>>224
「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦が或る意味では天佑だ
国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくて済む
私がかねてから時局収拾を主張 する理由は
敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない
1に国内情勢の憂慮すべき事態が主である
従って今日その国内情勢を表面に出さな くて収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである(「米内海相直話」昭和20年8月12日)
つまり陸軍のクーデターが怖かった
徳本栄一郎『英国機密ファイルの昭和天皇』(二〇〇七年)には次なる記述がある
一九八五年、彼〔白洲次郎〕は生涯を閉じたが、英国流ダンディズムと気骨あるライフスタイルは、白洲ブームとも言うべき現象を起こしている。
だがこの白洲次郎には、あまり知られていない、もう一つの顔がある。それは太平洋戦争直前、皇室や吉田茂の意を受け、英国政府との和平工作に奔走した"密使"であり、
戦後は日本進出を狙う英国企業の"エージェント"としての顔だ。
徳本栄一郎の『英国機密ファイルの昭和天皇』には、「エピローグ 皇居を見据えるユニオン・ジャック」として、白洲次郎とウォーバーグ財閥について書かれている。
クリストファーによると、晩年の白洲は、S・G・ウォーバーグから肩書きも受け取っていなかった。
しかも一九八二年、創業者のシグムンド・ウォーバーグ卿が亡くなった後も、彼はクリストファーの後見人役を続けた。
「ウォーバーグ卿と次郎の関係は、個人的な友情に基づいていました。そのウォーバーグ卿から頼まれた以上
それに応えるのは自然の事だったのでしょう。また次郎も、われわれの進出は日本のためになると信じていました」
白洲は日本水産から帝国水産と異動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に
日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱に情報(空襲予告等)を伝えていたのである
白洲次郎の岳父が樺山愛輔。彼は昭和天皇の母貞明皇太后と深く結ばれている。貞明皇太后の周囲には、ヨハンセン・グループがたむろしていた。
彼らのほとんどは、貞明皇太后と同じくクエーカー教徒であり、ヨハンセン・グループとの間には、同じクリスチャンという共通項が厳然と存在していた
そのルートで貞明皇太后は樺山愛輔から、アメリカとイギリスのニュースを入手していた。