Merkmal 5/11(水) 4:31

佐世保通過が前提だった「長崎ルート」
 西九州新幹線が2022年9月23日、開業する。開業に期待が高まる長崎市に対して、「新幹線の来ない街」になってしまったのが、県北部に位置する佐世保市だ。当初の計画で同市はルート上に設定されていた。しかし、最終的に計画から外れてしまった。いったいなぜだろうか。

 西九州新幹線の整備計画が提示されたのは、1973(昭和48)年11月のこと。それ以降、ルートは紆余(うよ)曲折を経た。1985年1月に当時の国鉄がまとめた案によると、九州新幹線長崎ルートは次のようになる予定だった。

「鳥栖から在来線の長崎線と並行するコースで、肥前山口付近からは佐世保線にほぼ沿う形で佐世保市へ。このあと、大村湾東岸を大村湾に沿って南下、諌早経由で長崎へ入るコース。停車駅は佐賀、武雄温泉、諌早、長崎の四駅が在来線の駅裏に併設。鳥栖、佐世保、大村は新駅となる予定」(『朝日新聞』1985年1月21日付夕刊)

 もともと長崎ルートは極めて政治的な案件で、佐世保を通ることが前提となっていた。その始まりは1974年、原子力船「むつ」が試験航行中に放射能漏れを起こしたことだった。これは大きく報道され、むつは母港の大湊(青森県)に戻ることもできなくなった。

 1978年になり、佐世保港に回航し修理することが決定。抗議の声の中、この年の10月に、むつは佐世保に入港した。

 これに先立つ同年5月、当時の久保勘一・長崎県知事は、大平正芳・自民党幹事長らの

「長崎新幹線の着工は他の四路線に遅れないこととする」

という念書を得ていた。むつ受け入れの見返りに、長崎ルートは優先的に着工というものだった。この念書を前提に決定したのが、国鉄のルート案であった。

ルート着工に難色を示したJR九州
佐世保市の街並み(画像:写真AC)
 ところが国鉄が民営化されると、JR九州は年間100億円を超える赤字が見込まれる長崎ルート着工に難色を示し始めた。結果、長崎ルートは1988(昭和63)年に決定した整備新幹線の優先着工区間から外れてしまった。

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https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/a3740d50b1f0e9292fbbeeebca4f6640d4bd70df&preview=auto