【ニッポンドットコム】第一次元寇を終わらせたのは神風だったか否か 元軍撤収の理由に今も定説なし [みの★]
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13世紀後半、鎌倉時代中期に起こったモンゴル帝国による日本侵略、いわゆる「元寇」がいま、世界中のゲーム愛好家や映画ファンから注目されている。ソニー・インタラクティブエンタテインメントが2020年夏に発売した、蒙古襲来をテーマにしたアクションゲーム『ゴースト・オブ・ツシマ(Ghost of Tsushima)』が発売後8か月で累計実売650万本を突破。その人気を受けてハリウッドでの映画化も決まった。そこで、新たに「元寇」に“はまった”人、これから“はまろう”という人向けに、当時「世界最強」と謳(うた)われた蒙古軍と鎌倉武士の戦いを近年の新説も交えて解説する。
元寇の様子を描いた絵巻物『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』の中でも、最大の見せ場となる至近戦の場面。鎧兜(よろいかぶと)に身を固めて馬に乗り、敵兵めがけて突撃する竹崎季長(たけさき/たけざき・すえなが)。元の兵士たちは布や革で作られた動きやすい服を着て、集団戦法を用いている。
★「親交を結ぶか、さもなくば戦(いくさ)か」
1274年(文永11年)10月(旧暦)、元(モンゴル帝国)は約3万人の軍勢で九州・博多湾に攻め寄せてきた。
モンゴル帝国とは、13世紀初頭にテムジンが遊牧民諸部族を統一してモンゴル高原を制圧し、1206年にチンギス・ハン(チンギス・カンとも言う)の称号を得て創立した国である。その後、中央アジアまで勢力を広げると、1259年には高麗(朝鮮)も服属させ、やがて西アジア、ロシア、中国北部、朝鮮半島にまたがる大帝国を築き上げた。
モンゴル帝国の本拠地を南方に求め、1264年、都をカラコルムから大都(現在の北京)に移したのが第5代皇帝フビライ・ハン(クビライ・カンとも言う)。チンギス・ハンの孫にあたる。フビライは、1271年に国号を元と改めた。
この頃フビライは、臨安(現在の杭州)を首都とする中国王朝・南宋に侵攻しており、同国と親しい日本を引き離して南宋の経済力を削ぐために、日本に使者を派遣した。
フビライからの国書には「日本は昔から中国に使いを遣(つか)わしてきた。しかし私の代になってから音沙汰がない。きっと元を知らないのだと考え、使いを派遣した。今後は互いに訪問し、親睦を深めよう」と、修好を求める内容が書かれていた。つまり、フビライには当初、日本を軍事占領しようという意図はなかったと思われる。ただ、国書の最後には「私は兵を用いたくはない。どうかそのことをよく考えてほしい」とも記されていた。これは、要求に応じないのなら武力で服属させるぞ――との脅しに受け取れる。
幕府は、外交を担う朝廷に国書を送達し、朝廷側は返書を送らないことを決めた。幕府もこれを了承し、九州・大宰府に滞在中の元の使者に伝え、帰国させた。
しかしフビライは、その後もたびたび使者を派遣してきた。幕府はこれを黙殺し続ける。かたくなに元との外交を拒絶したのはなぜだったのか。
日本史学者の新井孝重氏(獨協大学名誉教授)は次のように見ている。
「この時代の為政者はまったく国際情勢にうとく、また諸国間の接触経験については、なきに均しい状態であった。いわば無知と外交の未経験が国書を前にして、かれらを硬直させてしまったのである。なにしろ、これまでの外交の経験がないのであるから、仕方のないことであるが、外交上の技術にも暗かった」(『戦争の日本史7 蒙古襲来』吉川弘文館)
つまり、日本は「外交音痴」だったというのだ。確かに、元の国土の広大さや日本との国力の差を知っていたら、さすがに幕府も無視できなかっただろう。ただ当時、幕府は南宋の禅僧やその弟子たちをブレーンとしており、彼らは元に攻撃されている祖国を守るため、意図的に元の実体を矮小(わいしょう)化するような情報を伝え、為政者たちの判断を曇らせたという可能性も考えられる。
…続きはソースで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5073a45565d554f9b1bc34e30511a1f02ba1ad2d
2021年11時15分 16時09分 元寇側の記録ってないのか?
わーくに側の記録はあっても >>5
ついていった医者の日記みたいなものはあるよ
内容は定説とたいしてかわらん
負けました、嵐が来た、みんな死んだ、やっと帰れた 陸続きじゃなくて良かったわ
陸戦でモンゴルに完勝したのはマムルーク朝くらいだろ 朝鮮の操船技術が拙くクソすぎたから嵐で転覆しただけ
日本を侵略したがってたのは朝鮮だけでモンゴル帝国はそれに押し切られた
日本初の侵略戦争は朝鮮によって行われた もしあの時日本が負けてたら今晩のメニューはジンギスカンだった 外交音痴と言うか状況判断能力が無いのは元軍とか朝鮮軍だろ?
実際ぼろ負けしただけなんだし。 上陸して幕府軍が撤退したのに船に帰るわけないだろw 人質使ってみたが武士は容赦無く見捨てるから意味無くて
人質使うってことはあいつらには人質効くぞ!って逆利用されて酷い事になったらしい 元寇に詳しくないとき
「日本は台風で偶然勝利wwwwwカミカゼwwwwwww」
↓
元寇を多少聞きかじった時
「鎌倉時代武士団バーサーカーじゃんwwwwwwwww」
↓
元寇を詳細に知った時
「そもそも、ジャップが馬鹿なのが草」 >>1
元寇の歴史映画かと思ったら
ゴーストオブツシマの映画化かよw 使者の首ちょんぱしちゃったんだから、そりゃ怒るわ。
仲良くしましょう、といっときゃよかったんだよ。 >>9
ベトナムも善戦して、3回目には追い返したんじゃなかったか? >>16
あぁベトナムか
あそこはゲリラ戦やれば世界一やな
守備力半端ねーわ 神風とかジャップが昔からずっと中2病だった証拠よね >>23
世界で珍しい対弓特化重装弓騎兵が主力やからな ジャップって完全に運で生きてるよね
全く実力がないのに >>25 >>26
ベトナムは最終的には朝貢して屈したからなぁ 外国人の歴史愛好家の作った動画だと
敵将の目を射抜いたから撤退したって言ってたな
嵐は撤退中に起きたから関係ないと
日本も弓の技術は高かったと
モンゴルは世界の歴史家から人気だから動画はたくさんあるね >>1
なんか適当書いてるって印象
何が「親交」だよ隷属させようとしてだだけだろ
んで拒否されて攻めて負けてる件 ソース読んだが、一騎打ち云々など未だにそれを言うかって記述と、暴風雨と武士たちの功績とでようやく新しい情報を仕入れたんだなって話しとが入り交じってるな >>13
周知のことだが、
鉄カブト形のジンギスカン鍋は第二次大戦後かなりたってから日本人が考案したんだよ
このジンギスカンが韓国に渡来してプルコギになった
……モンゴルの影響が残る韓国は直火焼きがタブーであり、在日が日本から持ち帰った焼肉は流行らなかった
日韓共に、たれをつけて食べる焼肉を韓国料理だと誤解している人がほとんどだけどね >>26
ベトナムに負けたのは湿地で得意の騎馬兵が使えなかったから
モンゴルは5回負けてるらしい
日本 ベトナム あとどっか
ただモンゴルでは日本に負けたとは教えてないそうで
白鵬とか朝青龍は俺たちモンゴルのときお前らやっつけただろ
言ってくるらしい 最強のモンゴル戦隊が攻めてきたのではなく
モンゴルが支配していた朝鮮半島に命令して
寄せ集めの兵力で命令だからと嫌々攻め込んでいた
兵器はボロ、船もボロ、戦意も無い
モンゴルに負けて奴隷になった兵隊の人数だけは多い
たとえ日本を奪っても
金品は上のモンゴルに全部持っていかれる
日本は世界最高の歩兵軍団に巨力な弓隊
チンタラ浮いているボロい船を片っ端から火焔で燃やす
元から戦意の無い相手はロクに戦わず逃げる
戦術も陣形もへったくれもない
台風が来てたのかどうかは知らん
負けて当然 そもそも上陸した後で嵐のなか海に出ていく必要がない
対馬は島なんだからそこで対峙した場合
嵐の海でも逃げなきゃならないのは陸で負けてる方 >>34
現代でも元寇でモンゴル追い返した北条時宗がシブ星でチンギス・ハーンやガンジー、フビライ、シャカなどの猛者とバトルしてるからな そもそもいつの時代でもアウェーに乗り込んでの上陸作戦はキツイ
元軍が通ったルートはもろに倭寇の巣窟だし >>28
拠点防御には最適だったかもな
北海道の大草原でガチバトルだったらボロ負けだろうけど 人は記憶型と思考型に大別できる
モンゴルの攻撃の仕方は騎馬での弓攻撃
これが水際だと使えない
上陸ポイントを抑えた時点で日本の勝ち 高麗はヘタレてモンゴルに命乞いして配下に下る
半島民族っていつもどこかの配下になってるから
奴隷根性が抜けなくて被害者ぶるのがDNAにしみこんでるんだ なぜ、博多湾に固執したの?
そんなに、兵力があるなら、近くにも上陸して挟み撃ちにすれば良いのに… 第一次って文永の役だろ。
攻め寄せた兵力も少ないし威力偵察だな。速やかに引き上げるのも計画のうちだったんだよ。 >>34
そもそも弓の射程距離は200mと無いんでその説は間違い
混戦の中に打ち込めば背を向けてる味方が危ない >>23
少なくとも日本で迎撃した分には間違いなく強かった
あとそんな精鋭の武士たちがうじゃうじゃ居たという点で、日本はかなりの強国だった >>44
そもそも大陸国家が海越えするのは朝鮮にそそのかされたから モンゴルに負けて日本侵攻の尖兵となった高麗も
数十年も戦い続けた結果であって意外に粘ったんだよな ま、朝鮮の隣だから戦力も朝鮮と同程度だろうと考えるわなwそりゃ占領簡単と思うだろうしw負けるだろとw >>43
そんなフィールドで戦いが想定される国だったら、別の発展を遂げていたんだから、まるで意味のないたらればだわ >>53
むしろすごい粘りだったな
あそこで屈服させられてからおかしな民族性になった説まである そうは言っても壱岐はほぼ全滅したんだろ
怖い話だな 朝青龍みたいなドルジが3万も来たら確かに脅威だがよく追い返したもんだよな >>5
元史とかには生き残りの話が残ってるよ。
鎌倉武士に捕まり丸坊主にされ奴隷として働かされ歳取ったら売られたとか、
万単位の捕虜が殺され首だけで山ができたとか。
元寇の後、たびたび鎌倉武士は元や高麗に出かけて兵士とかを攫ってきては奴隷とし、重労働させたそうな。 補給が現地略奪できなきゃ無理じゃねーの?
言葉が違うだけで見つけ次第一般人からも攻撃されるわけで。 >>53 頑張ったの?朝鮮相手に苦戦する様では日本に勝とうとか頭可笑しいのでは? >>49
間違いじゃないだろ
それが起きたのは日本軍が撤退してる最中に、追っ手の将を射抜いた話しでしょ
撤退する弓騎兵が、馬上から背面に振り返りながら敵を射抜くってのは、日頃からその訓練をしていた武士ならではだな >>42
前期倭寇は元寇に対する報復だったと言われている あの時にモンゴルに負けていたら、神風なんて変こと考えず、
日本に原爆落とされることもなかった。 当時の全盛モンゴルって380度全方向に侵略してたんだしさ
当時の風潮としても、わざわざ海越えての遠征なんて絶対に成功させろって言ってる人もいなかったし
ちょっとやってみて手間取りそうならそんなとこイラネてみんな言ってたし
モンゴル的には日本は重要拠点じゃなかっよ実際多分 モンゴルは最初捕虜を使って惨敗して
敵が追撃してきたところを囲んで倒すプロだけど
日本はまともな船もなく追撃できなかったのが逆によかったな >>61 チョンなんか奴隷にも成らないし面倒臭いから全部首跳ねて埋めただろw
奴隷に使えるとか笑わせんなよ >>42
でも高麗史の記載によると、高麗では倭寇が騎馬1,000騎とか動員して半島全土を荒らし回ってるんだよね。 >>66
書こうと思ったら書かれてた。
倭寇ってあれ、元寇の反動なんだよね。 ときどき霊光殿天満宮にお参りしてる
ここがあの神風の神社かと思うほど静かないい神社だよ
牛がかわいい チョンは首チョンパで他は武装解除で帰国ぢゃなかったっけ?
首チョンパってこっから来たの? >>72
長崎で安売りしてたチョンがイタリアまで連れて行かれてそのまま居着いて現代まで子孫を残してるけどな。
高麗人だからコレア姓を付けられててヨーロッパや南米などに売られてる。
アフリカ人奴隷の10分の1くらいのお手頃価格だったそうな。 >>44
大帝国を舐めすぎだと思うぞ
攻め落とした国々の多さや、そこでの環境や敵の防衛戦術や装備のことを考えたら、一つの得意なことだけでそれは達成できない
柔軟に敵や属国の技術も学んだり取り込んだりして来てるわけでな >>74
いつもおこってる普通の時化はあったとは思うけどな
九州勢の手柄になってしまったら恩賞問題で詰むから神様のおかげ神風のおかげとしておけば
九州のやつが神様にお祭りすればそれが恩賞になるやろから
神風ということにしたんじゃね?知らんけど モンゴルが勝手に来て勝手に帰っていったから俺らとしても恩賞出せるわけなかったしな そもそも第一次の遠征は推定2.7万人
多く見積もっても4万人にも満たないから
最初は様子見の遠征だったんでしょ
で、実際攻めてみたら思った以上に日本軍が手強かったから
損が大きくならないうちにさっさと撤退したと おまえらの頭に神風が吹いて
フサフサになったら信じよう 海を越えるとトップからの通信が途絶えるからその点、日本が攻めても朝鮮が攻めてきてもどちらも手詰まりになる。
加藤清正も他の武将との戦略歩調の行き違いとかでグダグダになったし。 【元寇】元寇による日本脅威論の形成
元寇では、日本刀は戦場で大きな力を発揮した。南朝遺臣の鄭思肖は日本刀を評して「倭刀はきわめて鋭い」と指摘し日本征服が難しい理由の一つに
日本刀の存在を挙げ、クビライに仕えた王ツもまた元寇を受けて「刀は長くて極めて犀なるものを製り…」と評すなど日本刀の鋭さに言及している。
浙江大学教授・王勇は弘安の役での敗戦とその後の日本武装商船の活動によって中国における対日本観は大きく変化し、凶暴で勇猛な日本人像および日本脅威論が形成されていったと指摘している。
例えば、南宋遺臣の鄭思肖は「倭人は狠、死を懼(おそ)れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。戦死しなければ、帰ってもまた倭王の手によって殺される。
倭の婦人もはなはだ気性が烈しく、犯すべからず。倭刀はきわめて鋭い。
地形は高険にして入りがたく、戦守の計を為すべし」と述べ、また元朝の文人・呉莱は「今の倭奴は昔(白村江の戦い時)の倭奴とは同じではない。
昔は至って弱いと雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。いわんや今は険を恃んで、その強さは、まさに昔の十倍に当たる。
さきに慶元より航海して来たり、艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。その重貨を出し、公然と貿易する。その欲望を満たされなければ、城郭を燔して居民を略奪する。海道の兵は、猝かに対応できない。
士気を喪い国体を弱めるのは、これより大きなことはない。しかし、その地を取っても国に益することはなく、またその人を掠しても兵を強めることはない」と述べ、日本征服は無益としている。
また、明の時代の鄭舜功が著した日本研究書である『日本一鑑』では、元寇について「兵を喪い、以って恥を為すに足る」と評すなど、後の時代にも元寇の記憶は批判的に受け止められていたことが窺える。
元寇の敗戦を通してのこういった日本軍将兵の勇猛果敢さや渡海侵攻の困難性の記憶は、後の王朝による日本征討論を抑える抑止力ともなった。
元の後に興った明による日本征討論が、初代皇帝・朱元璋(洪武帝)、第3代皇帝・永楽帝、第12代皇帝・嘉靖帝の時の計3回に渡って議論された。
そのうち、朱元璋は軍事恫喝を含んで、明への朝貢と倭寇の鎮圧を日本の懐良親王に要求した。
ところが懐良親王は、もし明軍が日本に侵攻すれば対抗する旨の返書を送って朱元璋の要求を受け付けなかった。
この返書に激怒した朱元璋であったが、クビライの日本侵攻の敗北を鑑みて日本征討を思い止まったという。 >>46
大船団を同時に不慣れな地域に分散させて攻略するってのは難しいよ
そもそも兵力では日本の方が上回るわけで、それこそ包囲され挟まれかねん
そしてタイミングを合わせるのだって難しい
時計も無線もないし、船団の進むスピードは風や海流や天気に大きく左右されるわけでね
弘安の役で南宋と朝鮮半島それぞれから出発した船団が、攻略する事前に合流する事すらなかなか出来なかったんだからね 自分が存在してない時代の事を語りながらアノ時あーであれば、こうでなかった論
お前が存在してる可能性すらなくなるし!で、愚な議論なのである 船酔いするから船同士を鎖で繋いだ処を火責めで全滅説が有力 >>60
ドルジみたいな奴どころか元寇ではモンゴル兵自体が少ないからな
遠征軍の大半が漢兵と朝鮮兵で構成されていたから
そこまで脅威はなかった 文永の役で元軍撤収の理由に定説がなくても
神風は撤収の翌日だったことは当時の記録から明らか
(後世に弘安の役と混同された) ちょっと考えればわかることだが、金2万高麗1万程度の軍勢で日本に勝てるわけないだろw
しかも元側は上陸戦でこっちは兵站も援軍もいくらでもできるんだぞw 九州の勢力が本州の中央政権と対立してて
元に寝返って先棒を担ぐみたいな状況でもなければ占領とかまず無理よね 大軍で来た2次も交戦で蒙古のボロ負け
1次も理由は明白だろ >>48
少ないって言われがちだが、平均的に見ると相当の大軍勢だけどもね
数千の兵力でも落とせる国は沢山あるし、一万くらい揃えたらそこそこの国相手でもやれる
数万揃えて攻め込むってのは威力偵察と呼ぶには余りにも規模がでかい 第一次元寇って文永の役か?
そりゃ、モンゴル側はただの威力偵察だったのに九州の狂戦士どもが温床欲しさに次々と攻めかかってくるからこりゃ占領は無理だと判断して引いたんだろw
神風なんて後付けの理由さ。 >>80 まぢで?超ウケる
でも元寇は1274年で奴隷貿易が始まる戦国時代は1476年からだから200年位離れてね? ホルホルはしたくないが鎌倉武士をディスりたくも無し それらの結果として君が今に生まれたわけだ
今に存在しているという奇跡にに感謝しましょう
故に存在してなかった過去のアレコレの罪を問うたり恨んだりすることは的外れなのである >>63
おまえは高麗を舐めすぎ
その後の李氏朝鮮での体たらくがあるから仕方ないかもしれんが、高麗は中々の強国だったわ >>97
二次の大軍って南宋軍の数で水増しされているだけだぞ
日本側は準備万端にしてるし
壊滅したのは暴風雨のせいだが、二次も元側は勝てる戦ではないよ
だって南宋軍って弱いもんw 2回目の14万人の軍勢を2ヶ月も釘付けにできるなら
1回めの3万人ぐらい7日間でボコって撤退だろ 鎌倉武士は日本の歴史の中でもクレイジーな戦闘狂だったという評価
戦闘的な面で何がデカかったってろくに上陸させなかったのがデカい、ありがとう西日本の武士
(2次の時に中国地方への迂回上陸止めたのも地味にファインプレー) アメリカで映画化なら
日本側には忍者部隊がいて、
元寇側はカンフー使って戦うだろな >105
南宋は明らかに裏で和議を結んでたからしかなねぇ。 >>88
懷良親王は明の使者12人の半分殺して送り返してるのにな。
しかもそのあと懷良親王は日本国王認定されてる。
どんだけ倭寇が恐れられたのか、よく分かるエピソード。 >>104 いやあ嘗めてると言うかwチョンに占領される様なチャンコロがゴミなんだろw 神風は撤退中の追い撃ち的に起こったってどっかで見たゾ >>82
恩賞問題というか加持祈祷した寺社と寺社勢力と近い公家が記録を残したのが大きいと思うよ
この時代は幕府と公家寺社は違う立場だから >>113
アメ軍がベトナムから撤退した大きな理由の一つだしな 孝霊天皇。孝安天皇の太子なり。元年は辛未。七十二年壬午、秦の始皇帝、徐福を遣わし、海に入り仙福(不老不死の薬)を求めしむ。遂に紀伊州に至りて居す。在位七十六年。寿百十五。
海東諸国紀(해동제국기) >>88
倭人は死を恐れずは本当で沢山首を取るのが武士の誉れなので始末に負えない
中国兵は武芸と武器に秀でた鎌倉武士の決死の突撃ですぐに沢山死んで戦意喪失
これでは来るだけ無駄としか言いようがないな 神風じゃなく通常運転で強風は吹いている
上陸したけど日本刀が恐くて逃げる
何も出来ず船上で待機そして沈没
1か月程様子見の後に船へ襲撃し沈めた説もある
ヨーロッパで猛威をふるったモンゴル軍は日本ではめっちゃ弱かった >95
金って元寇の時にはもう滅亡してない?
モンゴルに滅ぼされて
女真族は元寇の時の蒙漢軍にいたかもしれんけど 事実だから仕方がない
日本はモンゴルに征服されなかったのは史実 普通に地の利や補給の問題もあるだろうし単純に攻めきれなかったんでしょ?
そりゃ台風シーズンに沖合いに留まってれば台風の一つや二つ来るだろうしなぁ 日本のウンコ投げ戦法は
日本神話の時代スサノヲまでさかのぼる、
伝統的戦法なのである 文永にしても弘安にしても
海を渡って日本で戦うための数としては少なすぎなんだわ
日本が世界情勢を読み取れてなかったのはたしかだけども
元も元で情報不足で動きすぎだろ 【日中】朝鮮半島問題研究家・元通産省技官 [3/18] 2ch.net
冊封体制を理解しない翁長知事の姿勢
ここで翁長雄志知事は、沖縄の歴史を正しく認識できていないことを露呈した。それは、琉球王国に明王朝が何故に冊封体制を求めたのか、という史実である。
黒色火薬は漢族の三大発明の一つに挙げられている。その黒色火薬の製造原料は、木炭、硝石、硫黄であった。混合比率は木炭が10〜20%、硝石が60〜70%であり、硫黄の比率はおおよそ木炭と同じであった。
漢族居住地域で黒色火薬が発明されたのは硝石を豊富に産出したからだ。しかし硫黄の産出は少なく、明は琉球王国の版図内から供給を受ける必要があった。
豊臣秀吉の朝鮮への軍事進出(文禄・慶長の役)に対して、宗主国の明は軍事支援を行うが、その時の主要武器は大砲であった。秀吉軍の武器は火縄銃であり、火薬の使用量が異なった。
秀吉軍の朝鮮半島支配が成就しなかったのは、明に対して火薬の使用量で劣ったからでもある。
その明王朝の火薬製造が九州南端の火山島に依拠していることに気付いた薩摩の島津家久は徳川家康の許可を得て、薩摩武士団を沖縄へ派遣する。
その際に奄美5島を割譲させ、与論島以北を琉球王朝から引き離して島津氏の直接支配地域とした。硫黄の産地を琉球王朝から引き離したのであった。
秀吉の野望を阻止できたのは琉球王朝から貢納される硫黄に負うところが大きかった明だが、その火薬の原料・硫黄の供給地である火山島が島津氏に領有されると、
明の軍事力は低下していき、ついには明王朝は滅亡、漢族を支配下に置いた清王朝が成立する。
硫黄を産出しない琉球など清はお呼びでなかったが、島津藩の命令で琉球は清の冊封体制に入る。唐物(絹・漢方薬材など)を島津藩が欲したのである。
今度は島津藩が清の必要とする物産を仕立てて、琉球経由で輸出入を行った。これがいわゆる「進貢貿易」であった。清の要望する物産は琉球に産出しなかったので、島津藩の指示下で琉球は貿易した。
実質的に冊封体制から外れたのは、琉球に清の欲する物がなかったからだ。だから、同じく「冊封体制」に入ったからといっても、明と清では大きく内容が異なる。明は琉球王朝へ冊封を求めたが、清の場合は島津藩の指示に従って入ったのであった。 >>75
そういう事実があるのに国際情勢に疎かったっていう
このボケ名誉教授ww >>99
威力偵察って本格的に攻め込む前にするものでないの?
文永の役1274年、弘安の役1281年だと長すぎるような
というかこの間に防塁とか軍備整えられて前より攻め難くなってるから
本格的に攻め込む時の難易度上げただけの結果になってるんじゃ 結局、当時の渡洋能力が未熟だっただけ
いちばんバカなのはWWUで神風などと叫んでいた
無能な旧陸海軍のゴミたち >>124
うん、モンゴルは滅ぼした国の軍隊をそのまま使うから、漢人部隊は普通に金軍でしょ 元軍兵士は100%全員が泳げなかったから。水に対する恐怖心が半端ないという理由。
今もかわらん。 弓矢がメインウエポンの軍団が
渡海遠征すれば矢が尽きるのは自明 >>91
なんか去年と今年にやたら北条時宗ディスりの記事みるけどなんなんだろ
ゴーストオブツシマブームで元寇記事多いから目に付くようになっただけ? 神風って聞こえはいんだけとな、神風特攻隊で全て壊れたな あんなキチガイ作戦するから原爆落とされたんだよな >>121
明の武将威継光が対日本刀兵器として狼筅を開発し鴛鴦陣と呼ぶ戦法を編み出すまで
一方的に斬り殺されてたそうだしな。 >>125 いやだって日清戦争での北洋艦隊とか近代史迄含めて、中国の軍隊がまともだった事なんか有ったんだっけ?
単にヨーロッパとかは都市国家で地域国家としての纏まりが薄かったら勝てただけだろ? >>100
本格的なのが1400年代だっただけじゃね?
自家製違法薬物の密売と同じで小遣い稼ぎでちまちまやっていたという感じだろ クビライのほうは朝鮮ベトナム日本ビルマジャワと狂気のように大軍で遠征してたのに何が外交礼節だろうか
今で言えばナチスみたいなもんだった
学者って本当に馬鹿よな https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=mn&tl=ja&text=%D0%90%D0%BC%D0%B0%D0%B0%20%D1%82%D0%B0%D1%82%20%D1%85%D0%B0%D0%BB%D0%B7%D0%B0%D0%BD!&op=translate
「黙れ!ハゲ!」🇯🇵👦🤜💥👨🦲🐴🇲🇳 昔NHKが韓国の将軍のおかげで日本は助かったと決論づける番組をどや顔で流してたな。 >>123
モンゴル兵はほとんどいなかったから
高麗を中心にした属国の寄せ集め
負けるはずがない >>70
重要地点ではないだろうけど、なんでかフビライは3回目もやろうとしてたらしいし
それくらいの意欲はあったんでないの
日本征服してどうしたかったのか知らんけど >>127
そもそも趙良弼が無理ゲーだって言ってるんだから最初から元が勝てるわけがないんだよ そもそも、元来、中国の王朝は、なぜか台湾、琉球、日本にたいして、
領土的な意味で異様に興味がない。海を渡る戦とか無理な地域なんだろ
清も台湾なんて化外の地なんてどうでもいいよと言ってたら日本に取られた
ちょっと異質のモンゴル人王朝にせかされて、
攻めたけど、シナの軍では海を渡っての戦は、為すすべなしだったんじゃね 太古の昔の大陸の戦争なんか人数だけは膨大で実際は前線でチマチマ小競り合いだろ?
日本みたいな狭い島国は豪族が群雄割拠で少人数同士で血なまぐさい殺し合いしてきた
そんな連中に武器の質でも個々の技量経験でも適うわけないやん
三国志の幻想みたいに数万人がドドドドうおーーって戦うわけないやん
最後尾なんかオナニーしてたろ 日本直前まで余裕で占領できてたから舐めプされてたんかね >>135
日本を占領するにはあまりにも貧弱な軍勢だったので威力偵察としか解釈できないんだよな〜。
元側の正確な資料でもあればわかるんだが、真の理由は永遠の謎だろうね。
類推材料として、モンゴルが西方諸国を攻略する際は必ず綿密な偵察を行っていたんだよね。 戦争の意義が今一つよくわからない高麗や南宋を主力にして差し向けたのと、陸上戦は得意だが海戦はイマイチだったことにつきるのではあるまいか? >>136
日本側からは元寇の報復で元や高麗に何百回も攻め込んで、水軍5,000人を壊滅させたり、
首都を長期間包囲したり、捕虜を1,000人単位で連れ帰り売り捌いたりと好き放題してるぞ。
南北朝時代なので日本側の記録はろくに残っていないが、元や高麗側は滅んだ主因の一つなので沢山の記録が残っている。
朝鮮の始祖李成桂なんかは倭寇の頭領アキバツを弓で射殺ろした功績で成り上がってるし。 >>134
南宋からきてた高僧たちが
元なんかど田舎の山賊に毛が生えたような奴らですよと吹き込んでたからや
実際はど田舎のほうに追いやられてるのが南宋だった >>137
金は漢人ではないし渡航能力なんてない
船を作って侵攻できるのは高麗と南宋 島国で逃げること出来ないから、常に背水の陣だからな 文永の役→威力偵察
弘安の役→旧南宋兵の棄民
フビライの腹の内としてはそんなものじゃないかなと思う。 >>158
船で攻めてくる方が海戦に持ち込まれたらそりゃ負けるよ
陸で勝てなくて橋頭堡築けない時点で論外 >>24
使者の首を斬ったのは1275年と1279年
文永の役で元が攻めてきたのが1274年
むしろ元が攻めてきたんだから怒るよそりゃ、じゃないの?
攻めてきた次の年に送ってきた使者に仲良くしましょうってわけにはいかんでしょ 政治的理由で、
新羅語とか
契丹語とか
高麗語とか
触れちゃいけないの? >>139
橋頭堡を築けなかったわけだから補給船から矢の補給なんてすぐに切れちゃっただろうねw 得意のはずの陸戦で鎌倉武士にボロ負けしたから船に逃げ帰ったんでしょ
死んでも何の得も無いから船上で帰国の軍議してたという
よくこんな弱兵どもで来たもんだわ
クビライも相当な馬鹿だろ 現地の海の荒れ方って、現地民にしかわからないところあるもんな。サラミスの海戦然り。 採算が取れない事業を打ち切りにしただけだろ
使者ぶっ殺すキチガイだし、行くだけでも金かかるし
西方面だとグルジア&ルーム・セルジュークの連合(キリスト教とイスラム教の国だけど婿や嫁のやり取りしてた親戚同士)
が比較的話が通じるor弱小国ので戦争が早々に終わったのと比べたらねえ >>46
デカい船が入れる良港も大軍が展開出来る平地も限られてる
ベトナム攻めた時も川の浅瀬にトラップ仕込まれてる >>147
高麗軍の将軍のことなら、文永の役では進軍派だったんだけど
総司令官のクドゥンがそれを退けて撤退した >>166
どっちも工兵を連れてきているので威力偵察の線は薄いな。 >>144 結局朝鮮からの日本に対する侵略は元寇の後も続いたからその時の捕虜か。 高麗軍と宋軍を混ぜた混成軍ではサボタージュが頻発して敗戦したのだろう。
いやいや連れてこられて命を落とした朝鮮と中国は哀れだな。
軍事組織力以外に碌な文明もなくて人口も少ない元が中国文明に逆呑みされた訳だね >>43
ところがその北海道にすら到達できずにアイヌ相手に樺太で苦戦したのが元軍なんだよな。
まあそっちの戦いは大陸を荒らしまわるアイヌの討伐が目的だったから北海道まで狙わなかっただけかもしれないけど。 >>157
商人ネットワークね、イスラム系の国はそれでやられてるしなぁ
そういうの考えると、この戦いモンゴルの勝ちパターンに1個もハマらないのよね >>175
弘安の役で打ち切りにはなってないよ
クビライは弘安の役後も度々日本遠征の計画立ててる
準備中にベトナムとの戦争手か他がキナ臭くなって中止してるうちにクビライ死亡 >>172
釜山と博多で天気にそんなに差があるとも思えんがな >>156
モンゴル側は陸続きでないためか侵略戦争をしたくなく文でウチの傘下に入らないか聞く程度の認識だった
それを高麗がモンゴルとの繋がりを強くするために再三に渡って日本侵略をさせてくれ滅ぼさせてくれと頼み込んで叶ったのが元寇
この頃から日本を侵略したり属国扱いしたがるのが夢なんだよ 高麗軍は力削がれて…国内荒れたわけだし、そういうことだろう。 >>183
企画を推してたプロジェクトリーダーがいなくなって有耶無耶になっちゃったのね >>163
一次の漢人部隊に何で南宋がいるんだよ
金以外にないだろ 日本の規模を知っていれば最初から侵攻は不可能だと分かっていたろうに
日本を占領するだけの兵力を送り込むには蒸気船以上の船が必要 >>1
オンボロ中国船がそよ風で撃沈したのが史実だろう 対馬で大虐殺をしたのは、元よりも高麗なんだよな
赤子を馬で八つ裂き、女の掌に穴を開け、何にも連ねて
馬で引き回し惨殺・・・ 神風もあったが、鎌倉武士のクソ頑張りじゃね?
夜襲で24時間ネチネチ攻められりゃ、モンゴル兵もうんこ漏らしちまうぜ。 >>184
釜山出航の時のイイ風が台風を運んでくる風 >>176
博多湾は浅いから大船は入港できないよ。
確か。
大宰府の占領が目的だったから博多を橋頭堡にしたかっただけじゃね? 弓性能は日本のほうが良かったから。
アウトレンジからボコれるこれよ。 >>175
使者を殺害するのは当時だと他国でもあった
というかモンゴルの使者が他国でも殺されてるし
日本は文永の役までは使者殺さずに生きて帰してたけど
他国だと戦争前から殺しちゃったケースもある >>182
チンギス・ハーンの頃と比べたら代替わりをして弱体化していたのかもね。 >>193
元は元で地元民は王族もなるべく残して丸ごと臣従して欲しいもんね
グルジアなんかはそれで王室が生き残ったし いやもう九州軍にされまくって退却したのはわかってるから
長引いても鎌倉本軍来てもっとやられてただけ >>193
手に穴開けて船に吊るして矢避けに使ったらしいよな
やることが残虐すぎる
人間のやることじゃない 弓が尽きたという説があるけどどうなんだろうな
あちらは粗雑な弓を大量に射る戦法だから >>175
後醍醐天皇の皇子、懷良親王は明の使者ぶっ殺して日本国王と認められた訳だが。 >>1
中国製品を見れば分かるけど使い物にならないゴミだろ
出発時はまともに動くけど暫くしたら沈むのがMade in China
そよ風で勝手に沈んだだけ >>198
使者ってそこそこ身分のあるインテリを寄越すんだろうけど
死亡リスク込みの仕事だね… 日本も元寇の残忍さを教えたほうが良い、
日本の学校教育は日本人の残忍さしか教えない
ほんとにおかしい あー知ってるよ。滅茶苦茶強い基地外みたいな侍が日本に一人居て
それで元軍をなぎ倒して勝ったと
連載コミックで読んだな 複合的な理由でしょ
補給線が途切れた。上陸作戦に失敗した。矢玉食料が付きた。戦死者戦傷者が増えた。
天候不順による被害。最高司令官の逝去。作戦の見直し。 >>191
時期的に南宋船が加わってる弘安の役は普通に台風では
今も真夏の台風はいつものことだし
>>157
元が日本の正確な国力、面積や人口を把握できてなかったのかも
文永の役前の使者が偵察してたらしいが九州しか行ってないし
京都や鎌倉に連れていくよう要求してたらしいが拒否されてた 陸戦で鎌倉武士も沢山死んでるが全く引かずに怒涛のように突撃繰り返すので元側がびびって船に帰ってしまったんだよ
と言うか船に戻る寸前まで鎌倉武士が追いかけて突撃するから海岸線でも沢山死んでる
首を取るのが目的だから勝敗決まっても終わらないのが鎌倉武士
こんなヤカラに喧嘩売った中国がアホだったな >>203
肉の盾なんぞお構いなしに猛攻撃しかけてくる鎌倉武士に「あいつら人間じゃねぇ」ってびびったという話もあったなw 元寇追い返したのは鎌倉武士のおかげだったけど、武士を派遣した幕府の手柄になっちまうから朝廷が「我らの祈りで嵐が吹いて撃退できた」と広めただけってのが真相。 当時の船じゃ冬の玄界灘渡ってくるだけで船酔いでヘロヘロだろうし
兵站だって満足にできないから馬どころか食料さえ充分じゃなかったと考えればホームで戦える日本側が圧勝するのは当然なような >>208
いやまあ神功皇后の三韓征伐の時代から日本って蛮族だし
天武・持統まで皇位継承(物理)だし >>204
矢の補給が続かなかったというのは絶対にあると思うね。
あと大陸系の動物の膠を使った短弓が高温多湿の日本の風土では短時間で使い物にならなくなったんじゃないかな?
弓道部の人が言ってたけど、日本の竹製の弓ですら梅雨の時期は手入れを怠るとぶっ壊れるらしいよ。
んなもん膠で接合した弓なんてあっという間にバラバラでしょw 常識的に考えて、上陸済みの軍隊が台風如きでやられるかよ >>144
いや、さすがに元寇の頃にそれはないだろう。
デマだろ
大航海時代の二百年前にそんな相場が出来るほど奴隷売買してたとか、デマとしか。
安売りしてたのが長崎からって、なんで元寇の時代に長崎からヨーロッパ、南米に輸出なんか出来るんだよ >>1
中国製品を見れば分かるけど使い物にならないゴミしか無いだろ
出発時はまともに動くけど暫くしたら沈むのがMade in China
そよ風で勝手に沈んだだけ てかモンゴル軍はアジア大陸のステップ内陸部に巨大帝国を作ったのは確かだけど
アジア方面では割と負けてる
日本以外にも、ベトナムにも、インドネシアにも負けてるのがモンゴル軍の限界を表している マジで映画化すんの?
だったら飼い犬の高麗王がクビライに日本属国化を卑劣にも進言した史実も書いてほしいな
あと主役は絶対トキオの長瀬にやってほしい つーか旧東海道とか中山道を見たことあるか?
江戸時代の最高級の幹線道路でもケモノ道だぞ。
騎馬が使えない日本ではモンゴル兵はゴミでしかないやろ。 もともと九州、東北は兵が強いんだよな
WW2でも
弱いのは大阪w モンゴルといえば騎馬隊なのに、馬を船で大量に運べなかったから得意の戦い方ができなかった 補給が出来ないんで中国軍が帰ったんだよ。それが真相 >>73
倭寇が全員日本人という訳でも無いからな。
朝鮮半島や中国大陸を拠点としていた倭寇もいた。 わしゃ70歳代でこそねえがそれなりのジジイだが、これ、極端な話を盛りすぎでね?
芸人の話盛りすぎ系のノリでウケ狙いなんかね?
そもそも中国とか北朝鮮とか、当時はごくごく限られた一部の人間しか知らねえし
フツーの人間・若者は、北朝鮮とか韓国が朝鮮戦争してたってことしか知らん。
さらに、日本の中での中国朝鮮の話題なんて、せいぜい毛沢東の嫁の江青女史と四人組の
悪行(実情は知らん)とか、それを批判する壁新聞が北京大学に掲示されたとかさ?
ええ?壁新聞なんかえ?とか思ったりとか。そもそも朝鮮に関する知識がほとんどねえ。
古代に犯罪おかして追放された中国人が住み着いたのが朝鮮、とかむちゃくちゃでテキトーな
知識しかねえ。ハングルなんて本屋の語学書コーナーで見た記憶はあるがアラビア語だと
思ってた。
当時の若者は、中国朝鮮なんて見下しててハナも引っ掛けなかった高慢ちき系。
まずアメリカありき!好きなのもアメリカで、敵なのもアメリカ!
中朝は視野にさえ入ってねえ。で、アングロサクソンやゲルマン・スラブなどの白人の
区別つかねえから、とりあえず白人崇拝、で、ソ連に主義者(共産主義者の略)の関心は
集中してて、戦前からのロシア文学とかそういうのに傾倒から入るのも居て、中朝の匂いゼロ。
戦前の主義者の系譜をひいてる奴らなんて、特にソ連とロシア文学命。中朝無視。
この記事って、大昔(戦後わりとすぐ)から中国朝鮮が日本に影響力ありました、つう
歴史の改ざんの一連の流れの中での一種の工作でね??あるいはアフィリエイト広告つうの?
それで儲けようと話を超でっかくてんこ盛りに盛りすぎた??? >>211
台風が来なくても沈むのがMade in China
それも大昔の話なんだから今より更に沈みやすかった
戦争で一つの船にギリギリまで兵を載せてたから尚更沈みやすい アイヌと元の戦い
https://web.archive.org/web/20110721151652/http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/hakubutsukagaku/museum/syuzo/59-tatakai/59-tatakai.html 神風ってことにしておいた方が面倒な議論にならずに済む >>211
やっぱ偵察不足っぽいよね。
話はそれるけど、そういう意味で邪馬台国は魏の使者に邪馬台国の位置について嘘情報を教えたと思うんだよねw
だから魏志倭人伝における邪馬台国の位置の記述がメチャクチャなものになっていたんだと近畿説派の俺は信じている。
当時の常識としてやっぱ外国人に首都の場所を教えるのは致命的にマヌケな行為だったんだよ。 >>80
つか、コロンブスの新大陸発見より前にだぞ、元寇。
どうやって南米まで連れていったんだよ 劣悪な環境に耐えてやっとたどり着いたら最強蛮族が待ち構えてる無理ゲー >>203
モンゴル軍は抵抗した敵には、徹底的なジェノサイド加えたそうな。
投石機にペスト患者縛り付けて、敵対中の街中にばんばんぶち込んだそうな。 反撃で上陸して侵攻できずにだらだらしてる内に台風直撃食らったんだっけ
鎌倉からの部隊が到着する前に >>1
船がMade in Chinaのゴミだからそよ風で沈みましたってちゃんと教科書に書かないとね 夜は船に戻ってたってのがもう答えなのに
ある種の連中は絶対に認めないんだよな ぶっちゃけ中国と朝鮮軍は数で圧倒する勝ち方は出来ても、ガチの正面戦闘を始めるとだいたい戦線が崩壊する。 >>231
アイヌは日本の原住民って設定なのに、北海道や樺太を取る前に日本の国外で活躍してたら駄目だろwww ローマ帝国もモンゴル帝国も、その末裔は今じゃ三流国なのが笑える。 そもそもあいつら馬使えなければ雑魚
ユーラシア大陸はチェルノーゼムなので馬がそこら辺の草を食べても十分栄養補給できるが日本の草を食べても馬は栄養補給できない
そこでカイバの輸送が必要になるがユーラシア大陸が主戦場のモンゴルにはその必要性が無かったのでノウハウなかった
よって馬使えなくて負けた
https://i.imgur.com/icSozgE.jpg 兵站は現地調達だから上陸作戦失敗したら全てが頓挫する。 >>215
そうだね、防御側が圧倒的に有利だからね
弘安の役なんて志賀島の戦いで日本軍圧勝だからな
当時の技術力で普通に軍隊が存在する国に上陸戦で勝つのはまず無理よ
大陸ですら元は南宋相手に襄陽で何年も足止めくらってるわけで クビライがアジア方面の侵攻に苦戦している頃、嫁さんは財テクに成功して何度遠征してもお釣りがくるレベルの大儲けしてたりする モンゴルの戦い方は騎馬に乗って短弓で遠くから曲射。
これを繰り返すだけ。
接近戦はクソ弱いから山岳地帯で日本兵には勝てない。 国を出るときに妻や子は「いつになったら帰ってきますか」と私にたずねた.
出世のことなど考えずに無事で帰って欲しいと・・・
日本はなんて酷いことをしたんだ! 壱岐対馬の全島民は朝鮮・元軍に虐殺され九州北部も蹂躙された。散々略奪の限りをし尽くしたので
朝鮮半島と中国大陸に帰国しただけ。神風なんかあるわけねえ。 武力をちらつかせて友好を謳う輩を無視したら「外交音痴」なのか。
そら年寄はなんぼでも特殊詐欺引っ掛かるわ。 >>24
使者を追い返しても攻めて来たと思うよ。
元が征服した南宋とか高麗の兵士なんていない方が都合がよいから日本と闘わせて死んでもらっても元には被害がないどころか、反乱分子を潰せるから一石二鳥。 >>17 >>213
それはなんJで鎌倉武士蛮族が流行った時に、なんJ民が創作したやつだよ
193にある「モンゴル軍が離島で捕まえた日本人を手に穴開けて船に吊るしてた」
って話は史料にもあるけど、そこまでしかない
17や213がいう武士が構わず攻撃しただの、自分らも人質とってやり返しただのは
なんJで創作された部分
鎌倉武士最強打線とかなんとかの打線とか、なんJの鎌倉武士蛮族話は
そういうなんJ発祥の創作が多い いまさら聞けないインパール作戦 何それ?最近よく聞くけど?? ってあなたのために
・まず参謀本部は現地の地図も持っていなかった。教科書の白地図レベルで
高低差もないしろもの。てかそもそも当時の現地(行軍していく途中の地域)は
秘境で地図なんて無い。人跡未踏じゃね?っていう地域。
・ゆえに、いざ行ったら10キロぐらい先の場所が、とんでもねえ高地を超えねえと
行き着けない場所で、道もまがりくねり、いやそもそも道ねえわw。その途中の
低湿地は延々とぬかるみで、病原菌の巣窟。そこを抜けたら延々と高地への山登り。
蒸し暑さがなくなってホッとしたら、いかに南洋でも深夜の高地は冷える。南方軍の
軍装の兵士は寒さに震え眠れずにさらに疫病が悪化(これはニューギニア戦線ではもっと
ひどかった)。
・食料の調達は考えてない。ないッ!!!(力強く!)
「敵さん給与」という考え方で「補給がなければ敵の物資をうばえばいいのよwホホホw」
誰だよ湿地と高地の南洋のマリー・アントワネットはヨォw
だが敵もそんなことさせるわけもなく、無駄な戦闘せずにとっとと後退。さらに言うと
途中の道のりでほぼ終わった作戦なので敵とのろくな戦闘もない!ほぼ餓死と病死。
・「囲めば勝てるッ!!勝てるッ!!」(めっちゃくちゃ力強くッ!)
中国古代の孫子の兵法が20世紀に生きていたッ!だが英+インド軍は制空権を持ってるんで
空輸で平気。つうか、そもそも囲めなかったw。囲むまでもいかず途中で餓死と病死。
・かわいそうなゾウの話
日本軍の詐欺に騙されたインドのインド国民党つうのがあった。英国支配に抵抗する勢力。
英国の支配のもと、当時のインドはインド師団つう大軍を編成して、遠くは欧州戦線でも
あのアタマになんか巻いた兵士がぶいぶい言わせてた。話はそれるが、あのナチスと
戦ってるイギリス兵(変なお皿をかぶった半ズボンのイギリス兵)ってのは実戦の最前線
ではあんまり居ない。ナチスの前にはかなりの植民地兵(アフリカ諸国とかインド兵)が
立たされてた。だが映画ではそういうの大人の事情のお約束であんまり描けない。
それはさておき、インド国民党軍は、日本軍に騙されて、前述の劣悪な場所に従軍。
かわいそうなゾウ部隊は、古代のカルタゴの名将のハンニバルのそれに喩えられ
日本軍の間でもまるで古代の、と…その轍を踏むかのようにおおぜいの
かわいそうなゾウさんとインド国民党軍の兵士が…ううぅ… 蒙古側の強い副将が負傷しちゃって退却したという説もあったな 西へ攻めていった親戚がメチャクチャ手柄を立ててどんどん遠ざかっていくから
本国でもポンコツ原住民を使って近場の島をとりにいかんとなぁ
みたいなノリで始めたのかね >>243
船がMade in Chinaのゴミだからそよ風で沈みましたってちゃんと教科書に書かないとね
大陸国家でまともな船も無く、魚もほぼ食わない土人が、海を超えられる戦艦を作れるわけがないんだよ
いつもの中華製のゴミを作り出し、中国人特有の何でもコスパで詰め込みまくる方法で兵を乗せまくって「アイヤー」とそよ風で沈んでいっただけ
神風なんか必要ないのさ >>247
モンゴル軍は圧倒的な数の騎兵が主力だしな。
馬から降りての歩兵主力じゃ、鎌倉武士に、なますにされちゃう。 ハリウッドでやると、チャイナマネーで元を美化して
日本を悪の権化みたいにするんじゃね
最近の米中関係から、そこまで忖度しねーだろうが 日本側の鎌倉幕府がちゃんと統治してて
九州勢もまとまってて領民保護をしっかりしてた
つまり国として成熟してたってだけなんだが…認めたく無いんだろうか >>259
西の方に行った分家の末裔がラスプーチン殺害実行犯のユスポフ公爵というのは意外と知られてない 逆にモンゴル軍が勝つにはどうすれば良かったのだろう?
もう精鋭で太宰府付いて食料庫抑えてしまうしか無いか
上陸してからも占領に行くのが大変だろうけど、圧倒的な数いれば何とかなるっしょ 神風で勝てるんなら、第二次世界大戦で戦勝国になっとるわ 大陸では威力を発揮した投石機が使えないのが痛かった。 >>268
韓国を制圧して領土にしたのが敗因
Kの法則が発動した >>263
チャイナ資本の映画でもどう誤魔化すか困るだろうね
完全にウソでも台風で全滅とするしか無さそうだなw 鎌倉武士が思ったより強くて橋頭堡築けなかっただけだろ。 >>262
横から失礼ね
先陣は朝鮮人だってさ
俺も本で読んだだけどw >>260
南宋は海に面した地域があるから普通に船作ってるし魚介類食べるよ
魚介類が多い浙江料理の浙江も元々は南宋にあたる地域 >>268
一回目からニ回目並兵力の一気に兵力投入。 上陸して移動だから装備も限られるし日本の山がちな地形も幸いした 確かに朝鮮半島とは距離を置くべきだな。ロシアにくれてやればよかった。 >>269
日本も韓国を併合したのが敗因
Kの法則が発動した
ま、世界中どの国がアメリカと戦争したって勝てるわけないけどね >>253
酷いことしたんだよな、対馬の人達に。
通州事件でも日本人の目玉くりぬいて耳、鼻削いだり、
シナチョンの残虐性は世界に比類ない。 >>261
そりゃもう、日本の武士は騎射のできる騎兵だからなあ
高麗や南宋の歩兵どもはもちろん、金だって騎兵じゃなければ弱いわ >>268
京都の公家はびびって和平ばかり言ってたので京都に来れば一時的に占領できたかも
まあ公家ごと包囲して鎌倉武士が突撃したと思うけどw 元軍の本隊はベトナムに行ったことは書かないこの類の記事。
日本ホルホル記事だ。
因みにベトナムは元軍に実力でお引き取り願った。 >>268
蒙古側の将軍も「海路の補給が続かなくて無理ゲーだからやめましょう」と言っていたらしい
弘安の役では長期戦用の農耕具も積んでいたとか 戦中の日本軍みたいに補給無視の遠征じゃあ勝てるはずもない。 >>262
攻めてきたのは大元ウルスだからヨーロッパ遠征してた頃のモンゴル軍とは編成も変わってる。騎馬がどうこうは程度問題でしかない >>262
船に積める食料や水の量は少ない。
補給を考えずに来てしまったから、短い期間で撤退するしかない。
撤退しなかったのが、WW2の日本軍だが、当然のように飢えで惨敗した。 >>282
六波羅に畿内の大軍を集められるから公家は無視できるだろう >>281
鎌倉時代の武士は集団戦しない。
やあやあ我こそはなんたら!って戦う。
モンゴルは基本的に騎射のできる騎兵。
しかも集団戦する。 >>260
まさにその国が、第2列島線を越えて太平洋に出ていき
アメリカと対峙しようとしているが、歴史が暗示しているな。 文永の役は、「狐にあたる高句麗」が「虎にあたる元」を「嘘と唆し」で「日本攻略は簡単だと誤認」させたのが原因。
まともに上陸すら出来ずに大損害を被った。 >>285
長期戦を想定してたというより太宰府を占領したあと南宋兵士を北部九州に土着させるために農耕具を持参したと言われる
南宋の敗残兵は元にとったら棄民だからね >>268
日本征服シナリオとしては、大宰府を兵站基地として瀬戸内海を東に抜けて、
京都を制圧予定だったそうだが、馬の無い蒙古軍なんて、ジャブしか打てぬボクサーみたいなもんだから、
地の利、場慣れして殺し慣れた鎌倉武士相手には、先ず無理だったろうな。
自軍の最大セールスポイントであった、
モンゴル馬連れて来られなかったのが、敗因だろう。 モンゴル騎兵vs日本騎馬重装兵はかちあってもらって欲しかったが。地の利がこちら側にしかない。 日本も朝鮮出兵では兵站無視だったんで結局軍を引かざるを得なかった。 >>275
極々一部の地域だろ
元寇はどこの地域で作られた船使ってたの?
お前が言ってるそれっていつの時代の話
元寇の時代じゃないだろ >>292
あちら側の武士の特徴として騎兵は結束すとあるのにその主張は無理があるわ、そもそも一騎打ち自体日本側に殆ど例がない >>290
単なる事実だ。
元寇の三分の一は南宋人、三分の一は朝鮮人、モンゴル人は隊長や指揮官格しかおらん。
無知は黙れや。 >>1
いや台風だろうが
外交オンチというより
1にあるように宋の亡命者が日本に助けを求めてたので
最初から戦闘モードだよ 馬を使えないモンゴルは、そんなに強くないだろ 逆を言えは弓騎馬の集団戦法は、最強 >>293
朝鮮動乱で中国人民義勇軍や、日本軍をボコボコにしてまだ間もないアメリカ軍とがっぷり組んで戦ってる 一般常識として古代の戦争ってより野蛮な方が勝ってる
鎌倉武士って武家諸法度で縛らなければいけないほど野蛮だった
武家諸法度に何て書いてあったかというと「旅人をみだりに殺すな」
今とは価値観が違う >>274
本隊は南宋フルボッコ中だったしな。
朝鮮王子を辮髪化に成功したが、やる気のねー半島軍じゃ、
殺る気まんまんの鎌倉武士の敵じゃないw 鎌倉幕府としては、神風で終わったことにして欲しかったんや。 >>304
事実ならベトナムに本軍を送って敗北したバカチョン指揮官だっただけじゃん >>302
元寇の中国船って弘安の役で使われた旧南宋の船のことだよね?
弘安の役は南宋滅亡直後だから、南宋と元寇は時代は同じだよ
地図みればわかるけど、一部と言っても大陸はでかいから
海に面した地域そのものがかなりの面積がある
というか海に面した地域が魚介類食べない方が不自然でないの? 攻められた時期も良かった
北条が実力あった時で 南北朝のとき攻められてたら負けてた ようするに元に服属するのが正しかったとこやつ(新井孝重)は言いたいのか >>304
高麗軍は弘安の役で全軍の内一万位しかおらんだろ、割合なら江南軍が三分の二だし適当すぎる >>285
征服したばっかの南宋の農民も、口減らしの為船に積んだそうだしな。
九州制圧後、開拓民とする筈だったが、大失敗w 東征都元帥 ヒンドゥ(忻都)
蒙古・漢軍
東征左副都元帥 劉復亨
東征右副都元帥 洪茶丘
昭勇大将軍 アラテムル
高麗軍
中軍
都督使 金方慶
知兵馬事 朴之亮・金忻
副使 任ト
左翼軍
左軍使 金侁
知兵馬事 韋得儒
副使 孫世貞
右翼軍
右軍使 金文庇
知兵馬事 羅裕・朴保
副使 潘阜 >>313
魚食って船作ってたのが元寇の時代かってことだよ
Made in Chinaのゴミ中国船が沈まないことのほうが不自然だよ >>303
> あちら側の武士の特徴として騎兵は結束すとあるのにその主張は無理があるわ
東方見聞録やロシアの記録からモンゴル騎兵の戦法が集団で短弓を射掛け、反撃してきたら逃げ、相手が引いたら同じ事を繰り返すって記録があるんだがw
結束と集団戦に優れてんのは別。
日本の騎兵はモンゴル騎兵みたいな戦法取ったのか?
取ったなら誰が戦功あげたかわからんくなるがwww 元から海の向こうに興味がなかったから高麗軍が突破されたからとっとと帰ったとか? >>307
朝鮮人の体格がいいのは認めるわ
イザベラバードもそれは語っていた。日本人は胸が凹んでると。
在日で活躍したのも大抵ガタイがいい 普通に和弓の射程距離に驚いて逃げたんだよ。
蒙古の連弩とか射程距離も射程速度も和弓よりヘボいからな 中国や韓国が占領されているのに
それを拒否したからと言って、外交音痴とは
一体何が言いたい? 抜け駆け禁止な!あっ!ズルいぞお前あはは
とかいうノリで首取りに駆けつける鎌倉武士なんか普通に相手したく無いよねという話 モンゴル軍は男を皆殺しにして種付するから、
もし征服されたら日本も変わっていたやろな 適当な船でヘロヘロになりながら日本に渡ろうとしてもそら撃退されるよな >>312
ベトナムは日本と違って負けた事がない国だ。
アメリカすら負けた。 >>294
太平洋超えてないし対峙もしてないよ
アメリカに現在進行系で退治されそうだけどね
トランプが睨んだらポケットから手を出して気を付けした、お前の祖国の恥ずかしいプーさんの映像知らないの? >>323
日本の武士団は一族郎党単位で戦うのが普通だから結束すで間違い無いだろ。蒙古襲来絵詞でも集団で戦闘する菊池勢が描かれてるわけだしな >>303
と言うか鎌倉幕府ってことは源氏なわけで
平家の一騎討ちを否定した義経側の流れなんよな >>329
やりません。
征服地の男は自軍に組み込みます。
通常、遠征を続けるなら自軍は疲弊するがモンゴル軍は増強されてゆくのが特徴。 元が負けたのはたぶん高麗人が何かろくでもない事をやらかしたせいな気がする
根拠はないが朝鮮人なら絶対に足を引っ張るヘマをやらかすはず >>321
だから南宋の時代に船作ってるし、夢梁録などの南宋の史料にも魚料理は出てくるよ
その南宋の滅亡直後に起きたのが元寇で、人も船もそのまま使われてる >>331
指揮官の話だよ
甘く見積もって本軍を送らず大敗したのがお前の祖国のバカチョン指揮官だったわけよ >>23
元朝秘史では白兵S弓B防御Cくらいには強いからな >>264
その仕返しか知らんが、第二次元寇では撤収に失敗して
島に置いてけぼりにされた数万の兵全員を血祭りに上げたとか >>267
ロシア帝国は皇帝はドイツ人で、貴族はモンゴル人とドイツ人とオランダ人と黒人で
喋る言葉がフランス語だもんな 大将の人数年後に死んじゃって元寇大変だったんだろうなと思う。
白鳳とか朝青龍みたいなのがいっぱい来るわけだから怖いよね >>334
要するに一族郎党単位vs組織化された半近代軍てわけだ。
そりゃ福岡焼き討ちされるわw >>338
朝鮮戦争でも韓国兵は米軍の最新式兵器を投げ捨てて逃げてくるので
その兵器で米兵が殺されるというブラックジョーク状態だったという >>335
将軍でいうと源頼朝の子孫の将軍は既に断絶してて皇族将軍の時代
一応当時の惟康親王も後嵯峨源氏だし、河内源氏も足利や新田など鎌倉の御家人にいるけど >>325
しかし馬鹿。
体格良くても、最後まで水車を作れなかったほど知能が低い。
一方、日本人は体は小さくても知能が高く、ちゃんと作戦を立てて頭脳で勝つ。
元寇に攻められた時より
船を燃やされて朝鮮に帰れなくなって
戦後ひっそり日本に上陸した残党どもの処理に
数年かかったらしいね
奴らは残党どもで徒党を組んで
穏やかで平和に暮らしていた庶民の家を襲って
メシを奪い金品を強奪しレイプ三昧だった
これについては中央政権までもが
処理に頭を痛めてた記録が残っている
今と何も変わってねーなw >>339
極々一部だろ
漁船で日本へ攻め込んだの?
Made in Chinaの船が沈まないことのほうが不自然だからね
バカチョンも休み休み言ってよ >>335
保元の乱で清盛は夜襲してるんだしそもそも一騎討ち文化なんて例外しかないのでは? >>337
だね
高麗やグルジアのように王族や貴族階級は丸ごと残してモンゴルのお姫様をお妃様にしてくのが理想形
征服地の貴族とモンゴル貴族の結婚も奨励するし
だからなのかキリスト教徒のモンゴル貴族が多い >>340
ベトナムには本軍送ってるが。
なんせ黒檀や香料豊富な富裕な国だったからな。
日本はまだ金山銀山発見されてないから貧しい旨味がない国 >>245 名だたる戦国武将とか全員戦国時代の戦闘のプロだし、もう何処の国なら当時勝てるんだよってレベルwww 高麗の軍勢が上陸して荒らしまわったけど、戦闘がめっちゃ弱くて地元の御家人に蹴散らされたんでしょ
そのうちに到着した鎌倉武士軍団に散々ボコされて船に逃げたところを嵐が来て全滅って流れだよね 日本人は食糧が少なかったので小型に進化した。故に未だに東アジアで一番小さい。 >>347
文永の役ですら赤坂から先に進めなかった元軍は情けないな >>324
興味ないなら次の弘安の役でまた攻めてこないのでは
弘安の役後もまだ攻めようとしてたし
少なくともクビライには、攻め込む程度の興味はあったんだろうね
ベトナムやカイドゥに比べると優先順位低いだろうけど まぁ上陸して陸上に拠点を作れなかった時点で元の負けだわな
好き好んで洋上に引き籠もるなんてことはしないし、洋上に数ヶ月も居れば、そりゃ〜その内嵐にもなる 台風が理由の1つでもそれがすべてなわけないのに
なんで馬鹿みたいに1つに絞りたがるのかね >>350
魚料理を作るため、漁に出る船で日本へ攻め入ったんならそりゃそよ風で沈没して当然だわな
>>358
だから甘く見積もって日本に本軍を送らず敗北したバカチョンがお前の祖国の指揮官で
本軍をベトナムに送って敗北したのがお前の祖国のバカチョン指揮官でしょって >>360
鎌倉の本隊が到着する前に鎮西の武士団だけでフルボッコにした >>356
ビザンツ帝国からも嫁さんもらってるしな
旦那に二度も死なれて最終的には娘連れて実家に帰ったけど
故郷で建てた教会が「モンゴルのマリア教会」だから嫁ぎ先にも愛着があったんだろう その蒙古にやられっ放しだった漢人も
ラマ教、今のチベット仏教に彼らを耽溺させることで骨抜きにした
長男はみな坊主になり虫も殺せない人間ばかりになった
チベット然り しかし日本の歴史って生ぬるいよな。古来からペルシア、ギリシアとかではファランクスとか軍事技術の発展が凄まじく切磋琢磨してるのに、遥か後年の元寇程度で苦戦してるとか雑魚過ぎ。甲冑も西洋に比べてペラペラ。 >>358
玉山金山など当時既に発見されてた金山もあるよ
それに金は大陸との貿易にも使われてた >>349
セウォル号転覆でも船長が逃げ出すのはミンジョクのDNAかww 弘安の役では江南軍は上陸地点を求めてさまよってその間に飲み水が枯渇して
水目当てに少数でこっそり上陸しては殺されてたから
日本側の防塁戦術が上手く機能してて元は貧すれば鈍する状態だったのは確かやろ >>370
西洋甲冑についてもっと勉強しろよ
あれは戦闘用じゃなく装飾品だから 中国は神風を恐れてるのか?
日本は未開部族じゃないから科学的にものを考えられる
だから断言できる
神国日本に神風が吹いたのだと >>358
だから甘く見積もって日本に本軍を送らず敗北したバカチョンがお前の祖国の指揮官で
本軍をベトナムに送ったのに、そのベトナムにも敗北したのがお前の祖国のバカチョン指揮官でしょって 「元は友好を求めてただけで鎌倉幕府は馬鹿」って言う奴はさ
日本が朝鮮に「友好」を求めて開国させたのも、抵抗した朝鮮が馬鹿だったって言うんだよな? モンゴルは海がないから船を使うのが苦手。
だから元の兵士のほとんどは高麗や南宋の人たちだった。
モンゴル人が相手なら負けていただろう。 >>370
戦闘に関しては日清日露でベースの強さは証明しとる
切磋琢磨出来ないせいで伸びなかったのは交渉技術 >>377
いや、西洋甲冑は戦闘用だぞ
頭に打撃貰っても衝撃和らげる仕掛けとか色々されてる >>364
上陸後造りかけた橋頭堡がことごとく鎌倉武士に強襲夜襲されて潰されたしね
結局、鎌倉武士が強く、勇敢だったってことだよな >>370
へ?
そのペルシアだの何だの青銅器で作られた武器の頃
日本はすでに鉄器の武器があったんだが、、、
そこは無視? >>382
馬と無限縦深の無い5万以下のモンゴル人とか、普通に中華に負ける程度だぞ >>370 いや、ヨーロッパは元なんかにボロクソやられてるけど。 >>358
黄金の国ジパングでおなじみマルコポーロはこのフビライの時代の人間なんだが >>370
ワールシュタットの戦いくらいは知っておけよ >>384
多分日本が一番外交上手だったのは飛鳥時代が最初で最後 >>381
バカチョンは元々バカだし、対外戦争で一度も勝ったことがないのが中華だよ
中華は世界の華という意味
実際は世界のゴミ >>370
元にくみしかれたユーラシアが雑魚という評価で良いねw >>74
実際のところは鎌倉武士に散々やられて海上に追いやられて上陸できないまま台風シーズンに突入してしまったって話だからな モンゴルは重騎士頼みで地形活かしたゲリラ戦には弱かった
仕方なく力押ししたら鎌倉バーサーカーにフルボッコ >>382
とはいえ元の軽騎兵が得意の戦術やれるような地形て
日本にはほぼないんちゃう >>388
アレ不思議なんだけどさ
モンゴル騎馬隊とか
馬をズラッと並べて大軍団で襲ってくるみたいなさ
周り一面砂漠ばっかりの国なのに
水とか草とか戦争中にどうやって運んでたの?
自動的に湧き出てたの? 普通に元軍負けて撤退してるやん?
十万くらい兵隊連れてきてたらしいが、九州に着くまでに
各島の武士に散々指揮官やら精鋭部隊討ち取られてる状態で
補給もなく強行軍したんだから当たり前の話でだろ 竹崎の絵巻でも最初から集団戦だろ
竹崎の後ろから弓を打ちまくって元軍は逃げまくってるしな
教科書や資料集が竹崎が元軍にやられるところだけ抜き出してなんて知りもせず、大人になってから事実を知って驚いたわ >>404
関東で番東武士と戦っても海岸まで追い詰められて殺されるだけだろうしなモンゴル軍
あれは遊牧民っていう地勢と生態の強さが大きいから >>376
弘安の役は全くもって勝負になってないからな
さすがに南宋人かわいそう、南宋と友好関係にあった日本人も同情してた >>405
食料を保存する容器があったとかって聞いた事あるな 大河ドラマ北条時宗でも少し触れられてたけど
もし元寇が博多湾ではなく、若狭湾だったら
直接京都へ攻め込まれて
日本終わってた可能性が高い >>403
> モンゴルは重騎士頼みで地形活かしたゲリラ戦には弱かった
は?
モンゴル騎兵は弓軽騎兵だけど。
あと集団でゲリラ戦やるし。 東京オリンピックで東京直撃コースが突然逸れたのと関係あるかね
天皇なんか裏で叢雲の剣で素振りとかやってない? >>1
南宋と交流あるのに外交的無知設定は必ず出てくるよな
どう考えても相応に情報は入ってくるだろうに
何なんだろう? 神の起こした風だとすると、まるで相手が悪魔みたいだな アジア人が残忍なイメージは、アッティラと元寇によって出来上がった
恐ろしい連中だよ >>412
江南軍頼みだから若狭湾じゃ合流できないんじゃね? >>410
だから南宋人は釈放して、朝鮮人とモンゴル人は処刑祭りしてる。 >>405
オアシスとかで馬が草や水を飲んで、馬乳を出すからそれを飲んでる
あと、普通に馬肉や羊なんかの家畜ごと移動してる
だから、草原や水資源にアクセスできて、馬や家畜が飼えない土地に当たるとアウト
つまり、広い土地があって初めて成立する軍隊 >>405
誰も乗ってない馬なんかも連れてきてて、それをお肉にしたり血を飲んだり >>384
今じゃ他国から去勢された軍隊って自衛隊はバカにされてるからなw 元軍は偽情報に踊らされすぎた
当初の予定通り八代港を橋頭堡にして隈府の平野で迎撃軍を迎え撃つ戦略なら日本軍の苦戦は免れなかった
八代港なら南宋の捕虜や拿捕した商船からの情報で詳細な町割りも軍事拠点も把握出来てたし
そして安定した八代海を泊地に出来る点も大きい。ここを橋頭堡にすれば野生の馬も豊富で騎馬隊も編成できる >>412
鎌倉幕府は若狭湾にも軍団配置してたけどね
そこを突破されたら分からんけど元軍は兵站持つのか? >>401
何言ってんの?フビライ死んだの遥か先の話だぞ
文永の役の話だと分かってるの? 高麗は元に多数の女を差出している
日本も元に服属したら貢女を命じられただろう
獨協大学名誉教授にとってはどうでもいいことかもしれないが >>401
クビライが死んだのは文永の役の最中じゃないよ?
普通に文永の役後も、弘安の役の時も、さらに弘安の役後まで生きてずっと後に死んでる 陸戦では無敵状態だけど本格的な上陸作戦は元寇が初めてだからなぁ >>24
もしかして最初から使者斬首してたと思ってる?
299不要不急の名無しさん2020/05/17(日) 02:31:15.54ID:RGQPRm2d0
>>116 >>134
なんか使者派遣と元寇の順番を間違ってる人が何人もいるんで、使者派遣〜第一次元寇〜使者処刑までの順番まとめた
1266年8月 一回目の使者・黒的、殷弘が選ばれ、高麗経由で日本に行くが途中で引き返す
1267年6月 クビライは再び黒的、殷弘に日本行きを命じる
1267年9月 高麗王は「海路は危険なので皇帝の使者が行かなくても」と自分の側近の潘阜を二回目の使者として派遣する
1268年1月 大宰府に潘阜が到着、クビライの国書「大蒙古国皇帝奉書」を日本に届ける
1268年5月 クビライが「朕、宋と日本とを討たんと欲するのみ」と発言
1268年7月、潘阜が高麗に帰国、日本からの返書はなし
1268年10月 クビライが「或いは宋、或いは日本、命に逆らえば征討す」と発言
1268年12月 黒的、殷弘が三回目の使者として日本に向かうも、対馬で拒まれ引き返す
1269年6月 四回目の使者・高麗人の金有成が来日、国書を届けて大宰府に長期滞在するが日本からの返書はなし(金有成は弘安の役後の十二回目使節)
1269年12月 五回目の使者、元の秘書監の趙良弼が派遣され国書を届ける
1271年9月 返書はなかったが趙良弼は弥四郎ら使節団を連れて帰国
1273年6月 趙良弼が六回目の使者として再来日、大宰府まで来るが帰国する
1274年10月 第一次元寇・文永の役
1275年2月、七回目の使者として杜世忠が送られる
1275年9月、杜世忠処刑
以上の通り、元高麗からの使者は元寇までに六回送られているが、六回とも殺されてない
またクビライが「日本を討つ」と明らかにしたのは最初に日本に来た使者・潘阜の日本滞在中で、
使者への対応でクビライが戦意を抱いたわけでもない
殺された七回目の使者・杜世忠は第一次元寇・文永の役の翌年に来日した使者なので、
当然のことながらこれは文永の役の原因にはならない >>387
陸続きじゃないので切磋琢磨してないから太平洋戦争負けるんだぞw >>412 日本の真ん中に上陸すると左右前が敵に成るから端の方から攻めるのが心情的なもんだろ。
米軍も上陸は九州からを目指してたし、何処に敵の真ん中に上陸する馬鹿が居るんだよw
それに京都が狙われてたら最初から京都の守りを厚くされてただけw >>412
剽悍な九州兵だったというのはあるかも
京都・・・弱小9連隊w >>389
いや日本は太平洋戦争ふるぼっこだが?? >>143
いや、チョンに占領されるチャンコロってなんの話してんの? >>429
衰えたんだよ。
それから繰り返すが日本は兵を投入して欲しいほどの豊かな国じゃなかった。 範馬勇次郎の先祖だろ
範馬勇次郎の父親でさえ空母を制圧したんだから >>426
日本は昔から籠城戦超強いからね
第二次世界大戦でも同じ >>1
鎌倉武士が強すぎ。
副司令官が矢で狙撃されて
食料とか物資も失くなったんだろ。
普通に失敗しての撤退だろ。 >>440
江田島平八があと10人いたら日本が勝ってたらしい >>405
遊牧民だからある程度の補給物資を同時に移動させることができた
(普段から全財産を移動させてることを考えれば当然ではある)
水も馬の内臓を利用して水袋作ったり、干し肉を予備の馬に運ばせたりって
同時に交易路上の水場や村落の位置情報もフル活用
そういう意味じゃ交易も限られてて通訳もほとんどいないし、地元の情報もほんどない日本とか初めから無理 兵站続かない。狭い船内疫病蔓延そりゃあ撤退する。
第2次のほうは大多数が移民目的でろくな装備なかったみたい
南宋の兵士を消耗させる目的だったらしい。 >>370
役割細かく決まっていた、アレキサンダーの軍が人類最強だったかな。
モンゴル騎馬軍が現れるまで。
モンゴル軍はやべぇが、日本征服失敗したのは馬を大量に連れて行かなかった事だな。
一所懸命の鎌倉武士を、甘く見過ぎたのが敗因。
2回目の蒙古襲来も、数だけ多い烏合の衆連れて来ても、
更にひゃっはー!化した鎌倉武士の敵じゃない。 >>139
矢で制圧出来ないまま打ち続ける羽目になったからすぐに切れたんだぞ >>412
六波羅に幕府の主力いるんだから関係ないだろ モンゴル帝国は中国を征服
中国は韓国を征服
日本は中国韓国を征服
どこの国も征服したことが無い万年属国の韓国と韓国人 保元の乱以降、武者の世の到来と言って坊さんは嘆いたが
武者の世でなければ日本はやられてただろ
しかも保元の乱は初代のフビライがゴビ砂漠で生まれる半世紀も前のことだ
武者の世の歴史の方がはるかに長いんだよ >>370
島国だからな
欧米列強が海に出始めた時は既に鎖国していたし >>1
>外交音痴
左翼学者が大噓つくな
元に滅亡させられた多数の南宋人を渡来させ情報収集をさせていたし
高麗において幕府は多数の諜報活動をやって高麗が元に日本攻めを箴言してた事を知っていた
外交音痴は幕府の徹底抗戦を否定し和睦交渉するようにと命じた
バカな天皇や朝廷・公家連中 >>297
モンゴル馬連れて来ても、西日本は特に山は多いわ平地には湿地も多いわ田んぼだらけだわで、
ろくに活用できなかったと思う
関東平野の大会戦なら勝機はあると思うけど、関東武士は騎乗で長弓使えるから、絶対的
有利な訳でもないしね >>443
ゲームのやり過ぎ。もう少し現実見ような。 >>439
兵の投入自体はしてるから元寇が起きてるのでは
精鋭を、って意味? >>450
南宋の兵を消耗させる意味なんかないんだがね はいはい、定説ないとかポンコツ学者の推論はもういいから >>370
鎌倉時代の大鎧って実は西洋のフルプレートより防御力高いんだけどね >>437 その時の歴史に居なかったおまエラ関係ねーだろw
>>438 え?高句麗に占領されるチャンコロとか雑魚過ぎんだろwくそわら >>13
そもそも制服民族の王様の料理なんて消えてなくなっていただろ
今頃は北海道に行ってもジンギスカンなんて食えない時代になっていたわ >>29
災害大国にも関わらず、1億人越えで世界3位の経済規模を持ってるのに? >>412
本隊じゃ無いぞ哀れ😂
朝廷だって遊び呆けてるし ツシマは間違いなく名作だよ
ただシリアスシリアスだから息が詰まることもあるかもしれないね >>413
wiki
ユーラシアでは主に遊牧民から構成された突厥やモンゴル、ティムール朝、オスマン帝国などが、軽騎兵による騎射と重装備を施された重騎兵による突撃を駆使して、東西に広がる広大な版図を征服した。
対馬なんかは平原がなく輸送も限られていたため馬が活用できず重騎兵(重装歩兵)が山道をジリジリ行軍してた模様 >>454
ネトウヨによると在日が裏で日本を支配してるらしいぞw >>470
モンゴル人は焼肉しない。
理由は煙が天を汚すからだ。
テングリ信仰でググれ 日本が蒙古に占領されていたら
今頃、日本の相撲はレスリングみたいな衣装着てやることになっていた >>458 >>282
文永の役前に朝廷の公家が書いたけど出すのは止めになった返書が残ってるけど
その前の元からの国書を強く批判してる内容で、そんな弱腰和平路線って感じでもない >>407
日本が豊かで平和で食料たんまり溜め込んでるリッチな国
みたいな認識だったから
まあヒョロい日本人とか
大した抵抗もなく楽勝で上陸ww
あとは日本につけばコメ野菜魚がそこらじゅうで
たっぷり食えるし
日本に着いたらご馳走が待ってるぞww
とロクな補給も武器も持たずに来ちゃったんだよなww >>468
韓国が中国を征服した歴史なんか無くね?
中国に征服された領地を奪還した歴史はあっても、それは中国に勝ったんじゃないから
万年属国は万年属国なのよ 朝鮮は元と一戦も交えることなく、いきなり降参して女を差し出して許してもらった
そりゃ鎌倉武士軍団に比べたら乞食みたいな兵隊しかいなかったとしても、戦う気概ゼロだもんな
そんで、元をそそのかして、やらかしたのが元寇
法則発動で大失敗、全滅 誉とか正々堂々というのが美徳であることは疑うべくもないけど
それだけでは勝てないという日本古来からのテーマを本当にじょうずに表現しているよ
興味がある人はやるべきだね
全然難しくないしおいおいツシマがこんなに美しいもんかよと突っ込みたくなるぐらいに美麗 あくまでifだが
若狭湾に急襲上陸した元寇騎馬隊は一気に琵琶湖西岸を南進、てつはう等の新兵器を駆使し迎え撃つ日本軍を次々に撃破。
勢い大原を駆け抜け、京都盆地の北部から侵入。
朝廷は叡山と南都に僧兵出動を依頼、叡山南都僧兵連合軍が駆けつけるも、時すでに遅く千年の都は火の海に、、、
そして中山道と東海道を東進する元軍分遣隊が鎌倉にも迫っていた。 >>475
それwikiが間違えてる。
モンゴルの騎兵運用だと重騎兵は運用できない。 蒼き狼と白き牝鹿懐かしいなぁ・・・オルドが楽しかった ちなみに日本と友好関係にあった国は唐→宋と渤海国
渤海国を滅ぼしたのが遼、北宋を滅ぼしたのが遼の後継の金、南宋を滅ぼしたのが金の後継の元
まあ遼→金→元は日本からみたら普通に敵国認定だわな >>483 高句麗はチョンの国ぢゃないの?逆にチョンが中国の一部だっただけ? >>459
関東平野といっても鎌倉時代の南関東って湿地帯だらけだしなぁ >>46を
へえ、矢に当たって逃げてるのに戦法?
しかも、逃げてるのは後詰めなのに? >>1
上陸部隊が大失敗してる。台風は関係ないぞ。
>>6
補給も何も住み着く計画で農業セット持参やぞw >>484
高麗は元と戦ってるよ
それと高麗は少なくとも将軍は戦う気満々で
撤退した文永の役でも撤退に反対して進軍したがってた 神風というより
騎馬隊が使えないし
単純に島国の防御力が強すぎて無理ゲー
イギリスが強い理由と同じ >>482
> 日本が豊かで平和で食料たんまり溜め込んでるリッチな国
モンゴル的には貧乏国だ。
放牧地、あるか? 今のロシア人はモンゴル人の血が入ってるが、かつて白ロシアと呼ばれてたベラルーシはもっと純血というね >>488
騎馬軍団の頃のモンゴルは軽騎兵で敵を疲弊させて重騎兵でトドメ刺すのが鉄板だぞ >>405
遠征だと1人の騎馬兵士が、5〜6頭の馬を繁殖させながら行軍したそうな。
騎馬兵も喉が渇けば、馬の首すじをチョコと切って、馬の血をちゅーちゅーしたそうな。
戦の時、元気な馬は戦場に、それ以外オアシスで草食って休んでいたそうなw
砂漠を渡っちゃうモンゴル騎馬兵。馬の扱いのスペシャリストだわな。 >>489
完全攻略するとルネッサンスが起きるの知ってた?そこまで行った? >>476
近くで撃った方が当たるし通るじゃ無い
という頭がおかしい発想がスタートだからな >>468
満州族に席捲されてたのは朝鮮半島も同類だろ。 >>460
少弐景資が副将の劉復亨を射て落馬負傷させてたことだと思う >>500
モンゴル的には畑耕してる農民全部虐殺すれば放牧地になるからおけ >>503
その重騎兵ってモンゴル人じゃないんだよw 船が朝鮮製だったので台風で難破したと
何かの文献で読んだ気がする >>486
文永では馬はほとんど連れて来れてないぞ
弘安では馬を運ぶ専用の船を建造して運んだが、主に江南軍の方に配備されてたのでほぼ戦闘では使われないまま終わった >>500
うろおぼえだけどもオゴタイだったかが豊かな農地を見て
ここの農民皆殺しにして放牧地にしようぜーつって
耶律素材からここの人々と作物を利用した方が得やでて諭された話があるな >>492
高句麗がチョンの国だと韓国が中国を征服した歴史になるの?
中国に征服された領地を奪還した歴史はあっても、それは中国に勝ったんじゃないからね
万年属国は万年属国なのよ >>412
補給持たないし無理
基本的に政権が安定してる場合は攻略が不可能
近代イギリスでさえも、安定政権のズールー(南アフリカ)やアフガン、ネパール(グルカ戦争での奮闘でグルカ兵が認められた)では大苦戦してる
むしろ当時内乱状態だった秋田とかの地元勢力と結んだ方がワンチャンある
ただ生産力が低いから大軍の維持は無理
なにより海路が確立してないから大軍や増援、補給物資を送り込めない
当時の輸送力や情報でじゃどうやっても無理
日本クラスの大国(人口はかなり多く、文化や言語も独自発達している)で政権が安定してる島国を攻める方があたおか >>509
ならねーよ。
日本はモンゴル的には狭すぎる。 >>511
逆。台風に耐えたのは高麗船の方だよ。これは鷹島周辺の沈船調査で確定してる >>510
じゃあ何人?モンゴルの戦術は軽騎兵と重騎兵の巧みな運用なのに重騎兵いないなんて初めて聞いた >>500 >>509
元は別に放牧のみに価値を見出してそれ以外を軽視してる国じゃないよ
クビライは水運にも関心が深くて大都も水運前提に作ったりしてるし >>514 俺的には敵同士のちちくりあいに興味がない。
語感的には高句麗って朝鮮っぽいけど。 >>511
そのへんはただの俗説だな
たとえば弘安の役だと嵐に遭った船は沈んで上手く風除け地に逃げ込めた船は助かったてだけよ
そして高麗の船は無事に逃げ帰ったものも多い >>500
フビライに日本攻めを進言したのは朝鮮王だからな
朝鮮にとって日本は夢のような豊かな国だった
江戸時代に来た朝鮮通信使も日本の豊かさに腰を抜かしてる
それどころか国の使節団なのに貧乏すぎてニワトリ泥棒までやってる >>506
否定なのか同意を求めてるのか曖昧で分からんが、犬を柵に閉じ込めて逃げ回るのを何匹射殺できるか競ってたくらいだから、和弓は意外に近接でも小回りが効いたんじゃないか? 対馬に来た蒙古は最初平和的に島を占領しようとしたけど、
一緒に来た朝鮮人が蒙古人が静止するのを無視して
対馬の女は全員強姦して、男は虐殺しまくったんだよね
それを聞いた鎌倉幕府が激怒して兵を派遣した。 >>523
フビライがそもそも日本と南宋を滅ぼそうとしててそれに乗っかった感じだがな、高麗王 >>234
>>邪馬台国は魏の使者に邪馬台国の位置について嘘情報を教えたと思うんだよねw
凄い納得できる説だわ >>526
蒙古は最初平和的に島を占領しようとしたとか蒙古人が虐殺静止したとか
そんな話聞いたことないがどっから出てきた話?
そもそも司令官は元のクドゥンで、高麗より立場が上なんだから
もしも高麗軍がクドゥンの命令無視するようなことがあったら高麗王になり将軍になりの責任問題だけど
別に戦後それで処罰や詰問されたような話も聞かない >>525
流鏑馬の絵巻みればわかるけど凄い近距離で射つ
それこそ槍が届くんじゃないか?って距離
遠弓っての一種の名人芸で騎射とは別物 硫黄島で死んだおじいちゃんが教科書に神風で日本が勝ったと言ってた もし全軍上陸していたら各地の御家人を蹴散らしながら3週間で鎌倉に殺到していたらしいね >>524
すげえモンだな。800年くらい経って結構綺麗に残ってるもんだな。 >>532
でも対馬の女を強姦しまくったのは朝鮮人という記録がある。
男は手に穴を開けて紐でつないで最後は虐殺したと 鎌倉武士団てSRPGでいうと重装弓騎兵なんだっけ
ゲームだと敵に出てきたら最優先で潰さないといけない強力ユニットなことが多いよな
実際飛距離も威力もやばい長弓を高機動で撃ってくる軍隊だったんでしょ鎌倉武士って 倭寇に仕返しされて、
もう、散々な状況だけどw
高麗も支那沿岸部も。
農民拉致合戦。 >>484
元に戦争で負けた難民が
朝鮮半島になだれ込んで人口過密状態になった
でも痩せた土地で食糧もロクに手に入らなくて
多くの餓死者が出た
民衆の不満が溜まって元に
何とかしろ!暴動起こすぞコラ!
と一揆が立ちあがり始めた頃
じゃ、隣りにリッチな食糧大国があるからみんなそこ行けやw
行ったらお前ら切り取り自由や
毎日うまいご馳走がたらふく食えるぞ!ww
と怒りの矛先を変えて
ロクな武器も食糧も準備しないまま
どうせ貧乏なこっちにゃもう帰らんしw
と港に浮かんだ漁船でスタスタ出ていった
戦術も戦型もみんなバラバラ
極限まで腹が減って幻覚が見える頃
日本の港が見えてきた
戦うというよりも早くメシを強奪して食いたい一心で
弓すら持たずにみんなで必死に陸に向かって漕いでいる
やったー!ついに陸に着いたぞーwwの瞬間
ヌッと崖の上から日本の弓隊がズラッと現れて
崖下に向かって一斉射撃を加えて一瞬で殲滅させた 御家人たちの頭にあったのは100%恩賞のことだけ
日本のために戦った者など一人もいなかった >>1
またこの主張?
何度も言っていれば真実になるとでも思っているのか?
まるで明智光秀善人説かのようだな >>468
何がおかしいのか知らんが、高句麗が中国を占領したってなんの話してんだ?
高麗の話してんのに高句麗の話し始めるとか何言ってんの? >>140
人気でたコンテンツにとりあえず逆張りしときゃページビュー稼げるからな
売文家にとっちゃ史観にカビ生えてようが理論が破綻してようが知ったこっちゃない 名乗り上げて一騎打ちとか未だに言ってるアホいるのか >>521
お前的なことを聞いてるんじゃない
言ってるんじゃない
高句麗がチョンの国だと韓国が中国を征服した歴史になるの?と聞いてるんだよ
史実を聞いてるんだよ
中国に征服された領地を奪還した歴史はあっても、それは中国に勝ったんじゃないからね
万年属国は万年属国なのよ >>537
少なくとも文永では、そんな記録はない
対馬に上陸したのは元軍と女真族主体で高麗軍は同行した指揮官級の一部だけ
恐らく手薄な対馬を落とす手柄を高麗に挙げさせる気はなかったのだろう >>538
普通に考えて蒙古騎兵、その他の遊牧騎兵の次にヤバいユニットだろうな
まあイスラムとかも騎兵強いけどね、マムルーク朝とか勝ったしね
何にしても中国と欧州の騎兵は弱いよ、いかんせん騎射の能力がね 装備を見るだけで日本が勝つのわかるでしょ
頑丈な鎧と大きくてゴツイ弓の日本と、防寒着みたいな鎧?に小さくてオモチャみたいな弓の元軍
そりゃあ本隊が来る前に九州軍だけで2回とも追い返すだろw 地上戦でも日本の武士が
圧倒した
蒙古軍はほとんど
朝鮮人だから負けるわけない 別に日本人が有能ってわけでもなく神の国がどうのこうのとか
オカルトに走っても意味がないんだよね >>523
数十年もモンゴルに攻められてた高麗は日本に救援を求めていたけど黙殺された経緯がある。
そして耐えかねた高麗はモンゴルに屈した。
その後、高麗国王に擁立されたのは親モンゴル派の王族であり、フビライの娘を娶らされて、日本侵攻という義理父への謝恩に報いねば、高麗の未来はなかった。
高麗の反乱勢力は江華島で臨時政府を立てて、引き続きモンゴルに抵抗すべく日本に再三の救援を要請したが、これも悉く黙殺した鎌倉幕府。
ついに江華島の臨時政府も滅ぼされた。 当時のテクノロジーでは、人口密集した巨大な島国に渡海上陸作戦なんて、しょせん無理筋だった
どうやっても元は負けたと思うよ ID:g2zJLG990
↑
こいつ妄想朝鮮人、あまりに酷いわ >>553
何が言いたいんだ?
論点をどこにしたいのか皆目見当もつかない >>555
何時の時代も兵站が、勝敗左右するな。長期戦はw >>177
結局は企画マンの妄想番組で史料も無しで作った番組だったんよ。 ベトナムは
世界最強の
蒙古軍もアメリカ軍にも勝ってる 神風だの神の国の民だからとかわけわかんないこと言っても世界から嘲笑されるだけ >>500
元の元になったモンゴル帝国はむしろ交易重視だぞ
交易(妨害等)名目で交易路を利用して大軍送って拡大した国
あと、遊牧国家は洋の東西問わず鍛冶(鉄)も重視する
モンゴル帝国に至っては攻城兵器等に中国の新技術を積極的に導入した
それこそ絵巻にある「てつはう」なんかの火薬(他にも『火槍』なんかも中近東では大規模導入してた)とかの新技術も兵器に取り入れるくらい
元は中国化してるからまたちょっと違うだろうけども
ちなみに元も初めは「交易」って名目で接近を図った >>555
当時の九州なんて、博多周辺がかろうじて栄えてるだけで他はスカスカだろ >>543 いや一時期でもかなりな中国の面積を領土にしてるぢゃんか、中国人恥ずかしくないの?死ねとか思わないの? >>554
外洋水軍持ってない鎌倉幕府にどうしろというの?
当時の日本で上位の水軍だった松浦水軍が文永ではあっさり壊滅してるくらい海軍力に差があった 海を渡っての侵攻作戦ってのはあの時代はまだ大変だったんじゃないの?
色んな意味で
しかも日本海荒れがちだし >>525
遠矢は当たりにくいし当たっても通らないな
↓
近くなら当たるし通るじゃない←スタート
↓
でも相手の矢も当たるし通るじゃない
↓
せや、鎧を丈夫にしよう
↓
敵の鎧も丈夫になってしもた
↓
せや、もっと近づいたら鎧の隙間とか急所を狙えるやん 中国人は元寇を学校で習わない
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1625458108/
ゴースト・オブ・ツシマで知った人も
そりゃあ元寇は中国にとって都合が悪い歴史だからなw
まず中国が蒙古に征服されたという屈辱の歴史w
あと蒙古の走狗となって日本を侵略しに行ったという、ぜったいに隠したい歴史w
中国は日本を侵略したことなど一度もないw バトル🇯🇵
battle🇬🇧🇺🇸
抜都魯🇲🇳(勇猛なる)
音は摩訶不思議に変化しないよ?
意味が違うものに間違える事はある。 朝鮮人を組み込んだ国は
必ず戦争負けるよね。
朝鮮人を取り込めば
国を滅ぼすという箴言を
日本人は教訓にしたほうがいい。 >>537
その手に穴を〜がある日蓮の書状には、それをした奴らは蒙古国から来たってことしか書いてないよ
したのがモンゴル人か、高麗人か、あるいはその両方かを判別できるような書き方はしてない
もちろんモンゴル人がそれを止めたとかなんとかも書いてない >>268
北九州をまるごと元側に引き入れるような離反工作を事前に仕込んでいれば、あるいは勝てたかもな
でも完全に異民族の元に、そんな工作は無理だろ
結論、どうにもならない 日本史って江戸時代の暇なおっさんが書いたラノベでしょ >>566
元々中国征服されてた領土を奪い返しただけでしょ
更に「少し」ってどんだけだよ
針小棒大に語らないでね
万年属国の韓国と韓国人 元寇の記録類は 鷹島の歴史博物館が 一番 充実してる 元軍の船の錨など一見の価値あり >>566
元々中国征服されてた領土を奪い返しただけでしょ
更に「かなり」ってどんだけだよ
針小棒大に語らないでね
万年属国の韓国と韓国人 蒙古は騎馬で圧倒するから強いのであって海上や少数の上陸作戦ではダメだろ。 >>564
そう、遊牧民が欲しいのは交易であり、国土では無い。
しかし中華やアラブが国境という見えない障壁で自由な交易を寸断するので、やむなくそれを取り払うべく共栄圏を拡大した。
これが今日我々の歴史認識でモンゴル帝国の最大版図と呼んでいる領域。
あれは国土ではなく自由交易共栄圏。 >>531
道案内する時にあえて遠回りしたとかもあるよな防衛上の理由で >>563
ボロ負けする無敵艦隊とかあるから平気平気w
歴史なんてそんなの気にしてたらキリないわ。 当時の船では大量の軍馬を運ぶのは不可能だった
騎馬軍団の居ないモンゴル軍など怖くない >>576 其処はチャンコロとチョンコロを争わせた方が俺得だし >>549
中世において遊牧民族って生まれがチートみたいなもんだからね >>554
>>数十年もモンゴルに攻められてた高麗は日本に救援を求めていたけど黙殺された経緯がある
三別抄の話は知ってるがそっちは聞いたことがないけど、いつの話? >>580
グローバリズムだからね
ついでに略奪するだけで アンゴルモア元寇合戦記読んでるけど
まあアレだよな
アレ >>563
運良く台風が来て、ぼろ船撃沈した事実を、神風と呼んでるだけだろw
戦闘自体は日本側の圧勝。
蒙古軍の敗因は、騎馬軍団展開できなかった。
連れて来た数が多過ぎて食料やばかった。
上陸して前線基地建設できずと、負け戦の典型。 日本側が海渡ってきた使者を殺してしまったのが元寇のきっかけだっけ… >>585
お前はチャンコロなのチョンコロなの?
韓国が中国を征服した歴史なんか無いよ
モンゴルに征服され
中国に征服され
3世紀には日本に征服され
現代はロシアに征服されそうになり、日本へ併合を求めたバカチョン民族がお前ら韓国人だよ
万年属国の惨めな歴史を直視しろよ >>581
文禄の役の加藤清正ルート思い出した。
ウラジオストク目指す。 >>563
昔はそういうのは珍しくないよ
それいうならモンゴルの国書だって決まり文句のようなものだけど
天命を受けてなんたらって言葉から始まってるし >>566
中国の領土ってのが不変だとでも思ってんのか?
具体的に高句麗は中国大陸のどの民族が支配した地域を戦争で服属させ占領して支配したのか言ってみなよ
そもそも中国を占領って、それは大陸のことを言ってるのか、民族なのか?雑すぎるわ
あと高麗と高句麗区別付いてるか? NHKの特集では、
日本の武士も激しく抵抗して、神風がトドメを刺した って言う話だったはず
だから、神風だけではなく、
日本の武士の抵抗が激しかったから蒙古軍は攻めあぐねて船上で待機していた所に突風が吹いて多くの船が沈んだ
その結果諦めて逃げていった
ちなみに3度目の日本侵略作戦はベトナムに基地を作ってそこから攻める予定だったのにベトコンに襲われて船が全焼
これも失敗に終わった 多々良浜辺の戎夷
そは何蒙古勢
傲慢無礼もの
ともに天を戴かず
いでや進みて忠義に
鍛えし我が腕
ここぞ国のため
日本刀を試し見ん 韓国(朝鮮)と組んで戦争に勝った国は無い
歴史が物語っている
日本が第二次大戦で負けたのは韓国人と戦ったから
そして元の敗因は朝鮮人と組んだ事 >>594 お前がチャンコロとか俺様に関係ねーし、チャンコロにはチョンコロなんかに占領されてた死んだ方がマシな程恥ずかしい時期が有った方が良い。 >>593
元寇のきっかけって
日本側が使者を殺したのは(第一次)元寇の後だけど そもそも元軍の侵略手口が侵攻を何度も繰り返す掠奪行だから一回で侵略完了を目指さない。 面白いのは元が衰退した後明が近隣各国に朝貢貿易を調印してるところなんだよね
あれだけボコボコにされてもまだ居丈高に朝貢させるというメンタリティが笑える >>592
フビライはタヒぬまで周りが止めるのも聞かず第三次日本征討計画をひっこめなかったし
高麗も造船させられてたらしいけどね
正式に計画中止になったのはフビライの次代になってから 弓矢でボスクラスが次々に狙撃されて、統率力がなくなったから >>606
お前がチャンコロかチョンコロか聞いてるんだよ
よく読めバカチョン >>554
さすがにストーリー描きすぎ
鎌倉幕府の動向なんか関係なく
高麗王はモンゴルの降嫁政策を受け入れてたし
モンゴルの王族の末席に座って喜んでただろ 今の感覚から見て外交音痴なんてアホな反日記事
当時に通信が卓越し外交に精通した国があったのか >>157
文永の役は本格侵攻(弘安の役)のための威力偵察だったって考え方は
単に軍事用語を聞きかじっただけの人が考えたって感じするけどなー
威力偵察ってのは相手の対応能力を推し量るためにするわけだが
主攻の用意までにあまりにも間が空きすぎて防衛設備や組織が拡充されてしまっており偵察として成り立ってない >>590
あれも実写で見てみたい
元寇の実写って大河ドラマの北条時宗だけかな >>268
秋田方面で起きてた内乱に介入する
(ただし、交流がなく不可能に近い。出来ても海路が確立しておらず、現地の生産力も低いから無理)
天下100年の計と北海道の北からアイヌを征服しながら手を伸ばす
(生産力が低く無理。元が先に滅ぶのは確定的に明らか)
対馬を完全に占領し兵・物資を運び込んで兵站基地として長期間睨み合う
(維持に大金がかかるし警戒してる場所・国への上陸占領は非常に困難)
対馬占領が一番現実的だけど日本だって指を咥えてみてるわけじゃない
船に使う木材だって日本の方が豊富(宋への主要輸出品の一つだった)なくらいだし人口が多く・技術だって低くない
一族郎党を徹底した兵制は散兵を可能としてて、隙あらば逃げる徴収された元軍とは士気・練度・運用では比べものならない >>614 何で俺様がチャンコロなんかに成るんだよチャンコロが、チョンコロみてーな事言い出しやかってしね >>606
あと韓国が中国を征服した歴史なんか無いから
息を吐くように嘘を吐く韓国人のまんまじゃんお前 >>611
第二次大戦前にフランス、イギリスにボコボコにされたのに
2000年以降、再び太平洋の西の半分は中国領土と主張している今の中国人とメンタルが変わっていないと考えればよく分かる この当時の文献は盛ってるから話し半分がちょうどいい >>603
その一方で日本より遥かに遠いインドネシアのマジャパヒト朝にも遠征隊5回も送り込んでる。
マジャパヒト王はモンゴルの特使を殺さずに帰してるだけ、日本より理性的だけどね。 >>617
モンゴルは基本的に掠奪行を繰り返して侵略できそうなら本隊を出す。
それが威力偵察に見えるだけ。 >>620
お前は韓国人だろ
違うと言うなら韓国人をもっと罵ってみろよ
チョンコロはウンコ食う民族だよね?
チョンコロはバカチョンだよね?
チョンコロは万年属国の惨めな歴史しかないゴ民族だよね? >>141
特攻は成功した作戦だよ。
特攻のおかげで、イギリスは降りて、本土侵攻は諦め。
イカサマで原爆を女子供の上に落とした。
おかげで、日本人は倫理的に米英と対等になったでしょ。 >>579
そりゃイメージ
騎馬をいくら連れて行っても城壁に囲まれた城塞都市は落とせないよ 蒙古の失敗は、領土を広げすぎて統治不可能になっていっただけの話だろ >>620
俺は韓国人でも中国人でも無いから両方罵れるよ
チャンコロはウンコ
チョンコロはそのウンコ食って生きながらえてきた糞食い民族 >>591
当時の船は台風が来たら簡単に沈む
幕末の船も台風で沈んでるぐらいだからね
船がボロかったんじゃなくて上陸できなかったのが敗因 >>611
永楽帝崩御しなければ、鄭和の艦隊はアメリカ大陸にすら到達する勢いだった。
そうなれば、西欧による大航海時代も無かったかも。
その後の西欧中心の世界史も中華文明のそれにとって変わってた。
産業革命も中国で起きてた。 >>621 チャンコロが発狂して面白いだろ?
だって高句麗は朝鮮的な名称だし、一時期中国の北京ら周辺も国土にしてたんだし。
チャンコロがこの汚辱を消し去りたかったら韓国と朝鮮人を皆殺しにするしかないなwww 豆知識 蒙古タンメンより、南極ラーメンのほうが辛い。でも蒙古ラーメンは作ってくれない >>624
マジャパヒト朝はモンゴルや欧州では取れない黒檀をはじめとした高級木材、香や香料を産する富裕国だったし、中華の冊封受け入れてスルーする東南アジア国の常な遣り方に慣れてたからね。 今やアベノイミンだらけで結局外人だらけになる日本w
安倍移民党以降、日本史上最大の得体の知れない外人だらけになった日本… >>619
日本は文永の役前の使者を九州に止めてるから、
使者の偵察もそこまでしかできてない
文永の役後、弘安の役前の使者は斬首されて情報を持ち帰れてない
九州以外の情勢に関して機敏な情報収集は元には難しいんじゃないかな
そもそも情報がないと内乱への介入もできないし
文永の役の翌年の使者は長門に来たけど捕まって鎌倉へ送られて殺されてるから、
九州以外に上陸したとしても多分同じことになるだろうし wwUの米軍なんて戦力も補給能力も史上最強レベル
元軍なんかまったく比較にならない
神風吹いても駄目だった >>629
違うんだよ。
そもそも統治しようという考えが無かった。
自由交易共栄圏を作っただけだし。
国家を作ったのは中華文明に心酔したフビライとその子孫。つまり元朝のみ。 >>633
チョンコロのお前が発狂してる感じでしょ
お前が韓国人じゃないなら韓国人を罵ってみてよ。俺は中国人で韓国人でも無いから両方罵れるけど
はい、どうぞ
「ゴキチョンは」から始まる罵り方でも良いよ クビライはベッドから起きる度に日本を攻める!って言ってたんじゃないか >>637
日本を攻めるのをってことなら、クビライは止めてない
中止になったけど3回目もするつもりだったし準備してた 【中国】抗日神劇はデタラメだ!旧日本兵は「逃げず、投降せず、最後まで戦った」捕虜よりも自殺を選ぶ心境は理解できない 10/29
戦後75年が経過した今でも、歴史問題を理由に日本に否定的な感情を抱く中国人は一定数存在するが、これには抗日ドラマの影響も大きいと思われる。しかし、近年の抗日ドラマは中国人自身が「抗日神劇(トンデモ抗日ドラマ)」とネタにするほどの内容のものが多かったと言われる。
中国メディアの百家号は26日、当時の旧日本軍について知りたければ、「トンデモ抗日ドラマよりも八路軍を知るほうが良い」と主張する記事を掲載した。
八路軍とは、日中戦争時に華北地方で戦った中国共産党軍のことである。国民党軍は前線で旧日本軍と戦い、八路軍はテロやゲリラ戦を主に行っていたとされる。
記事は、実際のところ八路軍は旧日本軍を相手に非常に手こずり、苦戦したと伝えている。八路軍が旧日本軍に「驚かされた」のは、部隊を新たに編成した直後の第一戦目からだったという。
記事は、当時の旧日本軍は突然のゲリラ攻撃に防御する暇もなかったものの、取り乱しもせず冷静に応戦したと紹介。
また、明らかな劣勢にもかかわらず、旧日本軍が思いがけない抵抗を見せたため、八路軍のある兵士は後に「これほどかたくなに抵抗する敵を見たことがなかった」と振り返ったと伝えている。
また、さらに八路軍を驚かせたというのは、旧日本兵を「捕虜にできない」ことだ。捕虜になるなら死んだほうが良いという考えから、重傷を負っても捕らえられる前に自殺してしまうからで、「1人も旧日本兵を捕虜にできなかった」戦闘もあったと主張。
「どんなに劣勢でも逃げず、投降もせず、最後まで戦い、捕虜になりそうになると自ら命を絶った」のが真実の旧日本軍の姿だと伝えた。
抗日神劇をいくら見たところで、戦争の歴史を正確に知ることはできないだろう。記事の中国人筆者は、「抗日神劇に出てくるような無能な日本兵だったら、さっさと戦争を終わらせて中国兵たちはすぐ家に帰れただろう」と指摘。
捕虜よりも自殺を選ぶ心境は、中国人には理解できないとしているが、文字どおり死ぬ気で戦った旧日本兵は、抗日ドラマの中で描かれることはまずなさそうだ。 >>637
元がベトナム遠征、ジャワ遠征に相次いで失敗して日本遠征は先送りに
そうこうしてる内にフビライが死んで日本遠征計画は廃案になった >>640
実を言うと3回目はあったんだよ。
俗に言う北の元寇。
サハリンへの侵攻作戦。
先に樺太とアイヌを服従させて、北方から日本に攻め込む作戦だったが、樺太やアイヌに日本侵攻のメリットが皆無だったのでモンゴル側も作戦頓挫。 >>638
地図もないからね
だからアイヌの揉め事にモンゴルが介入してるんだけど、そこから南下していくと海を越えて本州に辿り着くなんて夢にも思ってなかったと思う
そもそも開発して豊かにするなんて発想自体なく、豊かな場所を勢力下に収めるって考えなんだと思う >>642 いやいや何故お前がチャンコロなんかを庇うのか分からんw
俺様は面白い方の解釈を取るwだいたいね俺様の解釈を何でお前如きカスが指図すんだよw
日本人的にはチャンコロやチョンコロの解釈なんかでいちいち熱く成るか?
そんなもんありんこが如何成ったかみたいなもんだしwww
アイヤーって言ってみろw >>591
台風に関しても運良く来たんじゃなく、毎年台風が来る時期になっても上陸できなかったから 【日中】抗日ドラマ「でたらめだ!」 憤激する元中国兵ら…「日本軍は強かった」「敬服せざるをえない面あった」=中国メディア
抗日ドラマ「でたらめだ!」 憤激する元中国兵ら・・・「日本軍は強かった」「敬服せざるをえない面あった」=中国メディア
四川省メディアの華西都市網はこのほど、抗日戦を戦った元兵士らへの取材記事を掲載した。中国では「抗日ドラマ」が盛んに放送されているが、元兵士らは「あんなに容易なわけがあるか」などと
反発。日本軍は極めて強く、戦意については「敬服せざるをえなかった」と述べた。
四川省メディアの華西都市網はこのほど、抗日戦を戦った元兵士らへの取材記事を掲載した。中国では「抗日ドラマ」が盛んに放送されているが、元兵士らは「あんなに容易なわけがあるか」などと
反発。日本軍は極めて強く、突撃などの際に見せる犠牲的精神については「敬服せざるをえなかった」と述べた。
99歳の馬定新さんは「抗日ドラマ」について「数人で鬼子(日本兵を指す)の連隊を全滅させるだって? 真実ならば、多くの仲間を犠牲にして8年も戦う必要があったわけがない」と批判。
「ひとつ間違えば命を失う」厳しい戦いだったと回顧した。
日本軍は多くの場合、航空機や戦車、重火器で攻撃を加え、敵をただちに撃破する電撃作戦を好んだ。しかし、戦線が膠着すると迂回攻撃するなど柔軟性もあった。訓練が行き届き、部隊間の
連携も巧妙な日本軍に、中国軍は大被害を受けつづけた。
記事によると元兵士の多くが、日本の将兵は「命を惜しまず、射撃も正確だった」と証言する。「突撃」の命令が下れば、とにかく殺到してきたという。小隊長として1941年5月の中原会戦に
参加した鄭維邦さんは、日本軍の突撃精神には「敬服せざるをえない」と述べた。
戦史研究家の何允中さんは、日本兵には「崇高な武士道精神があった」、「まず、おのれに厳しかった。相手に対してはさらに厳しく戦った」と説明した。
中国では「武士道精神」が、「日本人の残虐さを示すもの」として否定的に扱われることがほとんどだ。専門家の発言部分とはいえ、メディアが「崇高」と表現するのは珍しい。
記事は続けて「抗日ドラマの見せ場」でもある、中国人が刀で日本兵を『華麗に殺す』場面を取り上げた。馬さんは「大うそ。鬼子と遭遇して、あんなことをしたら、何度殺されていたか分からない!」と
述べた。
実際には、中国軍の軍刀や銃剣類の使い方は日本軍から学んだもので、日本人将兵の刀剣類の使い方の方が「最高に実際的だった」という。また、中国には当初、歩兵の運用規則を定めた
「歩兵操典」が存在せず、後になり日本軍の「歩兵操典」を翻訳・編集して使ったという。
記事は最後の部分で、「いかなる目的にせよ、歴史をねじ曲げ、誤った歴史を広める行為は、全民族を挙げた抗日戦に対する侮辱」と批判。「歴史を直視し、(当時の中国と日本の)差を
直視することが、抗日戦を戦った英雄に対する最大の尊敬だ」と主張した。 もう東の果てまで来ちゃったし
それでいて南や西に軍を移動させるのって
補給どころか略奪や独立 反乱せっかく占領したとこで
途中で起こされたらたまらんのでみんな死ねって感じだったし
食料も補給どころか片道分のだけ渡された特攻状態
そこで現地民から裸同然主力武器は銅剣か石をつけた槍か棒を持った抵抗受けるも
正規軍は一文の得にならんので逃げて出てこないし無人の地を行くかの如く圧倒的だったけど
大陸で終わったと思われてた疫病見つかってドン引き
占領地捨てて船へ逃げ帰る で食料尽きておしまいでリストラ成功 >>593
半端に言いなりになってたら橋頭堡アリで不利な戦になってただけ >>627
> おかげで、日本人は倫理的に米英と対等になったでしょ。
原爆は正義の鉄槌がアメリカの認識。
倫理的に間違えるから原爆投下したがアメリカの考えよ。
猿を躾けるには原爆が必要ってこと。 >>625
まあ、そうだよな
奪れたら奪るわーで普通にしくじったというか
なんでその後フビライくんがずっと割とやる気まんまんだったのかは知らんけど >>1
最近では神風に助けられた説よりも
鎌倉武士が強すぎて、元軍は手も足でも出ない状態で
撤退途中に台風に遭って、泣きっ面に蜂状態で日本に完敗した説が有力視されているよな >>649
庇ってないよ
史実を言ってるだけ
お前は「面白いだろ?」という理由で願望を言ってるだけ
韓国が中国を征服したというウリナラファンタジーに浸ってるだけ
俺は中国も韓国も両方罵れるけど、お前は韓国を罵ることを拒んでるだろ
その時点で万年属国のエラバレし糞食い民族じゃん
お前が中国人ならアイヤー
お前が韓国人ならアイゴーって言ってみろよ 武力で脅してくるようなやつらと外交の余地はないだろ >>628
> 騎馬をいくら連れて行っても城壁に囲まれた城塞都市は落とせないよ
落とすんだよ。
遣り方は占領地から攻城戦の専門家を引き抜いてやらせるの。
モンゴルの外国人等用は閉鎖的な島土人の日本人にはできない。 ロシアに侵入したモンゴル軍たちは
ロシアの村々を襲いあるとあらゆる殺伐と略奪を働いた
ババアや男児は容赦なく殺された
若い男は奴隷としてあるいは戦争時の人盾としてひっとらえられた
モンゴルのハーンたちは金髪碧眼の少女をことのほか好んだので
モンゴルのハーンたちに献上されるためこぞって連行された。
というような話はないの? >>653
モンゴル拡大方法だからね
「仲良くしましょ」って交易路出来上がったら、それは同時に進軍路にもなるって塩梅
日本国内の情報も手に入れられるから北の方で内乱起きてるとか情報を手に入れたら、そこを介入して橋頭堡の出来上がりとかって >>652
>そこで現地民から裸同然主力武器は銅剣か石をつけた槍か棒を持った抵抗受けるも
鎌倉時代の武士は刀も薙刀も弓矢も大鎧も衣服あるけど…
てか>>1の記事に蒙古襲来絵詞で武士が武装して描かれてるやんけ >>273
結局それに尽きるよね
2回とも上陸しきれず船で寝泊まりしてる時点で作戦失敗だわな
しかも2回とも日本軍の本隊が応援に来る前に九州武士だけで追い返してるんだから圧勝と言ってもいい >>658
武力は外交の基本だ。
武力なき外交なんて無意味。 外交文書じゃなくて脅迫文書なのに
なんで最近こういう見方する人が増えてんの? ■「武士道精神」世界に知らしめんとす
戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、
戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。
戦って死中に括を見出し護国の精神に徹するならば
たとい戦い勝たずとも、護国に徹した日本精神させ残せば、
我々の子孫は必ずや再起、三起するであろう。
永野修身 元帥海軍大将 >>584
1隻あたりから5頭ほど積んで
大型船は150隻なので
700〜800頭はいたと推測される
ただし、兵士は2.4万人いるので
モンゴル人の指揮官用の馬しか準備できなかった
モンゴルが大陸で強かったのは
軽弓騎馬で誘い出して重装騎兵で
とどめをさしてたからだけど
元寇はほとんど高麗と南宋の兵で
反乱を防ぐ必要からも騎馬編成は不可能だったから 兵站の維持が厳しすぎるわな
半島経由は途中でかなり減りそうだし 九州武士団も戦ったのに、鎌倉武士しかクローズアップされないことが不満 >>659
だから、そういう新技術導入やモンゴル人以外の利用が強さなんだろ
騎馬で落とせないって言ってるのに「専門家にやらせるんだ」って、俺への答えなら「騎馬で落とす」って答えないとおかしいだろ >>660
モンゴル軍がそんな話をわざわざ広めたって話はある。
その代わりさっさと降伏開城したら支配層から下層民まで手を出さない。
たださは抵抗したら金髪碧眼の少女献上どころかまとめて皆殺し。
情報戦てやつだね。 >>235
よく見ろよ長崎って書いてあんじゃん
長崎が史実によく出てくるようになった時代以降の話ってわかんないのやばいよ >>670
日本男児と言っても
鎌倉時代の武士は
現代人の想像をはるかに超えるDQNぞろいの
狂暴な軍団だったようだよ どうせ朝鮮酋長が任せてもらえりゃ日本なんぞあっという間に征服してみせるニダとかなんとか適当なホラ吹いたんだろ 実際押し寄せて来ても食べ物足りないよな
夏場の海辺で貝とか取って腹こわしたりもしたかも 新コロウイルスが日本人を見て首をひねりながら、ひと言↓ >>673
全くおかしくないな。
攻城戦やるのもモンゴル軍には変わりないからな。 >>672
鎌倉武士って九州の御家人も含めた鎌倉時代の武士って意味だと思っているけれどな >>660
タタールのくびきで検索して
詳しく書いてるとこ探せば似たような話はあるかもしんない
それまで貴族として記録されてた一族が
モンゴル支配後は奴隷として名前が出て来るなんて話はあるな
まあ今に残る記録は誇張された内容も多いらしいが 一番の敗因は朝鮮を仲間にした事。
日本もアメリカもそれで戦争に負けた。 >>663
うん、俺もそう睨んでる
かなりの軍勢が上陸したのに、地元の御家人に蹴散らされた
いくらなんでも弱すぎる
朝鮮兵を前線に出して様子見してたら全然使い物にならず、そのうち嵐が来ちゃった感じ どっちにしたって武力と威圧的態度によって蹂躙したという事実は同じだけどね
その中で日本が落とせなかったのはなぜかということよりも
日本よりも征服すべき世界が広かったからだと考えた方がシンプルですきだな 当時の日本が外交音痴とか妄想も甚だしい
宋と交易しててちゃんと情報を得ていたからこそ元とは徹底抗戦したんだよ >>8
書いたのが朝鮮人じゃなけりゃそんなに齟齬があるわけはないよな。 >>672
「戦国武士」とかと同じで「鎌倉時代の武士」って意味なんじゃないかな >>678
それ以前に揺れが酷い船で外洋を来てるので到着時にかなり体力が減ってる
馬も当然やられる
中国からの場合はさらに悲惨 >>690
船で来る途中に馬食った可能性もあるなぁ >>671
モンゴル軍の場合、場所によるが兵站をあまり気にしなくていい。
なんせ今のモンゴルでも冬は馬乳酒のみで越したりするからな。
つまり兵站を連れて移動してんだよ。 なんで朝鮮人に日本侵略のフネなんて作らせたんだろう? 上陸拠点を作らせなければよく、
防戦を続ければ、その内、台風が来るかも
知れず、むしろ台風は遅かったくらいで
侍が計画通りよく防戦した。 武士たちは勇敢に戦って追い払ってくれたのに
ご褒美として分け与えるべき物が得られない戦いだったから
「神風のおかげ」ということにしといたんだろう? >>694
元がでかくなりすぎて手が回らなかったんだろ
韓国人は大丈夫だろうと思って任せられる民族じゃなかった >>694
そりゃ半島国家だからじゃ
半島=海に面してる=造船能力がある
特に文永の役ではまだ南宋征服してないから南宋海軍も手に入れてないし
まあ弘安の役でも東路軍と高麗軍は高麗船も使ってるけど >>77
いや,それは違う。
前期倭寇は元になる前(金ー南宋時代)から渤海,黄海,朝鮮海峡あたりでやっていた。
九州北部,対馬,五島列島の武士も加わっていたし,海賊行為だけでなく貿易も行っていたので,鎌倉幕府とてそれなりの情報は入っていたはず。
ということで,『この時代の為政者はまったく国際情勢にうとく、』というは史学者が適当な理由付けをしたかっただけと思っている。
実際,日本中世史やっている先生方が一次資料をまともに読めているわけでもないし,昭和世代だと江戸期の講談とかを史実としていたりするような状態だったし。 >>684
元寇でググってみ
文永の役では
総数 27,000〜39,700人[12]
蒙古・漢軍 15,000[13]〜25,000人[6][14][15]
高麗軍 5,300〜8,000人[16]
高麗水夫 6,700人
弘安の役では
数 540,000〜556,989人および江南軍水夫
東路軍 40,000[32][33]〜56,989人[34]
蒙古・漢軍 30,000
高麗軍 9,960
水夫 17,029[35]
江南軍 100,000人[36]
水夫 人数不詳[37][38]
軍船 4,400艘
蒙古軍 400,000人[39
文永の役では明らかに脅せば日本なんて屈すると日本を完全に舐めてかかっている戦力だけれど
弘安の役は本気モードで攻めてきて負けている >>697
神社サイドが褒美にタカるために造ったのがカミカゼ伝説 >>699
普通は
半島=海に面してる=造船能力がある
と思うけど韓国には常識が通用しないからね。普通の人間は乳を出さないと思っていても、乳を誇らしく出すのが韓国民族だし >>481
何も知らない事だけは分かったw
古文書の内容は
元と親交を結びたいで終始一貫している
幕府が南宋滅亡の例を説明し朝廷に強引に辞めさせた >>657 お前は高句麗が北京周辺を国土としてた事もそもそも高句麗の名称が朝鮮な事も無視してんぢゃんか。
いやそりゃ恥ずかしいよなあw祖国の国土がエヴェンキなんかに支配されてた事が有るとか恥ずかしくて死ぬわ普通www >>697
それはあると思う
神風のおかげだというふうにして治ったかどうかはさておき
褒賞が出せない台所事情は間違いないね >>694
自分達が苦手なことは征服された連中に丸投げが基本がモンゴル人だから。
攻城戦(東欧州人に丸投げ)や重騎兵(ペルシャ人に丸投げ)や商業(中国人やウイグル人に丸投げ)
船作ったことないモンゴル人は、南宋人や朝鮮人に丸投げ。 >>704
朝廷の返書案って書かれたの文永の役より前で、南宋滅亡は文永の役後だけど >>685
単純に今風の言い方をすると
元はランドパワーの国だったから
渡海しての戦争が苦手だったんだよ >>697
神風は武士じゃなくて京都でモンゴル軍に呪いをかけてた寺や貴族が言い出したこと >>700
懷良親王が明から日本国王認定されちゃったから、その後足利幕府は苦労したって話はある。
九州は九州だけで勝手に半島や中国に攻め込んで物資や奴隷を略奪して暮らしてたらしい。 文永の役で暴風雨による撤退だとすると、7年後にまたその危険がある同じ季節に
侵攻を始めることは変 春に攻めても良かったはず
最初は威力偵察目的だったと考えたほうが自然だわな >>703
新羅は天草あたりに人攫いに来てたような記述を読んだ事があるけど高句麗にはそういう技術はなかったのだろうか? > 半島=海に面してる=造船能力がある
笑い過ぎて腹筋が多大なるダメージ受けた(w
賠償しる(w >>697
寺社とか公家は荘園領主
鎌倉時代は頼朝が義経追討のために全国の荘園に地頭を置いていいよって朝廷と約束したけど
地頭は荘園の年貢の上前をハネてた
寺社や公家にとっては鎌倉武者は寄生虫なので、こいつらの武功で蒙古を追い払ったんじゃなく
自分たちが神様にお願いしたから神風が吹いて退散したって事にした ろくに上陸して陣も維持出来なかったんだから集められた将や兵が弱かっただけだな
現代でも上陸作戦なんか相当難しいしあの時代じゃ兵站長くは持たないし無謀なんだよな >>712
だから春に来たんだよ
上陸できずに2か月過ぎて吹っ飛ばされた >>705
北京周辺を何ヶ月征服してたの?
何日征服してたの?
ソース出してみて
俺は中国人じゃないから両方罵れるって書いてるよね
お前は今でもそうやって韓国を罵ることを拒んでる時点でお前は韓国人だろ >>684
日本の兵制が非常に強いんだよ
ガチガチに固めた一族郎党、一所懸命、農耕社会で管理された人間(戸籍化)
一族郎党の練度と、近代軍に通じる非常に士気が高いで散兵が可能
初期モンゴルの一族って形ならとにかく、中国や朝鮮の掻き集めた軍団じゃ勝負にならない
同人数(特に少人数同士)じゃ特にね
中国の鶴翼の陣とかの陣形っていうのは「陣」によって管理して「逃げたら斬る」って形で秩序維持をしないと軍が保てない裏返し
だから日本は「陣」が発達しないで「縄張りを守る」って形になった
なまじ「陣」を作って縛る惨敗する >>712
文永の役は11月、本来台風シーズンじゃない(から台風じゃなくね?って言われて来てる)
弘安の役は来たのは春、二か月以上経って真夏になり台風
文永の役も暴風にはあったらしいが、また台風じゃなくてもあるしな >>712
九州北部で春は朝鮮半島ではまだ冬で準備ができなかったかと。
かといって,初夏は南風になるから,船足が遅かったのではないかと。あるいは,風上に向かって船を進ませる航海法が未開発だったかも。
とはいえ,台風シーズンの夏の終わりから秋まででも南風なんだな。 あと日本は水軍あっただろ
武士ばっか書かれてるが相当活躍したはず モンゴル帝国に支配されてしまった地域は
いまだに力による圧政や殺し合いばかりしてるじゃないか? >>719
近代軍より封建軍が強いと?w
なんの冗談。 >>713
もっと北の、渤海とか女真(後の清)
の海賊は季節風に乗ってちょくちょくやってた
有名なのが刀伊の入寇
同じく季節風に乗って日本海一周して交易しながら国に戻る >>705
『漢の支配から自立し、3世紀以降、魏晋南北朝時代の中国歴代王朝や夫余(扶余)、靺鞨、百済、新羅、倭など周辺諸国と攻防を繰り広げ、5世紀には最盛期を迎えた。』
ってwikipediaに書いてあるよね
つまり、中国の領土を征服したんじゃなくて、中国に征服されていた所が自立しただけなの
韓国が中国を征服したわけじゃないのよバカチョン >>705
これがお前らゴキチョンの万年属国の歴史を見事に物語ってるじゃん
『漢の支配から自立し、3世紀以降、魏晋南北朝時代の中国歴代王朝や夫余(扶余)、靺鞨、百済、新羅、倭など周辺諸国と攻防を繰り広げ、5世紀には最盛期を迎えた。』 >>705
高句麗の後継が朝鮮民族系国家とは
無理がありすぎる >>705
漢はどこの国か言ってみろよ
アイヤーって言ってみろよ
アイゴーって言ってみろよ
シナチョン >>725
一言も近代軍よりも強いなんて書いてないのに・・・・・・
頭が悪いのかな?
ごめん、悪いんだね >>712
文永の役は偵察
弘安の役はマジ
元や日本の古文書にも
次は容赦しないからね
覚悟はいいですか
本当は攻めたくないから
仲良くしましょと
ある そう考えると日本の朝廷と幕府による睨み合い
つまり貴族と武士による争いってのは長い歴史があるね
延で言うと1000年以上かな
古代の日本における権力闘争は誰が天皇かという争いになると思うけどね
外圧に学ぶ日本の組織体系ってね 世界的にだが、あの時代の水軍て単なる海賊団だからなぁ…
前近代軍とも言えるモンゴル軍相手に役立ったか疑問。 >>711
江戸期の「鎖国」政策とか,そういう明治〜昭和にかけて作られた歴史観にどうしても囚われちゃうんだよな。
中世の東アジアってかなりの交流があって,実際には,東アジアというより東南アジアからシベリアまで含めた大きな地域を俯瞰してみないと分からないこともあるんじゃないかと思う。
「日本人は島国だったから」という閉じ込めがないと嫌な人たちもいそうだけどな。 >>718 いや普通にネットで高句麗って入れれば勢力範囲は普通に出て来るがな、北京位迄高句麗に成ってるしw
これは人類としては死んだ方が良いレベルだろとwww >>736
イギリスとかスペインも海賊を公認してたからなぁ >>719
鎌倉武士の一族郎党に結束力なんて無いで
隙有らば御家騒動ばっかり起こしてる >>325
いや韓国人朝鮮人はチビばっかだろ
イザベラが目撃したのは門番の守衛
一番背の高い奴を配置して目立たせた虚仮オドシのカルチャー
今でも韓国の歴史観光地に伝統衣装でコスプレさせた元バレーボール選手とかバスケ選手とか
そういうのをバイトで立たせてる
虚飾カルチャーなだけ 外交音痴で持って行こうとするのがね…。他国を尊重しすぎて国が滅ぶ様相は変わらないのでは?侵略待ったなし 朝鮮軍が裏切って「連環の計」をはかって元軍を自滅させて逃げ出した。
って説もなかった? 第一次は占領した半島出身の練度も士気も低い敗残兵の寄せ集め >>739
wikipedia見れば分かるよ
高句麗 - Wikipedia
『漢の支配から自立し、3世紀以降、魏晋南北朝時代の中国歴代王朝や夫余(扶余)、靺鞨、百済、新羅、倭など周辺諸国と攻防を繰り広げ、5世紀には最盛期を迎えた。』
ってwikipediaに書いてあるよね
つまり、中国の領土を征服したんじゃなくて、中国に征服されていた所が自立しただけなの。
韓国が中国を征服したわけじゃないのよバカチョン >>736
瀬戸内海向けの小舟が多いしね
ただ、得意の夜襲でかなり嫌がらせは出来たと思う
もっとも、船に引き上げて夜を明かしてたらしいから、陸よりは船上の方が安全だったってこと >>731 うーん?高句麗って朝鮮人の国ぢゃねーの?俺としちゃあチャンコロとチョンコロで争って貰って構わないし。
一円も損しない >>725
実際、強いんだから仕方ないだろ。
元や明は倭寇にボコボコにされてるんだぞ。 今考えると本郷和人のアホっぷりが際立ってみえるなw
朝日に寄せたらああなるんだろうなw >>704 >>>734
さっきから出てくる古文書って具体的に何のこと?
古文書といっても元史とか貴族の誰々の日記とか色々あるけど
そういうのを取り上げてる本でも704や734や458の朝廷のようなこと書いてるのは見たことないけど
何のどこに書いてあるの? >>742
彼らはよくそれ持ち出すが、
全体的にボロカス書かれてるのは触れないんだよね >>746 つまり元々チョンコロの土地だったと言いたいんだろ?
いやいや俺もそう思うよ、韓国は中国から取り返さないといけないwww 日本から出たことのない日本人が
元の大きさを説明されても信じれれんでしょ
世間知らずな鎌倉幕府だったけれど
元も未知の土地で戦争することの難しさの見積もりを誤ってはいただろう
お互い様なんだよ >>749
お前が韓国人だから、韓国が中国を征服したとかいうウリナラファンタジーに浸りたいだけだろ
ちなみに高句麗の勢力図を見れば韓国なんか含まれてないのが分かるよね
で、万年属国の惨めな歴史しかなく、韓国人として日本で堂々と名乗れずゴキブリみたいに生きる寄生虫がお前らゴキブリ韓国人なんだよ >>739
普通にネットで調べても北京あたりまでなんで地図が出てこないよ。
高句麗最大版図の西端は渤海湾の東端,遼東半島の付け根あたり。
北京は渤海湾の西端からさらに内陸なんだよ。 >>757 いや俺だって西日本は韓国の領土だったとか言われたら怒るわwww >>749
北朝鮮と韓国はルーツを主張するが
民族が違う 言葉も違う
共通祖先にプヨ系の民族がいるか
トランスユーラシア語の語彙を多少もつにすぎない >>741
一族郎党内での結束はないけど、上や横(幕府や朝廷に認めて貰う、郎党内で主導権を握りたい)に対して郎党を代表したいって形じゃね?
だから「逃げない」(逃げたら認めて貰うどころではない)
戦闘中は「逃げない」ことが一番重要だろ >>755
どこをどう解釈したらそうなるの?
『漢の支配から自立し、3世紀以降、魏晋南北朝時代の中国歴代王朝や夫余(扶余)、靺鞨、百済、新羅、倭など周辺諸国と攻防を繰り広げ、5世紀には最盛期を迎えた。』
ってwikipediaに書いてあるよね
元々は漢の支配下だったわけ。征服されてたわけ
で、高句麗は中国の領土を征服したんじゃなくて、中国に征服されていた所が自立しただけなの
韓国が中国を征服したわけじゃないのよ万年属国のバカチョン でもミズキに行ったトキ感じたけど、かなり内陸まで侵略されたんだね。
もっと水際で止めたと思ってたわ。
日本が山がちの地形ではなくシナ大陸みたいに大草原が広がっていたら、モンゴルはもっとホンゴシで攻めてきててヤバかったカモ知れぬ。。。 >>760 まあ俺としては北朝鮮が韓国を37564にして呉れるのが一番面倒がない >>744
文永の役でも弘安の役でも、元から派遣された将軍は生還してるんだから
もしも高麗軍が裏切るようなことがあれば、クビライに報告されて処罰に至るんじゃ >>747
そこが疑問点なんだよ。
松浦党など渤海湾,黄海まで進出していた倭寇がいたわけだし,瀬戸内海の水軍で対処したのかと?
瀬戸内水軍は戦国時代に活躍したことで印象に残っているだけではないかと。 >>753
何でも人にクレクレするな情弱がw
少しは自分で調べろ >>759
喜んでるじゃん
本心は西日本は韓国の領土と思ってるんだろ?
渡来人が韓国人でその渡来人が日本に移住し、日本で勢力を拡大したのが今の天皇家とか思ってんだろ?
The ウリナラファンタジー
そして怒るなら韓国を罵ってみろってうっと言ってるじゃん
>>765
同民族が同民族を殺すという世にも奇妙なバカチョン物語だな >>672
鎌倉幕府支配下の軍団て意味で全部鎌倉武士団て言うのかと思ってる >>762 うっせーんだよ五毛が、台湾だの日本だのアメリカだの言う前に韓国と戦争してろ。
先ずは予選勝ち抜きしてから語れ >>1の記事を読むと、いまだに鎌倉武士が名乗りを挙げてから戦闘をしてたとか書いてる。
そんなのとっくの昔に否定されたのに。 >>768
いやソース聞かれて自分で調べろって…マジで言ってる?
歴史の話でソース聞かれたら普通に自分が提示するものだし
ソースが何かって聞くのはクレクレとは言わないよ?
歴史板だとむしろソース出すのが当たり前だし 妖怪首置いてけが沢山居たからな
単純に相手が悪かっただけだな >>771
五毛じゃないよ
だから中国はウンコって書いてるでしょ
そして韓国も罵ってるでしょ
お前は中国しか罵らないよね
韓国人だから >>769 意味分からんし、俺には中国なんかを庇いだてしてやる義理がねー 対馬から鎌倉に文を届けてくれって預かってちゃんとそれが渡るのがすごいよね
それがなかったら歴史に残らない可能性だってあった
いちばん地味にみえる仕事がいちばん大事なんだってのは今も昔も同じだな >>775 いやいやチャンコロとチョンコロが争って呉れた方が楽だろ? >>674
大陸系の敵に対する処置は基本残忍さが日本人には想像できんレベルだけどモンゴルはマジやべえわ
熱してドロドロにした銀を目や鼻、口に流し込む処刑法とか絶対嫌や >>756
そもそも当時の元は大陸内政の諸問題で
日本攻めを積極的に考えていなかった
元を焚き付けガソリン撒いたのは高麗 >>776
韓国を庇ってるじゃん
万年属国のゴミが韓国と韓国人だよ
そしてwikipediaにもちゃんと漢の支配から独立した国って書いてあるよね
漢はどこの国? 京都にいた公家の日記から、九州で爆弾低気圧が発生した可能性がある、と
NHKの歴史番組で言ってた記憶がある >>777
文ってクビライの国書のことなら、直接使者が九州に来て届けてる
使者を先に行かせなかったから、そこから鎌倉へは送ったり写しを送ったりだけど >>767
専用の軍船なんてないから、基本的に漁船か運搬船
そんで日本は伝統的に、物資が集まる地形の大阪付近を核に瀬戸内海が経済の中心
だから必然的に瀬戸内海向けの小型の船が多くなる
大昔の白村江の戦いでも日本は船の数が多いが小舟が多いって評価
ただ、松浦党の船は日本の中では大きかったと思うし、元寇以降倭寇が盛んになるのも元の船の影響があったのかも?なんて個人的には思う >>782
NHKの歴史番組は気をつけろ。
その時々の流行り言葉を絡めて,さも最新の知見のような仕立て方をする。
検証したわけではないのに「定説」に繰り上げするから。 >>784
いやなんでそこまで頑なにソース出さないの?
引用してる本があるならその書名とページ数出せばいいし、
元史だったら元史の何巻か言えばいいし
貴族の日記なんだったら誰々の何の何日の、っていえばいいのに >>778
争いなんか起きてないじゃん
万年属国として中国人のウンコ食って生きながらえてきた糞食い民族がウンコリアンなんだから
>>787
面白いからって史実じゃないよね
史実は万年属国として中国人のウンコ食ってきた糞食い民族がウンコリアンなの
一回目に攻められたとき、その1回目で首都まで陥落して
モンゴルに寝返って自国民を殺し始めた、恥晒しの歴史捏造主義民族があるらしい
>>788
確かに、「物売るってレベルじゃねーぞ」と、さも当時の人はそんな事を言ってるように放送してたからな。 >>764
文永の役は敵全軍の上陸を許したみたいだから完全に初動ミスだな
数万規模の軍隊の揚陸作戦てそう簡単に成功しないのにしてもうたわけで
ここは擁護出来ないレベル >>779
でもな撤退する時
高麗兵は日本女・子供を手に釘を打つ付け鎖に繋げ
上等な日本女は元に貢いだり
それ以下の日本人は船中で喰ったりw
それを観た流石も元の連中もドン引きした 鎌倉武士は強かったけどそれ以上に野蛮すぎて小学生に教える歴史としては不適切だったんだろうね
内容省略も兼ねて神風ってことにしたんだろう
歴史なんて創作できるから >>786
徴発しやすかったら瀬戸内の水軍を使ったって事か。
元寇後に倭寇が更に盛んになった理由が造船技術の輸入かどうかはどこかに調査資料ないのかなぁ。
元寇崩れの南宋や半島人を組み込んで地理に明るくなったからとか,(略奪の)攻め場所が分かったからとかあったのかなと思っている。
南宋滅亡させた後なのに元朝の海防は割と疎かになるのも不思議。 元のメインウェポン放つ前に「ドーショードーショー」叫ぶから当たらないんだよ >>767
明史卷322日本伝なんか読むと、明が倭寇にボコボコにされ何千人もが攫われ、
福建省、浙江省、台湾の民は倭寇を主人と仰ぐ状態でマジ悲惨。
https://zh.m.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7322
明は沿岸部に残っていたら九族誅殺とか言って住民を退避させると共に、
日本に財宝を与え絹や硫黄の貿易を独占させるなど利によって懐柔しようと苦労した事が書かれている。 >>780
元が日本のちょっかい出した理由は
当時元が攻めあぐねていた南宋の同盟国の日本からの
戦略物資を日本に南宋に輸出するのをやめてもらいたかったからだよ
だから朝鮮人の甘言に乗せられて戦争したわけじゃなくて
最初の文永の役ではちょっと脅せば日本は
元の言うことを聞いて南宋に戦略物資の輸出をするのを中止するだろうという戦略だったのだろう
二回目は南宋を滅ぼした後なので、一回目で元に逆らった生意気な日本をつぶすつもりで
軍勢を寄こしたんだろうと思う
フビライは三回目の元寇も計画していたけれど
これ以上日本に攻め込むと国が傾きますと部下の諫言をとりいれて中止したそうだ >>798
草
後半になると3連ぐらい撃ってくるけど
どーしょー!があるからほとんど当たらない どうしても日本はたまたま勝っただけ、調子にのるなみたいな主観を入れる人が多過ぎてよくわからん >>800
既に当時の南宋は弱体化していたし
多数の南宋知識人は日本に逃亡していた
それに乗じたのが高麗 >>803
神風なんて言葉を作ったから
20世紀になって、日本は神国
ピンチに陥ったときは神風が吹いて神が日本を助けてくれると思い込んでしまって
アメリカにボロ負けすることになるんだから
罪作りな言葉だよ >>790 いやだってお前が中国を庇ってるぢゃんかwww >>802
ソース聞いてるだけなのに罵倒してくる方が心配になるんだけど
ソースがあるなら、聞かれたなら出せばいいだけでは
歴史の史料って沢山あるんだから調べろ、だけじゃ
何のどこを探せばいいのかわからないんだから
ソースを聞くのも答えるのも別に普通のことだけど >>806
史実を言ってるだけだよ
庇ってないから中国人はウンコって書いてるじゃん
史実を言われると発狂する韓国人のまんまじゃんお前
あとお前の自慢する高句麗も後に中国に滅ぼされてるんだよね
征服じゃないよ。滅ぼされてるんだよ
要は昔の中国人に37564にされたのが、
お前らゴキチョンのご先祖様ってわけ
wikipedia
『統一王朝の隋・唐から繰り返し攻撃を受けた。高句麗は長らくこれに耐えたが、660年には百済が唐に滅ぼされ、新羅も唐と結んだことで南北から挟まれた。』
「支那5000年の歴史」とか言ってるが
支那の歴史の中には「元」ってのが出てくるだろ
元って支那人の王朝ではなく、「モンゴル人の王朝」だよな
元にやられたんだから
なにが5000年の歴史だって?
>>797
海の管理はお金と手間がかかる上に破る側も旨味が大きいから、中国は王朝が落ち目になるとだいたい海から綻びが出始める
有名な鄭成功なんかはお父ちゃんの代から大物海賊
まぁ、上陸地点がわからなければ守りようがないし、沿岸の漁民がやってるような海賊なんてどこの浜に現れるかなんて想像しようもない
ちなみに朝鮮では豊臣秀吉は中国の海賊出身って風聞があったらしい >>761
富士川の戦いで平家軍が水鳥の羽音にビビって大恐慌を起こして我先逃げ出しただろ
武士だって逃げるときは逃げるよ >>799
倭寇って言うけど実際の構成員は中国人がほとんどなんじゃなかったっけ? >>806
ちょっと抜けてた
韓国から中国を征服しに行ったわけじゃなく、元々中国に征服されていた場所が独立して、その後に万年属国の身分をわきまえろとお仕置きとして37564にされたのがゴキチョン史なんだよ
『高句麗は長らくこれに耐えたが、660年には百済が唐に滅ぼされ、新羅も唐と結んだことで南北から挟まれた。そして国内の内紛に乗じた唐・新羅の挟撃によって668年に滅ぼされ、唐に吸収されて安東都護府が設置された。』 >>805
元を退けたのは神風のお陰っていう話が広がったのは戦前の教科書でひたすらその部分を誇張して書かれたせいっていう説は聞いたことあるな >>808 いやいやそもそもお前の前提が可笑しい、エヴェンキの国なんか元々極東にねえ。 >>808
唐の時にだろ?
高句麗を攻めあぐねていた唐は
新羅と同盟を結んで
新羅が南から唐が北から高句麗を挟み撃ちにする戦略を立てて
新羅と同盟を結ぶ、そして新羅は唐に百済が邪魔なので
高句麗を責める前に百済を滅亡させてくれと要請する
新羅の要請に従い百済を滅ぼしに唐が動き、百済を滅ぼす
そこで百済の同盟国の日本が新羅再興のために唐新羅連合軍と戦い、ボロ負けする
これが白村江の戦い
日本に完勝した唐、新羅は最初の目的である
高句麗を滅ぼす
唐は百済と高句麗の領土を手にしたと思ったら
今度は同盟国新羅が裏切りを繰り返して、気づいたら朝鮮半島を統一してしまう
こうやってみると新羅って狡猾で上手だよなw
あの大国唐を上手に利用して一国じゃ到底不可能だった朝鮮半島統一を果たしている >>805
神風論者の走りは亀山天皇と取り巻き公家を最初に
鎌倉末期南北朝の公家武士の北畠親房の神皇正統記で花開く 侵略された中国が日本と軍事共闘して船に細工をしたって説があるけど
神風なんかよりよっぽどリアリティーがあって頷けたね
関羽を討伐した呂蒙が呪いで死んだってのが
実は内ゲバの暗殺ではないかという説みたいなものね
オーバーな脚色を冷静に除くと真実が見えてくる、みたいな >>817
何で?
俺はちゃんとソース出して、それを元に話をしてるよね
お前はソースも出してないし、お前が言ってる高句麗は中国を征服したんじゃなくて征服されていた場所が独立しただけだよね
つまり、韓国は自ら戦争を仕掛けて外国の領土を得たことが無い、万年属国の糞食い民族ってわけ
と、こういうこと言うと独島がーとかゴキチョンは言うけど、日本と戦争して得た領土じゃなく勝手に不法占拠してるだけだよね まぁこのゲームのお陰で元寇にかなり興味を持てたのは確かだな >>813
兵力を比較してみろ
それに文永では大損害も受けないまま
何故、突然撤退したん? >>821
それはないだろ
南宋の兵士が一番動員されているんだから
船が沈んだら自分たちの命が一番危険にさらされる >>821
その細工した船に何ヶ月も止まり続けるとかどんだけドMなんだよ >>819
漢の時代に既に征服されてた時点でゴミじゃん
万年属国らしい惨めな歴史を誇るなよ >>814
それは後期倭寇の話で、この時点では前期倭寇の時代。
五島、壱岐、対馬の三島住民が主力で太宰府の懷良親王が黒幕と考えられていた。
明史の日本伝の序盤訳すとこんな感じ。
洪武二年三月,帝遣行人楊載詔諭其國,且詰以入寇之故,謂:「宜朝則來廷,不則修兵自固。倘必為寇盜,即命將徂征耳,王其圖之。」
日本王良懷不奉命,復寇山東,轉掠溫、台、明州旁海民,遂寇福建沿海郡。
洪武帝の2年3月、帝は日本に使者(楊載詔)を派遣し入寇(侵略)を非難した(山東省が略奪されたため)。
「裁きを受けに来るか、守りを固めろ。さもなくば入寇の報復としてお前の国に攻め込むぞ」
日本の王(後醍醐天皇の皇子、懷良親王)は命令に従わず、再び山東を襲い、温州、台湾、明の沿岸州から民を攫っていき、遂には福建省まで攻め込んで来た。
明の外敵は南倭北虜と言われており、北のモンゴルと南の倭寇が主敵だった。 >>824
おまけに日本を守った鎌倉武士には
幕府が勝手にやった事で何で朝廷が
穢れた武士に恩賞を与えなければならないん?
と開き直り 大航海時代を経た経験豊富な西洋の船だって
戦国時代でも嵐でボンボン沈んでたんだから
元寇の時代の船が沈むのに細工とかいらんと思うよ >>812
創作話を史実の様に言われても・・・・・・
ただ、あの合戦は落ち目の平家が劣勢な合戦だから、そりゃ逃げるわ
先に言ってるように上(源氏か平家か、朝廷等)や横(郎党内、地域)に対してのアピール
源氏鞍替えしようかなぁ〜って迷ってる内戦だからそりゃ裏切り上等でしょ
さっさと勝ち馬に乗った方が目的(主導権争い)を達成できるんだから
そもそもの頼朝のスタート時点でさえ相模の主導権争いから平家にハブられて不満が貯まってた反主流派の糾合だからな
しかも、その後の鎌倉幕府がそういうゴチャゴチャした地方勢力の利権を整理したんだから(度々内乱が起きるほど整理しても整理仕切れなかったが) 早旦以二勅書一有レ召。仍参院。今日異国事可レ有二評定一云々。牒状、 高麗取二 進蒙古国牒一也。仍其牒二通也。称二和親之儀一。委見二牒状一、 此事国家珍事大事也。万人驚嘆之外無也。前博陸両人参二 向其座一。 無骨。仍余参内。入レ夜又帰二参院一也。(『深心院関白記』文永五年二月 八日条) >>827
だからこそ成功したんじゃないの?
当時の遠征はつまずいたら占領地から大きく撤退しないといけない時代だったし
現代戦と違って大敗を成功させればその後の脅威なんて無い時代なんだよ >>829
ん?意味が分からんw
新羅を誇っているわけじゃないぞ
ただ新羅は狡猾で戦国の世をうまく乗り切った
唐の力を利用するだけ利用して最終的な勝者は新羅だったなという
当たり前の感想をしているだけで
新羅を誇っているわけでもなんでもないぞ >>814
後期倭寇は国際シンジケート風。前期倭寇は日本人が主体。 >>836
白村江の戦いも韓国人が単独で日本を打ち負かした戦いじゃなく、それまで劣勢だったところに中国が手を貸したから勝てただけなんだよね
自分一人じゃ何も出来ない万年属国の惨めなバカチョン史
今も全く変わらない >>839
だからそう書いているだろ?
なんで絡んでくるのかわからない
新羅の力じゃ半島統一なんて不可能だったのに
うまく唐を利用した、と
そういや下句麗って、三国志時代は何やってたんだっけ
王粲に「何が高句麗だ、下等生物の巣なんだから下句麗に改名しろ」って命令されて下句麗になって
そこから何やったか覚えてすらいねえ
>>841
その幕府が
資金難で朝廷に恩賞を工面して欲しいと懇願
したんだぞ >>840
お前の話と「韓国は歴史上一度も中国を征服したことがない万年属国」という俺の話がどう関係してくるんだ?
万年属国だから同じ民族すら裏切って高句麗を37564にしたのが偉いとでも思ってんのか?
まぁ、だから今も北と南で分断されてる訳なんだけども つまり白村江の戦いの時は
日本の味方は百済、直接的ではなく、間接的な味方は高句麗
日本の敵は新羅、唐
白村江の戦いで日本は高句麗と連絡を取り合い共同で日本は南から
高句麗に北から唐、新羅連合軍を挟み撃ちにしていれば歴史が大きく変わっていただろうな 文永の役直前に
三つの勢力が🇯🇵日本政府へ働きかけた?
趙良弼、三別抄、南宋 >>844
誰かと勘違いしていないか?
ID確認して、なんかよくわからんけれど
頭冷やしてから書きこでくれよ まあ、何はともあれユーラシア大陸を震え上がらせた蒙古軍に、
2度も勝利した、鎌倉武士最強w >>825
戦闘で消耗して戦闘継続が不可能になったから撤退したんだが。
継戦不可能説って前からあるよ。 >>835
最初に負けたのは元と高麗による東路軍だぞ。
博多の志賀島で敗れ総指揮官の洪茶丘が死にかけて潰走し、壱岐に逃げてここでも攻め込まれて平戸に逃げ、
やっと江南軍10万と合流し鷹島に籠ったが、また日本軍がやってきて僅かな指揮官が逃げただけで残りは全滅した。
鷹島には首で作られた山が出来たそうだ。
東方見聞録に生き残りの話が残っているが、日本人は人を食うお肉として紹介されている。 >>845
万年属国の歴史は何も変わらないよ
>>847
お前に言ってるんだよ
というか>>819で俺にアンカ付けて絡んできたのお前だろ モンゴル帝国の本体は馬
増えすぎた馬の食欲を満たすために領土を拡げるしかなかったのだ。
馬に操られて人々が殺しあってた。 >>825
3万人800艘の船を用意するのが偵察というのはちょっとおかしいと思わないか?
最前線にそれだけ投射するにはその5倍ぐらいの動員していると思われるし,進発基地だって半島南部に準備しているわけだし。
文永の役は本気だったのだろうが,征ってみた,やってみた,そしたら全然足りないようだという事だったのではないかな。
元寇はモンゴル帝国の片手間と矮小化する向きもあるが,かなりの資源を割いた侵略だったとおもうぞ。
まぁ,本気だったら半島の王の言葉を確かめるために入念に偵察・調査するはずというならそうだけどな。 >>851
韓国は歴史上万年属国だっけ?
それに反論した覚えは全然ないんだけれどw
なんか頭おかしくないか?お前
ただの歴史談義したいだけの人に
必死になって絡むなよ 元寇の有名な絵のモンゴル方の後ろには血だらけのモンゴル兵士が書かれてる
戦いが一方的に元優勢で台風だけで勝ったわけではなかったんだよ >>65
パルティアンショットそのもので、モンゴルも普通に使う戦法
やはり鎌倉武士は何かがおかしい >>855
お前が>>819で俺に絡んできたんだろ
それまで俺はお前にアンカ付けてねーだろ
もしかしてお前がコイツか?
806 名前:巫山戯為奴 ◆TYUDOUPoWE [] 投稿日:2021/11/18(木) 19:24:43.02 ID:kb6o3SXv0
>>790 いやだってお前が中国を庇ってるぢゃんかwww ベトナムが元に朝貢しはじめたのは元と戦争になる何年も前だが、ベトナムは朝貢だけにとどめて、
ベトナムの王がみずからフビライに謁見することは拒み、またベトナムを訪れたフビライの使節に
対する礼の作法でも、元とベトナムの間にひと悶着あった。
しかしだからいって怒って元の遠征軍がやってきたわけではない。
それは元が、ベトナムの南にあった交易国家だがちょっと不安定になっていたチャンパを攻めた
ときに起きた。元がチャンパ遠征のための物資補給をベトナムに要請したのに対して、ベトナム
はこれを拒否して、チャンパ側に立って元と闘うことを決めた。そこでチャンパに来ていた元の
遠征軍が、そのままベトナムと戦争になった。 八幡愚童訓という書には元寇が比較的詳しく記載されてるよ
それによると日本は九州北部の博多のかなり深くまで元軍に侵略されて
日本武士側は妻子を避難させてなくて相当の人数を捕虜として連れてかれたと書かれてる
しかし筥崎八幡宮から白装束の神兵の集団が出現し元軍に多量の矢を射かけ
これに驚いて海上に逃げた元軍に今度は海上に不可思議な火と共に神船が現れ
元軍に襲い掛かりさらに逃げた元軍に大風が襲って壊滅したとある
九州のかなり深くまで攻め込んで優勢だったはずの元軍が撤退していったのは
歴史上の謎とされてるけど八幡愚童訓に書かれているような不思議な出来事が
本当にあったのかも知れない >>846
趙良弼は元の文官だからそこは普通に元でよくね 普通に武士たちの奮戦で撃退されただけだよな
暴風ごときで一国の軍隊が壊滅するなんて聞いたことがないぞ >>850
東路軍が南宋軍の到着を待たずに攻撃をしかけたのって
対馬の日本人捕虜が偽の情報を流して
日本の防備は手薄と思い込んで先に攻めてきたそうだよな
命がけで偽情報を渡すとは近代国家以前の日本人でも
まるで近代国家なみの民族意識があったような印象だな >>752
本郷さんはネタ枠だもんな
鳥人間コンテストとかで仮装してダイブするような目立ちたがりのお調子者w 勝算つけてもコストに合わないし僻地占領できても旨味が無さそうだから撤退したんだよ。ついでに日本側氏族への調略も効果ないし。
おまえらは馬鹿か?占領できる算段なしに無駄に兵ぶつけないだろ?ゲームじゃ無いんだから >>848
まあ海がド広い堀になって馬を使えなくて、売り物の高速機動力を発揮できなかったんだから、陸続きの他の国というか地域とは別ではあるけどね。 >>860
別に絡んでいないんだが?
ただの史実を書いただけで
お前の説に反論していないだろ?
なにが気に入らないんだよ、このアホは
お前は朝鮮人は情けないバカですと書き込まないと気が済まないキチガイなのか?w
本当に理解不能、歴史談義しているつもりなのに
からんできたとか被害妄想で脳みそ茹で上がっちゃっているしw
バカにしか思えないわ、お前はw >>865
新羅が唐と組んで同じゴキチョンを始末したとしても、万年属国の歴史は何も変わらず続いてるからね
で、つい最近の70年前に棚ぼたで出来た国がバ韓国 1500年代なんかよりよっぽどこの時代が日本にとって熱い時代なのに
大河は往々に例の三人にしか着目しなかったよねぇ
やっぱりあれか、NHKだからモンゴルへの忖度が邪魔してたのかな >>846
南宋との文通があった議論は残ってるはずだよ。
そもそもモンゴルと国交結んで講和ってなると血縁にモンゴル系入れるのもついてくるし >>849
もう一度
戦力と被害状況を比較してみろ
もう一度質問だが
ではなぜ船や兵力の被害少ないまま
戦中にも関わらず翌日に突然、全船団が帰国したんだ? >>197
日本側は竹と木材からなる複合弓の長弓
モンゴルは動物性の素材も組み合わせた合成弓の短弓
最大射程は和弓に軍配が上がるが、有効射程はほぼ同じ
構造からの論理的にはモンゴル弓の方が速射性に優れてるはずなんだが…何故か鎌倉武士の方が速かったとの事
やっぱりアイツら何かがおかしい >>865
そういうのが中世史学の難しさなんだな。
近代,現代のフィルタを如何に取り除くか。
特に,近代の国民国家形成時に歴史に様々な脚色をつけたり,削ったり,再構成してみたりと色々やっているから。
更に,現代ではメディアは神話を造り出すし,受け容れたいものしか受け容れないから。 称和親之儀
漢文の危険性、みたいな話でもあるけど…?🤣 >>42
血を好む日本人どもが安倍の命令で殺戮繰り返しただけだろ >>858
そう、モンゴルも普通に使う技術だけど、普通は出来ない
普通は出来ないことをやれたからモンゴル軍は強かった
それが島国に攻め込んでみたら、重装備で馬鹿みたいにでかい弓とやたら斬れる刀差した騎兵がうじゃうじゃいて、馬上で振り返りながら打ってきたんですけどなんですかあれは
って感じだな >>869
少なくとも弘安の役に関しては
降伏させたばかりの南宋の兵士を減らして
元に対する反抗する力を奪う目的もあったという説もあるよね >>864
陸上に橋頭堡を確保させなかったのが勝因ではあるけど、2回目は台風で難破ってのは史実でしょ?
水泳なんぞ何それの金槌揃いだろうから、船がひっくり返ったら最後だな。 >>871
アンカ付けてレスするのを絡むって言うんだよ
あと話に関係ないこと言わなくていいから >>223
江戸期の街道は古代街道よりもはるかに貧弱 >>869
その割に二度も攻めてきて、更に三度目も幾度も計画してましたがそれは 漢字の跳ねとか止めとか書き順とか
殆ど変わってないんだなあ…
現代と。 >>884
へーw
それはお前だけの思い込みだと思うぞw
アンかつけてレスしたら「からんだ」
「殺すぞ、てめー」
これがリアル厨房ID:AIf83tP20の中では常識だったんだなw
こえ〜wwww 元寇が鎌倉幕府滅亡の遠因にもなった訳だから、痛み分けかな。 文永の役がただの偵察とか言ってる奴がいて吹くわ
7年も間隔開けての偵察行動とかアホか >>882
>>888
じゃあ俺もお前のやりかたでやるぞ
アンカ付けてウザ絡みしても、史実を書けいてれば絡んでることにならないんだよな?
弘安の役についてだけど
『日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。』
ってあるように、この時点で既にモンゴルや中国に征服されてた万年属国がバ韓国なの 日本やベトナムと元の外交に大いに影響したのが、高麗の土下座外交だ。
高麗が元に屈服するときにいろんな屈辱的な条件をのんだので、それが先例となって元の
日本やベトナムに対する要求にも反映されるようになってた。
ベトナムには高麗の条件をちょっと改変したやつを要求している。しかしベトナムはあまり
応じてないで、のらりくらり朝貢だけで過ごしてた。 >>869
文永の役で撤退した後は弘安の役でさらに大量の兵をぶつけてる 取り敢えず攻めてみて行ければ上陸。駄目なら撤退する位の気持ちで来たんじゃない 三別抄が琉球政府になった
みたいな、とんでも説何処かで見たが…🤣 神風なんて石清水八幡宮が恩賞ほしさにかなり脚色した話(八幡愚童訓)がもとでは 諸説あるよね 日本に上陸されたけど 日本の武士が全滅させたっていう説もある
だけど それは信じがたいんだよなあ
あれだけ全世界を席巻した 世界最強の騎馬民族が 日本の武士に負けるだろうか
俺は 台風で海を越えられなかった説のほうを信じるよ >>853
元がベトナムなど東南アジア侵略でも
最初は小規模な兵力を送り様子を見て
次回は大規模な兵力を投入する
これ兵法の基本
しかも弘安の役では農機具は農馬まで船に積み込んでいたわけでw >>306
論外な重装備してる弓騎兵が鎌倉武士だろに
モンゴルのは軽騎兵
まあろくに馬を連れてこれなかったけれど >>882
それ言われるけどメリット無いからなあ
当時の兵士なんて、ほとんどが一般人だよ
職業軍人なんか極々僅か
支配するに当たって今後もその地に住み続けて利益を生み出す人間たちを、無為に放逐するメリットなんか無いのよ
しかもそれなりに莫大な資材を投入してそれじゃ、なんの利益もない >>891
だからなに?w
別にオレは韓国びいきでもないし
韓国なんてどうでもいいんだよ
ただ白村江の当時の新羅は
まるで日本の戦国時代の真田家みたいに
上手に戦国の世を泳ぎきったよねと言ったら
火病しだしたのはお前
韓国人が馬鹿でキチガイで嫌いなのはオレも同じ感想だから
外国に支配されつづけている情けない国と罵倒しても
別にオレは堪えていないんだぞw
お前さっきから必死に独り芝居しているキチガイに見えるんだけどw >>897
地形を考慮しないでラストスパートに焦ったんだと思う
占領地の中国も叛意が渦巻いて不穏だったみたいだし >>588 ↓だね
実はこの牒状は、珍島を拠点とした三別抄が、元に屈した江華島の政府を否定し、自らを正当な高麗王朝と名乗って、
日本に支援を求めてきたものであった。「モンゴルの巨大な圧迫に直面し、それへの抵抗と反撃を共通の課題としていた
両民族が、国のちがいを超えて共同する可能性」があったことを示しているが、朝廷の儒学者は十分その意味を理解
することができず、牒状は黙殺された。
三別抄の乱は1273年、モンゴル軍・漢軍(旧金朝の兵)・高麗軍の併せて1万の総攻撃を受け、済州島が陥落し、あしかけ
4年にわたった反乱は収束する。そしてその翌年、元は同じく漢軍・高麗軍を動員して、最初の日本遠征を実行した。
「三別抄の反乱が、モンゴルの日本征討を大幅に遅らせ、また征討軍を疲労させて日本に向かう勢いを弱めたことは間違いない。」
<『北条時宗と蒙古襲来』2001 村井章介 NHKブックス p.69,97>
https://www.y-history.net/appendix/wh0403-031_1.html >>905
これからは俺はお前に絡まないよ
アンカ付けて史実を書くだけにするよ >>901
諸説もなにも上陸されたのは事実
そして追い返したのも事実
全滅させてはいないな 撤退に追い込んでるけど とりあえずこういうスレは喧嘩しないでロマンある説を語り合って楽しむべき >>889
逆らしいぞ実際は。外国の脅威がある時は武士たちは幕府に協力せざるを得ないが
攻めてこないのがわかってきてから武士たちは反抗的になった 契丹は唐の後継主張してたけど(当時)
中国語系じゃないよ?
モンゴル語系の国 >>268
日本の御家人から幕府に対して
反旗を翻す裏切者を作ることだろうな
元寇って、そういう日本を内部分裂させようという工作もなしに
渡海作戦取ったのだろうか?
けっこう無謀な戦いだったと思うんだよね
航海術が発達した現代でも渡海上陸作戦というのは難しいのにな >>569
やべ! 鎧が重くなりすぎて動けねえ
↓
馬に乗ったら移動できるだろ
世にも珍しい重装弓騎兵の誕生である >>901
戦場はモンゴル大平原ではないしw
実際は高麗・南宋兵が大半だしw >>905
上手に戦国の世を泳ぎきってたら中国に征服されたり滅ぼされたりしてないから
史実は泳ぎきれず万年属国として惨めに生きながらえてきた歴史しか無いよ
>>914
史実を語ると元寇は失敗
それ以上でもそれ以下でもないよ (-_-;)y-~
1274年(文永11年)10月(旧暦)
こんな寒い季節に船で攻めてくるなんて、アホやろw
風邪で士気壊滅や。 >>917
モンゴルが平原ばかりで戦って大帝国作ったとでも思ってるのかね
モンゴルが征服した国々を自国の兵力に組み込まずに大帝国作ったとでも思ってるのかね >>830
>>837
へー知らんかった
倭寇って元々は日本人が主体だったんだね
…自分で書いてて混乱してきた 当時の日本の総兵力が何十万いたのか知らないけど同数以上を運んで来るのは大変だろうし
補給も維持させないといけない。例え上陸されて拠点を作られても年単位で追い返したと思うけどね
海の向こうだから事前の偵察が上手く出来なくて日本の戦力を過小評価してたんかな >>370
鎧なんかラメラーアーマーで一緒だよ
つか日本の大鎧の方が高性能
たぶん古代のロリカセグメンタタが一番防御力高いとは思うが
鉄砲の登場後は鎧なんてどうでもいい (-_-;)y-~
幕末でも、
西欧列強国が日本に入港したら、
謎の熱病で船員が倒れまくったって話がいっぱいあるからな。
日本人なら上手く風邪対策するようなことが、
日本の気候風土を知らんと、あっさり風邪ひくんよ。 >>921
史実を語ると火病はネトウヨには無く、朝鮮人にしか無いんだよ
朝鮮人特有の民族病が火病
火病wikipedia
『火病(ひびょう、かびょう、ファッピョン、ファビョン、朝: 화병)は、鬱火病(うっかびょう、うつひびょう、ウルァッピョン/ウラッピョン、朝: 울화병、朝: 울홧병)の略称で、
文化依存症候群(文化結合症候群)のうち、朝鮮民族に顕著にみられる精神疾患と指摘されている病気で、北朝鮮と韓国でともによくつけられる診断名であるという ...』 >>920
でもモンゴル帝国は基本的に陸続きの国しか下していないんじゃないか?
ベトナムにやぶれたのも船での戦だったし
モンゴル兵は騎馬戦には強いけれど船での戦は激弱なんだろうな >>908
それは三別抄の方の話で、554の一行目で書かれてるような
高麗がモンゴルに数十年攻められてた時に日本に救援求めて黙殺されたって話とは関係ないのでは? >>9
・フレグ本隊はクリルタイの為に帰還したので、バイバルスが戦ったのは現地に残った残存部隊2万
これは威力偵察が目的とされている文永の役よりも少ない
・マムルーク側もかなりの損害を被ってる
・モンゴル軍側もグルジアやアルメニア等の混成部隊
という訳で、必ずしも元寇よりも条件がキツイ訳では無い
ただ、バイバルスは2回もモンゴル軍撃退してるし、十字軍も撃退してるので名将である事には変わりは無い。 >>927
史実は元と高麗が日本に負けたってだけだよ
つまりシナチョンとウンコリアン連合は激弱ってこと >>925
日本の武士はモンゴルの船にウンコ爆弾投げつけていたというから
そのウンコのせいで疫病になったのかもな
でも焼いたウンコという説もあるから、それだと殺菌されているから
疫病の元が日本の武士が投げつけたウンコが原因というわけではないか >>930
おぉ、京大の杉山正明の本に書いてあったわ ヤバくなったら撤退しようと考えてる敵軍と敗れたら国が滅ぶかもしれない瀬戸際の鎌倉武士
戦意の違いも大きいと思うよ (-_-;)y-~
坂本龍馬も、
船中八策書いたり不眠不休して風邪引いて、動けんところを暗殺された。
日本の気候風土を、なめたらいかん。 鎌倉時代言うと平和な時代を連想する人が多いけど、内実は戦乱状態だよ
俺の先祖は中国地方で地頭やってたが、そこにはじめて任じられた代の一代前の親父が殺されてる >>927
陸続きだが、南宋を攻略するに当たっては南宋の有する強力な水軍相手に、やはり水軍を養成して戦っていたね
長江とか馬鹿みたいにでかいからね >>927
史実は元と高麗が日本に負けたってだけだよ
つまり 元 (王朝)ー中国を支配したモンゴル系王朝とウンコリアンが手を組むと激弱ってこと
>>932
史実は日本は戦争でウンコ使うけど、ウンコリアンは主食がウンコってだけだよ 当時の武士は常にきな臭い状態にあったんで練度は抜群よ >>932
牛の死体とかも投げ入れてたって話だし勝つ為には何でもしたんだろうね
今とは価値観が全く違う時代だが必死さは伝わってくる >>941
ウンコやら死骸やら投げ入れられた上に
波に揺られ続けていたら、そりゃあ戦意喪失もするよなw (-_-;)y-~
石礫(いしつぶて)も結構な武器やしなぁ。
陸上の日本側は大量に用意してて、
博労、下郎、従者等々、みんなで投げつけたやろな。 >>292
記事でも一騎討ちがどうとかあるけど、、一騎討ちとかやあやあ我こそは〜的な名乗りって
後世の寺社の本にはあっても一次史料にないから疑問視もされてるんじゃなかった?
記事にもある竹崎季長の突撃の場面でも、竹崎季長も、白石通泰ら後から来た武士たちも一騎で戦ってないし
竹崎季長も突撃の言葉は味方へのもので、敵に何も言わないまま戦ってるし 元寇時の鎌倉武士打線(最新の研究 2021年ver)
1(遊)モンゴル襲来の6年前に大陸にヤベーのがいるのを察知して情報収集してた
2(三)壱岐・対馬は見殺しにしたのは敵情を研究したのではなく単に対馬守護少弐氏への嫌がらせ
3(一)最初の蒙古襲来で人質を盾にしてたモンゴル軍に人質無視して射殺してた
4(指)博多を略奪したのではなく物資と人員と銅銭を徴発してただけ(太宰府天満宮に「徴発やめてよー」という願文と請願が残ってる)
5(右)蒙古襲来4年前に非御家人の動員の権限を幕府が接収、北九州に西国の武士を集中させてた
6(左)使者をぶっ殺した時に書状を見ずに殺したために三度目の使者の書状が和睦(休戦)の使者なのを知らなかった
7(中)二度目の南路軍来るのを半年前に察知して海賊が襲いまくって南路軍が博多に来たときはボッロボロだった
8(二)鷹島掃討戦で高麗人、モンゴル人は皆殺しにしたけど女と宋人は助命してそのまんま戦利品として6千人ほど御家人で山分けしてた
9(捕)実は元寇の後にに来た高麗と元の和平の使者を話を聞かず6回ほど博多で殺してる >>943
あ、ごめん主食じゃなかった
スウェーデンの博物館に展示された人糞酒のトンスルを飲むウンコ民族がウンコリアンってだけね
ウンコする最中の汚い銅像があったり、ウンコを舐める嘗糞文化があったり
これが史実
>>941
ウンコリアンは現代でも抗議にウンコ使うからな >>946
それ2021年verじゃなくて2018年になんJに作られた奴でソースなし矛盾だらけのメチャクチャな内容だよ >>949
>>948
神風説は神社だったか寺だったかが
自分たちの祈りのおかげで戦に勝てたと自画自賛していたのが
広まっただけらしい
本当は台風がなくても日本が圧勝していた説が有力らしいよ 記述してる資料がないんだからわからんのに
論じても意味ないよ 個々の日本人の戦闘能力は高くても
戦略性がないから戦争に負けるんだよ
世の中の流れを読んで有利不利を見極めたうえで
どこでどう戦うのかを考える知性がないだけ 平安末期から江戸時代の初めまで自力救済の社会が長く続き、数百年間、日本国内は落ち着いたためしがない
元軍がやってきたのは戦国時代に来たのも同じ 鎌倉時代の日本刀見ると他の時代よりも優れているのが何となく分かるから
当時から戦国時代までは日本人も戦闘狂と言うか悪い言い方すれば野蛮人だったのかもしれんね
つまり今の我々も何かあれば先祖返りする可能性もあるって事かも 日本の歴史って殆どが嘘で塗り固められている
歴史の教科書とか本は破いて捨ててやったし ちなみに元とベトナムの間では、中華の国際秩序における「王」の地位をどう考えるかで対立になった。
元側は、ベトナムといえどもその「王」は皇族などが任命される楚王や呉王などと同じ地位だと
論じたが、ベトナムは古典の「春秋」をひいて、それとは違う王があってもっと尊重されてると反論した。
当時は今と違って、西洋国際法やウイーン条約なんてものはないので、漢文の古典が国際関係の
規範といえば規範になるのだろう。日本も外交交渉をするとなると、そういう知識が必要だったと思われる。 頼むから自分の家の前を通りがかったって理由だけでお坊さんとかを武器の的にするのをやめてください
頼むから朝廷の土地を荒らすのもやめてください
マジで頼むから言うこと聞いてください
御成敗式目ってこんなやぞ 1688年 ジュンガル帝国がモンゴル草原に侵攻しカラコルムが陥落
後元(ハルハ部)のハーンは清に亡命し
テムジン以来のモンゴル帝国は滅亡した (-_-;)y-~
今なら上陸戦闘用兵器があるけどさぁ、
軍船で脅したら降伏すると思ってたのに、
石垣組んだり、見張り小屋作り出したりするんやで。
本城とか落とそうって気にならんやろ。 >>951
高麗史を見れば向こうが暴風雨があったと書いてるんだから暴風雨はあったんだよ
日本人からすると丁度よいタイミングで起きたから神風となってるわけ
[3] 『高麗史』巻二十八 世家二十八 忠烈王一 元宗十五年(十一月)己亥(二十七日)の条「己亥、東征師還合浦、遣同知樞密院事張鎰勞之、軍不還者無慮萬三千五百餘人。」 同じ兵科で括るより、小単位の一族、家で行動したら、補給は別として近代軍のような分隊、小隊、・・・ってな感じに結果的になってた
分権化した自律的軍隊なんで強いのは当たり前 神風というけど、朝鮮や中国沿岸出身の兵が毎年来る台風を知らないわけないし
それは当然両軍想定内の戦いだったわけで、偶然とかいう天運とかいうものじゃないよ >>964
台風があったことは確かだけれど
台風の被害に遭ったのは、日本攻略を諦めて
乗船して撤退途中で台風に遭い、船が沈んだということ
つまり台風の被害に遭う前に元軍は日本軍に撃退されてしまっているから
日本が勝てたのは台風のおかげじゃなくて、武士団の強さが元軍を上回っていたからってこと 庶民動員した軍隊は逃げさせないようにするだけで労力使うし、隊列を整えたりするだけで時間かかって面倒くさい >>742
日本奥地紀行読め。
日本人は朝鮮人の体格以下だと書いてある。 戦略とか戦術とか色々あるけど中世の戦争なら尚の事死を恐れない兵隊がいる軍隊が強い筈
その点武士は昔から命を惜しむな名を惜しめの精神だから弱くは無かったと思うよ 日本の玄関を探したがわからなかったから帰ったんだろう >>970
じゃあ>>951はどういう意味
wikipediaでは文永・弘安の役での2度にわたる元寇で元軍に大損害を与えた暴風雨とソース付きで書かれてるし、戦闘で神風が吹かなくても、その後に大損害を与える神風(暴風雨)が吹いたから神風って言ってるだけだよね
日本が戦闘で勝てたのは神風のおかげじゃなくても、結果的に勝てたのは神風のおかげなんだよ
951 名前:ニューノーマルの名無しさん[] 投稿日:2021/11/18(木) 20:32:50.14 ID:vQ60WjHl0
>>949
>>948
神風説は神社だったか寺だったかが
自分たちの祈りのおかげで戦に勝てたと自画自賛していたのが
広まっただけらしい
本当は台風がなくても日本が圧勝していた説が有力らしいよ 征東行省旅の栞
1海を渡ります ※荒れやすいので速やかに渡ること
2上陸して敵と戦います ※敵は職業軍人の弓騎兵を主力にする強固な軍事政権だ
3海を渡ります ※暗礁や渦が多いので注意
4上陸して敵の首都を攻略します ※敵の司令部はもっと東にある
5陸路を進み敵の本拠地を攻略します ※おめでとう 現場では、頭脳は一つでトップダウン方式でなく、個々に頭脳分散した方が強いのよ
たまたま、当時の日本は現代軍制に近くなってたと、ロジスティック以外は >>976
え?
だから神社だったか寺だったかは台風のおかげで戦争に勝てた=神風
実際には台風のおかげで勝ったのではなくて
武士団の力で勝てた、台風は元軍にダメ押しで逃げている途中で被害拡大させたという意味
>>970に書いてある意味そのまんまだよw 突貫工事で朝鮮半島で船を作ったから手抜きの欠陥船で少しの荒天でも、沈没するのが続出した >>969
裏面にも凡字・漢字で「完全に勝破せよ」という意味の一節などが仏教において用いられる呪文の一種である真言陀羅尼から引用されている。
筥崎宮所蔵 >>979
お前が言ってることは1回目の話
wikipedia
二回目の元寇・弘安の役では、元軍は日本軍の猛攻(志賀島の戦い・壱岐島の戦い・鷹島沖海戦)で苦戦を強いられ、二ヶ月近く海上に停滞していたまま台風に遭い、大損害を出して混乱したところを日本軍の総攻撃を受けて、壊滅した(御厨海上合戦・鷹島掃討戦)。元軍の捕虜は2、3万にも達した[4]。
とあるように、戦闘中に神風(台風)が直撃してアイヤー!な結果になったんだよ >>951
当時の寺社はそんなことをアピールしていなくて
後世の勘違い >>986
>二ヶ月近く海上に停滞していたまま台風に遭い
これなんだから、似たようなものだろ?
攻撃にきたのに二か月も海上に停滞しているんだから
負け戦隔日だろう?
補給だってままならない状態で二か月無為に海上に停滞している大軍だぞ
台風がなくても日本の勝利間違いなしだろ >>988
撤退中じゃないよね
苦戦して停滞してた訳だよね
お前の>>970を見ても『撤退途中』と一回目の話をしてるじゃん
史実を知らなかったの? >>964
日本側の記録では暴風雨は元軍が退却した翌日 大国が命令文送ってきたら無視
安易に反応して日本の中枢がどこの誰だか把握されたら厄介だからだ
冷静さを欠いたモンゴルが戦略なしに大軍を送ってきたらこっちのもの
各個撃破で楽勝楽勝 >>990
それは単なる揚げ足取りというものだよ
主旨は神風が原因で勝ったわけではないってことを言っている >>991
それ一回目の話でしょ
二回目はどうなったの?
書いてみて
あと二回目は>>986見てね
>>993
揚げ足とりじゃなくて史実だよ
微妙な一言で歴史はガラリと変わるんだから余計に気を付けなくちゃいけないの
停滞中、撤退途中、全然違うよね >>994
しつこいね
一回目は撤退中に台風にあって被害拡大
二回目は攻めあぐねていて海上に二か月も停滞中に台風に遭い被害拡大
どっちにしろ神風が原因で勝てたわけじゃなくて
武士団の力ですでに勝ち戦になっていたところに
元軍の被害を拡大させたのが台風とこと
これでいいか?鬱陶しいバカな奴 >>995
そうそう
手も足も出なくて上陸出来ずに船に立て篭ってたら天災にあったってのが実情 >>995
戦闘中に相手に被害拡大させる台風が吹いたならまさに神風じゃん (-_-;)y-~
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