バングラデシュ南東部コックスバザール郊外のロヒンギャ難民キャンプで取材中の宇田有三さん=2009年12月22日(本人提供)
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 よその国に入り込むほどに日本が見えてくる。海外に染まるほど、自分を日本人だと思う。ひょんなことから27年もミャンマーを取材してきたフォトジャーナリスト、宇田有三さん(57)は最近、そんな自分に気づいた。海外で起きている差別の原因を探り、どう鎮めるかを考えるうちに、自分が育った日本を振り返ることになったからだ。

 神戸市で生まれ育ち、神戸市外国語大学を卒業した宇田さんは中学の英語教員を2年半ほど務めた。だが、男子生徒はみな丸刈りといった管理の厳しい教育に「ちょっと自分の世界とは違う」と思い、27歳でジャーナリストを志す。「世界を放浪しながら写真と記事を日本の出版社に送ろうと思ったのですが、技術がないので米国のボストンの写真学校に入りました。そこの先生に『写真をやるというのは自分の27年間の価値観、映像イメージの先入観を崩すことだ』と言われ、最初の1年は自分で自分の思い込み、洗脳を解いていく、しんどい時間でした」

 具体的には「ボストンの街を写真に撮って先生に見せると、『なぜ電柱を画面の3分の1も入れた』と聞かれ、『何となく』と返すとさらに突っ込まれる。質問の意味を探るうちに自分の偏見に気づかされ、写真の奥深さにのめり込んだのです」。

 帰国した29歳の年、たまたま新聞でミャンマー東部の少数民族カレンのルポを読み、自身もタイからその地に潜入する。軍事独裁政権と対立するカレンの元へ通ううちに9年が過ぎ、2002年には国全体を知らねばと、軍政下のヤンゴンでミャンマー語の勉強を始め、以後、国の隅々まで歩き回ってきた。

 そして今年8月に出版したのが「ロヒンギャ 差別の深層」。ミャンマー西部に暮らす少数派イスラム教徒ロヒンギャは17年にミャンマー軍に追い出される形で約70万人が西隣のバングラデシュに逃れた。彼らが国を追われる事件は1978年に始まるが、実は根が深く、その原因もはっきりとわかっていない。

 ロヒンギャたちはなぜ迫害されるのか。(1)多数派ミャンマー人とは違う少数派住民(2)国民の多数を占める上座部仏教(ブッダの教えにより近いとされる仏教)ではないイスラム教徒(3)かつて「違う国」と言われた西部の辺境、ラカイン州在住(4)母語は隣国バングラデシュと同じベンガル語系の方言(5)82年制定の市民権法で中国系、インド系と並び「市民」から排除される――といった要因を宇田さんは挙げるが、「なぜ」に対する決定的な理由はわかっていない。

 「ある人に『日本の被差別部落の問題に似たところがある』と言われてはっとしました。日本人は差別を知ってはいても、その原因をはっきりとは知らず、国が広く解決の道を示してこなかった。ミャンマー人のロヒンギャに対する態度はそれと似通っています」

 さらに宇田さんが続ける。「ミャンマー軍政が貧困など住民の不満のガス抜きのため、ロヒンギャを被差別民に、スケープゴートにしたというのも、身分制が残っていた江戸時代の差別を思わせる」。明確な理由がないまま、単に悪習として続いてきたとも言えるわけだ。「3年前、長崎で朝鮮人、被差別部落、被爆者に対する差別の歴史を調べましたが、排除する側も交錯していて複雑で、答えが見えませんでした。日本の差別を調べた末、わからないということがとりあえずわかったという結論で、そこからこの本をつづり始めたという感じです」

 ロヒンギャを探る中、彼らの地位が日本のアイヌにも通じると思わざるを得なかった。

 「日本政府が19年に制定した『アイヌ民族支援法』には第1条に『先住民族であるアイヌの人々』と記されています。でも、そこには国連の『先住民族の権利宣言』の核である自決権や教育権は盛り込まれていない。『先住民族』は文化的な位置づけで、そこに法的な議論を取り込まないようにしているんです」。そのあたりが、ロヒンギャに対するミャンマー政府のあいまいな対応と似ている。「土地に対する集団としての権利に、意図的に触れようとしないのです」。そこに触れれば、北海道や東北の土地の権利は誰にあるのかという問題に分け入ってしまうからだ。

 ロヒンギャの場合、土地の権利のみならず国籍さえない。何代にもわたってミャンマーの領土で生まれながら市民権が保障されないのは「政府が批准している『子どもの権利条約』違反になります」。(続きはソース)

毎日新聞 2020年10月2日
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