昭和19年(1944年)7月7日、サイパン玉砕。東條内閣は崩壊し、小磯内閣が誕生しました。日本は条件付降伏をアメリカに打診し、アメリカでも日本へ降伏勧告を行う案が持ち上がりましたが、ルーズベルト大統領は拒否しました。
 そして戦局は好転せず、9月15日に米軍はペリリュー島へ上陸。小磯内閣は何ごとも動きが遅く、「木炭自動車」と揶揄されます。昭和天皇はこう回想されています。

「この内閣は私の予想通り、良くなかった。改造問題にしても、側から言われると直ぐ、ぐらつく。云う事が信用できない。その代わり小磯は私が忠告すると直ぐ云う事を聞く。
それでいて側から云われると直ぐ、ぐらつく。つまり肚(はら)もなく自信もない。その為しばしば米内を煩わせて小磯に忠告した」