フィッシュは、ハル・ノートは議会の承認を得ない対日最後通牒であると言い切っています。

それは、議会だけに開戦権限を認める合衆国憲法の精神にも背いた外交文書でした。

フィッシュはルーズベルトを軽蔑するとともに、自分がその嘘に乗せられて対日宣戦布告を容認したことを強く恥じました。

戦後の研究で、日本の天皇も指導者も対米戦争を望んでいなかったことまでが明らかになると、彼の怒りは頂点に達しました。