【歴史】脅迫と強圧で実現した「韓国併合」 不法・不当な「併合」条約、どう喝・拉致・監禁下で
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※わっぱ煮だ
(写真)ソウルにある植民地歴史博物館で展示を見学する人たち=2018年12月(栗原千鶴撮影)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-08/2019090803_01_1.jpg
「清日戦争、露日戦争、満州事変と中日戦争、太平洋戦争にいたるまで、60年以上にわたる長い戦争が終わった日」。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、日本の植民地支配から解放されたことを記念する光復節(8月15日)の演説でこう述べました。戦前の日本帝国主義による侵略と36年間の植民地支配は、韓国の人々から国を奪い、人間の尊厳を奪い、言葉や名前すら奪いました。韓国国民の中にその傷痕と怒りは今も消えていません。日韓関係を改善するうえで、加害者である日本が過去の植民地支配にどう向き合うかは決定的です。日本の植民地支配はどのように進められたのか、改めて考えます。(若林明)
日清戦争と日露戦争
朝鮮支配めぐる侵略戦争
明治維新から10年もたたない1875年、日本は江華島事件を起こしました。軍艦をソウルの入り口の江華島まで行かせて、衝突を挑発し、砲撃戦で砲台を占領し、大砲などを強奪。翌年、日本は朝鮮に不平等条約を押しつけました。これを機に日本は朝鮮への圧迫を続け、本格的な侵略に乗り出したのが日清戦争(94年)でした。
当時、朝鮮では官吏の腐敗と重税に反対して東学農民運動が起こっていました。運動は朝鮮半島の南西部の中心都市・全州を実質的に統治するほど力を持ちました。
そのとき日本は、朝鮮王朝の要請もないのに、東学農民運動への対応を口実に大軍を朝鮮に派兵し、ソウルを制圧。開戦直前の朝鮮王宮を軍事占拠し、国王と王妃を拘禁しました。そして、軍事的脅迫のもとで朝鮮に日本への協力を約束させたのでした。同時に、日本軍は農民軍の大量虐殺を行いました。その犠牲者は3万人、あるいは5万人に迫ると言われています。
日清戦争に勝利した日本は下関講和条約(95年4月)で朝鮮への清国の影響力の排除を約束させますが、同条約で日本へ割譲をきめていた中国の遼東半島を、ロシア・フランス・ドイツの要求で清国に返還せざるを得ませんでした。朝鮮での覇権を失うことを恐れた日本は同年10月、公使の三浦梧楼の指揮のもとに軍人らが王宮に押し入り、日本への抵抗の中心であった明成皇后(閔妃(ミンピ))を殺害し、遺体を井戸に投げ込むという暴挙を行いました。こうして日本は朝鮮の植民地化への一歩を踏み出しました。
日露戦争(1904年)は、韓国(1897年に大韓帝国に改称)と中国東北部をめぐる日露双方からの侵略戦争=帝国主義戦争でした。
日本は開戦と同時にソウルを軍事占領した上、韓国に「日韓議定書」を強要し、日露戦争への協力を約束させました。さらに、「第1次日韓協約」で、日本政府の推薦する「顧問」を韓国政府に押し付け、財政と外交の事実上の実権を握りました。
不法・不当な「併合」条約
どう喝・拉致・監禁下で
日露戦争後、韓国に対する日本の覇権は無制限になっていきました。韓国の外交権を取り上げた第2次日韓協約(韓国保護条約)は、日本による軍事的強圧のもとで締結されました。
特派大使の伊藤博文(初代首相、後に韓国統監)は「もし拒否するのであれば、帝国政府はすでに決心している。その結果はどのようなことになるか」(「伊藤特派大使内謁見始末」)と韓国の国王を脅迫。韓国政府の閣議の場に憲兵を連れて乗り込み、協約締結をためらう韓国の大臣を「あまり駄々をこねるようだったらやってしまえ」とどう喝しました。
さらに、日本の特命全権公使の林権助は回想『わが七十年を語る』で、韓国側の大臣が逃げないように「憲兵か何かを予(あらかじ)め手配しておいて、途中逃げださぬよう監視してもらいたい。勿論(もちろん)名目は護衛という形をとるのです」などと、事実上の拉致・監禁下での交渉であったことを記しています。
この条約で、日本は韓国に「統監府」をおき、属国化を進め、1910年に「韓国併合条約」を押しつけました。
当時の国際法でも国家の代表者を脅迫しての条約は無効でした。しかも第2次日韓協約で韓国から外交権を奪っておいて、条約を締結させたのですから二重三重に「不法・不当」なものでした。
「義兵闘争」「独立運動」
抵抗する民衆 徹底弾圧
しかし、日本の乱暴な植民地化に朝鮮の民衆は抵抗し、1906〜11年には「反日義兵闘争」が韓国全土に広がりました。これに対して、日本軍は村々を焼き払い、義兵を大量に殺害し、日本軍に非協力的な民衆を見せしめに殺傷しました。(続きはソース)
2019年9月8日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-08/2019090803_01_1.html 朝鮮の王、妃の圧政から解放されて喜んでいたのにね。清派、露派、日派の内ゲバ。いったんは、大韓帝国として独立させたのに?。 >>724
今もヤバいんだぜ・・・
もうちょっとしたら北に併合されたい派と、日本に併合されたい派に別れるから気をつけろよw >>724
同意どころか請願してきた。
そこが韓国はこんな感じで絶賛捏造教育で今に至る。
無理だっつーの話せば分かるとか嘘つきと話し合いになるかよ・・・ どういうことなの?
今さら押し付け憲法とかわめいてるのに似てる感じ? 当時の同調圧力は併合だっただけだろ。
今と大差ない。 1.帝国主義の成立とロシアの東方進出
1870年代より、欧米諸国では技術革新や重化学工業中心の経済再編と独占資本の形成が
進みました。資本の投下先や原材料の供給地、製品の輸出市場を求めて、欧米諸国は
植民地獲得競争に乗り出します。こうした動きは日本を含めた東アジアにも波及してきました。
ロシアでは、1890年代になると、蔵相ヴィッテの経済政策に立脚して工業が急速に発展します。
1891年に建設が開始されたシベリア鉄道は、ヨーロッパからアジアにまたがる
広大なロシアの国土の東西を結び、急速な工業発展と商品市場としての
植民地獲得の基盤となっただけでなく、極東への軍事的進出に大きな役割を果たしました。
2.日清戦争と東アジア国際社会の変容
当時李朝の支配下にあった朝鮮は、清朝中国に服属していました。その朝鮮で、
明治27年(1894年)、農民の大規模な反乱が起きます(甲午農民戦争)。
この反乱を鎮圧するために、李朝政府は清に派兵を要請し、それに対抗して日本も出兵します。
反乱は鎮圧されましたが、これをきっかけとして日本と清の間に日清戦争が起こります。
日清戦争は清の朝鮮に対する支配権をめぐる戦争でした。同じ年にイギリスと条約改正を
達成したことが日本に戦争遂行を促しました。日本陸軍は朝鮮各地で清軍を破り、
海軍も黄海海戦で清の北洋艦隊を破り、満州(現在の中国東北地方)の遼東半島を占領して、
勝利します。
明治28年(1895年)4月に日本と清の間に日清講和条約(下関条約)が結ばれます。
これによって、(1)清国は朝鮮の独立を認めること、(2)遼東半島・台湾・澎湖諸島を
日本に譲ること、(3)賠償金2億両(約3億円)を日本に支払うことなどが約されました。
しかし、満州への支配力を強め、朝鮮をも影響下に置こうとしていたロシアは、講和成立直後に、
フランス、ドイツを誘って、遼東半島の返還を日本に迫りました(三国干渉)。
日本政府は三国の連合には対抗できないと、勧告を受け入れます。日本の政府と国民は
ロシアへの敵意を強め、軍事的な対抗策を余儀なくされます。
日本に敗北した清は、日本に対抗するためにロシアに接近し、明治29年(1896年)、
「露清密約」を結びます。これによってロシアは満州での鉄道敷設権を手に入れ、
シベリアより満州を通ってウラジオストックに至る中東鉄道(東清鉄道とも呼ばれます)の
建設を開始、極東支配の基礎を固めようとします。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/hayawakari01_02.html 朝鮮は宿主をどの国にするかで揉めてただけ
日本が清とロシアに勝ったから選択肢が
なくなっただけの事!
脅迫、弾圧は後付けで傍から見ても
見苦しいww >>731続き
3.日清戦争から日露戦争へ
これを見た朝鮮では、国王高宗の妃であった閔妃の一族がロシアに接近して、
日本の勢力を排除しようとします。 これに危機感を持った日本公使三浦梧楼らは、
閔妃と対立関係にあった大院君(朝鮮国王の父)を擁立するクーデターを企図し、
日本軍人・警察官・民間日本人壮士や日本人に訓練された朝鮮人訓練隊を王宮に乱入させて、
閔妃を殺害しました。このため朝鮮はロシアにさらに接近するようになります。
日本は、ロシアと山県=ロバノフ協定(1896年)、西=ローゼン協定(1898年)を結び、
朝鮮において日露が政治的に対等であることを確認し、対立を避けます。この間、
明治30年(1897年)に朝鮮は大韓帝国と改称し、朝鮮国王も大韓皇帝となります。
そして、明治31年(1898年)になると、日清戦争によって弱体化した清に対し、
列強による勢力範囲の分割が本格化します。まずドイツが山東半島の膠州湾を、
ついでイギリスが九龍半島と威海衛(威海)を、翌年フランスが広州湾を租借します。
そして、ロシアもまたこの時期に旅順・大連を租借し、 中東鉄道から分岐して、
遼東半島の南端にある旅順・大連に至る南支線の敷設権を獲得します。さらに、
時期を同じくしてアメリカもハワイを併合し、米西戦争によってスペインからフィリピンを
獲得しました。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/hayawakari01_03.html 日本の政党やメディアがこういった主張をする事で争いを煽ってる自覚あるんだろうか もう韓国ネタはお腹いっぱい
ネグレクトしたいんですけど 清国の保護国でいたかった
独立なんか糞くらえ!
といいたいのかな ようするに、韓国が日本を恨んでいるのは、特権階級たちの権力を脅かしたからでしょう、
似たような事は日本でも起こりましたからよくわかります、それは、西南戦争などの
不平士族の反乱です、つまり、日本でも明治維新直後は維新を成功させた士族たちは
明治維新をただ単に自分たちが搾取する側になれると思っていたのです、しかし、
日本を一刻も早く近代化させなければ日本はもちろんの事、全アジアが欧米列強の
植民地にされてしまう事をよく理解していた明治新政府は、もはや特権階級による
搾取をやめさせなければ日本を近代化させるための資金を確保できないと判断して、
武士階級から特権を取り上げようと、廃刀令を出したり、秩禄を取り上げるなどしたのです、
それで、明治新政府の考えを理解できなかった考え方の古い士族たちが西南戦争などの
反乱を起こしたのです、幸い、日本では考え方の古い士族たちの反乱は鎮圧されましたが、
朝鮮の特権階級たちは未だに日本の考えが理解できずに、朝鮮の近代化のために
朝鮮の特権階級の権力を脅かした事を逆恨みしているのでしょうね。 まぁ今の中国とウィグルの関係を見ればそれに近いのか
植民地支配ではなくアイデンティティを捨てさせる同化政策で「我々は野蛮な彼らに文化、教育、仕事、インフラを与えて感謝されている」とプロバガンダしてる所とか 企業もでき、日本帝国議会の議員もいる。教育もハングル併記で民族文化も残している。今ある財閥創設者に日本の大学で学んだ人もいる。人口増加、寿命がのび、餓死や伝染病も減少、志願兵も10万人近い。さてどうして、ナチスと同じなんだろうか? 日韓併合については韓国国内においても世論の対立があったでしょ。
安重根に代表されるような用日派インテリは日本の一部となって近代化を急ぐべきだと考えたし
守旧派はそれを拒絶した。
その対立につけ込んで日本の官僚と軍部がかなり無茶やらかしたのは事実だわな。 植民地と宗主国が対等の関係なわけないだろw
帝国主義の時代は強国が力で世界を支配した時代だよ。
恨むのなら朝鮮民族のふがいなさを恨め。
おまえらは日本に支配されなければ中国かロシアに支配された。
中国支配が続けば今ごろチベットとかウイグルと同じ民族自治区どまりだよ。 >>734続き
4.満州と朝鮮をめぐる日露の対立と開戦
列強の中国分割の動きに対して、清では、明治33年(1900年)に入ると、
「扶清滅洋」を唱える義和団が蜂起し、北京の列国公使館を包囲しました。
イギリス、フランス、ロシア、アメリカ、日本など8カ国は、日本軍を主力とする
連合軍を組織して、これを鎮圧しました(北清事変)。
事変後もロシアは満州の要地を占領し続け、支配権を握ろうとします。このようなロシアの政策は、
日本の対外政策と鋭く対立し、日本の安全保障上の大きな脅威となるだけでなく、
欧米各国の利害とも対立しました。日本政府はイギリスと提携してロシアの南下政策を防止し、
イギリスも極東政策上、日本と提携することを有利として、明治35年(1902年)1月、
日英同盟が成立します。
しかし、ロシアの姿勢はその後も変わらず、フランス、ドイツの支持を受けて、
満州の兵力をさらに増強し、その勢力は朝鮮にも及びます。明治36年(1903年)、
ロシアが韓国北部に軍事基地を造り始めたと報じられると、日本の国内には開戦論が強まります。
日本政府は、朝鮮・満州における勢力範囲をめぐってロシアと交渉を続けるかたわら、
開戦の準備を進めます。そして、明治37年(1904年)2月、日本政府は御前会議で開戦を決定し、
陸海で先制攻撃をしかけた後、宣戦を布告しました。
こうして日露戦争が勃発しましたが、実際に戦場となったのは、陸上では満州と朝鮮半島でした。
後述するように、日本とロシアの両軍に多くの犠牲者が出ましたが、戦場となった地域では、
住民が両軍による徴発や労役、土地収用の影響を受け、戦闘に巻き込まれ、被害を受けました。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/hayawakari01_04.html またいい加減なことをw
併合の提案をしたのは朝鮮側。 >>743
かなり無茶とやらは具体的にどんな事だ? 助けてもどうせ恨まれるなら蹴りを入れた方がいいよな
というか散々足蹴にされた中国人に従順なところを見ると
朝鮮人には蹴りを入れるのが正解なのだろう >>1
鉄道敷設権や徴税権まで担保にして外国から金を借りて返済不能になり、国ごと買収されそうになったものだから日本に泣きついて借金を肩代わりしてもらったんじゃなかったっけ? >>11
存在感だけは出しとかないと議席減るからな、増えやしないが >>743
ムチャな事をしたのは朝鮮の特権階級たちの方ですよ、自分たちの権力を守るためだけに、
近代化を拒否し、近代化をおし進めるべきだという考えを持った人たちを弾圧したり、暗殺
したりしたあげく、朝鮮に近代化を求めた日本を追い払おうと、さんざん密使外交をやって、
日清戦争や日露戦争を引き起こしたあげく、ハーグ密使事件まで起こして全アジアの独立
を危うくしたのですよ。朝鮮が二度とそのような危険な事をしないようにと日本が朝鮮を併合
したのは、アジアの独立を守るためにはやむを得ない事だったのですよ。 >>1
韓国人教授らによる韓国の嘘歴史を暴く本で、併合が強制だったという嘘はソース付きで完全否定されたんだが
それでもまだ嘘付くのかよ
韓国人は都合の良い嘘しか信じないんだな 何の根拠も資料も証拠もない妄想やんけ
日本が朝鮮半島の土人文明を現代文明に発展させてやった事を忘れ
それに文句言うのならば、大人しくインフラ破壊して糞尿を垂れ流していた土人生活に戻れ ようやく全部読み終えた
「日韓共同歴史研究報告書」の「日韓間の諸条約の問題―国際法学の観点から
批評文(金度亨)、執筆者コメント 坂元茂樹
日本人学者がもっぱら、国際法の観点から分析するのに対して、批評をした韓国人学者は
国際法の観点から論じるのはおかしい、もっと巨視的に見なければいけないと批判している、後半部分では国際法上も
合法とは言えないようなことをにおわせているが日本人学者の合法論に対して法理論論争では分が悪いと自ら認めているように思える。
なお、日本人学者も国際法上、合法であるが、そればかりを言い募ってはいけないと主張している >>703
> >>690
> お前は
> 親が犯罪者なら子供も犯罪者だ、と差別迫害する血統差別者だよ
> 存在してはい
けない悪人だ だから平和的な無血併合だろ
抵抗もできなかったのに今さら喚き叫ぶなよ 李氏朝鮮の特権階級での権力闘争の中で、庶民は、どういう状態であったのかな? 今は違うんだからもう日本に絡まずがんばれよ。
元気でな!(笑) >>748
閔妃暗殺、守旧派への脅迫、草の根抗日運動の武力鎮圧etc
この部分はどう正当化しても内乱につけ込んだ侵略。 なら日本も朝鮮に平和的に無血併合されたなら朝鮮ありがとうと感謝しろよ 逆でも差しつかええ在るまい 助けてくれと頼むから助けたら何と言う言い種。反対した誰かは安大根とか何とかに暗殺までされたのに。ホンマに助けた亀に噛みつかれーやな。 なんだ朝鮮一進会の併合請願は全く触れていないね、当時は朝鮮は日本が併合しなくてもロシアの借金漬けで国家破綻してたから日本にすり寄ったんだよ。
もう今は朝鮮人ってどういう民族なのか日本国民が十分知ることになったから昔の過ちはおかさないよね。
関わるととんでもない事になる。
くわばらくわばら。 >>765
感謝はともかく、日本人はアメリのの占領政策に文句言ったりしないだろ。
力が足りなければ当たり前の話なんだ。 >>764
閔妃暗殺は大院君がやったのではありませんか。それに、守旧派というのは朝鮮の近代化を
拒否した連中であって、朝鮮を一刻も早く近代化しなければ全アジアが欧米列強の植民地に
されてしまう状況では、全アジアの独立を守るために守旧派を弾圧せざるを得なかったのですよ。 参政権もあるんだよな。
ナチスにユダヤ人に参政権あったのか?
同一視はできない。朝鮮戦争時の第5補給品、朝鮮慰安婦(公洋主)はスルーしている。 >>724
大韓帝国国民(朝鮮人)は募金で借金を日本に返そうとしたが失敗した。
国債報償運動のはなしは笑える >文正仁大統領特別補佐官がタス通信のインタビューで、
>南北は10〜15年でEUのような経済連合が可能だろうと。
>更に、韓国が核兵器を獲得すれば、米国との同盟は必要なくなるとも。
>JSF @rockfish31
>>Южная Корея может создать экономический союз с
>> КНДР наподобие ЕС уже через 10 лет
>> https://tass.ru/mezhdunarodnaya-panorama/6859007 …
>>文正仁・韓国大統領特別補佐官は「韓国は10年以内に北朝鮮とEUのような連合を作れる」
>>「 アメリカとの軍事同盟は韓国が核兵器を持っていない場合のみ成立する 」
>後者は暗に示唆する言い回し
>遂に本音を隠さなくなったか。最悪だな。 いくらコリエイトしても情けない歴史は記録に残ってるんだぜ >>753
それは日本人の日本人による日本人のための見方。
立ち位置が変われば解釈も変わる。
アジアの独立と言えば聞こえはいいが
日本の権益と大陸進出のための橋頭堡でしょ。 >>774
しかし、強大な軍事力と経済力を持つ欧米列強が全アジアを植民地にしようと迫っていた
のですから日本が、欧米列強によるアジア侵略を阻止しようとしたのは当然の事であって、
むしろ、自分たちの権力を守るためだけに全アジアの独立を危うくした朝鮮の特権階級
の方が罪が重いのではありませんか。 ▼日清戦争が起きたきっかけは?原因を簡単に説明
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5400
1868年に明治政府が誕生して以来、日本は近代化への道をひたすら突き進んでいました。
当時の東アジアは、清(中国)がアヘン戦争や北京条約で欧米列強に次々と土地を割譲され、
それまで長い間中国を中心として築かれていた国際体制が崩壊し、ベトナムやモンゴル
といった中国周辺諸国が次々と清から独立していきました。
その中でただ一国、朝鮮(李氏朝鮮)だけは依然として中国を宗主国として服属する姿勢を
維持していました。その朝鮮でもすでに開国派と鎖国派の争いが起きており、通商を求めた
フランス・アメリカ船を撃退したという事実から朝鮮国内では鎖国体制を維持する
という意見がより主流でした。
日本は列強が注目する清に接近、1871年(明治4年)には清との間に日清修好条規を締結します。これは日本が外国と果たした最初の対等条約であり、日本は続いて朝鮮とも国交を結びたかったのですが、朝鮮は日本の態度が気に食わずこれを拒否します。
幕末以来列強の侵略の恐ろしさを熟知していた日本は、富国強兵のスローガンのもとで
国内の発展に力を注ぐ一方で領土の拡大を画策、結果として琉球王国(沖縄)を
日本の国土に編入することに成功(琉球処分)。現在の日本国の領土の基礎はこの時に
出来上がったのです。琉球もまた元は中国の属国扱いでしたが、日本に帰属したことによって
清は朝鮮以外の全ての属国を失いました。
こうして日本は朝鮮を清から切り離して独立させることを画策、清は属国としての体制を
維持させることを主張。ここに日本と清が朝鮮をめぐる対立構造が出来上がってくるのです。
日本は1875年(明治8年)に開国を渋る朝鮮に対し、江華島にて威嚇砲撃を行い、
開国を迫ります。これにより実際に死者が出たことから、朝鮮は日本への態度を
軟化せざるを得ず、翌年には日本との間に日朝修好条規を締結し、
「朝鮮は独立国であり、清に服属する必要はない」という項目を認めさせました。
朝鮮国内では清派(保守派)と日本派(開国派)に分かれて内部抗争が続き、
1884年(明治17年)には日本派の金玉均(キムオッキュン)が日本の支持を受けて
クーデターを起こします。しかしこれは清が朝鮮王朝を支援したためすぐに鎮圧。
日本と清はこの時に天津条約を締結、「朝鮮に介入する際にはお互い了承を得た上で
行動しよう」という約束が出来上がりました。
日本は明治政府が成立した頃から朝鮮に対し、影響をおよぼしたいと考えていました。
それは日本だけでなく、北の大国・ロシアがアジア進出を狙っていたからで、
放っておいたらロシアが朝鮮を侵略し最終的に日本が攻められる恐れがあったのです。
そこで日本は朝鮮を清の属国である今の状態から独立国として主権を主張させ、
清から切り離す必要があったのです。日本としては本来清・朝鮮を力攻めする気は
なかったのですが、両国が頑迷に協力を拒否していたことから、欧米に対抗するという
体制の進展が遅れていました。
さらに清は日本を仮想敵国としてフランスから艦隊を購入、北洋艦隊と名づけて
日本の長崎に威嚇砲撃、そして侵略行為を続けました。そんな緊迫した状況の中、
遂に決定的な事件が起こったのです。 日韓併合の時に韓国に選択肢が無かったのは紛れも無い事実だからな、その時代では弱肉強食が当然である事も含めて今こそお互い歩み寄るいい時期かもしれないね 名前変えさせて、中国人と結婚させて、当てがった教育と仕事を与える中国におけるウイグル族みたいな扱いだったんでしょ ウヨは併合は韓国側の望みだったという話はしないほうが良いと思うぜ 仮にそういう人がいたとしてもあくまでも
強者であった日本側の意思がなければ成立しなかったわけだからな 日本は併合したくはなかったけど弱者の韓国に
無理やり併合させられたという理屈はどう考えてもおかしいからな >>775
歴史とは解釈なんだよ。
スターリンだって見ようによっちゃ救国の英雄。 >>777続き
▼日清戦争の経緯と結果。勝因は?
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5400
1894年(明治27年)、朝鮮で王朝政治に不満を持っていた農民達による甲午農民戦争が勃発します。
長く混乱が続いていた朝鮮ですが、とうとう国民の不満が爆発し、
鎖国を頑迷に守ってきた朝鮮は清と日本の介入を許すことになるのです。
では緊張状態にあった清と日本はどのような経緯で日清戦争に至ったのでしょうか?
甲午農民戦争の反乱を受けて、朝鮮王朝を実際に支配していた皇后閔氏(びんし)は
清に応援を要請します。こうして清から袁世凱によって兵が派遣されます。
この行為は天津条約違反だったので日本は清・朝鮮双方を批判、しかし頑迷に旧来の
秩序体制を維持しようとする両国は日本の言うことをまったく相手にしません。
日本軍は遂に漢城(ソウル)に至り皇后に今一度開国を迫ります。
皇后もこれには同意せざるを得ず、日本軍は朝鮮半島に駐留することとなり
清軍を迎え撃つこととなりました。
かねてから北洋艦隊の強さをこれでもかと日本に見せびらかしていた清ですが、
実際に戦うと清軍は北洋艦隊の指揮官が敵前逃亡するような有様でした。というのも、
当時清朝を支配していた西太后は政権維持のために浪費を繰り返しており、軍は維持費に
事欠き装備は衰え訓練が怠られている状態でした。
豊島沖海戦では指揮官が敵前逃亡した上で清軍の補給線をストップ、日本軍は続く陸戦でも
清軍指揮官の敵前逃亡によって勝利を収めます。しかし平壌に到着したところで
日本軍の装備は限界を迎え、一時戦線は停滞せざるを得ませんでした。
平壌は清軍にとっては命綱の要塞であり、ガトリング砲などの万全の装備を整えていました。
日本とて決して何もかも順調ではありません。
ところが、装備万端で余裕綽々のはずの平壌城から突如白旗が上がります。
何と平壌城を指揮していた葉志超が自分の命欲しさに降伏してしまうのです。
清朝側もこれは想定外でした。日本軍は引き続き平壌救援のために派遣されてきた艦隊を
黄海で撃破、この時も清側の指揮官は我先に撤退してしまい、北洋艦隊の足並みは
終始乱れっぱなしでした。
特に、メンテナンス不足だった北洋艦隊は自分が撃った砲弾によって自分の船が壊れる
という有様でした。清はこれによって欧米列強に加えさらに日本からの圧力にも怯えることに
なります。
▼日清戦争後の動き。そして日露戦争へ。
1894年10月、開戦からおよそ半年後にイタリアとイギリスの仲介によって
清朝も遂に日本に講和交渉を持ちかけ、日本に対し負けを認めたのです。
遼東半島では未だに戦争が続いていましたが、清の李鴻章が来日、これに対し
日本は陸奥宗光を派遣し、下関で交渉が始まります。 >>774
朝鮮は結局、欧米列強の植民地にされずに済んだので、欧米列強による植民地支配がどれほど
過酷なものだったか知らないのでしょう。江戸時代はずっと鎖国していたために、海外に出かける
事ができなかった日本人たちがペリーによって強引に開国させられて、海外に行った日本人たちが
見た世界は、過酷な人種差別や植民地支配に苦しむ有色人種たちの悲惨な現実だったのです、
それで、大きなショックを受けた当時の日本人たちは、欧米列強の侵略の矛先が極東アジアに
向かっている事を知ると、慌てて明治維新を起こして近代化をおこなうと共に、隣国の清国に近代化
と共闘を呼び掛けたのです、しかし、残念ながら日本を東夷と呼んで馬鹿にしていた清国は日本の
呼びかけにまったく応じなかったのです、それで、しかたなく日本はまずは朝鮮を近代化しようと
したのです。 >>775
そんなこと言ったらアメリカは日帝の悪政から日本国民を救った解放者になっちゃう >>783続き
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5400
実は開戦当時から清朝は最小限の被害で抑えるために講和の使者を派遣していましたが、
日本はこれをことごとく拒否していました。使者程度では相手にしていなかった
日本も清の全権大使である李鴻章が自ら来たことでいよいよ講和に応じました。
日本は清に対し強気に出るチャンスを伺っていたのです。
講和条約の内容は1.朝鮮独立の承認、2.遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲、
3.清が日本に賠償金2億テールを支払う、4.日清通商航海条約の締結でした。
朝鮮半島の独立および遼東半島、台湾、澎湖諸島を獲得したことで、
日本は世界に近代国家として認められ始めるのです。日清通商航海条約はかつて
江戸幕府がアメリカと結んでいた不平等条約と同じような内容で、日本は中国に対し
優位な立場で行動できるようになります。
甲午農民戦争の勃発の1894年4月から李鴻章来日が1895年3月の1年間で、
日本と清の国際的立ち位置は逆転してしまいました。
賠償金の2億テールは、現在でいうと3億円以上。しかしこれらの資金はほとんど
軍事費に充てられ、日本はさらに領土拡大へと突き進んでいくのです。
朝鮮にまで日本の勢力がおよんだことで、フランス・ドイツ・ロシアは日本に対し
遼東半島を清に返還するように勧告を突きつけます(三国干渉)。日本としては
獲得した遼東でイギリスの支援を受けて経済を発展させる予定でしたが、
これを三国は面白く思わず、アメリカ・イギリス・イタリアの協力を取り付けたため、
日本もやむなくこれに同意せざるを得ませんでした。
こうして明治政府はこの時の悔しさを忘れないために臥薪嘗胆をスローガンとし、
ロシアを仮想敵国とし軍事拡大を進めていき、10年後には日露戦争が勃発するのです。 >>781
しかし、現実に日本への併合を望んだ朝鮮人たちがいたのは事実ですから、そうした事実を
否定する事はできません。 ポツダム宣言やワシントン条約なんて軍事力で無理やり結んだ条約なんだけど、それも無効なのかな?
いまだに日本は朝鮮半島の領有権を有する、と韓国は主張したいのか? >>1
韓国に提案したいな
試しに10年間だけ完全に断交してみませんか >>774
なら日本だけやり玉あげるのは、御門違い、列強諸国には?
また、日本の安全保障上もあるだよな。
ナチスと同一視は、どう思うのかな? 脅迫と強圧で韓国併合したってのがよくわからない
植民地化ならともかく併合ともなれば土地も人民も本国扱いしなきゃいけないんでしょ?
既に植民地にしてる土地をわざわざ併合するメリットって何だろ >>786
そっちは解釈の話。
事実は市民を標的にした大量虐殺で歴史も決まっていく。 >>781
それぞれの周辺の状況があって、互いに併合を望んだからだろ
一方的な見方しか出来ないのはお前らの特徴だよな
しかも見ているものが幻覚まがいの妄想ってどうしょもねえな >>788
例えば、それはいずれにしても日ロのどちらかに併合されるのだからロシアより日本のほうがましだとか、そういうレベルの話だろ
日韓の論争の中では韓国側が望んだなんて議論は相手を利するだけだ 日本がアメリカに占領された時も政治家、国民、マスコミ、天皇までもがマッカーサーを称えてたけど
それ見て「日本は望んでアメリカの占領下に置かれた」と言ってるようなものじゃないの >>786
天皇と国民が軍部から解放されたんだよ。 >>790
あいつら1000年の恨みとか言ってんだから、恨みが消えるまで断交すればいいんじゃないかな >>794
あくまでも韓国の一部がだろ、 韓国が全体が望んだなら武力による威圧なんていらない また、新しいデタラメ作ったの?
映画「軍艦島」のすべてデタラメの内容のようにwww ▼「日本は朝鮮半島を軍事力で植民地化し、収奪の限りを尽くした」
戦後の日韓関係は、このような歴史認識を前提として構築されてきた。
だが、これは明らかに「歴史の歪曲(わいきょく)」である。
李氏朝鮮は1897年、国号を大韓帝国(以下韓国)に変更した。韓国は1905年、
日本の保護国となり、日本人統監の支援の下で、自ら近代化への道を歩み始めた。
ただ、当時の韓国には、近代国家へ脱皮するためのインフラが決定的に不足していた。
さらに、儒教による身分制度でがんじがらめだった国家体制を、朝鮮人自身が打破することは
極めて困難であった。
そこで、かつて李朝に反旗を翻した東学党の流れをくむ人々が「一進会」を結成し、
日本との合邦運動に立ちあがった。代表の李容九(イ・ヨング)は一進会100万人会員の名義で、
全国民に訴える「合邦声明書」を発表した。続いて、韓国皇帝に対する上奏文、
曾禰荒助(そね・あらすけ)統監、李完用(イ・ワンヨン)首相へ「日韓合邦」の請願書を
出している。
これに対し、初代統監だった伊藤博文は大反対した。彼の願いは韓国が近代化を遂げ、
やがて日本とともに東亜(=東アジア)に並び立つことにあった。ところが、その伊藤を、
安重根(アン・ジュングン)という人物がハルビン駅頭で暗殺してしまった。
安自身は、日露戦争における「日本国天皇の宣戦書」を高く評価し、日本の勝利をたたえている。
裁判の過程では、何と「天皇陛下の父君(孝明天皇)を殺害した」ことを、
伊藤暗殺の理由の1つに挙げている。
彼は本来、日本国天皇に心酔する「親日派」であった。朝鮮への思いを同じくする
伊藤を誤解し、殺害したことで、皮肉にも併合を促進する結果を招いてしまったのだ。
日露戦争後もロシアは太平洋進出の野望を捨てておらず、当時の客観情勢から見て、
朝鮮半島を日本国の一部にして直接守る以外に、国の安全を確保するすべがなかったのは事実である。
しかし、それには膨大な費用が必要となる。実際、1905年から45年まで、
国家予算の10%以上を朝鮮半島の支援に当てている。「収奪された」のはむしろ
日本の納税者なのだ。
一方、韓国にとっても日本と一体化する以外に外国の植民地とならず、
近代化を遂げる道はなかった。当時、最大の政治勢力であった一進会の訴えもあって
「日韓合邦」への「民意」が韓国内に拡大し、李完用首相以下閣僚も近代国家へ
脱皮するための唯一の道として日韓併合を選んだ。
「日韓併合」は当時の弱肉強食の時代に、日韓それぞれが生き残るために選んだ、
ぎりぎりの「マイナスの選択」であった。
https://www.sankei.com/smp/world/news/171220/wor1712200001-s1.html >>792
実際には、朝鮮文化併用しながら
教育をしているし、参政権もある。
なんでナチスと同一するのが悪意があるよな。 >>795
いいえ、それは違います、朝鮮の近代化や日本への併合を望んだ朝鮮人たちは、朝鮮のために
行動したのであるのに対して、そうした朝鮮の近代化や日本への併合に反対した人たちはもっぱら
それまでさんざん朝鮮人民から搾取して贅沢な生活をしていた特権階級たちですよ、つまり、
本当に朝鮮のためを考えて行動した人たちを売国奴呼ばわりする方が不当な事ですよ。 そりゃ国民すべてが安倍の政策に賛成してる訳じゃないからなあ >>800
全体ってのは有り得ない。
日本にですら警察はある。 >>805
俺への反論としてはまったく不適切だな 俺はその人たちが真の愛国者かどうかなんて論じていない ちょっと脅したらキャンキャン泣き喚くのは、今も昔も変わらんな
ちっとは成長したらどうだ? >>1みてウリナラファンタジー乙としか言えない
関わりたくないわー 韓国ってのは赤ん坊みたいなモンで独立不羈の気概がなかったw
単に中国派と日本派に分かれてて、日本派が勝ったので喜んで併合されただけじゃん 少なくとも日韓併合が韓国側の意向だったと主張する人は日本が韓国を侵略する意図が全くなく武力で威圧することもなかったということを
証明しないといけないな 当時は、国の支配者がマヌケなら国家の骨組みごと丸ごと食い物にされる時代だったからな
そんな時代にあって、王様が濫費放縦怠惰放埒にふけっていたのじゃ、ほんと致し方ないわ >>811
ロシア派と日本派だ。支那は日清戦争で敗れ、既に選択肢にない。
朝鮮人は、前の主人が劣勢になったらメチャクチャやる。 >>1
今の文政権が日本に対してやってる事や言ってる事のおかしさに通じる作文であるな 最近の共産党の発言見ると、
こいつらがどの国の政党なのかバレバレだな。 >>808
しかし、結局近代化できていなかった当時の朝鮮は自力で独立を守る事は
できなかったと思います。 >>816
異なる意見があることは良いことだ どうもウヨは北朝鮮的な国を理想として困る 日本もアメリカお仕着せの平和憲法何か拒否して本土決戦すればよかったね 息を吐くように嘘をつく、誠実さの欠片も無い、拉致極悪北朝鮮とつるんでる、反日ヘイトの敵国、敵国の韓国とは国交断絶しろ!! >>812
日本側の意向もあり、韓国側でも日本に併合してもらおうというものが実権を占めたんだろ?
バカ王に愛想尽かして家臣が自ら異民族に城門を開くって
古今東西、惰弱な王朝のよくある終末劇じゃん >>800
行政府が一部だってのなら朝鮮半島ってその頃から分裂してたの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています