0001かわる ★
2021/09/09(木) 17:12:03.35ID:1uPNxtrA9アダムスさんはセネガル出身。フランスのアマチュア選手権活躍で頭角を現してニームと契約し、2年後には初めてフランス代表に選ばれた黒人選手の1人になった。
代表チームでマリウス・トレゾール選手と組んだディフェンスは、「ガルド・ノワール(黒いガード)」として有名になった。
しかしひざをいためて1982年3月17日、病院で予定していた手術を受けた。この日、病院では職員のストが行われていた。
「女性の麻酔医は、8人の患者の面倒を見ていた。次から次へと、まるで組み立て工場のように」。昏睡状態の夫を自宅で看護し続けた妻のバーナデットさんはCNNの2016年の取材に対し、当時を振り返ってそう語った。
「ジャンピエールを担当していたのは研修医で、後に法廷で『私は任された仕事をこなせなかった』と認めた」
「命にかかわる手術ではなく、病院がスト中で医師がおらず、この女性が2つの違う部屋で8人の患者の面倒を見ていた。誰かが私に電話して、手術を延期すると告げるべきだった」
しかし手術は延期されず、麻酔医と研修医の間で膨大なミスが相次いだ。
挿管が不適切だったために、酸素を供給するはずの管にふさがれて肺に酸素が届かなくなり、アダムスさんは酸欠状態に陥って心停止を起こした。
ニースは今月19日、モナコと対戦するホームゲームでアダムスさんを追悼すると発表した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c0b98bc2ac271426ec39c0ab441f36a19d428fd