で、まあ原逸山先生のスレだが、言いたいことは
この短いスレでも他のスレ民諸君が語ってるんで
特に言うこともないんだけどさ。

白川以北一山百文とかね薩長官軍が
東北の佐幕列藩同盟を賊軍賊藩となして卑賎視した
その東北盛岡藩から薩長藩閥が牛耳る東京政界に入り
その頂点を窮めたってのは傑物だよね。ダビデ・ハラ。

これもまたスレ民が言っているように平民宰相が
本当に最初から最後まで平民主義だったのかとか
爵位やそういうのは一貫として興味なかったのかとか
そこらへんは色々歴史研究あるけどさ、なんにせよ大したもんだよ。

ああ、そうだスレでは、元記事にもあるけど東京駅での
殉難地のマークがあるんだけど、ここは機会があれば訪れるといいだろうね。
政治史的には…もちろん評価はいろいろあるだろうが、原敬遭難をもって
日本の戦後の政党政治史は終わりをつげ、軍部独裁の暗黒時代のはじまりとは
評されることもあるわけでね。そういう意味でも重要なポイントなんだよ。

原敬が暗殺されたのがまさに百年前の1921年、
その後24年で政治はろくでもないものになり
軍部の専横と争乱、そして無謀な世界との開戦の果てに
帝都は灰燼に帰すわけでね。その転換点の事件なんだよ。
それこそ東京駅も一部は被災したわけだけどさ。