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東京都における環境衛生行政の新世紀構想

昭和22 年,警察制度の改革と保健所法の改正が行われ,
それまで,警察署が担当していた衛生警察業務が保健所に
移管されることとなった.
昭和22年から25年にかけて,理容師法,興行場法,旅館
業法,公衆浴場法,クリーニング業法等(以下,「六法」と
いう.)が制定され,日常生活に密接な関わりを持つ環境衛
生関係営業施設の法制の整備が行われた.
https://www.niph.go.jp/journal/data/50-1/200150010008.pdf

社会安全を支える公衆衛生組織と人材育成

「明治 19 年の頓挫」によって,地方の地方衛生会,衛生課,
衛生委員が廃止され,明治 26 年には,衛生行政は警察部に
移管されることになった.つまり,自治体の上に立った公衆
衛生制度は封印された.この時期から上意下達の警察行政の
中に置かれるようになった.中央集権制度が強化される中で,
自治制度依存型の公衆衛生というより,衛生警察による取り
締まり,摘発が公衆衛生制度の基本的な形態となった 7).

本来,自治体の機能として育つべき公衆衛生が,警察行政
の中に包摂されたことには,開国し,国際交流が飛躍的に
すすむ中で,わが国が恐ろしい伝染病の攻撃を直接受け,
伝染病の大きな流行をみることになったことも影響している.
まだ十分に育っていない自治体の機能というような悠長なこと
をいっておれなくなったということもできる.
明治 30 年に伝染病予防法が制定され,大正 8 年結核予防法が
制定され,これらの法律を基盤として,社会の強い関与を軸と
した公衆衛生対策が推進されていくことになる.

 わが国の公衆衛生制度は,その後産業の育成強化,戦争政策
の遂行という背景の下に,健康保険法,保健所法,国民健康保
険法が制定され,さらに昭和 12 年に厚生省,保健所制度がつ
くられたが,わが国の人々の認識の中に公衆衛生制度は人々を
保護し,支援する制度というよりも,国家が国民に強いる制度
であるとの理解となり今日まで公衆衛生制度の発展に影響して
いるように思われる.
https://www.kansai-u.ac.jp/Fc_ss/common/pdf/bulletin001_04.pdf