東京の酷暑を理由に、札幌への移転が決まったオリンピックのマラソン、競歩の競技会場。12月19日、ようやくマラソンのコースが発表されたが、選手の宿泊先やボランティアの確保など様々な課題がまだ残されている。


 そうした中、小池百合子東京都知事が「文藝春秋」1月号の単独インタビューに応じ、札幌開催への胸中を明かした。

「2020年東京五輪に、札幌で行われるマラソン、競歩の成功は欠かせません。11月11日の全国知事会でも、北海道知事の鈴木直道さんと一緒になったので、私から『頑張ってね』と声をかけました。本格的な雪の季節を迎え、距離の計測などの苦労もあるでしょうが、札幌でもマラソンの大会は何度も開かれており、基本的なノウハウはお持ちだと聞いています。東京としても、大会成功への協力は惜しみません。

 しかしながら、IOCの決定はあまりに突然でした。ホストシティとしてこれまで積み重ねてきたものを、急に変えられてしまうのですから、簡単に『はい、分かりました』と頷くわけにはいかなかった。ですから、私は『合意なき決定』と申し上げてきました」
.

バッハ会長から送られてきたメール

 マラソンや競歩の選手は酷暑の東京を想定して練習を重ね、コース沿道の住民たちも本番に向けて準備を進めていたはずだった。小池氏の元にも、移転を本当に残念に思う声が届いていたという。だが、最終権限があるのは、あくまでIOCだ。

「IOCが下した決定を妨げることは契約上も不可能でした。それでも、私は都民の皆さんの失望を直接IOCに伝えてきました。バッハ会長も対応策はないかと考えてくれたのでしょう。10月31日の深夜には、東京のコースを活用し、大会後にオリンピックセレブレーションマラソンを開催したい、というメールを頂きました。この提案の内容は今、事務方が詰めているところです」
.

白黒テレビで見たアベベのマラソン

 実は小池氏にとって、前回1964年の東京大会で最も印象に残っているのは、マラソンのあるシーンだという。1952年7月生まれの小池氏は当時、12歳だった。

「前回の東京五輪で私が思い出すのは、小学校の白黒テレビでエチオピアのアベベ・ビキラ選手がマラソンを走っているシーンです。靴は履いていなかったような気もしていたんですが、最近、映像を確認してみたら、違いました。履いていなかったのは、1960年のローマ大会でした。その後、私はエチオピアに行った時に首都のアジスアベバで、アベベの銅像を見て、『これが、あのアベベか』と感慨深い思いを抱いたのを覚えています」

 小池氏の思い入れも深いマラソン競技。札幌が今後、様々な課題をクリアすることができるのか、注目される。

「文藝春秋」1月号および「文藝春秋digital」では、小池氏が「 私はパラリンピックに命を懸ける 」と題して、札幌移転に追加経費を負担しない理由、皇居前広場でのビーチバレー開催計画、「命を懸ける」と語るパラリンピックへの意気込み、放映権料収入に依存するオリンピックの課題などについて語っている

12/24(火) 6:00配信
文春オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191224-00020499-bunshun-soci