【歴史】脅迫と強圧で実現した「韓国併合」 不法・不当な「併合」条約、どう喝・拉致・監禁下で
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※わっぱ煮だ
(写真)ソウルにある植民地歴史博物館で展示を見学する人たち=2018年12月(栗原千鶴撮影)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-08/2019090803_01_1.jpg
「清日戦争、露日戦争、満州事変と中日戦争、太平洋戦争にいたるまで、60年以上にわたる長い戦争が終わった日」。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、日本の植民地支配から解放されたことを記念する光復節(8月15日)の演説でこう述べました。戦前の日本帝国主義による侵略と36年間の植民地支配は、韓国の人々から国を奪い、人間の尊厳を奪い、言葉や名前すら奪いました。韓国国民の中にその傷痕と怒りは今も消えていません。日韓関係を改善するうえで、加害者である日本が過去の植民地支配にどう向き合うかは決定的です。日本の植民地支配はどのように進められたのか、改めて考えます。(若林明)
日清戦争と日露戦争
朝鮮支配めぐる侵略戦争
明治維新から10年もたたない1875年、日本は江華島事件を起こしました。軍艦をソウルの入り口の江華島まで行かせて、衝突を挑発し、砲撃戦で砲台を占領し、大砲などを強奪。翌年、日本は朝鮮に不平等条約を押しつけました。これを機に日本は朝鮮への圧迫を続け、本格的な侵略に乗り出したのが日清戦争(94年)でした。
当時、朝鮮では官吏の腐敗と重税に反対して東学農民運動が起こっていました。運動は朝鮮半島の南西部の中心都市・全州を実質的に統治するほど力を持ちました。
そのとき日本は、朝鮮王朝の要請もないのに、東学農民運動への対応を口実に大軍を朝鮮に派兵し、ソウルを制圧。開戦直前の朝鮮王宮を軍事占拠し、国王と王妃を拘禁しました。そして、軍事的脅迫のもとで朝鮮に日本への協力を約束させたのでした。同時に、日本軍は農民軍の大量虐殺を行いました。その犠牲者は3万人、あるいは5万人に迫ると言われています。
日清戦争に勝利した日本は下関講和条約(95年4月)で朝鮮への清国の影響力の排除を約束させますが、同条約で日本へ割譲をきめていた中国の遼東半島を、ロシア・フランス・ドイツの要求で清国に返還せざるを得ませんでした。朝鮮での覇権を失うことを恐れた日本は同年10月、公使の三浦梧楼の指揮のもとに軍人らが王宮に押し入り、日本への抵抗の中心であった明成皇后(閔妃(ミンピ))を殺害し、遺体を井戸に投げ込むという暴挙を行いました。こうして日本は朝鮮の植民地化への一歩を踏み出しました。
日露戦争(1904年)は、韓国(1897年に大韓帝国に改称)と中国東北部をめぐる日露双方からの侵略戦争=帝国主義戦争でした。
日本は開戦と同時にソウルを軍事占領した上、韓国に「日韓議定書」を強要し、日露戦争への協力を約束させました。さらに、「第1次日韓協約」で、日本政府の推薦する「顧問」を韓国政府に押し付け、財政と外交の事実上の実権を握りました。
不法・不当な「併合」条約
どう喝・拉致・監禁下で
日露戦争後、韓国に対する日本の覇権は無制限になっていきました。韓国の外交権を取り上げた第2次日韓協約(韓国保護条約)は、日本による軍事的強圧のもとで締結されました。
特派大使の伊藤博文(初代首相、後に韓国統監)は「もし拒否するのであれば、帝国政府はすでに決心している。その結果はどのようなことになるか」(「伊藤特派大使内謁見始末」)と韓国の国王を脅迫。韓国政府の閣議の場に憲兵を連れて乗り込み、協約締結をためらう韓国の大臣を「あまり駄々をこねるようだったらやってしまえ」とどう喝しました。
さらに、日本の特命全権公使の林権助は回想『わが七十年を語る』で、韓国側の大臣が逃げないように「憲兵か何かを予(あらかじ)め手配しておいて、途中逃げださぬよう監視してもらいたい。勿論(もちろん)名目は護衛という形をとるのです」などと、事実上の拉致・監禁下での交渉であったことを記しています。
この条約で、日本は韓国に「統監府」をおき、属国化を進め、1910年に「韓国併合条約」を押しつけました。
当時の国際法でも国家の代表者を脅迫しての条約は無効でした。しかも第2次日韓協約で韓国から外交権を奪っておいて、条約を締結させたのですから二重三重に「不法・不当」なものでした。
「義兵闘争」「独立運動」
抵抗する民衆 徹底弾圧
しかし、日本の乱暴な植民地化に朝鮮の民衆は抵抗し、1906〜11年には「反日義兵闘争」が韓国全土に広がりました。これに対して、日本軍は村々を焼き払い、義兵を大量に殺害し、日本軍に非協力的な民衆を見せしめに殺傷しました。(続きはソース)
2019年9月8日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-08/2019090803_01_1.html >>680
自分に都合がいい事しか学ばずに尖鋭化しているのは左翼だって同様だろうに。
それに気付いてない癖に他人を罵倒できるお前みたいな輩を見てると絶望的な気分になるわ。 >>680
自己紹介乙
なんで朝鮮人ってすぐ約束破るん?
なんですぐに嘘つくん?
ねーねなんで? >>1
韓国人のねつ造意欲が凄まじいな
人間として絶対に信じてはいけない ま、どう吠えようがノーベル賞の5、6個貰うまでは日本抜けねーから。
まずはそこをクリアしろよ。 >>649
しかもウソがばれたら、その釈明から逃れるために今度は別のウソをつきはじめるからな でもさ、併合というけれども侵略なわけでしょう
自分らも侵略されたら嫌じゃんか
だから反省した方が良いんじゃない?
当時もあれだけもう「韓国はイザとなれば裏切る、約束を守らない、感謝もしない」と
注意されていたのにも関わらず、国家の財政が傾くほど、韓国に注ぎ込んだのは
どう考えてもどうかと思うでしょうが 再び始めた韓国人
日本人差別迫害だから国連人権理事会に訴えなければならない >>1
そんな嘘をわざわざでっちあげて展示館作るとかもう気が狂ってますよね。 アメリカだって、今じゃもう用済みでポイじゃん
中国に行くんだから、あんたの国はもう経済的にどうかと思ってって感じなわけでしょう
まあ昔も今も変わらないんだなと思うし、もう二度と関わらない為にも
反省しないと >>1ニダ!
ロシア人「プッ」
支那人「プッ」
アメリカ人「プッ」
北の刈り上げデブ「プッ」 >>690
あたかも反省してないかのように言う韓国人が
日本人の子孫を攻撃しているね
お前は日本人差別者だよ >>690
併合と植民地は違うからね
韓国は併合
韓国側から併合を望んだのだから侵略じゃないのよ >>690
お前は無関係な子供達を差別迫害しているね
お前の子供に責任をとらせるべきかね? >>690
侵略じゃないってのw
朝鮮人にお願いされて、悩んだけどロシアに半島を渡すわけにはいかないので
日本は併合してやるしかなかったって話。 >>690
お前は
親が犯罪者なら子供も犯罪者だ、と差別迫害する血統差別者だよ
存在してはいけない悪人だ 併合後に朝鮮の人口が爆発的に増えた。
この事が全てを物語っている。 だってもう前々から韓国はそういうところがあるよって書かれてあったのに
あんなに国家財政が潰れるまで、お金を注ぎ込むだなんて、本当にどうかと思う
まあアメリカ人は米兵の命まで失っているわけだけれどもね
でも石碑みたいなもので、反省は大事なのよ
忘れてはダメなの これがウリナラファンタジーか
やはり二度と関わるべきではない >>701
仮に忘れても韓国人よりマシだな
約束を忘れず破る悪人も存在してはいけない >>705
分かるな?
お前みたいな悪人は存在してはいけないんだよ これむこうの資料館の記述引用してるんだろうけど
記事書いたやつ訂正しないと騒動にならんのか?
併合までの経緯をこのまま信じて書いて喧伝するのってダメだと思うんだが・・・。 信じ難い事だけど、本当に馬鹿しかいない民族っているんだな…
国を挙げて支離滅裂な外交や教育をしてるし、科学分野ではノーベル賞受賞者ゼロだし。
それでいて他の民族や人種を見下すし。
あえて偏見を交えて言わせてもらうが、熱烈なイスラム教信者でも、アフリカの真っ黒な黒人でも、世界の一流大学で学び、ノーベル賞やそれに近い功績を上げてるのに、なんで韓国は組み立て工場に留まってるの?
世界からの尊敬ゼロやん…
もう少し人間になれよマジで。 >>706
日本から追い出さなければいけない悪人どもだね
そもそもコイツら自分達の子供に名前を偽らせて虐待する習慣がある
魂が歪んでウソも平気でつくようになるんだよ あの時代、本当に貧し過ぎたと言うからね
田舎では葉っぱを食べていたんだから
韓国にお金を注ぎ込んじゃって・・
反省でなくって何なの? ウヨは韓国側から求めたとか言っているが合法だとする日本の学者も基本的には日本側の脅迫や強圧で条約を結んだとみなしているんだよな >>705
親に名前を偽わるように虐待されたか
自分の子孫も名前を偽わるように虐待するのか
親がクズだからウソが平気になる そもそも欧米列強によるアジア侵略が迫っていたという歴史的背景を無視して日本の韓国併合
を単なる侵略と決めつけるのは不当な解釈です、一刻も早く、まだ欧米列強の手が回っていなかった
極東アジアを近代化させなければ全アジアが欧米列強の植民地にされてしまうという緊急事態
だったからこそ、日本は朝鮮に対して近代化を迫ったのです、しかし、近代化のためにはこれまで
のような特権階級による搾取をやめさせなければ税収のほとんどが特権階級の贅沢のために
浪費させられてしまうので、朝鮮の特権階級の搾取をやめさせようとした事に特権階級は反発
して近代化を拒むようになり、日本を朝鮮から追い払おうと清やロシアを朝鮮に招き寄せた
のです、そして、日本が日清戦争や日露戦争に勝つと、ついに李氏朝鮮王朝はハーグ密使事件
を引き起こして欧米列強を朝鮮に招き寄せようとまでしたのです、つまり、李氏朝鮮王朝を始め
とする朝鮮の特権階級は自分たちの権力を守るためだけに全アジアの独立を脅かしたのです。
日本が李氏朝鮮を始めとする朝鮮の特権階級たちをこのまま放置しておけば、ふたたび
ハーグ密使事件のような事件が起こると判断したからこそ、日本は朝鮮を併合して朝鮮が
ふたたびハーグ密使事件のような危険な事をしないようにしたのです。つまり、日韓併合を
単なる日本の侵略と解釈するのは大きな間違いです。 まあどんなに強い憤りを持とうが、あちらとしては兵士なんて
「間抜けな兵士のお墓」とくらいにしか思っていないわよ
騙される方が悪いんだから。あちらではね 政党の機関紙が日本政府の公式資料と違うことを主張するって
これ共産党もその資料や見解を否定してるって事でいいのかな?
大問題だぞ。 赤旗とかいう妄想新聞
事実無根を記事にして何が面白いのか 大韓帝国が今みたいに運営できないから
韓国の上層部が日本の併合案に同意したんでしょ 赤旗もどうしたのかしらね?
そろそろ通名を禁止してみたら良いのに・・ 朝鮮の王、妃の圧政から解放されて喜んでいたのにね。清派、露派、日派の内ゲバ。いったんは、大韓帝国として独立させたのに?。 >>724
今もヤバいんだぜ・・・
もうちょっとしたら北に併合されたい派と、日本に併合されたい派に別れるから気をつけろよw >>724
同意どころか請願してきた。
そこが韓国はこんな感じで絶賛捏造教育で今に至る。
無理だっつーの話せば分かるとか嘘つきと話し合いになるかよ・・・ どういうことなの?
今さら押し付け憲法とかわめいてるのに似てる感じ? 当時の同調圧力は併合だっただけだろ。
今と大差ない。 1.帝国主義の成立とロシアの東方進出
1870年代より、欧米諸国では技術革新や重化学工業中心の経済再編と独占資本の形成が
進みました。資本の投下先や原材料の供給地、製品の輸出市場を求めて、欧米諸国は
植民地獲得競争に乗り出します。こうした動きは日本を含めた東アジアにも波及してきました。
ロシアでは、1890年代になると、蔵相ヴィッテの経済政策に立脚して工業が急速に発展します。
1891年に建設が開始されたシベリア鉄道は、ヨーロッパからアジアにまたがる
広大なロシアの国土の東西を結び、急速な工業発展と商品市場としての
植民地獲得の基盤となっただけでなく、極東への軍事的進出に大きな役割を果たしました。
2.日清戦争と東アジア国際社会の変容
当時李朝の支配下にあった朝鮮は、清朝中国に服属していました。その朝鮮で、
明治27年(1894年)、農民の大規模な反乱が起きます(甲午農民戦争)。
この反乱を鎮圧するために、李朝政府は清に派兵を要請し、それに対抗して日本も出兵します。
反乱は鎮圧されましたが、これをきっかけとして日本と清の間に日清戦争が起こります。
日清戦争は清の朝鮮に対する支配権をめぐる戦争でした。同じ年にイギリスと条約改正を
達成したことが日本に戦争遂行を促しました。日本陸軍は朝鮮各地で清軍を破り、
海軍も黄海海戦で清の北洋艦隊を破り、満州(現在の中国東北地方)の遼東半島を占領して、
勝利します。
明治28年(1895年)4月に日本と清の間に日清講和条約(下関条約)が結ばれます。
これによって、(1)清国は朝鮮の独立を認めること、(2)遼東半島・台湾・澎湖諸島を
日本に譲ること、(3)賠償金2億両(約3億円)を日本に支払うことなどが約されました。
しかし、満州への支配力を強め、朝鮮をも影響下に置こうとしていたロシアは、講和成立直後に、
フランス、ドイツを誘って、遼東半島の返還を日本に迫りました(三国干渉)。
日本政府は三国の連合には対抗できないと、勧告を受け入れます。日本の政府と国民は
ロシアへの敵意を強め、軍事的な対抗策を余儀なくされます。
日本に敗北した清は、日本に対抗するためにロシアに接近し、明治29年(1896年)、
「露清密約」を結びます。これによってロシアは満州での鉄道敷設権を手に入れ、
シベリアより満州を通ってウラジオストックに至る中東鉄道(東清鉄道とも呼ばれます)の
建設を開始、極東支配の基礎を固めようとします。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/hayawakari01_02.html 朝鮮は宿主をどの国にするかで揉めてただけ
日本が清とロシアに勝ったから選択肢が
なくなっただけの事!
脅迫、弾圧は後付けで傍から見ても
見苦しいww >>731続き
3.日清戦争から日露戦争へ
これを見た朝鮮では、国王高宗の妃であった閔妃の一族がロシアに接近して、
日本の勢力を排除しようとします。 これに危機感を持った日本公使三浦梧楼らは、
閔妃と対立関係にあった大院君(朝鮮国王の父)を擁立するクーデターを企図し、
日本軍人・警察官・民間日本人壮士や日本人に訓練された朝鮮人訓練隊を王宮に乱入させて、
閔妃を殺害しました。このため朝鮮はロシアにさらに接近するようになります。
日本は、ロシアと山県=ロバノフ協定(1896年)、西=ローゼン協定(1898年)を結び、
朝鮮において日露が政治的に対等であることを確認し、対立を避けます。この間、
明治30年(1897年)に朝鮮は大韓帝国と改称し、朝鮮国王も大韓皇帝となります。
そして、明治31年(1898年)になると、日清戦争によって弱体化した清に対し、
列強による勢力範囲の分割が本格化します。まずドイツが山東半島の膠州湾を、
ついでイギリスが九龍半島と威海衛(威海)を、翌年フランスが広州湾を租借します。
そして、ロシアもまたこの時期に旅順・大連を租借し、 中東鉄道から分岐して、
遼東半島の南端にある旅順・大連に至る南支線の敷設権を獲得します。さらに、
時期を同じくしてアメリカもハワイを併合し、米西戦争によってスペインからフィリピンを
獲得しました。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/hayawakari01_03.html 日本の政党やメディアがこういった主張をする事で争いを煽ってる自覚あるんだろうか もう韓国ネタはお腹いっぱい
ネグレクトしたいんですけど 清国の保護国でいたかった
独立なんか糞くらえ!
といいたいのかな ようするに、韓国が日本を恨んでいるのは、特権階級たちの権力を脅かしたからでしょう、
似たような事は日本でも起こりましたからよくわかります、それは、西南戦争などの
不平士族の反乱です、つまり、日本でも明治維新直後は維新を成功させた士族たちは
明治維新をただ単に自分たちが搾取する側になれると思っていたのです、しかし、
日本を一刻も早く近代化させなければ日本はもちろんの事、全アジアが欧米列強の
植民地にされてしまう事をよく理解していた明治新政府は、もはや特権階級による
搾取をやめさせなければ日本を近代化させるための資金を確保できないと判断して、
武士階級から特権を取り上げようと、廃刀令を出したり、秩禄を取り上げるなどしたのです、
それで、明治新政府の考えを理解できなかった考え方の古い士族たちが西南戦争などの
反乱を起こしたのです、幸い、日本では考え方の古い士族たちの反乱は鎮圧されましたが、
朝鮮の特権階級たちは未だに日本の考えが理解できずに、朝鮮の近代化のために
朝鮮の特権階級の権力を脅かした事を逆恨みしているのでしょうね。 まぁ今の中国とウィグルの関係を見ればそれに近いのか
植民地支配ではなくアイデンティティを捨てさせる同化政策で「我々は野蛮な彼らに文化、教育、仕事、インフラを与えて感謝されている」とプロバガンダしてる所とか 企業もでき、日本帝国議会の議員もいる。教育もハングル併記で民族文化も残している。今ある財閥創設者に日本の大学で学んだ人もいる。人口増加、寿命がのび、餓死や伝染病も減少、志願兵も10万人近い。さてどうして、ナチスと同じなんだろうか? 日韓併合については韓国国内においても世論の対立があったでしょ。
安重根に代表されるような用日派インテリは日本の一部となって近代化を急ぐべきだと考えたし
守旧派はそれを拒絶した。
その対立につけ込んで日本の官僚と軍部がかなり無茶やらかしたのは事実だわな。 植民地と宗主国が対等の関係なわけないだろw
帝国主義の時代は強国が力で世界を支配した時代だよ。
恨むのなら朝鮮民族のふがいなさを恨め。
おまえらは日本に支配されなければ中国かロシアに支配された。
中国支配が続けば今ごろチベットとかウイグルと同じ民族自治区どまりだよ。 >>734続き
4.満州と朝鮮をめぐる日露の対立と開戦
列強の中国分割の動きに対して、清では、明治33年(1900年)に入ると、
「扶清滅洋」を唱える義和団が蜂起し、北京の列国公使館を包囲しました。
イギリス、フランス、ロシア、アメリカ、日本など8カ国は、日本軍を主力とする
連合軍を組織して、これを鎮圧しました(北清事変)。
事変後もロシアは満州の要地を占領し続け、支配権を握ろうとします。このようなロシアの政策は、
日本の対外政策と鋭く対立し、日本の安全保障上の大きな脅威となるだけでなく、
欧米各国の利害とも対立しました。日本政府はイギリスと提携してロシアの南下政策を防止し、
イギリスも極東政策上、日本と提携することを有利として、明治35年(1902年)1月、
日英同盟が成立します。
しかし、ロシアの姿勢はその後も変わらず、フランス、ドイツの支持を受けて、
満州の兵力をさらに増強し、その勢力は朝鮮にも及びます。明治36年(1903年)、
ロシアが韓国北部に軍事基地を造り始めたと報じられると、日本の国内には開戦論が強まります。
日本政府は、朝鮮・満州における勢力範囲をめぐってロシアと交渉を続けるかたわら、
開戦の準備を進めます。そして、明治37年(1904年)2月、日本政府は御前会議で開戦を決定し、
陸海で先制攻撃をしかけた後、宣戦を布告しました。
こうして日露戦争が勃発しましたが、実際に戦場となったのは、陸上では満州と朝鮮半島でした。
後述するように、日本とロシアの両軍に多くの犠牲者が出ましたが、戦場となった地域では、
住民が両軍による徴発や労役、土地収用の影響を受け、戦闘に巻き込まれ、被害を受けました。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/hayawakari01_04.html またいい加減なことをw
併合の提案をしたのは朝鮮側。 >>743
かなり無茶とやらは具体的にどんな事だ? 助けてもどうせ恨まれるなら蹴りを入れた方がいいよな
というか散々足蹴にされた中国人に従順なところを見ると
朝鮮人には蹴りを入れるのが正解なのだろう >>1
鉄道敷設権や徴税権まで担保にして外国から金を借りて返済不能になり、国ごと買収されそうになったものだから日本に泣きついて借金を肩代わりしてもらったんじゃなかったっけ? >>11
存在感だけは出しとかないと議席減るからな、増えやしないが >>743
ムチャな事をしたのは朝鮮の特権階級たちの方ですよ、自分たちの権力を守るためだけに、
近代化を拒否し、近代化をおし進めるべきだという考えを持った人たちを弾圧したり、暗殺
したりしたあげく、朝鮮に近代化を求めた日本を追い払おうと、さんざん密使外交をやって、
日清戦争や日露戦争を引き起こしたあげく、ハーグ密使事件まで起こして全アジアの独立
を危うくしたのですよ。朝鮮が二度とそのような危険な事をしないようにと日本が朝鮮を併合
したのは、アジアの独立を守るためにはやむを得ない事だったのですよ。 >>1
韓国人教授らによる韓国の嘘歴史を暴く本で、併合が強制だったという嘘はソース付きで完全否定されたんだが
それでもまだ嘘付くのかよ
韓国人は都合の良い嘘しか信じないんだな 何の根拠も資料も証拠もない妄想やんけ
日本が朝鮮半島の土人文明を現代文明に発展させてやった事を忘れ
それに文句言うのならば、大人しくインフラ破壊して糞尿を垂れ流していた土人生活に戻れ ようやく全部読み終えた
「日韓共同歴史研究報告書」の「日韓間の諸条約の問題―国際法学の観点から
批評文(金度亨)、執筆者コメント 坂元茂樹
日本人学者がもっぱら、国際法の観点から分析するのに対して、批評をした韓国人学者は
国際法の観点から論じるのはおかしい、もっと巨視的に見なければいけないと批判している、後半部分では国際法上も
合法とは言えないようなことをにおわせているが日本人学者の合法論に対して法理論論争では分が悪いと自ら認めているように思える。
なお、日本人学者も国際法上、合法であるが、そればかりを言い募ってはいけないと主張している >>703
> >>690
> お前は
> 親が犯罪者なら子供も犯罪者だ、と差別迫害する血統差別者だよ
> 存在してはい
けない悪人だ だから平和的な無血併合だろ
抵抗もできなかったのに今さら喚き叫ぶなよ 李氏朝鮮の特権階級での権力闘争の中で、庶民は、どういう状態であったのかな? 今は違うんだからもう日本に絡まずがんばれよ。
元気でな!(笑) >>748
閔妃暗殺、守旧派への脅迫、草の根抗日運動の武力鎮圧etc
この部分はどう正当化しても内乱につけ込んだ侵略。 なら日本も朝鮮に平和的に無血併合されたなら朝鮮ありがとうと感謝しろよ 逆でも差しつかええ在るまい 助けてくれと頼むから助けたら何と言う言い種。反対した誰かは安大根とか何とかに暗殺までされたのに。ホンマに助けた亀に噛みつかれーやな。 なんだ朝鮮一進会の併合請願は全く触れていないね、当時は朝鮮は日本が併合しなくてもロシアの借金漬けで国家破綻してたから日本にすり寄ったんだよ。
もう今は朝鮮人ってどういう民族なのか日本国民が十分知ることになったから昔の過ちはおかさないよね。
関わるととんでもない事になる。
くわばらくわばら。 >>765
感謝はともかく、日本人はアメリのの占領政策に文句言ったりしないだろ。
力が足りなければ当たり前の話なんだ。 >>764
閔妃暗殺は大院君がやったのではありませんか。それに、守旧派というのは朝鮮の近代化を
拒否した連中であって、朝鮮を一刻も早く近代化しなければ全アジアが欧米列強の植民地に
されてしまう状況では、全アジアの独立を守るために守旧派を弾圧せざるを得なかったのですよ。 参政権もあるんだよな。
ナチスにユダヤ人に参政権あったのか?
同一視はできない。朝鮮戦争時の第5補給品、朝鮮慰安婦(公洋主)はスルーしている。 >>724
大韓帝国国民(朝鮮人)は募金で借金を日本に返そうとしたが失敗した。
国債報償運動のはなしは笑える >文正仁大統領特別補佐官がタス通信のインタビューで、
>南北は10〜15年でEUのような経済連合が可能だろうと。
>更に、韓国が核兵器を獲得すれば、米国との同盟は必要なくなるとも。
>JSF @rockfish31
>>Южная Корея может создать экономический союз с
>> КНДР наподобие ЕС уже через 10 лет
>> https://tass.ru/mezhdunarodnaya-panorama/6859007 …
>>文正仁・韓国大統領特別補佐官は「韓国は10年以内に北朝鮮とEUのような連合を作れる」
>>「 アメリカとの軍事同盟は韓国が核兵器を持っていない場合のみ成立する 」
>後者は暗に示唆する言い回し
>遂に本音を隠さなくなったか。最悪だな。 いくらコリエイトしても情けない歴史は記録に残ってるんだぜ >>753
それは日本人の日本人による日本人のための見方。
立ち位置が変われば解釈も変わる。
アジアの独立と言えば聞こえはいいが
日本の権益と大陸進出のための橋頭堡でしょ。 >>774
しかし、強大な軍事力と経済力を持つ欧米列強が全アジアを植民地にしようと迫っていた
のですから日本が、欧米列強によるアジア侵略を阻止しようとしたのは当然の事であって、
むしろ、自分たちの権力を守るためだけに全アジアの独立を危うくした朝鮮の特権階級
の方が罪が重いのではありませんか。 ▼日清戦争が起きたきっかけは?原因を簡単に説明
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5400
1868年に明治政府が誕生して以来、日本は近代化への道をひたすら突き進んでいました。
当時の東アジアは、清(中国)がアヘン戦争や北京条約で欧米列強に次々と土地を割譲され、
それまで長い間中国を中心として築かれていた国際体制が崩壊し、ベトナムやモンゴル
といった中国周辺諸国が次々と清から独立していきました。
その中でただ一国、朝鮮(李氏朝鮮)だけは依然として中国を宗主国として服属する姿勢を
維持していました。その朝鮮でもすでに開国派と鎖国派の争いが起きており、通商を求めた
フランス・アメリカ船を撃退したという事実から朝鮮国内では鎖国体制を維持する
という意見がより主流でした。
日本は列強が注目する清に接近、1871年(明治4年)には清との間に日清修好条規を締結します。これは日本が外国と果たした最初の対等条約であり、日本は続いて朝鮮とも国交を結びたかったのですが、朝鮮は日本の態度が気に食わずこれを拒否します。
幕末以来列強の侵略の恐ろしさを熟知していた日本は、富国強兵のスローガンのもとで
国内の発展に力を注ぐ一方で領土の拡大を画策、結果として琉球王国(沖縄)を
日本の国土に編入することに成功(琉球処分)。現在の日本国の領土の基礎はこの時に
出来上がったのです。琉球もまた元は中国の属国扱いでしたが、日本に帰属したことによって
清は朝鮮以外の全ての属国を失いました。
こうして日本は朝鮮を清から切り離して独立させることを画策、清は属国としての体制を
維持させることを主張。ここに日本と清が朝鮮をめぐる対立構造が出来上がってくるのです。
日本は1875年(明治8年)に開国を渋る朝鮮に対し、江華島にて威嚇砲撃を行い、
開国を迫ります。これにより実際に死者が出たことから、朝鮮は日本への態度を
軟化せざるを得ず、翌年には日本との間に日朝修好条規を締結し、
「朝鮮は独立国であり、清に服属する必要はない」という項目を認めさせました。
朝鮮国内では清派(保守派)と日本派(開国派)に分かれて内部抗争が続き、
1884年(明治17年)には日本派の金玉均(キムオッキュン)が日本の支持を受けて
クーデターを起こします。しかしこれは清が朝鮮王朝を支援したためすぐに鎮圧。
日本と清はこの時に天津条約を締結、「朝鮮に介入する際にはお互い了承を得た上で
行動しよう」という約束が出来上がりました。
日本は明治政府が成立した頃から朝鮮に対し、影響をおよぼしたいと考えていました。
それは日本だけでなく、北の大国・ロシアがアジア進出を狙っていたからで、
放っておいたらロシアが朝鮮を侵略し最終的に日本が攻められる恐れがあったのです。
そこで日本は朝鮮を清の属国である今の状態から独立国として主権を主張させ、
清から切り離す必要があったのです。日本としては本来清・朝鮮を力攻めする気は
なかったのですが、両国が頑迷に協力を拒否していたことから、欧米に対抗するという
体制の進展が遅れていました。
さらに清は日本を仮想敵国としてフランスから艦隊を購入、北洋艦隊と名づけて
日本の長崎に威嚇砲撃、そして侵略行為を続けました。そんな緊迫した状況の中、
遂に決定的な事件が起こったのです。 日韓併合の時に韓国に選択肢が無かったのは紛れも無い事実だからな、その時代では弱肉強食が当然である事も含めて今こそお互い歩み寄るいい時期かもしれないね 名前変えさせて、中国人と結婚させて、当てがった教育と仕事を与える中国におけるウイグル族みたいな扱いだったんでしょ ウヨは併合は韓国側の望みだったという話はしないほうが良いと思うぜ 仮にそういう人がいたとしてもあくまでも
強者であった日本側の意思がなければ成立しなかったわけだからな 日本は併合したくはなかったけど弱者の韓国に
無理やり併合させられたという理屈はどう考えてもおかしいからな >>775
歴史とは解釈なんだよ。
スターリンだって見ようによっちゃ救国の英雄。 >>777続き
▼日清戦争の経緯と結果。勝因は?
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5400
1894年(明治27年)、朝鮮で王朝政治に不満を持っていた農民達による甲午農民戦争が勃発します。
長く混乱が続いていた朝鮮ですが、とうとう国民の不満が爆発し、
鎖国を頑迷に守ってきた朝鮮は清と日本の介入を許すことになるのです。
では緊張状態にあった清と日本はどのような経緯で日清戦争に至ったのでしょうか?
甲午農民戦争の反乱を受けて、朝鮮王朝を実際に支配していた皇后閔氏(びんし)は
清に応援を要請します。こうして清から袁世凱によって兵が派遣されます。
この行為は天津条約違反だったので日本は清・朝鮮双方を批判、しかし頑迷に旧来の
秩序体制を維持しようとする両国は日本の言うことをまったく相手にしません。
日本軍は遂に漢城(ソウル)に至り皇后に今一度開国を迫ります。
皇后もこれには同意せざるを得ず、日本軍は朝鮮半島に駐留することとなり
清軍を迎え撃つこととなりました。
かねてから北洋艦隊の強さをこれでもかと日本に見せびらかしていた清ですが、
実際に戦うと清軍は北洋艦隊の指揮官が敵前逃亡するような有様でした。というのも、
当時清朝を支配していた西太后は政権維持のために浪費を繰り返しており、軍は維持費に
事欠き装備は衰え訓練が怠られている状態でした。
豊島沖海戦では指揮官が敵前逃亡した上で清軍の補給線をストップ、日本軍は続く陸戦でも
清軍指揮官の敵前逃亡によって勝利を収めます。しかし平壌に到着したところで
日本軍の装備は限界を迎え、一時戦線は停滞せざるを得ませんでした。
平壌は清軍にとっては命綱の要塞であり、ガトリング砲などの万全の装備を整えていました。
日本とて決して何もかも順調ではありません。
ところが、装備万端で余裕綽々のはずの平壌城から突如白旗が上がります。
何と平壌城を指揮していた葉志超が自分の命欲しさに降伏してしまうのです。
清朝側もこれは想定外でした。日本軍は引き続き平壌救援のために派遣されてきた艦隊を
黄海で撃破、この時も清側の指揮官は我先に撤退してしまい、北洋艦隊の足並みは
終始乱れっぱなしでした。
特に、メンテナンス不足だった北洋艦隊は自分が撃った砲弾によって自分の船が壊れる
という有様でした。清はこれによって欧米列強に加えさらに日本からの圧力にも怯えることに
なります。
▼日清戦争後の動き。そして日露戦争へ。
1894年10月、開戦からおよそ半年後にイタリアとイギリスの仲介によって
清朝も遂に日本に講和交渉を持ちかけ、日本に対し負けを認めたのです。
遼東半島では未だに戦争が続いていましたが、清の李鴻章が来日、これに対し
日本は陸奥宗光を派遣し、下関で交渉が始まります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています