ジェノサイド被害に遭った地は粘着される
犯罪連合国が実行した日本の地獄化
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【神戸は連合国兵、コリアンらによって修羅場にされた】

 『ポツダム宣言受諾の放送後』

 その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。
終戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、朝鮮、中国人たちの一部は欣喜雀躍し、略奪、報復の火蓋を切ったのである。

 その日の午後七時。徒党を組んだ一団は国鉄駅構内の貨車を襲って配給物を強奪。
これを皮切りに市内随所で襲撃・略奪事件が起こり,一般市民の不安も高まった。

 終戦当時、国内には朝鮮人、中国人が200万人以上いたが、とくに兵庫に多く、
昭和18年の時点でも13万5千人、全体の7パーセント強を占め、大阪、東京につぐ3位という数であった。

終戦直後の神戸の闇市は、国鉄三宮駅高架下で一個5円の饅頭が中国人の手で売り出されたのが始まりといわれている。
一個5円といえば、当時の米一升の公定価格と同じ値段である

 これをきっかけに彼らを主とする闇市が三宮、新開地、大正筋、長田など神戸市内に17ヶ所もひらかれ、
20年10月には国鉄三宮の高架から神戸駅北東に至るまで、えんえん二キロにおよぶ日本一の長い闇市が生まれていた。