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ところが論理的思考ができずに、物事の分析もできずに、本質も理解できない人間にとってはどうなるか。
上記のような論理的思考を放棄すれば、当然、人間は綺麗事や現実逃避した理想など表面的なことにしか目が向かず
情緒的、感情的に脊髄反射するだけで物事の本質は何も理解できない。

だから平和がいいと思うと軍隊と戦争を結びつけてそこで思考停止し、軍隊を持つことをなくそう、軍縮しようとなるわけで、論理性は皆無である。
論理的に考えれば他国が軍隊があるのに自国の軍隊がないか弱ければ自国への侵略を誘導するだけである。

しかし論理的に思考し分析しないと、その人間にとっては論理よりも情緒的な「感じ」が勝ってしまうのだ。
その「感じ」でわかった気になっているのである。

しかも自国に軍事力がないか弱ければ、それは外交、政治力に反映されるわけで、
自国は言いなりになるしかなく国益を損失していくだけである。
軍事力がないか弱ければ侵略、戦争を仕掛けられる可能性が高く、実際にやれば必ず負けるのだから言いなりになるしかないのだから。

また自主防衛を放棄すれば日本のように国防をアメリカに完全依存してアメリカの属国になっているように、守護国の言いなりになるハメになる。
アメリカは善意で日米安保条約を結んでいるわけでなく、日本をアメリカの属国にして思うがままにコントロールできるメリットがあるからだ。
しかも実際に日本が侵略されても米軍が日本を守る保証などまったくない。

核にしても論理的に考えて分析すれば、上記のように自国が核を持つことが核の被害を受けないための最も強力な方法だ。

しかし論理的な分析をしなければ情緒的に綺麗事に脊髄反射するだけで思考停止して「核反対を叫び祈りましょう」と、しまいには神頼みが始まる。
また友好、話し合いをすればいいなどと綺麗事を言うわけだが、相手にその気がなければ無意味であるし、人間、他人の良心まかせの社会など成立しえないことも理解できていない。
だから法律があり警察や軍隊があるわけである。
友好、話し合いで解決するなら法律も警察も軍隊も必要ないのだ。

このように我が国は論理的に考えて分析し本質を理解することができず、情緒的に現実逃避し
綺麗事や理想など表面的なことにしか目が向かない思考停止の馬鹿どもによって、自らの首を絞めてしまっているのである