国益の奪い合いである「外交」を「友好」を結ぶ場と勘違いしている現代の多くの日本人


アメリカでは常識の-ニッポン人取扱説明書-腹が立つけど、これが現実 (著)ロバート・ツチガネ 2004年3月出版

★ニッポンでは「国益」を語ることがタブーらしい★

日本では、国益を論じることは、ほとんどタブーに近い。
というより、初めから国益という概念が、日本には存在しないのである。このことは、欧米でも、よく知られている。
私が出会ったアメリカ人も、日本人は短いタイムスパンで損得勘定をすることが多いものの、長期的な国益という観点から、ものを言うことが少ないと見ている。
ケーススタディとして、北朝鮮を取り上げてみよう。
いったい、北朝鮮と国交回復して、なんのメリットがあるか、考えたことのある日本人が、どれほどいるだろうか?

ところが、奇っ怪なことに、日本の外務省は、北朝鮮との国交回復にきわめて熱心なのである。なんのメリットもないどころではない。
北朝鮮に対しては、かつて金丸信元副総理が訪朝した際に、戦前の補償ばかりでなく、戦後補償までも約束してきてしまった。
また、平壌声明のときも、さすがに賠償という用語は避けたものの、経済協力をほのめかす表現を用いてしまった。
このことも、いかに国益を考えていないかの、ひとつの証拠である。


★世界平和に対する妄想的な思い込み★

日本は戦後、平和という幻に取りつかれている。ドイツでは憲法(基本法)を改正し、NATOの一員として、自国を守れる軍隊を持っている。
日本はいまだに平和教とでもいうべき妄想に取りつかれている。たしかに平和は望ましい。

だが、平和、平和とお題目のように唱えれば、実際に平和がもたらされるわけではない。
とくに、日本の場合、異常きわまりないのは、日本さえ軍備に走らなければ、世界は平和になるという妄想的な思い込みに、取りつかれている点である。
日本では、北朝鮮の核開発に反対する市民運動は皆無だが、日本の原子力発電に反対する運動グループは、掃いて捨てるほど存在する。

日本の自衛隊には反対するが、拉致、テロなどに当たる北朝鮮の特殊部隊には反対しない。
つまり、日本人さえ、身を謹んでいさえすれば、他の国はよい国ばかりなのだから、世界は平和になると妄信しているのだ。
日本人の考え方は、いかにも非現実的で妄想に近いのだが、そのことを当の日本人が理解できていない。愚かしいかぎりだ。

日本では多くの国民も政府も、北朝鮮、中国がどんなに危険な存在であるかを理解していない。
北朝鮮も中国も日本を仮想敵国としてミサイルを配備している。いつ彼らは核戦争のボタンを押すか分からない。
日本はこれに対し、まったくの無防備の状態にある。
こうした現状について、国民も財産も守れないという厳しい現実を、政府も役人もマスコミも説明しないし、議論しようともしない。