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最初の地震では、東京市内の建造物の被害として、たとえば凌雲閣(浅草十二階)が大破。
建設中だった丸の内の内外ビルディングが崩壊して作業員300余名が一瞬で圧死するなどの被害が発生しています。
震源に近い横浜では、官公庁やグランドホテル・オリエンタルホテルなどが、
石造・煉瓦作りの洋館であった事から一瞬にして倒壊して、ここでも多くの死者を出しました。

一般の家屋でも、倒壊や倒壊の危険から、多くの人は日頃の訓練に従って、指定避難所に退避していました。
そこは土地が広てく、安全な場所だったからです。
安全だから指定避難場所になっていたのです。
ところがその【 避難場所が、地震の「翌日」になって火災のために丸焼けにされています。 】

たとえば、東京の本所区横網町(現在の墨田区内)にあった本所区被服廠は、
2万430坪もある広大な敷地内に4万人近い人が避難していました。
ところがその【避難所を火炎柱が襲い、ここだけで3万8千人も亡くなっています。】

集まっていたのは、もちろん地震による家屋倒壊等によって避難を余儀なくされた人達です。
安全だから、被服廠にいたのです。
そこを【震災後まもなく消し止め終わっていたはずの火災が襲ったのです。】