0001樽悶 ★
2019/09/19(木) 19:09:42.05ID:Ns4fcm3J9※省略
早道之者は、弘前藩の古文書に名簿が記されており、清川教授によると常時20人前後、多いときで60人以上が明治初頭まで活動。南部藩の諜報(ちょうほう)活動や蝦夷(えぞ)地での外国船の監視などを行ったという。古民家には、今でも床の間の裏に人が入る隠し空間や人の侵入を知らせる鶯(うぐいす)張りの床、玄関の上には外を見張ったとされる隙間(すきま)や薬草を干したとされるくぎ跡などが残っており、所有者の會田さんは「世界的にも貴重な建物なので、壊して更地にするのではなく、このまま残して観光の役に立てればうれしい」と願っていた。(続きはソース)
毎日新聞 2019年9月19日
https://mainichi.jp/articles/20190919/ddl/k02/010/149000c?inb=ra