文春オンライン6.9
https://bunshun.jp/articles/-/45994

2008年6月8日12時半すぎ、元派遣社員の加藤智大(かとう・ともひろ)=2015年2月17日、最高裁で死刑確定=が東京・秋葉原の交差点にトラックで突っ込んだ。トラックではねた男性5人のうち、3人が死亡した。また、トラックから降りた後、ダガーナイフで男女12人を刺した。このうち4人が死亡した。事件当日は日曜日で、現場となった秋葉原の中央通りは人出の多い歩行者天国となっていた。

加藤は、事件の目的は殺人ではなく、ネットの電子掲示板に現れた「荒らし」への抗議だったとのちに証言している。

あれから13年が経った事件現場に、かつての同僚、大友秀逸さんが訪れていた。

事件を止められなかった友人としての思い
大友さんは現場近くで手を合わせながら、こう思っていた。

「事件のことは昨日今日の出来事のように思い出します。逮捕時の加藤君の映像、交差点に救急車が並んでいる映像が脳裏に鮮明に焼き付いています。あの事件の前から職場がここから近く、秋葉原という街は、僕にとって日常の一部になっています。何回手を合わせても、亡くなられた方々に何と言葉をかけていいか自問自答しています。ただ、自責の念ではないですが、事件を止められなかった友人としての思いを伝えています」

大友さんは当時、テレビで事件の発生を知ったという。

「前日の土曜日に秋葉原で買ってきたゲームを夜中までやり、事件当日の昼過ぎに起きてテレビをつけたんです。すると、加藤君が取り押さえられてる映像が流れていました。全身から血の気が引くような感覚に襲われながら、慌ててネットで状況を調べました。『心肺停止』という文言のほか、“被害者が複数人”という情報がありました。そして、明らかに鼓動が速くなり、どんどん更新される情報に釘付けになり、何時間も見続けていました」

加藤君とは本当にたわいもない話をしていた
当時、加藤と一緒に働いていた警備員時代(仙台市)の共通の知人に電話した。

「事件をまだ知らなかったようで、『嘘やろ』とまったく信じてくれませんでした。ただ、通話を切った数分後に『カトちゃんやった……』と折り返しの電話があり、現実に起きてることだと改めて実感しました」

大友さんは、免許がない加藤を職場に送迎していたこともある。

「加藤君とは普通のサラリーマンと同じで日常的な話をしていました。共通の趣味はアニメで、例えば、『エヴァンゲリオン』の話をしていました。本当にたわいもない話をしていたのが記憶に残っています。どこにでもあるエピソードです」

悪い方の加藤君が出てしまった
一緒に働いていた立場として、どういう印象だったのか。

「瞬間的にキレてしまう傾向はありましたが、自分の失敗に対して反省し、涙を流せる人だった。一部、暴力的だったという言われ方をしていますが、その反面、それを自分でまずいと感じて、変えようとしていた人でもあります。事件を起こしてしまうことは意外とは思いませんでしたが、踏みとどまれる人間であってほしいと思っていました。悪い方の加藤君が出てしまったなと思います」

事件前に最後に会ったのは2005年4月頃。加藤が埼玉県のトラック工場に働きに行くことになったときだという。

「『車を持っていけないから10万で買ってくれ』というので、譲り受けることになり、ファミレスで食事をしました。その後二人で流行っていたエヴァンゲリオンのパチンコを打ち、二人ともすぐ当たりましたが、すぐ飲まれてしまい、加藤君の自宅アパートまで車で送って別れたのがリアルで会った最後です」

2006年頃には、かつて上司だった人物が警備会社を作り、大友さんは常勤監査役員で参加していた。事業拡大をしたため、大友さんは電話で何度も加藤を勧誘したという。

「裁判で『仙台の警備員時代、唯一許せなかった』と言っていた当時の営業所長の名前も、新しい会社の参加メンバーとして加藤君に伝えていました。おそらく加藤君は条件が良くても、新しい会社に来なかったと思います。自分がしつこく誘ったものだから、電話に出なくなりました」

問題行動があったときに、より踏み込んだ対応をするべきだった
事件後、大友さんは加藤と連絡をとろうと思った。事件翌日、万世橋署で出待ちしたこともあった。その後、報道記者から当番弁護士の名前を教えてもらい、個人的に手紙を渡した。何を伝えたかったのか。

(長文の為以下リンク先で)