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このため、28人の婦女子が集められていた部屋では自害すべきか話し合うようになった。
【その間中にもソ連兵の乱入があり、隣室からも女性たちの悲鳴や
「殺して下さい」などの叫び声】が聞こえてきたため、自殺することに決した。

隠し持っていた青酸カリが配られ全員が自殺を図り、23人が死亡、5人が死に切れずに生き残った。
他の部屋では【ソ連兵に引きずり出されるときに剃刀で自殺を図った女性】もいた。

8月27日早朝、ソ連兵が集団自決を発見し、将校に報告されると各部屋にはソ連兵の見張りが付けられ、
女性たちは外を見ることを禁じられ、遺体はどこかへ運び去られた。

事件後
その日のうちに女性たちは男性社員が野宿させられている飛行場のそばの湿地に連行された。
その後、8月末までは湿地や飛行場で待機させられ、
【シベリアに連行される日本軍部隊から密かに食料や毛布などを分けてもらう】などしていたが、
牡丹江対岸の熊本県開拓団の小学校に遷されると【毎日のようにソ連軍による略奪が行われ】
【女性を裸にしてまであらゆるものを奪い去っていった】

また、ソ連へ工場設備から列車の線路にいたる全てのものを
持ち去るための解体作業を昼夜に渡って行わされた
その後、敦化市内の旧軍人会館に移転させられたが、冬が訪れると【飢えと寒さと発疹チフスのために87人が死亡】