>>212
地方によるんだねぇ
穢多頭としてるところもあれば、
こういう地域もある

信濃
町離ともいい、天正16年(1588年)に松本城下の出入口に
それまで在方で皮革及び皮革製品の生産に従事していたかわたが集住させられて清掃、警察の下働き、刑場での刑吏の仕事を命ぜられて成立した。
上田城下でも慶安2年(1649年)に同様の目的で集住が促された。
その他、海津(松代・小諸・上田・高島(諏訪)・飯山等の諸城下にも同様に配置された。
また陣屋・代官所・知行所のある町村にも牢守として配され、各宿場出入り口には「長吏屋敷」が置かれた。
また領地境・国境の要地の宿駅にも長吏が置かれて、いずれも清掃・警察の下働き・刑吏の仕事を命ぜられた。
このように政策としての長吏屋敷の配置であったため、成立期には1戸〜数戸の小規模集落が圧倒的だった。
城下に頭と年寄がおり、各地に組頭、その下に各地の長吏が組織されるという階級制度が採用されていた。
多くの場合、長吏は非人を支配しなかった。