デルフィン・ハラニーリャ判事の経歴(アメリカ領フィリピン)
デルフィン・ハラニーリャ判事は、バターン半島で日本軍の捕虜になった人物である。
被告に恨みを持つような人間が裁判官の側にいたら、公正な裁判を望むことは不可能である。
裁判の協定用語(法廷での公用語)を理解できない判事が選任されている

ソビエト社会主義共和国連邦のザリヤノフとフランス共和国のベルナールらは
協定用語(法廷での公用語)である英語又は、日本語を両方共に理解できなかったので不適格である。
高度の経験・判断力が求められる裁判に、法曹経験のない判事が選任されている

中華民国から派遣されている梅汝敖にいたっては、裁判官の経験が全く無い、法曹とは無関係の人が選任されている。
梅汝敖は、1924年に清華大学を卒業した後、アメリカに留学し、1926年に、スタンフォード大学を卒業した(文学士)
1928年にはイェール大学のロー・スクールで、法務博士の専門職学位を取得した。
学位は持っていても裁判官経験のないアマチュアである。
梅汝敖は論外です。梅汝敖は裁判が始まる前から、日本国および日本人に悪意を持っています。
公平・中立とは程遠い人物です