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10月12日に東日本を直撃した台風19号は列島各地に被害の爪痕を残したが、湾岸沿いではなく、神奈川県川崎市の内陸に位置する
「武蔵小杉」(神奈川・川崎市)が大きな被害を受けたことに驚いた人は多かったのではないか。

横浜、恵比寿、吉祥寺。華やかさで知られる街が名を連ねる「住みたい街」ランキングでは、武蔵小杉もその一角を占めている。
だが、それはあくまでも「近年の大躍進」だと、都心の不動産情報に詳しいライターの金子則男氏が指摘する。

「タワーマンションが林立している地域は、もともとは大きな工場や企業のグラウンドなど広い土地があったエリアで、
決して賑やかな場所ではありませんでした。バブルが弾けた後、大企業が郊外や海外へ工場を移転させたため、大規模な跡地が残った。
そこに目をつけたのが、大手の開発業者でした。都心に近い割に地価が安かったからです」

そのタワマン開発を後押しする形になったのが、鉄道各社の路線再編計画だ。

2000年代初めまで、武蔵小杉に乗り入れていたのは東急東横線とJR南武線だけだったが、東横線が東急目黒線に接続されたことで、
都心へのアクセスが飛躍的に向上した。さらに2010年にはJR横須賀線の新駅が設置され、湘南新宿ラインも停まるようになった。
相互乗り入れを含めて13路線が利用できる。

「都心だけでなく横浜まで一本で行けるようになった。品川駅まで10分、新横浜駅まで15分という抜群のアクセスです。
新築なら1億円超えも珍しくない都心のタワマンより、はるかに安く利便性が良い場所として、武蔵小杉の人気が爆発したのです」(前出・金子氏)

駅前には10棟以上もタワマンが建ち並び、総戸数は数千に及ぶ。多摩川の対岸に位置する元祖セレブの街・田園調布
(東京・大田区)に対抗するかのように急激に発展してきた。

その人気ぶりを如実に示すのが、タワーマンション群の先駆けとなったザ・コスギタワーの分譲単価だ。


「2008年の竣工時に坪単価(※30階付近のもの)180万円ほどで売り出されましたが、2016年時には中古物件にもかかわらず
280万円前後に高騰した。少し落ち着いてきた感もあるが、今でもほとんど下落していません」

そう話すのは、不動産鑑定士の藤田勝寛氏。

「被災が話題になった47階建てマンションも、売り出し時の坪単価は230万円から250万円ぐらいでしたが、
ピーク時には330万円前後まで上がり、近年でも300万円近い価格がついている物件です」

通勤時は駅の外まで改札待ちの行列ができる武蔵小杉だが、この人気こそが、今回、〈港区の部屋は買えないから、
ムサコに来ただけのエセセレブ〉などとネットで拡散された「タワマン住民攻撃」の導火線になったと指摘する声も少なくない。

「セレブの街でも何でもないんですよ、本当の武蔵小杉っていう場所は……」

静かな声でそう語るのは、30年以上前からこの地で小料理屋を営む60代の男性だ。

「タワマンが建ち並ぶ武蔵小杉駅周辺は、工場ばかりだったんです。そこで毎日、汗水たらして働いた人たちが、仕事の後に商店街へやってきて、一杯やってね。
そういう下町みたいな人情に溢れた場所が、もともとの姿なんですよ」

祖父の代から住んでいるというこの男性によれば、タワマンができてから武蔵小杉にやってきた“セレブ住民”たちは、昔からこの地で営業する個人商店よりも、
駅前にあるデパートや大型商業施設を利用し、町内会との交流もないという。

「たとえば、お祭りだって準備するのは町内会や(地元の神社の)氏子なんですよ。マンションの人たちはお祭りには来ても、準備は手伝ってくれないからね。
人と人との繋がりが弱くなると、もっと大きな災害時に地元民同士で助け合えるのか不安で仕方ない。

マンションの住民は賃貸も多く、今回の被害を受けて『もう出ていく』と言ってる人たちもいると聞きました。逆に教えてもらいたいのですが、
タワマンは災害に強いんじゃなかったんですか?」


武蔵小杉にはタワーマンション群が立ち並ぶ
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