仏教というのはね、お釈迦様が高貴なご身分を捨てられ、インドのガンジス川のほとりで
歩いてカースト制でもう極楽浄土は無理であると思った人らに、誰でも平等に
極楽浄土にいける事を説いて回ったのね。これは「平等」という概念が東洋で
出てきた瞬間であったわけね

同時に中国で「禅」が出てきた時に今度は「自由」という概念が出てきたわけね

やはり、中国というのは「東洋の」というところにこだわりがあると思うのね
自分らはあれだけの中国文明を築いたという自負心があるからね

だからこれで良いのだろうと思うわけね