近衛上奏文がもとで吉田茂が逮捕されています。上奏文の準備は吉田らのグループが行い、近衛を説得したものでした。近衛文麿も結構危ない橋を渡ったといえます。

 このほか広田弘毅はソ連との戦争を回避するよう上奏しており、東條英機は断固たる抗戦論を述べます。梅津参謀総長は台湾に敵を誘導して一撃する論を上奏しています。

 こうした近衛文麿の動きは評価する向きもありますが、どうもこの人の言動はふらふらしており、終戦直後に昭和天皇の責任を口にしたり、東條英機の責任を強調したり、マッカーサーと二度会見し、憲法改正に乗り出したり、ということを行っています。
そして反共の近衛はGHQ共産主義者のターゲットになり、戦犯指名され逮捕状がでると出頭を拒否して自殺しました。昭和天皇は近衛文麿の自殺の報を聞き、たった一言「近衛は弱いね」とおっしゃったといいます。