>>370
アメリカでは、1857年に最高裁判決で、「差別をしても憲法違反にならない」、
「黒人は市民ではなく、奴隷であり、憲法は白人のためのみにあるものであり、
黒人は、白人より劣等な人種である」とはっきりと宣言している。
その後の歴史はまさに、リンチと暴動と、暗殺の歴史である。

特に、武器が民間人にも容易に手に入るアメリカにおいては、
白人が集団で黒人をリンチし、むちで叩くとか、家を壊す、火をつける、
ひどい場合には、電柱につるして銃で蜂の巣にするような事が公然と行われた。

1908年(スプリングフィールド)の暴動では、黒人、白人あわせて2百人が拘留されたが
「白人で処罰された者は、一人もいなかった」

パリ講和会議が行われたのと同じ1919年には、シカゴで大規模な暴動が起きている。

原因は、ミシガン湖畔で、「白人しか遊泳が許されていない水泳場に
無断で泳いで行った黒人青年が溺死した」事が発端であった。
暴動によって街は無法地帯と化し、双方に多数の犠牲者が出た。

家を焼かれたり壊されたりした黒人の数は、1000人を超え、同じ年に、
アーカンソー、ネブラスカ、テネシー、テキサス、コロンビア特別区でも同様の暴動が起きている。
ややさかのぼるが、1905年には、カリフォルニアで「日本人排斥運動」が起きている。

これが、日本が「人種差別撤廃」を打ち出した当時、これを否定したアメリカ国内の偽らざる状況である。