彼は自分が屈辱を受けたフィリピンの二人の将軍に対して、襲いかかるように復讐する。
かつて緒戦でシンガポールを陥落させたマレーの虎といわれた猛将の山下奉文大将は、フィリピンで投降したが
この山下大将に対して、マッカーサーは
日本 に来た翌月の昭和二十年十月二十九日に裁判を開始し、
同十二月七日判決で翌昭和二十一年二月二十三日に軍服も着せずに絞首して殺している。

マッカーサーをコレヒドール島から追い出した昭和十七年の第十四軍司令官本間雅晴中将に対して、
昭和二十年十二月十九日に裁判を開始し、
翌二十一年二月十一日判決、
同四月三日午前0時五十三分死刑執行。
この本間中将に対する判決日は紀元節二月十一日である。

そして、死刑執行の日と時間は何か。

四年前のその日、その時間、即ち、本間雅晴第十四軍司令官は
バターン半島に立て籠もって頑強に抵抗するマッカーサーを司令官とするアメリカ軍にたいし
昭和十七年四月三日午前0時五十三分、総攻撃を下命した。

マッカーサーは、その日のその時刻に、本間雅晴中将を殺害したのだ。つまり、私怨を晴らした