【悲しみ本線日本海】夕刻に列車と熊が接触 翌朝現場点検中の女性と用心棒が子連れ熊に襲われる 親は射殺・浜田 [水星虫★]
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浜田市で線路の確認作業をしていた2人がクマに襲われけが
http://www3.nhk.or.jp/lnews/matsue/20211023/4030010459.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
23日朝、浜田市のJR山陰本線の線路付近で、県職員など2人がクマに襲われ、
手首をかまれるなどけがをしました。
現場付近では22日にクマと列車が接触し、列車の運転が見合わせとなっていて、
2人は線路上を確認する作業を行っていました。
23日午前6時ごろ、山陰本線の岡見駅からおよそ2キロ離れた浜田市三隅町岡見の線路近くで、
70代のハンターの男性と40代の県職員の女性が茂みから突然出てきた子連れのクマに襲われました。
男性は左足の甲、女性は左ふとももと左手首をかまれましたが、いずれも軽傷で命に別状はないということです。
現場付近では、22日の夕方、列車とクマが接触し、列車の運転が見合わせとなっていて、
23日午前6時からハンターや県職員など8人が出て、
線路上にクマが倒れていないかなどを確認していました。
クマは、その後、近くにいた別のハンターに処分されました。
現場近くでは、22日からクマの親子3頭が目撃されていて、
襲ってきたのは親グマとみられるということです。
子グマは見つかっていないことから、島根県鳥獣対策室は地域の防災無線などを通して住民に対して、
クマの出没情報には注意し、危険な場所には近づかないよう呼びかけています。
10/23 14:58 志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い[1]、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において
諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受けたとされる[2]。
1948年11月、シベリアより復員[1]。
1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる[3]。
1953年11月、外務省アジア局調査員となる[1] が、「二重スパイ」の活動は継続した[3]。
1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた[4]。
しかし罪には問われず、その後、1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラス DC-8型機の機内で死去した[1]。
親族:
甥 志位和夫(現日本共産党中央委員会幹部会委員長) おっかあいなくなっちゃったのか
まんま赤カブトやないかい 熊がかわいそう
殺さなくてもよかったのではないか
というやつがでてくる 観光クマ列車で村おこし
クマ肉が入ったクマ弁当でウハウハ どうでもいいが「哀しみ本線日本海」ってイメージは多分羽越線だよね スレタイ、意味が分からないし面白くもないからやめろ 韓国はクマなんてほとんどいません
日本は遅れてます >>1
スレタイがいいな
これくらいセンスが無いと ( ゚∀゚)
( ∩ミ ほーら、用心棒だよ
| ω |
し ⌒J 70代のハンターの男性と40代の県職員の女性…クマも迷惑な話だろうに。 >>31
そら国家のエネルギー政策が杜撰で
近年まで山の木を切っては燃料にし
植林もしないで放置して禿山だらけではなあ クマの食肉利用が今こそ必要
自衛隊出動で熊狩りすべき
このままだと人間様の縄張りが荒らされて仕方ない >男性は左足の甲、女性は左ふとももと左手首をかまれましたが、いずれも軽傷で命に別状はないということです。
軽傷ということは甘噛みだったのかな?
熊に普通に嚙まれたら肉ごと持っていかれて重症でしょ? 夕方に列車と接触したときに
遠くに行けないほどの
怪我したんだろうね 読み間違えて、あの連れ去られる親子熊の状況かと思ってしまった(><) >>32
悲しみ本線日本海のところだけだろ
なんかわかりづらい クマとシカは徹底的に駆除すべきだな。居ても何の意味も無い 残った一匹の子熊はどうしたの?
つーか子熊ってもう自分で餌探せるのかね? 日本海側ってなんで暗いイメージなの?
朝日が海から昇らないから? >>47
山の影になるから山陰とか
一番の理由は、その山のせいで特に冬場は雲が広がりやすくて
日中でも暗く暗鬱な感じがするからだろう
夏場は案外そうでもない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています