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1946年8月16日
満州国皇帝の愛清覚羅溥儀が注目される証人として、8月16日から8月27日まで証人席に座った。
終戦の翌々日1945年8月17日、溥儀一行は日本に脱出しようと
奉天(現在瀋陽)飛行場で乗り換え機を待っている時、突如進駐してきたソ連軍に捕らえられ
ハバロフスク郊外で抑留生活を送っていたが、東京裁判の検察側証人として空路、東京にやってきた。
常にソ連の官憲が溥儀を監視していた。
東京裁判に証人として召喚された溥儀は、もっぱらソ連から言われたとおりに証言し、
すべては日本の軍閥の仕業であり、自分はまったくの傀儡にすぎなかったという答弁に終始したのである。
満州事変当時、溥儀が陸相南次郎大将に宛てた親書の中で、
満州国皇帝として復位し、龍座に座することを希望すると書いていたという事実を突きつけられても、溥儀はそれを偽造だと言って撥ねつけたのだった。