■通州事件
私が住んでいた北支の百五十マイル以内のところに、
二百名の男女、子供たちが住んでいたが、共産主義者によって殺された。

二十名はほんの子供のような少女だった。
家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉をつながれて、
村の通りに生きたまま吊り下げられていた。
空中にぶらぶらされる拷問である。

共産党員は野蛮人のように遠吠えしながら、
揺れる身体を銃弾で穴だらけにした。
日本人の友人であるかのように
警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供らの虐殺は、
古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。

それは一九三七年七月二十九日の明け方から始まった。そして一日中続いた。
日本人の男、女、子供は野獣のような中国兵によって追い詰められていった。
家から連れ出され、女子供はこの兵隊ギャングどもに襲い掛かられた。

それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。
ひどいことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見したときには、
ほとんどの場合、男女の区別も付かなかった。

多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。
水は彼らの血で赤く染まっていた。
何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。
中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。