>>105
もともと江戸時代には
武士、町民、農民しかいない。土地が固定してるから
これ以外は「非定住民」と言う。
これを扱ってたのが浅草弾左衛門事務所で、穢多頭と呼ばれた
これに対して長吏はちょっと違う
本来的には元罪人などで厚生して警吏や死体の始末など嫌な仕事を押し付けられてた人々
長吏には元罪人の子孫もいた
いわゆる四民平等により、皇族、華族、平民の三階層にしたときに、
非定住民に含まれる、神官、僧侶、木挽、鳥追、旅芸人、行商、漁師、猟師を平民にした
つっても、神官や僧侶は天皇の直接の家臣なんだけど。
ここで定住させたので農民と非定住民の土着集落ができた
この「非定住民土着集落」を関西では「特殊部落→被差別部落」と呼んで略称が部落
本来は集落の意味で使ってる普通の言葉

だから部落は非常に広い意味があって、
関西では小作人の村も部落と呼んでる