【重要】

津軽のイヨマンテ

青森・秋田・岩手には、今日でも和井内(わいない)、生保内(おぼない)、今別(いまべつ)などおびただしいアイヌ語地名がある。
中には奥戸(オコッペ=興部)、シレトコ、シラヌカなどよく知られた北海道の地名と同じものもある。

我々は、東北の地にアイヌが住んでいたのは遠い昔のことと思い込んではいないだろうか。

東北アイヌの境遇は、18世紀になると徐々に変化する。
藩財政の窮乏化に伴って、アイヌの内地人化、つまり農民化の施策がとられるようになったのである。
租税負担者を少しでも増やし、財政の足しにしようというわけだが、もともと自給分程度の畑作を行う者もあった東北アイヌは、以後急速に和人化し、民族的特徴を失っていった。

三厩宇鉄村を旅した京都の医師橘南谿たちばななんけいは、当時の風俗を「東遊記」に遺している。
(この箇所は太宰治の「津軽」にも引用されている)。
「当地は6、70年前まではエゾ村であったが、今は風俗が変わって日本人の通りになっている。
しかし近所の村とは縁組をせず、顔立ちも異なって眉が一文字につながっている女子などもいる。
毎年近くの今別村の寺に集まり「蝦夷踊り」を行っている」
と述べられており、18世紀末にはアイヌの名残を留めながらも和人世界に同化してしまった様子が描かれている。

図92.「陸奥国津軽郡中絵図」 津軽半島の\村 = アイヌの地
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