『アメリカの食糧輸出戦略』

(1)ガリオア、エロア援助
昭和 21 年 ( 1946 年 )12 月から、 米国産の脱脂粉乳 を中心とする学校給食が始まりました。
それが 米国産小麦粉 から作る パンを主食とする完全給食になったのは、
大都市では昭和 2 5年 ( 1950 年 ) 2 月からで、全国の都市部では翌年 2 月からでした。

この給食は ガ リ オ ア GARIOA ( Government Account for Relief In Occupied Areas ) 占領地救済資金 、
及び エ ロ ア EROA ( Economic Rehabilitation in Occupied Areas ) 占領地経済復興基金 、
からの援助 プログラムによる米国産の小麦の払い下げを受けて発足したもので、
ガリオア 援助には食糧以外にも原綿、肥料、燃料、医薬品も含まれていま した。

日本に対する援助はこれ以外に国連が管理した() ラ ラ LARA ( Licensed Agency for Relief of Asia )
アジア救済機関 による援助があり、これにより米国産の粉 ミルク が日本全国の小学校児童に配給されま した。

ガリオア による援助は昭和 23 年 ( 1948 年 ) に エ ロ ア 援助に吸収されま したが、
基金の性格、その目的 ( 米国における 余 剰 農産物の処理 )から、本来占領地域に対する無償援助の 「 はず 」 でした。