
一大国
末盧国
伊都国
奴国
不弥国
投馬国
邪馬台国
もう一つの奴国
狗邪韓国
これ入れて10国
あるいは狗奴国は、女王に服属はしてないが魏とは往来してたのかもしれない
それなら狗邪韓国を入れなくていい >>806
まだ訳判らん事言ってるんだな
影響力を土器の有無で見るのが基準なら、それが出ない糸島じゃ畿内の影響がほぼ無いってだけだろ
近いから影響が無いわけはないが、実質支配はしていなかった。それだけだろ
実際、糸島の前方後円墳は福岡より遅いしな 真実を知りたい、じゃなくて
観光資源にしようってのがお互い見え見えなのでこうなるよね。 これ九州説派のミスリードだな
不利になると「どっちもどっち」論にもっていこうとする朝鮮人と同じ論法
実態は学界内ではほぼ畿内説で固まっている 火の鳥では主人公?ナギが卑弥呼のいる邪馬台国から攻められるんだけど
あれはナギのいるクマソが九州で卑弥呼は畿内にいるとの設定か?
そのあと大陸から進出してくるニニギ(神武天皇)に捕まえられそこで初めて馬を見る
結局は邪馬台国の体制も半島由来の侵略者に滅ぼされたのか 邪馬台国ネタって歴史や考古学の話してるところに、オカルトや陰謀論者が紛れ込んできて訳の分からないこと喚いてる状態だよな
天文の話してるとこにUFO論者が割り込んで来てるようなw
まともな無しが成立しない上に同じ扱いにされてるから困る >>817
もう九州でいいだろ。
こいつらしつこいから。 結論出したら、魅力がなくなるじゃんねー
まあ九州だけど >>822
だよな。
もう九州で決着ってことでよしにしてやろうぜ。 言ったもん勝ちでいいのが「卑弥呼の里」の最大のメリットなんだから
あんま野暮な争いをするなと >>808
スサノオもそうだがアマテラスもモデルは複数いる可能性が高い。
アマテラスはモモソの母親であるハエイロネ、
オオヤマトクニアレヒメがモデルの一人、淡路島か阿波の人物だからな。 俺が面白いと思ったのは九州の地名と近畿の地名が地形が似ている所が似た地名になってること。
それをつい最近までたくさんの人が気付いてたのに指摘しなかったこと。伊都に志摩という地名があり 真珠で有名な伊勢の志摩と中学の時俺でも似てると思ってた。
伊都志摩から糸島になったのではないかなと思ったりする。
九州の北の東側が豊の国で西側が火の国。後に博多から大宰府まで貫く石畳の道が作られ築石から筑紫になった。
伊都志摩には富士山に似た火山の可也山が有りここも火の国だったのだろう。
豊の国の中にみやこと言う地名がある。
京都と書いてみやこ。京都の字は逆輸入されたのかな?とか考えたりする。
昔トヨという偉い人がみやこと言う所にいたので京もみやこと呼ぼうということにしたのならまた面白い。 遷都してる可能性もあるけどな
卑弥呼は迷信深いから占いで福岡に住んだり奈良に戻ったり
支那からみたらどちらも邪馬台国 >>812
だから国譲り=畿内まで支配していた出雲の男王が女王卑弥呼に国を譲った伝承という説もあるんだよな
大物主≒大国主だし >>822
魏志「ミナミですー」
学者「これはヒガシやな」
陰謀論者「ミナミだつってんだろ!」
ゴッドハンドがおる 度し難い話だ >>825
だよな。
残念だけど仕方がないか。
九州で決まりだね。 すくなくとも、畿内は無関係である。
■魏志韓伝より
國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況
https://imgur.com/eRF3Zza
■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係だった
・畿内は倭国ではなかった(縄文人?)
■裏付け
纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない。
もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」(開き直り) >>815
だから、ヤマトという格上勢力が存在してたことを伊都国の王様は隠してたのかって話だよ
伊都国の王様が魏使に対して、「倭国の盟主の国はヤマトではない」と嘘をついたってのが
九州説の主張になるわけだよ
現時点で考古学的に言えることは
・奴国(博多)は畿内の傘下の国
・伊都国は格上の畿内ヤマトの存在を認識できていた状況 >>839
もうしつこいから九州ってことでいいじゃん。 倭人の「倭」が「和」に置き換わったように、
邪馬台国の「邪」という字、なんでご先祖様は直そうと思わなかったのか。
名付けした中国人の悪意がみなぎった字だろ。 宮崎には都城も西都もあるな
西都は当て字のようだが >>828
本当残念だよな。九州に決まってしまって。 そりゃ日本では3世紀頃は青銅器時代
わざわざ鉄を利用しないよ これって大和国の事だろ?だったら勢力としては日本最大だろうし
複数地域にまたがってるんじゃないの >>838
倭人伝には鉄の記述が皆無で鉄鏃のみ、鉄の扱いは石や骨と同列だよw
勿論邪馬台国の情報には何も出てこない、本当に九州説はミスリード、捏造がひどい。 伊都は風土記によると神功皇后を同族(天日槍)として歓待してるし、何かしら血縁があったんだろう 九州説は頭がおかしい奴がいるんだな
からんでくるなw 倭帥升
ハオシュアイシェン
Haoshuaishen
帥升
元帥盛
Gensui Sakari
帥 升
ハンサム
倭国王 帥 升
倭王ハンサム
翠(みどり) もう邪馬台国は御井の周辺でいいよ。
はいはい決まった決まった。良かったねwww 「皆無」という言葉もデフレ、いやインフレか、したものだな >>843
邪馬台国が滅んで大和朝廷に移行したからじゃないか?
邪馬台国は日本を初めて治めただけで直接の祖ではないのだよ >>833
3世紀に陸行一月も出来る道なんて日本に無いよ。 >>3
男尊女卑の朝鮮では女が頂点に立てない
既にそこで大陸の影響が無い証拠 >>865
橋なんてまずロクにかかって無いもんな。 >>838
その鉄デマのコピペ、何度も何度も嘘を指摘されてるのに、何でしつこく貼るんだ?
嘘と捏造の情報をもとに、日本古代史の通説を、しかも邪馬台国とは直接関係ないところの通説さえも否定して
空想の物語を作ってるが、そんなのを信じるのは九州説カルト信者だけだ
ネットの中で騙すのが目的なのか知らんが、世の中に出ればそんな嘘はすぐにバレる
あらためて、嘘を指摘しておく
・弥生終末期の九州には十分な量の鉄はなかった
・だから、畿内勢力が北部九州に進出すると、あっという間に飲み込まれてしまった
・畿内勢力の北部九州への進出直後から畿内でも鉄が出るようになる
・九州説が自慢してる九州の鉄なんて、畿内の3世紀の古墳3基から出土した分だけで上回ってしまう
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だったと書いてるのは大嘘で、実際は北部九州は畿内政権の傘下
https://i.imgur.com/63f11W7.jpg 糸クズは中卒で文法の概念自体を知らなかった
国語の授業がテスト、スクリーニングがいかに重要かがわかるサンプル もう邪馬台国は御井でいいじゃん。
しつこいからもうそれでいいよ。 >>847
日本に青銅器時代はないよ
鉄と銅は同時期に伝来し鉄は実用品、銅は祭器。 >>865
陸行一日なんて、わざわざ書くかね
陸行一日の記載が他でもよくあるのならわかるが そもそも「永遠の平行線」にはなっていない
邪馬台研究屋さんたちの程度が低いから自分たちの主張をゴリ押ししてるだけ
新たな視点や物事を中立的に捉えて考える訓練ができてないからいつまでも平行線なだけ >>875
陸行一日したんなら書くんじゃね?
ww >>876
もううんざりだよな。
九州でいいよね。 >>839
女王国の東千里に別種の倭種の国がある事は倭人伝にも記載がある
邪馬台国が九州なら、その国が恐らくヤマト政権だろうが
ヤマト政権の下には入って無いので敢えて詳細を述べなかったのでは
(後漢書だと、女王国の東に拘奴国(狗奴国と微妙に表記が違う)があって、女王国に服属しない倭が居る事が記載されてる)
奴国が畿内との交易拠点になってたのは間違いないが
前方後円墳の時期からみても完全にヤマト政権の傘下になったのは三世紀半ばあたりからと見るべきでは
どうもヤマト政権には、傘下に入ると、その証として前方後円墳を作らせた傾向があるようなのて 倭国王帥升→中国語簡体→国王金(国王金
Gu??w??ng j??n)国王チン
という理由から倭国王帥升とは国王チンという事に
朕とか、1世紀の頃には使われていた事になる >>866
同じく九州で女王が難しいのもそれ、あり得ない話。
九州の海は元々女性を船には乗せないんだからな、だから神功皇后も男装して船に乗るたわろ。
瀬戸内海は船にも乗るしモモソを村上水軍がルーツにしていた位だからな。 >>877 >>863
君はNGされてる自覚あるんだなw 九州から畿内へは断続的に人や技術が流れてるから、神武東征みたいな小規模な部族移動はそれほど不思議ではない
ただ、それが卑弥呼の時代より前だと推測されるだけのこと 九州から金印が出てる以上、少なくとも中国と交易があった九州で間違いないんじゃないの?
畿内とか卑弥呼と別の豪族集団だろ。
当時どっちが勢力として強大だったか分らんが。
当時の造船技術で九州からでなく中国から遠い畿内から船を出して交易とか現実的じゃないと思うんだけどな。 >>838
九州が総力を挙げて鉄をかき集めても、畿内の古墳3基だけで上回ってしまうのが現実なんだよ
ホケノ山古墳
素環頭大刀 1口、鉄製刀剣類 10口、鉄鏃 約60本、鉄製農工具
黒塚古墳
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札、U字形鉄製品
椿井大塚山古墳
武器:鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、鉄製甲冑1領、
工具農具:鉄鎌3本、鉄斧10個、鉄刀17本、鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上
漁具:鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本 鉄器をなぜ古墳に埋めたのか
戦闘の途中で土砂崩れで埋まったのとはわけが違う
そこで戦争が終わり、平和が訪れたので、兵器が不要になったから 大陸に後ろ盾になってもらいに行ったけど結局滅んだ一勢力なんじゃないの 当時たくさんあったであろう豪族の中の一豪族の支配して土地が、どっちになろうとも歴史的な価値は大してなさそうなんだが・・・。 UFO論者みたいなのを消していくとスレがスッカラカンになる
アホの定型文だけ消してるのにこの消え様w
たまにはまともな話してるかなーとか見に来ても妄想品評会にしかなってないな 日本に朕とか名乗る人なんて国王だろうから
卑弥呼も倭王朕とか、言ってたに違いない 朝鮮半島の狗邪韓国は3世紀に
既に倭国の範囲だった訳で、
渡来品の物量と質、
どれをとってみても、
3世紀に朝鮮半島進出していたのは、
纒向では無く北部九州の勢力だった事が分かる。 >>879
畿内ヤマトを倭種の国とみなすと、倭種の国が中国ともっとも密接に中国鏡の取引をしてたことになる
明らかに矛盾
畿内ヤマトを倭種の国とみなすのは誤り
事実として、3世紀の九州は中国鏡をほとんど入手できなくなってる
これは九州が帯方郡から相手にされなかったことを示している
https://i.imgur.com/AAfvUdH.jpg >>874
Wikiだけ見たらそう思い込むのかもしれない
『日本には青銅器時代は存在せず弥生時代に鉄と青銅が同時に伝達した。』
とあくまで定義上の文章が書かれている
でも実際にはそれ以前に大陸とのやりとりがあったはずで一般的に出土する程の青銅器時代ではなかっただけだと思う >>880
師升、スイゼイ天皇でスサノオのモデルの一人。珍は名の通りで珍彦、ウズヒコで初代倭国主になる人物。
結局この辺りの鍵は全て葛城の欠史になる。
まあ銅鐸と鏡が一緒に埋まっていた時点で倭王の国がこの辺りなのは確定なんだけどな。 鉄は朝鮮半島南部から九州に大量に入り込んでたのは間違いないから
畿内よりは多かったろ 寺澤さんは畿内の弥生集落が断絶して、外部勢力により纏向が形成されたと認めることができる人 >>892
北部九州に本州その他各国の出先が常駐したに過ぎないんだよ、伊都はその為にあるんだからな。 日本国王朕→グーグル翻訳(中国繁体)
→日本皇家女王
R??b??n hu??ngji?? n??w??ng
たぶん2世紀の頃もこんな翻訳で日本の女王という訳に 近畿は冬は寒いし東に海はない
海外との外交痕跡もないし邪馬台とは言えない >>894
それは九州として弱いところなのは確か
鏡でいうと、九州は弱い
古い世代の鏡なら多いが
ただし、画文帯神獣鏡は呉の地域からの出土が圧倒的で
(洛陽や楽浪郡なんて目じゃないくらい出てる)
魏の鏡かどうかは疑問はある 事実は簡単なんだが政治が首突っ込んでしまいに外国の侵略工作にまで利用されてるだけ
答えはとっくに出てる 台湾、中国の学者は九州な。
新一に騙され続けた考古学は畿内な。
まぁ、九州だろうなw 道もほとんどなかったと言うけど、そろそこ古墳を作り出す頃だよな
土木技術とかあるにはあったんだろ
なんでも大陸の方が進んでいたとは限らないだろ >>885
それらはプラス鏡も大量だからな、答えなんて畿内説でとっくに答えが出てる。
邪馬台国の会は本当に往生際が悪いんだよw >>838
ついでに言っておくが、大陸との交流を考える際に、鉄と並んで代表的なものに中国鏡がある
だが、鉄と中国鏡を同列に考えてはいけない
・鉄は主に朝鮮半島南部との取引
・中国鏡は帯方郡や楽浪郡との取引
邪馬台国は帯方郡を通して魏と外交をやっていた国であり、魏との関係を考えるうえで重要度は
『 中国鏡 >>>>>>>>>> 鉄 』
九州は3世紀以降、中国鏡をほとんど入手できなくなる
これは九州が帯方郡に相手にされなかったことを示している
九州説は「帯方郡に相手にされなかったが、帯方郡を通して魏と外交を行っていたはず」という矛盾した珍説になる
https://i.imgur.com/AAfvUdH.jpg 銅鐸サイシ
鏡
初期道教
中国で
円方丘墳だけオリジナルは疑問だな
>>643
意味を伝える中国人がなければ伝わらない >>831
うんうん、そうだよね
伊都・志摩→伊勢・志摩
似てるよね
生野眞好の動画見るまで俺も気づいてなかったけど、数年前に実は指摘してたよ 畿内の3世紀の中国鏡って景所四年(笑)の国産の三角縁神獣鏡だろ? なんで今週はこんなにスレ進むの速いんだよ。
阿波や近江では燃えなかったのかw >>892
弥生中期には倭人の痕跡があるから、もっと前から拠点になっていたんだろうな
伽耶を中継地点にして中国大陸の技術や人を受け入れていたのだろう >>903
本州の中心で
青銅器サイシ
初期道教
鏡も中国 >>905
画文帯神獣鏡をまとめて呉の地域から出る鏡と考えてるのは30年前の話
古い情報しか見てないでしょ
画文帯神獣鏡にもいろいろ種類があるんだよ
日本で出るのは大半が華北系の画文帯神獣鏡 邪馬台国の最盛期は2世紀末から3世紀半ばであり、
畿内の遺跡は邪馬台国とは別物であることを示している。
〜2世紀末 唐古・鍵最盛期
3世紀後半〜4世紀半ば 纏向最盛期
4世紀末〜↓予定より早く弓月君ご到着↓
産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
〜 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。 日本国王朕で女王になるから、卑弥呼というのは皇子の事になる
天皇(女王)と皇子(卑弥呼)が倭人伝に書かれていたのかも >>913
こいつも、朝からすーーーーっとデマばっかり書いてるな むしろ畿内は邪馬台国じゃ無い証拠しか無いような感じなんだけど、、、、 >>910
倭人伝には鉄は骨や石の鏃と同じ扱いでしかないのにね、
九州説、安本のミスリードに簡単にのせられるバカが多すぎ。 銅鏡の中には銅鐸を鋳つぶして作ったことが明白なものもわりと多い。祭祀の交代は何がきっかけだったんだろうな
また、仏教伝来後各地の豪族は古墳ではなく寺をこぞって作るようになる >>917
乳頭付の奴だろ
日本で出ている画文帯神獣鏡が大体その特徴を持つならそれでいいけどさ 魏志倭人伝では、邪馬台国は九州っぽいが、魏とかでかい国に自分の国の本部を教えるとかこわくてできないだろう。だから、畿内の本部のことはあえて教えないのが自然に思える >>907
近畿パーってチャンコロよりウソつきなんだからガチでチョンだと思わね? 魏志倭人伝によると、倭人の弓は既に上長下短であったようだ
中国でさえ見られない様式を独自に開発可能だった事や、中国の書物でもほとんどお目にかからない事を見ると
中国との交流も活発では無かったのだろうな だってお前、チャンコロよりウソつきなヤツらってチョン以外居ないじゃん。
煽りじゃ無くて現実そうだろ。 邪馬台国に比べて不弥国や投馬国など
他に記載のあった国が話題になることが少なすぎる 大和王朝と関わりがあるなしに、1世紀や2世紀の頃にはすでに
朕と名乗る人物が日本に存在してたという事 >>539 > 箸墓は馬具の出土によって4世紀中期の古墳である事が確定している//
馬具は周溝部の、しかも枯葉等の堆積層から出てる。
4世紀中期頃には、壊れた馬具なんかが捨てられてたらしい、と分かるだけだよ。
なお、張政が見た卑弥呼墓・箸墓は円墳だったのだから、
前方部や、前方後円墳としての周溝は、その後に増築されたという事だ、
>>588 なんかで書いた様な次第でね。
張政は箸墓が、卑弥呼墓であると、どうしても報告しなければならない理由があった。
それゆえID情報として、卑弥呼墓の規模形状を記録した。
当時、それだけの規模の墳墓は、箸墓しかなかったからだ。
邪馬台国の存在地は、箸墓周辺部しかありえない。 安本w 古いタイプの畿内派はまだ安本の亡霊に取り憑かれてるwww 後漢の時代には100国あった倭国が、倭国大乱によって
九州邪馬台国連合の30国と、狗奴国連合70国とに分裂した。
たまたま魏へ朝貢した邪馬台国連合の様相が倭人伝として残っていたという話だ。 円丘方丘というものは、
本来、南郊北郊に別々に作られて、
それぞれで冬至と夏至のお祭りを、
別々に行う祭壇だった訳だが、
これを一つにまとめて冬至と夏至の祭りを合わせて行ったのが司馬炎であり、
それを目の当たりにしたのが、
まさに泰始2年11月に朝貢を行ったトヨの使者である。 歴史なんて、その時の勝者や支配者の、都合のいい出来事や推測の集積である。
意図的なウソなど、間違いがいっぱい詰まっている。
どの国家の歴史も、民族の歴史も、真実じゃないよ。
歴史をその都度抹殺してきた、歴史を持たない韓国人にはわからないだろうが。 纒向は槨棺墓埋葬圏である事を知らないフリをしているのがキンキー。 >>939
古墳分類はもう信用ならないぞ
掘らずに分かるところは調べ尽くしてる感じある >>928
神獣鏡にもいろいろな種類があり、外側の縁の部分の形状で分けたり、内側の神獣のデザインで分けたりする
画文帯神獣鏡を含め平縁の神獣鏡を内側のデザインで分けると、
・同向式神獣鏡 神獣がすべて同じ方向を向いているもの
・環状乳神獣鏡 神獣が配置されている内区に乳という突起があるもの
・対置式神獣鏡 中心を挟んで、神様が向き合った配置にしているもの
・重列式神獣鏡 内区を何段かに分割して、神獣を配置してるもの
などがある
分布を見ると、同向式神獣鏡は華北に、環状乳神獣鏡は華北にも江南にも、対置式神獣鏡や重列式神獣鏡は江南に多い
日本に入って来たのは、同向式神獣鏡や環状乳神獣鏡が多い
華北系の画文帯神獣鏡の編年は2世紀後半から3世紀前半だけど、日本に入って来たのは主に3世紀のもののようだ 畿内説による税金の無駄遣いを許すな。
<ソース>
読売新聞YOL(21.11.2018)
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会
奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。 魏志倭人伝を読めば九州。
しかし、九州にぴったりとした遺跡がない。
畿内の遺跡からは、3世紀に大和朝廷の前身があったことが分かり、
その名前が邪馬台国だったのかどうかはともかく、
邪馬台国論争でずっとやっていた内容の半分は解決した。
あとは、天皇陵の下とか宇佐神宮の下とかを掘ってみないと、
先には進まないだろう。 議論じゃなくて
科学検証してあかなきゃ 整合しないからな
立証ってのは、文字だけでは不可能なのだよ 纒向は吉備伊予阿波の木槨石棺の影響を受けた槨棺墓埋葬圏であることは確定している。 >>937
今の九州説は半島の工作絡みだけどなw
九州説なら倭のエリアを極小に出来るからだぞ。 >>937
安本は東征説以外はかなりいいよ。
あそこでズッコケるけど。 >>673
九州からは大和に連合のがでる
正しい解釈はヤマトの北九州進出 >>928
神獣鏡は江南で多いけど、それらは日本ではほとんど出ない
華北系の画文帯神獣鏡が日本で出る
https://i.imgur.com/xvaTLza.jpg 半島南というか半分位倭人なんだよ、で半島にまだ根拠があったころは攻めたり攻められたりしてたんだが、白村江以降は秀吉までさっぱり、元寇も清正も嫌になって帰る位、半島九州は思ってる以上に厳しいんだよ。行き来が頻繁とか嘘。 国内外の研究者〜発掘&各種・各方面からの調査〜科学検証〜立証&発表 古墳時代ー銅鏡ー前方後円墳ー太陽祭祀を一式のように
関連付けるのも、学者の無責任な妄想発言であることは、
前方後円墳の方向がメチャクチャである事実が物語っている。 初期の前方後円墳のうち、
最も大きな箸墓が、
邪馬台国の卑弥呼の墓である(笑)
キンキーの犯した戦略上の大きなミスがコレだ。
そのストーリーの為に、
前方後円墳は266年以降に作られたという
歴史的発見を否定せざるを得なくなった。 (これかww)
>>907
近畿パーってチャンコロよりウソつきなんだからガチでチョンだと思わね?
だってお前、チャンコロよりウソつきなヤツらってチョン以外居ないじゃん。
煽りじゃ無くて現実そうだろ。 >>958の分布図には漢鏡7期第1段階のものが含まれてるから
九州でもそこそこ出てる
7期第2段階以降のもの(3世紀の鏡)になると、九州は激減する 邪馬台国はやまと 、自然な流れだろう。名前ってのには由来があるし、良い証拠だな 邪馬台国ってヤマトでしょなんでヤマタイなんて呼ぶのよ >>945
中国での出土分布がよく判らんので、なんとも言えない
調べても中々ないもんだ
同行式は楽浪郡でも日本でも出たが、ここは司馬懿に征服されるまでは
公孫淵の支配下で、呉との関係も深かった訳だしな >>950
定説より前方後円墳は円方丘墳と改名したほうがいい
もしくは日本のももそヒミコ墓が中国に影響を与えてトヨ使節の出席 >>966
魏が銅の入手が困難だった時代だな。
北部九州も連動しているという事だ。 纒向は阿波から木槨石棺様の石材を
搬入するぐらいのガチガチの槨棺墓埋葬圏。
もちろん、吉備伊予阿波もそれ故に倭国では無く倭種の国である。 魏が記した邪馬薹国と大和王朝を寸分たがわず同一視している人が噴き上がって話をややこしくしているだけなのでは 邪馬台と大和のイントネーションが似てるのも関西説の1つなんやっけ? >>958
有難い。やはり九州は鏡については弱いな 女を使って 皇室に潜りこませる やり方も 現代で言えばハニトラだから、上のほうの 支配層の あの人らは、自分たちがやってきたことを、現在の大陸系に、やられ返されてるだけなのかもしれんね >>963
> 初期の前方後円墳のうち、最も大きな箸墓が、邪馬台国の卑弥呼の墓である(笑)
後円部のサイズがぴったり一致してるし、その当時には、
そのサイズの墳墓は箸墓しかないだろ。
張政報告から、箸墓が卑弥呼墓である事は確定だ。
>>936 なんかで書いた次第でね。 >>963
出土品を間違って解釈してたから
文献もロジカルに考えれないんだろうなあ 大和なんてやまとという特別な読みだしな、前身の漢字があったと思う、それが邪馬台説 箸墓が卑弥呼の墓かどうかは分からないけども
主体部を掘って欲しいものだが >>980
逆だよ
古日本語としてヤマトという読みがあり支那史書で邪馬薹と当てた
日本で漢字を常用するようになって大和と当てた 邪馬薹、邪靡堆、としつこく「タイ」という文字が記述されているにも関わらず、邪馬台=ヤマトと言ってる奴らは池沼だなw ・卑弥呼が都=纏向を置いた地と、彼女の出身地が違う事に気が付かない、
あるいは目を背ける。女王国とはむしろ出身地であってこれがツマでは?とも考えない
・弥生人に古墳時代の技術も文化も持てない現実を認めない
畿内勢の自主成長論も無理
・唐津から糸島へは船でしか行けないことを考えない
そもそも唐津の記事がない。伊万里側しかない。
・有明海岸に出れば[南]に水行できる事に気が付かない
・トヨの国があるのにヒミコ(むしろヒミカ・ヒメカ】の国がないか?とは考えない
・帯方郡からきて伊都で泊まって帰った役人の報告文と、
苦労して―済州島経由で?−伊万里有明海から南九州大回りで日向まで行って、太平洋~
紀伊半島から大和に入った苦労人の勅使の報告文がごっちゃにされry
・要するに西日本第一の聖地が出雲でも大和でも北部九州でもなく日向・南九州だと、つまりは
縄文草創期から歴史は躍動し日本史は連綿と続いていると考えない限り 素直に20日で投馬で10日で普通は国があって徒歩1ヶ月、となるけど国が記されてないから其処が卑弥呼の国で海岸沿いを行くと30日で歩いて行っても1ヶ月って言ってんの、九州。 カタカナ表記の差は絶対的なものではないよ
ヤマタイ≒ヤマトと解釈して特におかしくない
だからといって畿内説をゴリ押しはしない >>978
箸墓よりは祇園山の方がまだ卑弥呼墓である可能性は高いな。 >>986
まあ、嘘の記述かもしれんしな。でかい国に本当のことを言ったら攻め滅ぼされるかもしれんし >>963
どうしても学力欠けるんだな九州説は
整合的なのはヤマト
ももそヒミコ墓が中国へ影響与えトヨ使節出席 >>976 > 有難い。やはり九州は鏡については弱いな//
三角縁神獣鏡は特注品で、魔鏡なんて細工も施してるので、他との比較はあまり意味がない。
ついでに云えば、一部の三角縁神獣鏡は、景初が4年まであった事の証拠だわ。
史書では3年までになってるのは、司馬仲達と曹爽の権力闘争の結果だね。
まぁ、結論だけで恐縮だが。 もうめんどいから結論を出すと
シナから見て出先機関が九州にあったらそこを卑弥呼が治めてる国と認識して書くわな >>986
ホンマに日本人か?
教科書で習っただろ?
九州説は一月は一日の転記ミス。
畿内説は東方向を南と勘違いした。
これが起点だ。 >>982
どうも真ん中の 中間の奴らがニセモノらしいわ
神武天皇の妃 モモソヒメの件で わかるらしい >奴国王は後漢光武帝から金印を与えられた(57年)
あと、安帝の時(107年)にも「倭国王帥升等」の朝貢の記録がある。
倭国王帥升は、朕の事だから、邪馬台国の首都が九州の奴国だった
だから、邪馬台国論争は九州説が有力 >>951
倭国のエリアは歴史書倭人条に書いてあるので過大に見るのは出来ない ついに論争も九州の奴国で終わりか
長かった論争も終わったな
倭国王の朕とか、名乗る人物とか >>988 > 箸墓よりは祇園山の方がまだ卑弥呼墓である可能性は高いな//
その可能性は皆無。>>588 記載の通り。 もう一回、奴国を発掘調査したらなにか出てくるかもな 何回か過去に行ってきたが、それぞれの場所にあるやまたい国見てきた
でもいずれのケースでも近畿地方の天皇政権に収束してったよ、で奈良京都となってった このスレッドは1000を超えました。
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