>>678
イギリスとソ連は、ロンドンの亡命政権とルブリン共産党政権の
どちらが正式なポーランド政府かを巡って対立した。
結局、アメリカの仲介で、総選挙により国民自身で政権を選ぶことになった。

ところが、スターリンは戻ってきたロンドン亡命政権の指導者を
逮捕し裁判にかけてしまい、ポーランドはルブリン共産党政権によって
統治される社会主義国となってしまった。アメリカの大失敗だった。

ヤルタ密約では、アメリカとソ連は、カイロ会談で出てきた
台湾の支那(国民党政権)への割譲を確認した。
朝鮮半島は当面の間は連合国の信託統治とすることとした。

しかし、米ソの対立が深まり、その代理戦争として朝鮮戦争が勃発し、
朝鮮半島は今日に至るまで分断されている。
更に、連合国自らが領土拡張の意図を否定した「カイロ宣言」なるものと矛盾することも批判を招いている。

この会談以後の戦後体制をしばしばヤルタ体制と呼ぶ