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アメリカイギリスが引き起こした
日本人虐殺・強姦・拷問、強奪

『通化虐殺』

1946年2月3日に中国共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で
中華民国政府の要請に呼応した日本人の蜂起と、その鎮圧後に行われた中国共産党軍(八路軍)
および朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊、新八路軍)による日本人及び朝鮮人に対する虐殺事件

日本人約3000人が虐殺され、その多くが老若男女を問わない一般市民だった。
中国では通化"二・三"事件などと呼ばれる。

元朝鮮人日本兵や現地の朝鮮人などで構成されていた朝鮮人民義勇軍は新八路軍や朝鮮八路とも呼称され、
「36年の恨(妄想)」を口にしながら東北民主連軍と共に暴行・掠奪・強姦・処刑を行った


通化は終戦時に中華民国政府の統治下に置かれ
孫耕暁が国民党通化支部書記長に就任し、満州国軍や満州国警察が転籍した中華民国政府軍によって統治されていた。
交通の要所である通化には大勢の避難民が集まっており、
1945年8月18日には通化国民学校に避難民収容所が設置された。

また同年8月13日に発生した小山克事件に巻き込まれた避難民も到着しており、
通化にもともと居住していた17000人の日本人居留民と、10万人以上の他の地域からの避難民が滞在していた。

武装解除された日本兵は次々と吉林、次いでシベリアへと送られていった(シベリア抑留