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アメリカイギリスが引き起こした
日本人虐殺・強姦・拷問、強奪

樺太の真岡は人口2万の町だった。
8月16日夕から本土への引き揚げが開始され、
19日夕刻までに6千人が出航していたが、乗船を待つ避難民がまだ1万5千〜8千人いた。

真岡への攻撃は20日早朝に始まった。
数隻の大型軍艦が町中に艦砲射撃を行い、
その後、上陸したソ連兵は山へ逃がれる人々に
背後から機関銃や自動小銃を撃ち、手榴弾を投げつけた。
引き揚げ船へ向かう女子供たちの上にも、容赦なく砲弾が降り注いだ。
厚生省資料ではこの時の民間人犠牲者は約千名としている。

『真岡郵便電信局事件』また北のひめゆり(事件)とも呼ばれる

1945年8月20日、大東亜戦争末期の樺太の戦いで、
真岡郵便局の電話交換手が集団自殺した事件

樺太の真岡電話局には電話交換手の9人の若い女性たちが、
引揚げの指示を断ってまで、
市街の惨状を報告し続けるために現地に残留していたが
そこにもついにソ連軍が侵入。