>>82
これが本物の「進駐軍」!!

GHQはプレスコードの形で「進駐軍兵士の犯罪の報道禁止」(九月一日)を命じていた。
同時に日本の警察に対しても進駐軍兵士の「逮捕、裁判を行う権利の放棄」を呑ませた。
この治外法権の対象にGHQはニカ月後の十一月、「朝鮮人、支那人」も含めるという
通達を出した。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

・「朝鮮進駐軍」浜松戦争(1948年3月)

戦後、浜松市内の国際マーケットは在日朝鮮人が押さえていた。
在日朝鮮人は、在日本朝鮮人連盟の威光を背景に、地元の自治体警察である浜松市警察の介入を許さず、
禁制品を公然と売り捌いていた。地元やくざの小野組は比較的合法な物品しか売っていなかったため客足が
奪われ朝鮮人に反感をもっていた。
1948年3月、浜松市警の巡査が賭博の現行犯で朝鮮人を逮捕しようとしたところ、返り討ちにあって負傷。
小野組は、その巡査を救出して近くの病院に収容、病院周辺を警護して朝鮮人の来襲を阻止するなど、
一触即発の事態を迎える。4月4日夕方、朝鮮人が小野組組長宅を先制襲撃。
これより、朝鮮人・小野組・浜松市警の三つ巴の抗争が勃発した。 
小野組は直ちに報復すべく会合を開いたが、朝鮮人はその会合場所を襲い銃撃。
浜松市警も抗争を鎮圧するために出動したが、朝鮮人は伝馬町交差点でこれを迎えうち、
警察との間で銃撃戦となった。5日以降の数日間の銃撃戦で死者数人・負傷者約300人を出した。
浜松市警は、岐阜軍政部にMPの出動を要請し、400人のMPが浜松に派遣されたことで漸く沈静化した。

こんな連中の子孫に選挙権って、言ってる日本人のバカも刑務所に入れろよ