そして、死刑執行の日と時間は何か。

四年前のその日、その時間、即ち、本間雅晴第十四軍司令官は
バターン半島に立て籠もって頑強に抵抗するマッカーサーを司令官とするアメリカ軍にたいし
昭和十七年四月三日午前0時五十三分、総攻撃を下命した。

マッカーサーは、その日のその時刻に、本間雅晴中将を殺害したのだ。つまり、私怨を晴らした。

私が、冒頭に、マッカーサーは実に嫌な奴だと書いた理由がお分かりいただけたと思う。
それともう一つ、マッカーサーの癖が既に顕れている。
それは、日付けにこだわる、ということだ。本間裁判の判決日、死刑執行日がそれだ。

この山下、本間両将軍が死刑になるなら、日本軍と戦ったアメリカ軍の全ての将軍も死刑でなければならない。
アメリカ軍は日本の民間人を殺す目的で軍事行動をしていたからである(サイパン、沖縄はおろか東京、大阪、広島、長崎を見られよ)
更に、ベトナム戦争におけるウェストモーランド統合幕僚長も間違いなく絞首刑だ。
にもかかわらず、マッカーサーが後に書いた「回顧録」には、自分が行った裁判は完全に正義に基づくものだったと強弁している。
特に、本間中将の妻が、東京 でマッカーサーに
「夫の助命嘆願をしているのではない、裁判記録に自ら目を通してほしい、そうすれば何を為すべきかお分かりいただけると信じている」と
願い出たことに関しても、よくもまあぬけぬけと嘘がつけるなあ、と思うほど誤魔化している。