https://www.zakzak.co.jp/soc/news/210313/pol2103130001-n1.html
 東日本大震災から11日で10年を迎えた。汚染水浄化後の「処理水」が増え続けている福島第1原発の現状を見ても、災害は終わっていない。そして、いまは世界が新型コロナウイルスとの戦いの真っ最中だ。

 この10年で日本が経験した「2つの危機」を前にすると、「日本という国が、いかに非常時に弱いか」を改めて実感する。それは、なぜなのか。

 大震災で思い出すのは、発災当日にあった原子力安全・保安院(当時)の会見だ。審議官はここで、「炉心溶融(メルトダウン)が進んでいる可能性がある」と明言した。

 映画「チャイナ・シンドローム」で描かれたように、原子炉に冷却水が送れなくなれば、炉心溶融は避けられない。審議官は正直に見通しを説明しただけだったが、「首相官邸が激怒している」との声が役所に伝わって、審議官はすぐ更迭されてしまった。

 これ以降、政府や東京電力は「炉心損傷」という言葉を使い始めた。マスコミも発表をそのまま報じたので、「炉心溶融」という言葉は社会から消えてしまった。

 新型コロナでは、昨年1月時点で、中国・武漢で発生した「新型肺炎」がSNS上で大問題になっていた。動画投稿サイト「ユーチューブ」は、患者があふれかえった病院や路上で人が倒れる衝撃的な映像を伝えていた。だが、日本政府の反応は鈍く、武漢からの帰国者に質問表を配布するなど、信じがたいほど緩い対応だった。

 2つの危機に共通しているのは、政府とマスコミの「見たくない現実は見ない」という態度である。「パニックを起こしたくない」という理由もあるだろう。だが、私は政府とマスコミが「平常時バイアス」にとらわれているためだ、と思う。


(略)